兄に恋した

長谷川 ゆう

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第31話 一周

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   「母さん、パートしながら独りで暮らしてるんだ」

   佐藤カツヤは、息子のミタカの声を聞いたのが、数年ぶりだった。

  息子と話したのはいつぶりだろうか?
ミタカが20歳の時に、2つ歳上のエリさんと学生結婚をする事で揉めて以来な気がする。

   18年か、18年も自分は息子と話していなかったのか。佐藤カツヤは、生きがいにしていた息子を見ないふりしながら生きていた。

   
    特に息子ミタカの妻エリとは、相性が合わないが再婚相手のトヨコと相性がよく、周3のパート以外は、必ず家にくる。

  「思うより時間はあるよ」
  息子のミタカは、最後にそう言って電話を切った。

   佐藤カツヤは、その言葉を都合良く解釈した。また、元妻の土田ヨキナと息子の3人で出直そう。

   佐藤カツヤは、さやかの母親トヨコと不倫のはて再婚するため不倫しながらでも家庭を捨てないで欲しいと追いすがった元妻の手をはらい、挙げ句は苦労続きの果てに手にした息子ミタカすら奪い、元妻を重度のうつ病にまでにした。

  そんな事をしてまで、佐藤カツヤは元サヤに戻ろうとした。父親に殴られ母親からは見捨てられて育った佐藤カツヤは、自分が求められる事しか求めない。

   すでに再婚相手のトヨコとは冷めきり、ミタカの妻エリが居座る自分の家すら、居場所がなかった。

  だから、すがったのだ。離婚を告げ、呆然としているさやかの母親トヨコを捨ててまでやり直せる気になっていた。

    

     元妻、土田ヨキナを捨てた時のように佐藤カツヤはトヨコが自分の嫌悪している娘さやかに動揺して連絡したり、息子のミタカに佐藤カツヤとの仲をとりもって欲しいと嘆いたり、2人の実の妹達に相談したり、ミタカの妻エリに応戦してもらおうと右往左往している間に、佐藤カツヤは離婚届に判を押した。


    夕暮れのリビングで改めてみる呆然としているトヨコは、ずいぶんとでっぷりと太り、顔にはシワが目立ち、佐藤カツヤは目をそむけた。

     「私が、離婚?」
   トヨコは一言呟くと、テーブルに置かれた離婚届けをぼんやり見ていた。

   離婚後の生活の保証も慰謝料も払う、この家もトヨコに残す、贈与税は自分が払う、佐藤カツヤはそれだけの約束でトヨコと縁を切ろうとした。


    「だれも、さやかも、ミタカ君も、エリさんも、私の味方になってくれないの・・・」
    トヨコが呟いた最後の一言は、それだけだった。トヨコはふらりと自分の部屋に戻ると、印鑑を持ってきた。

  
     「いいの・・・私は貧乏な社宅暮らしから一軒家を夫に貰えるんだもの。金もないヨキナさんとは違うわ」
   最後のミタカの母親のヨキナの名前だけを憎々しげに呟いた後、トヨコは判を押した。


    後日、佐藤カツヤは、ボストンカバン6つと仕事で使うパソコン、必要最低限の荷物だけで家を出た。

    家のトヨコへの相続権や相続税の事は、知り合いの弁護士に頼み、タクシーに乗り込んだ佐藤カツヤを家の前で、トヨコはまるで宙を見ているような焦点の定まらない目で見つめている。

   すでに新しく住むアパートは、元妻土田ヨキナが住むアパートから10分もかからない所を借りている。

  息子のミタカも妻エリとの離婚が進んでいると聞く。

   また、3人で暮らすのだ。

  借りたアパートに、荷物を置く前に元妻が住んでいるアパートに寄ることにし、タクシーを止めてもらった。

   築30年の古い2階建ての1階に3軒、2階に3件あるアパートだ。確か息子のミタカに、2階の一番奥の部屋だと聞いた。

  すでに日は落ち夜になり、月が登り始めていた。

    佐藤カツヤが、チャイムを鳴らす。
「はい」
 少し弱々しいが、20年ぶりに聞く元妻の声だった。

   しかし、出てきたのは18年ぶりに真正面から久しぶりに再会した息子のミタカだった。

    「ミタカも来ていたのか、父さんな離婚したんだ、また3人でやり直す・・」
     佐藤カツヤの言葉がつまったのは、再会の喜びではなく、息子ミタカの自分を全身から拒否し、憎しみの目で睨まれたからだ。

     「何で、来たんだよ、今さら」
  ミタカもの声は、低く圧し殺した声だったが、怒気が混じっていた。

   「やり直そうと・・・」
  息子ミタカに気圧されながらも呟いた時だった。

   「ミタカ、誰なの?」
  歳をとり、病気と仕事で疲れて痩せた土田ヨキナが息子の背中ごしに顔を出した。

    佐藤カツヤとヨキナの間には依然としてミタカが立ちはだかっている。

   「ヨキナ、病気、良くなったんだって?俺も離婚したし、3人でやり直さない・・・」
   佐藤カツヤが、話し出したらヨキナの顔は恐怖でひきつっていた。

    「帰ってちょうだい」
  震えた声で絞り出す良いうに出たヨキナの声だった。


    「え・・・」
  その瞬間、佐藤カツヤの頬に思い切りミタカの拳が触れたと思ってさたら、佐藤カツヤは古い冷たいコンクリートの上で横になっていた。

  「今さら、何しに来たんだよ!お前は!母さんと俺が、捨てた親父とやり直すとでも思ってんのかよ!一生、母さんと俺の前にあらわれるんじゃねぇ!母さんの病気が治るには思うより時間が必要なんだよ!」
    佐藤カツヤが、最初で最後に聞いた息子ミタカの怒号だった。

   バタンとドアを閉められ、その向こうで泣きじゃくる元妻土田ヨキナの声と慰めるミタカの声が聞こえた。

   佐藤カツヤの周りには、ボストンバッグ1つとパソコンが転がっていた。

    「お客様、大丈夫ですか?」
    一部始終を下で待たせていたタクシードライバーが見ていたらしく、階段を駆け上がってきた。

   「同じだ・・・」
  呆然としたまま呟く佐藤カツヤに、荷物を拾いながらタクシードライバーは、不審な視線を送る。

   息子のミタカに殴られたのは、左の耳の上あたりだった。ぐわんぐわんと耳鳴りがし、痛みで顔が腫れていくのが分かる。

   佐藤カツヤは、散々実の父親に殴られていた場所と同じ場所を息子ミタカは殴った。

    全てを捨て、全てを傷つけてきた佐藤カツヤには、一周回って、あの頃と変わらない自分1人しか残らなかった。

    捨ててきた人間が、捨ててきた人間から捨てられた、やたら冷え込む夜だった。


  

     
  




   
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