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明日婚約破棄すると宣言されたら?
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「明日婚約破棄するから準備をしておけ。」
学園では滅多に顔を会わせない婚約者から呼び出され向かうと、突然婚約破棄の予定を告げられた。
「手筈は俺が整えてあるから心配するな。お前は自分の準備だけすればいい。」
そう言って立ち去っていった婚約者。
「え、あの、今のは一体何の話だったのでしょうか?」
呆然と立ち尽くす事しか出来なかった私。
婚約破棄?
当然のように話して行かれましたけど、そんな予定ありましたか?お父様からは何の説明も受けておりませんけど...
それに婚約破棄の準備とは一体何かしら?
心の準備を整えとけという事?それとも両親にしっかり話を通しておけって事かしら?
...わからないわぁ...
人の出入りが少ない裏庭で日が暮れるまでにずっと考え込んでしまった。
△▽△▽
私はセルディア・コンディナ。伯爵家の娘だ。幼い頃からぼんやりとしていると両親からは心配され早々に婚約者を決められた。それがケルヴィン・トビアトス侯爵子息だ。
彼は幼い頃から私の側に無言で居た。
気がつくと隣にいる空気のような存在だ。互いに口数の多い方ではないし、婚約者はむしろ一言足りない人だ。
「明日会いに行く。」と帰宅時に言って帰り、次の日屋敷で待っていると、侯爵夫人がお母様に会いに来ていた。
あれは『母上が伯爵夫人に会いに明日屋敷を訪れる。』と言いたかったらしい。
...えーわかりませんよね?あれでは...
しかも婚約者の酷い所は私以外の者にはきちんとした言葉遣いで話しており、使用人もお母様も侯爵夫人が訪れる事を事前に聞いていたらしい。
...私にも同じように伝えてくれれば良いのに。
幼い頃は婚約者のその癖を面倒くさく思った頃もあった。だけど今では仕方ないと受け入れて読み取る努力を日々してきた。
正解率は未だに10%未満ですけど...
ちょっとしたクイズみたいで楽しかったりするのです。
まあ本日のは難易度が高くて理解できそうにありませんが...
しかも最近婚約者の周辺に女性の影があると友人達が教えてくれた。何でも友人達もその女性に婚約者を奪われかけているそうで気になる噂が学園内に広まっていた。そのせいか皆さん最近苛立ちが表情に現れていた。
ケルヴィンに女性の影ね...
うーん、婚約破棄の原因と言ったらそれしか思い浮かばないわぁ...。
まあまだ婚姻してはないからギリギリセーフかしら?
後々愛人や隠し子なんて現れたら顔面蒼白ですもの。
それを考えたら早急な対応よね...
私は従兄弟のルーシアスと婚約し直せば問題ないし。
頭の中で3つ歳下の弟のように可愛がっていた従兄弟の姿を思い浮かべて勝手に段取りを決めていった。
「ふぅ...心の準備はこの辺で大丈夫かしら?お父様への報告はよく考えたらしてない筈がないもの。ケルヴィンなら一番先に許可をとっていそうよ。」
安心した私は深い眠りへとついていった。
明日行われる学期末の夜会に意識を飛ばしながら...
そして次の日、朝から目まぐるしい程やることが沢山あった。朝から湯のみをして、マッサージに香油をたっぷりと全身に塗り込み、髪の毛もしっとりとさせた。
そして夕方までにコルセットをきつく締め上げて、私の白銀の髪に合う、鮮やかな空色のドレスを着た。
侍女達は一日中休むことなく、私の身支度の世話を焼いてくれて化粧をして、髪を編み込み結い上げてくれた。
「とても美しいですわ!お嬢様ッ!!」
「まるでお伽話の妖精みたいですわッ!」
「フフフ...今日の夜会で一番目立つ事間違いないです! 」
大袈裟に褒め称えてくる侍女達の姿にありがたい気持ちや申し訳ない気持ちがごっちゃになっていた。
皆には悪いけど今日、私婚約破棄されるみたいなのよ。
だから夜会で一番目立つとは思うけど、容姿でではなく醜聞の話題として目立ってしまうと思うのよね...
困ったわぁ...皆をがっかりさせてしまうかしら?
自分が婚約破棄される事が気になった訳ではなく、今日の夜会の為にここまで綺麗にしてくれた侍女達を悲しませてしまう事が気がかりだった。
そして何故か迎えに着てくれなかった婚約者を置いて夜会会場へと向かった。
「大丈夫ですわよ!お嬢様ならお一人でも皆様の視線を釘付け間違いなしですわ!」
笑顔で見送ってくれた皆...
うん。そうよね、婚約者がいる令嬢が一人で夜会へ現れたらそれは皆気になりますよね。
本当に皆さんの視線を一人占めしてしまうわね...フフフ。
馬車から降りて、入り口へ向かうと何故か私の友人達がいた。
例の婚約者を奪われそうな友人達だ。
「あ、セルディア様いらっしゃったわぁー。」
「キャッ!とても綺麗だわ!」
「本当に神秘的な美しさねー。」
にこやかに出迎えてくれた友人達は私を待っていたようだ。
「あの、お約束しておりましたか?私もしかしてお待たせしてしまいましたか?」
もしかしたらと私は不安そうに問いかけた。
それなら婚約者が迎えに来なかった理由も説明つく。
だが彼女達は違うと否定した。
顔を見合わせて眉を一瞬しかめていたがすぐ笑顔になった。
「いえ、違いますわ!誤解させてしまって申し訳ありません。私たちがセルディア様と御一緒したかったのです。」
「ええ、そうですわ!御一人様同士楽しく過ごしたかったのです。」
「ふふふ...令嬢だけの夜会。ちょっぴりワクワクしませんか?」
「あら?皆様も婚約者がおりませんの?」
ボヤっとしていた私は本来なら失礼にあたる事を聞いてしまった。だがそれにも楽しそうに受け答えしてくれた心の広い友人達だ。
「そうなのです。」
「婚約者は他に用事があるらしく、断られてしまいましたわ。」
「婚約者をエスコートする以外に優先する事とは一体何なのかしら?」
美しい笑顔で笑っていたが、やっぱり思う所はあるのだろう。言葉の端々に小さな刺があった。
そして私達は女4人だけで夜会会場へ入り、壁の華としてシャンパンや食事を楽しんでいた。
婚約者の姿がなく、令嬢だけで過ごす珍しい私達の姿に視線が集まった。そして私達が暇そうに見えるのか、時折やって来るダンスの誘いを交わしたりしていた。
「御嬢様方、御婚約者様がお呼びでございます。」
給仕が私達へ小さな声で話しかけてきた。
そして案内についていき、室内へと入った。
本来ならこんな対応をされて給仕についていく真似などしないけど、友人達が何やら訳知り顔で「大丈夫ですわ、予定通りですから。」と言ってきたので信じてみる事にした。
そして室内には私の婚約者と友人達の婚約者...そして見覚えのない令嬢が床に泣き崩れて座っている姿があった。
「あら?もう終わってしまったの?」
「私達も見たかったわ~」
「女狐の化けの皮が剥がれる所を...フフフ。」
友人達は何が起こっているのかわかっているらしく、それぞれ婚約者の隣の席へ座った。
「え、あの?どういう「セルディア...此方へ来い。」」
困惑する私の言葉を過りながら婚約者が私を呼んだ。
「...ええ、わかりました。」
一先ず私も席に座り、状況把握しようとした。
「うぅぅっ....」
見知らぬ令嬢の泣き声が響く室内。
それぞれ婚約者と仲睦まじく会話している友人達。
チラリと隣にいる婚約者を見てみると、私の事を見ていたらしく瞳が合わさってしまった。
「.........その色、似合っているな。年末に王城で開かれる夜会は俺がドレスを用意する。」
私のドレスの色や手触りを確認しながら何か考え込んでいる婚約者。だけどおかしくありませんか?私達って婚約破棄するのよね?今夜...
私は誰にも聞こえないように小さな声で問いかけた。
「何故貴方がドレスを用意するのですか?その頃にはルーシアスと婚約してると思うからドレスならあの子と選ぶわ。だから貴方はそこまで気にしなくて大丈夫よ?」
婚約破棄した後の気遣いなんて虚しいだけだもの。
心配させないように穏やかな笑顔を浮かべたつもりだったが、ほんの少し歪んだ笑顔になってしまった気がする。
心の奥にポッカリした穴が開いたような気がして少し寂しく感じた。
だが私の言葉を聞いて固まっていた婚約者は何故かドスの効いた声で問い詰めてきた。
「どういう事だ。何故セルディアの婚約者が従兄弟に変わってて、お前のドレスをあのガキと選ぶ事になるんだ。俺とはそんな事をした事ないだろう。」
鋭い視線で私を睨み付け、逃がさないように私の腰を掴んだ。
「え、...え?だって婚約破棄したら私にまともな婚約相手などやって来ないし、それにルーシアスなら小さい頃からお互いに知ってて気心も知れてるから夫婦になっても何とかやれる気がするの。そ、それにルーシアスはドレスなんて選んだ事はないから一緒に選ぶのが良いかと思っただけなのよ...あ、貴方はそういう事は誰にも相談せずに一人で選びそうだし...」
段々と恐ろしいオーラを背後に現す婚約者の姿に私は背筋が凍った。
何がそんなに怒らせてしまったのか理解できなかった。
「...セルディアはルーシアスが良いのか?」
「え?...えっと...私の中のではルーシアスが第一候補だけど決めるのはお父様だから、私では何とも言えないわ。」
「.........ルーシアスを愛しているのか?」
力強く握っていた手を腰から離し、何処と無く悲しげな表情で私を見つめてきた。
「私がルーシアスを?...親愛という意味でなら愛しているわね。あの子は私にとって弟のような存在だもの。」
「は?...親愛?..........何を言ってるんだ?俺を捨てて婚約者をすげ替えるんだろ?それなのにルーシアスが弟のようだなんて俺を馬鹿にしてるのかッ?!」
怒りを瞳に宿しながら私を責めてくる。
だがその言動は私の心に怒りを灯した。
何を勝手な事を言ってるの!?こんな事態になったのは貴方が言い出した事が原因じゃない!
私はムッとした表情になりながら投げやりに昨日の事を言った。
「あら、もう忘れてしまったの?貴方が明日婚約破棄するから準備をしておけ。と仰った言葉を!私はそれに従っただけよ?何故貴方が怒るのか理解に苦しむわ!.....突然婚約破棄を言い出したり、夜会の迎えに来なかったり、こんな風に怒り出したり、貴方って本当に勝手よ!だから私はルーシアスを選ぶの!私の気持ちをきちんと聞いてくれて二人で話す機会を持ってくれるあの子を!」
婚約破棄されても問題ないと思っていたが、やっぱり心は傷ついていたみたいで、昨日から溜め込んでいた不満や悲しみが言葉や表情となって現れた。
いつもはぼんやりとしている穏やかな私が怒鳴るように捲し立てた姿に目を丸くしていた婚約者。
「トビアトス様、私達は言いましたわよ?この計画は内密に行われている極秘案件だから私達からは説明出来ない。婚約者である貴方からセルディア様へ説明して欲しい。説明を怠ってはならないと何度も申し上げましたよね!」
「きちんと説明しておりましたか?...私達が見た所色々と不安そうになさっておりましたわよ?」
「自分の婚約者なら言わなくてもわかってくれるだろう。なんて考えておりませんよね?それは男性側の怠慢ですわよ?その様子では本当に捨てられてしまっても仕方ありませんわよ...」
「「「このままでは本当に婚約破棄ですわ!」」」
「..は?...え、だ、だか...お、俺は...」
怖いくらいの笑顔で婚約者を見つめてくる友人達。
青ざめながら私と友人達の姿を見つめている婚約者。
「私達は手助けは致しませんわよ。セルディア様の誤解を解きたいのならトビアトス様が努力すべきよ。」
「ええ、そうですわ。私達は何度も態度を改めるように申しましたもの。もっと言葉を尽くしてセルディア様と向き合うべきだと...」
「あれだけ他人行儀な婚約者だというのに何処に自信があったのかしら。今回の事は本当にセルディア様がお可哀想よ。何の説明も無しに当日を迎えられて...」
私達が居なかったら本当に一人ぼっちでしたわ!
友人達はチクチクと責めるような言葉を告げていった。
...ああ、皆様が怒っていらっしゃったのは御自身の婚約者にではなく私の婚約者に対して怒っていたのね。
また言葉が足りなすぎて私が理解してなかったから...
という事は婚約破棄という発言も言葉通りに受け取ってはいけなかったのね。
何か含みがあったのね。
私ったら早とちりしちゃったわ...
でもね、あの状況で他にどんな解釈があったというの?
私は問い詰めるようにジト目で婚約者を見つめた。
その視線に息を呑んだ婚約者は焦ったようにすがりついてきた。
「あ、あ、ち、違うんだ!セルディア!待ってくれ!俺は婚約破棄なんて望んでいない!!!ダメだ!ルーシアスと婚約などしないでくれ!俺にはお前しか居ないんだ!や、止めてくれ...婚約破棄なんて...」
伸びてきた手を弾き、淡々と告げた。
「私から婚約破棄など申しておりませんわ。貴方が一方的に宣言しただけですもの...」
...これだけの事態を引き起こしたんですもの。
理由を聞かなくては許せそうにありませんわ!
私に拒絶された手を見ながら涙を浮かべていた婚約者は突然、床に座り込んで泣き崩れていた令嬢を指差した。
「こ、こいつだ!この女が全て悪いんだ!婚約者のいる男にわざわざ人目のある所で媚び売って変な噂を流すから!しかも次のターゲットに王太子殿下を狙ってたんだぞ?!この女は!」
「あら...それは...」
まだ状況は読めませんが、予想外の展開になってきましたわ。男に媚びる令嬢に王太子殿下とは穏やかな話ではないわ。
王太子殿下には公爵令嬢の婚約者がいらっしゃるし...
そこで別の令嬢に恋などすれば国が荒れるのは必然ですわね。
「事あるごとに「私なら本当の貴方をわかってあげられる」とか「婚約破棄さえしてくれれば貴方だけの私になれるわ!」とか「私を手に入れるには早い者勝ちだから急がないと別の相手に奪われちゃうわよ?」とか「貴方の熱い視線を見ているとクラクラしちゃうわ!」とか頭のおかしい発言ばかり繰り返して、男の方に気があると周囲に思わせるんだ!俺達は止めるように何度も抗議したし、会わないように避けているのに!何故か待ち伏せされていて...」
青ざめながら、あれは恐ろしい体験だったと呟いた婚約者。そして同意するように頷く友人の婚約者達。
え...それって所謂ストーカーって奴ですわね。
女が男に執着するとしつこいと言いますものね...
若干私の中で同情する気持ちが出てきましたけど、それと私の件は別物ですわ。
未だ怒りが無くならない私...
「それに王太子殿下も恋では無いにしろ、その女に興味を持ち始めてしまって...公爵令嬢や公爵は苛立っていたんだ。自分達が蔑ろにされていると感じて...。だから陛下からの御命令でそこの女を俺達が排除する事になったんだ。二度と社交界に戻ってこれないように...」
「...え...陛下もこの一件に関わっておりますの?」
「ああ、あの方からの御命令で俺達は頭を悩ませた。家には迷惑をかけないようにひっそりとこの女を退場させる方法を...」
え...それはちょっと至難の技ですわね。
この令嬢の身分は知りませんが、恐らく格上なのは侯爵家である彼でしょう。その婚約者様方が一人の令嬢を社交界から追放すればどんな形であれ、噂となり醜聞へ繋がってしまうでしょう。
家を継ぐ彼らなら被害はもっと大きいかもしれません。
次代に移った際にその噂が足を引っ張るなんて事も考えられますものね。
「そこで相手側に非を認めさせて自ら退場してもらう形をとる事にしたんだ。だがその女は狡猾で全く尻尾を見せなかったんだ。噂はあんなに派手に広がっていたのに、俺達が令嬢に迫っているという噂しか出てこなかったんだんだ。この女に関しては数多な男性を虜にする魅力ある令嬢なんて馬鹿げた物しかなくて...本当に困ったんだ。」
「まあ...それはちょっと...」
「そこで俺達はそこの女を罠に嵌める事にしたんだ。それが今回の婚約破棄だ。わざとあの女が望んでいた婚約破棄をしたと手紙に書いて会いたいと呼びつけたんだ。夜会の少し前に...貴女をエスコートさせてほしいと付け加えて。それも俺達全員が少しずつ時間をずらして呼び出したんだ。」
あ、何となく読めてきましたわ。
彼らは別々にこの令嬢を呼び出して、同じように婚約破棄したから自分と一緒になって欲しいと仰ったのね。何度も同じ事を繰り返して同意を令嬢から引き出して...
その光景を必要な人達に見せたのね?きっと...
例えば令嬢の御両親とか...迷惑を被った婚約者達の御両親とかに...まあそこに王太子殿下も加われば百年の恋も目覚めるでしょうね。
「曖昧な噂だけでは娘を領地へ引き戻せなかった女の両親に軽口を叩いて男を手玉にとっていた娘の姿を見て驚愕していたよ。そして親同士で今回の件について話し合う事になったんだ。....その女の両親は凄い剣幕で怒鳴ってて修道院に入れると息巻いてたからもう二度と会う事はないだろう。今ほんの少しだけ席を外してるけど、すぐにこの女の両親が戻ってくる筈だ。」
そう言ってる側から泣き喚いてる令嬢を引きずりながら部屋の外へ連れ出す男性の姿があった。
酷く疲れきった表情だったが、令嬢を連れ出す時の言葉は怒りに溢れていた。
「いい加減に泣くのはやめろ!みっともない!全ては自分の蒔いた種だろ!後悔なら修道院で一生しろ!王太子殿下にまで迷惑をかけよって!このアバズレが!」
こんな事を引き起こした令嬢の動機は単純だった。
━━ より良い結婚相手に巡り逢いたかった。
ただそれだけだった。
深いことまで考えていない子供の浅知恵だったのだ。
誰かに迷惑がかかってるなんて想像もしていなかった。王太子殿下を狙ったのも、王子様と婚姻したら自分がいずれ王妃様...なんて軽い気持ちだったそうだ。
まさか公爵や公爵令嬢が怒り、国が荒れるなんて考えもしなかったらしい。
...なんて浅はかで人騒がせな方なのでしょう。
「だからこの件の手筈にあたふたしててセルディアへの説明を怠ってしまったんだ。セルディアなら説明しなくても俺を信じてくれるから事後報告でも問題ないと思ってしまったんだ。それにあの時も...言い訳じゃないけど...最後の根回しをしてて本当に忙しかったんだ。だから気がついたら最低限の言葉だけで伝えた気になっていたんだ。本当にすまなかった...」
ああ...思えば皆が知っているような言動があったわ。
今日も屋敷から見送られる時に婚約者の姿が無い事に誰も違和感を感じていなかった。初めから知ってたみたいに...。両親だって笑顔で見送ってたし...
知らなかったのはまた私だけって事なのね...
「状況は理解しましたわ。恐らく大変な事態だったのでしょう。...ですがそれとこれは話が別ですわ。だって私以外の人には説明出来てるのに、どうして私だけ何も知らされていないのでしょう。侍女でさえ大まかな事を知っていたのでしょう?...私は侍女よりも蔑ろにしてよいと思われているのですね。」
違うとわかっていたが、言わずにはいられなかった。
ずっと心の奥に秘めていた言葉が表に出た。
いつも、いつも、私にだけ言葉が足りない婚約者。
私になら通じると思って?
それで伝わった事なんて数える程しかありませんわ!
ほとんどが伝わらずに私が!困る事になるのです!
今まではそれでも我慢してきました。
それがケルヴィン・トビアトスという人なのだと思ってきた。
でもそれは違うわ!
彼はただ私を甘く見て見下してきたのよ。
私には何も言わなくても文句一つ言わない女だと...
だって友人達も言ってたわ。
態度を改めるように言ったと...それで変わらなかったのだから変える必要がないと彼自身が判断したのでしょう?
「ち、違うんだ!君を蔑ろにしたり、軽んじていた訳じゃないんだ!ただ...昔から君と話すと緊張して上手く話せなくなってしまって...気づいたら最低限の事しか言わなくなってしまったんだ。本当に悪かったと思っている。」
申し訳なさそうな表情で私を見つめてくる。
だけどそれすらもう嘘臭く見えてしまう。
とはいえ婚約破棄は事実ではなかった。
って事は侯爵家と伯爵家の婚約は継続中なのね。
格下の伯爵家から婚約破棄を申し出る事は出来ないし、それにお父様達が認めてはくれないだろうな...
案外ケルヴィンを気に入ってるから我が家は...
自分が取れる手段や報復など存在しない事に気づいた私は惨めに溜め息を溢す事しか出来なかった。
明らかに自分から興味を失い、優しげで穏やかな笑みを浮かべなくなった私。
「あ、俺はセルディア...君を愛してるんだ。どうか俺を許してくれ...」
すがるように私への愛の言葉を告げた婚約者。
だけどそれも今となっては薄っぺらく聞こえてしまうのは何故なのだろう。
婚約者の姿を見れば本気なのだとわかる。
だけど、それすらも私を繋ぎ止める為の手段に使われていて心が冷えきってしまう。
そんな私達の姿を見て自業自得だと鼻で嗤う友人達や同じ男性だからか割りと同情的な視線を向けていた友人の婚約者の姿があった。
「今回の事で貴方がどういう人間なのか、私の事をどう考えているのか嫌というほど理解しました。恐らく私はもう貴方を愛する事は出来ないでしょう。自分を蔑ろにする男性との未来を描けません。ですが私は伯爵家の令嬢。侯爵家や侯爵家の御子息の決定に従います。....では本日はお先に失礼いたしますわ。」
「ま、待ってくれッ...セルディア!」
婚約者の声が後ろから聞こえていたが、私は振り返ることなく馬車へと乗り込み屋敷に帰った。
そして婚約破棄騒動の結果を知りたがった家族や使用人達から声をかけられたが、私は視線を合わせることなく「その件につきましては私は誰からも説明を受けておりませんでしたので何も知りませんでした。本日本当に婚約破棄されると思っていましたのに...私以外の全員が茶番だと知っていたのね。もう私は家族や使用人すら信じる事ができませんわ。」と言いながら部屋に閉じ籠った。
「セ、セルディア!」
「待ってちょうだい!騙す気なんてなかったのよ!」
「お、お嬢様っ!!!」
「申し訳ありませんっ!!!」
扉の向こうから声が聞こえた。
だけど彼等も同罪だ。
幼い頃から続いていた婚約者の悪癖を知っていたのだから今回の事も予想がついていたはずだ。
それなのに何も言ってくれなかった。
それどころか婚約破棄されると思っていた私を笑顔で見送っていた。
...もう何も信じれない。
それから毎日婚約者や両親が私へ謝罪をした。
だけど私の心に残った不信感や嫌悪感は無くならず、形式的な言葉しか返す事が出来なくなっていた。
「許してくれ...セルディア、俺が悪かった。」
「侯爵家の御子息が頭を下げる必要などございません。あれは必要な措置だったのでしょうから。」
何日経っても、何週間経っても、私の態度は変わらなかった。
両親から何度も謝られ、諭されても凍りついた心が溶ける事はなかった。
そして話を聞きつけた侯爵や侯爵夫人は私の傷ついた姿を見て、息子のした事を謝罪してくださった。
自分達が甘やかしてしまったのかもしれない。
会話を怠るなど礼儀作法の初歩だというのに、嘆かわしい。と仰ってくださった。
そしてこのままでは婚姻は成り立たないだろうと仰ってくださり私達の婚約破棄を認めてくださった。
最後まで駄々を捏ねていた元婚約者を諌めながら私の両親を説得してくれた。
そして私は自分が計画していた通り、従兄弟のルーシアスと婚約を新たに結んだ。
気心が知れており互いの事は何でも話せた。
二人でいると、とても穏やかで心地よい時間を過ごせた。
そしてルーシアスが成人を迎え、結婚式を終えた初夜に「昔からセルディアの事が好きだった。愛している。」と告白された。
頬を赤くして恥ずかしそうに口づけしてくるルーシアスの姿にときめきが止まらなかった。
ルーシアスが明かしてくれた秘密は私の凍りついた心を溶かし、ぽっかりと空いていた穴を埋めてくれた。
その日からルーシアスは私の弟ではなく、大切な夫となった。
学園では滅多に顔を会わせない婚約者から呼び出され向かうと、突然婚約破棄の予定を告げられた。
「手筈は俺が整えてあるから心配するな。お前は自分の準備だけすればいい。」
そう言って立ち去っていった婚約者。
「え、あの、今のは一体何の話だったのでしょうか?」
呆然と立ち尽くす事しか出来なかった私。
婚約破棄?
当然のように話して行かれましたけど、そんな予定ありましたか?お父様からは何の説明も受けておりませんけど...
それに婚約破棄の準備とは一体何かしら?
心の準備を整えとけという事?それとも両親にしっかり話を通しておけって事かしら?
...わからないわぁ...
人の出入りが少ない裏庭で日が暮れるまでにずっと考え込んでしまった。
△▽△▽
私はセルディア・コンディナ。伯爵家の娘だ。幼い頃からぼんやりとしていると両親からは心配され早々に婚約者を決められた。それがケルヴィン・トビアトス侯爵子息だ。
彼は幼い頃から私の側に無言で居た。
気がつくと隣にいる空気のような存在だ。互いに口数の多い方ではないし、婚約者はむしろ一言足りない人だ。
「明日会いに行く。」と帰宅時に言って帰り、次の日屋敷で待っていると、侯爵夫人がお母様に会いに来ていた。
あれは『母上が伯爵夫人に会いに明日屋敷を訪れる。』と言いたかったらしい。
...えーわかりませんよね?あれでは...
しかも婚約者の酷い所は私以外の者にはきちんとした言葉遣いで話しており、使用人もお母様も侯爵夫人が訪れる事を事前に聞いていたらしい。
...私にも同じように伝えてくれれば良いのに。
幼い頃は婚約者のその癖を面倒くさく思った頃もあった。だけど今では仕方ないと受け入れて読み取る努力を日々してきた。
正解率は未だに10%未満ですけど...
ちょっとしたクイズみたいで楽しかったりするのです。
まあ本日のは難易度が高くて理解できそうにありませんが...
しかも最近婚約者の周辺に女性の影があると友人達が教えてくれた。何でも友人達もその女性に婚約者を奪われかけているそうで気になる噂が学園内に広まっていた。そのせいか皆さん最近苛立ちが表情に現れていた。
ケルヴィンに女性の影ね...
うーん、婚約破棄の原因と言ったらそれしか思い浮かばないわぁ...。
まあまだ婚姻してはないからギリギリセーフかしら?
後々愛人や隠し子なんて現れたら顔面蒼白ですもの。
それを考えたら早急な対応よね...
私は従兄弟のルーシアスと婚約し直せば問題ないし。
頭の中で3つ歳下の弟のように可愛がっていた従兄弟の姿を思い浮かべて勝手に段取りを決めていった。
「ふぅ...心の準備はこの辺で大丈夫かしら?お父様への報告はよく考えたらしてない筈がないもの。ケルヴィンなら一番先に許可をとっていそうよ。」
安心した私は深い眠りへとついていった。
明日行われる学期末の夜会に意識を飛ばしながら...
そして次の日、朝から目まぐるしい程やることが沢山あった。朝から湯のみをして、マッサージに香油をたっぷりと全身に塗り込み、髪の毛もしっとりとさせた。
そして夕方までにコルセットをきつく締め上げて、私の白銀の髪に合う、鮮やかな空色のドレスを着た。
侍女達は一日中休むことなく、私の身支度の世話を焼いてくれて化粧をして、髪を編み込み結い上げてくれた。
「とても美しいですわ!お嬢様ッ!!」
「まるでお伽話の妖精みたいですわッ!」
「フフフ...今日の夜会で一番目立つ事間違いないです! 」
大袈裟に褒め称えてくる侍女達の姿にありがたい気持ちや申し訳ない気持ちがごっちゃになっていた。
皆には悪いけど今日、私婚約破棄されるみたいなのよ。
だから夜会で一番目立つとは思うけど、容姿でではなく醜聞の話題として目立ってしまうと思うのよね...
困ったわぁ...皆をがっかりさせてしまうかしら?
自分が婚約破棄される事が気になった訳ではなく、今日の夜会の為にここまで綺麗にしてくれた侍女達を悲しませてしまう事が気がかりだった。
そして何故か迎えに着てくれなかった婚約者を置いて夜会会場へと向かった。
「大丈夫ですわよ!お嬢様ならお一人でも皆様の視線を釘付け間違いなしですわ!」
笑顔で見送ってくれた皆...
うん。そうよね、婚約者がいる令嬢が一人で夜会へ現れたらそれは皆気になりますよね。
本当に皆さんの視線を一人占めしてしまうわね...フフフ。
馬車から降りて、入り口へ向かうと何故か私の友人達がいた。
例の婚約者を奪われそうな友人達だ。
「あ、セルディア様いらっしゃったわぁー。」
「キャッ!とても綺麗だわ!」
「本当に神秘的な美しさねー。」
にこやかに出迎えてくれた友人達は私を待っていたようだ。
「あの、お約束しておりましたか?私もしかしてお待たせしてしまいましたか?」
もしかしたらと私は不安そうに問いかけた。
それなら婚約者が迎えに来なかった理由も説明つく。
だが彼女達は違うと否定した。
顔を見合わせて眉を一瞬しかめていたがすぐ笑顔になった。
「いえ、違いますわ!誤解させてしまって申し訳ありません。私たちがセルディア様と御一緒したかったのです。」
「ええ、そうですわ!御一人様同士楽しく過ごしたかったのです。」
「ふふふ...令嬢だけの夜会。ちょっぴりワクワクしませんか?」
「あら?皆様も婚約者がおりませんの?」
ボヤっとしていた私は本来なら失礼にあたる事を聞いてしまった。だがそれにも楽しそうに受け答えしてくれた心の広い友人達だ。
「そうなのです。」
「婚約者は他に用事があるらしく、断られてしまいましたわ。」
「婚約者をエスコートする以外に優先する事とは一体何なのかしら?」
美しい笑顔で笑っていたが、やっぱり思う所はあるのだろう。言葉の端々に小さな刺があった。
そして私達は女4人だけで夜会会場へ入り、壁の華としてシャンパンや食事を楽しんでいた。
婚約者の姿がなく、令嬢だけで過ごす珍しい私達の姿に視線が集まった。そして私達が暇そうに見えるのか、時折やって来るダンスの誘いを交わしたりしていた。
「御嬢様方、御婚約者様がお呼びでございます。」
給仕が私達へ小さな声で話しかけてきた。
そして案内についていき、室内へと入った。
本来ならこんな対応をされて給仕についていく真似などしないけど、友人達が何やら訳知り顔で「大丈夫ですわ、予定通りですから。」と言ってきたので信じてみる事にした。
そして室内には私の婚約者と友人達の婚約者...そして見覚えのない令嬢が床に泣き崩れて座っている姿があった。
「あら?もう終わってしまったの?」
「私達も見たかったわ~」
「女狐の化けの皮が剥がれる所を...フフフ。」
友人達は何が起こっているのかわかっているらしく、それぞれ婚約者の隣の席へ座った。
「え、あの?どういう「セルディア...此方へ来い。」」
困惑する私の言葉を過りながら婚約者が私を呼んだ。
「...ええ、わかりました。」
一先ず私も席に座り、状況把握しようとした。
「うぅぅっ....」
見知らぬ令嬢の泣き声が響く室内。
それぞれ婚約者と仲睦まじく会話している友人達。
チラリと隣にいる婚約者を見てみると、私の事を見ていたらしく瞳が合わさってしまった。
「.........その色、似合っているな。年末に王城で開かれる夜会は俺がドレスを用意する。」
私のドレスの色や手触りを確認しながら何か考え込んでいる婚約者。だけどおかしくありませんか?私達って婚約破棄するのよね?今夜...
私は誰にも聞こえないように小さな声で問いかけた。
「何故貴方がドレスを用意するのですか?その頃にはルーシアスと婚約してると思うからドレスならあの子と選ぶわ。だから貴方はそこまで気にしなくて大丈夫よ?」
婚約破棄した後の気遣いなんて虚しいだけだもの。
心配させないように穏やかな笑顔を浮かべたつもりだったが、ほんの少し歪んだ笑顔になってしまった気がする。
心の奥にポッカリした穴が開いたような気がして少し寂しく感じた。
だが私の言葉を聞いて固まっていた婚約者は何故かドスの効いた声で問い詰めてきた。
「どういう事だ。何故セルディアの婚約者が従兄弟に変わってて、お前のドレスをあのガキと選ぶ事になるんだ。俺とはそんな事をした事ないだろう。」
鋭い視線で私を睨み付け、逃がさないように私の腰を掴んだ。
「え、...え?だって婚約破棄したら私にまともな婚約相手などやって来ないし、それにルーシアスなら小さい頃からお互いに知ってて気心も知れてるから夫婦になっても何とかやれる気がするの。そ、それにルーシアスはドレスなんて選んだ事はないから一緒に選ぶのが良いかと思っただけなのよ...あ、貴方はそういう事は誰にも相談せずに一人で選びそうだし...」
段々と恐ろしいオーラを背後に現す婚約者の姿に私は背筋が凍った。
何がそんなに怒らせてしまったのか理解できなかった。
「...セルディアはルーシアスが良いのか?」
「え?...えっと...私の中のではルーシアスが第一候補だけど決めるのはお父様だから、私では何とも言えないわ。」
「.........ルーシアスを愛しているのか?」
力強く握っていた手を腰から離し、何処と無く悲しげな表情で私を見つめてきた。
「私がルーシアスを?...親愛という意味でなら愛しているわね。あの子は私にとって弟のような存在だもの。」
「は?...親愛?..........何を言ってるんだ?俺を捨てて婚約者をすげ替えるんだろ?それなのにルーシアスが弟のようだなんて俺を馬鹿にしてるのかッ?!」
怒りを瞳に宿しながら私を責めてくる。
だがその言動は私の心に怒りを灯した。
何を勝手な事を言ってるの!?こんな事態になったのは貴方が言い出した事が原因じゃない!
私はムッとした表情になりながら投げやりに昨日の事を言った。
「あら、もう忘れてしまったの?貴方が明日婚約破棄するから準備をしておけ。と仰った言葉を!私はそれに従っただけよ?何故貴方が怒るのか理解に苦しむわ!.....突然婚約破棄を言い出したり、夜会の迎えに来なかったり、こんな風に怒り出したり、貴方って本当に勝手よ!だから私はルーシアスを選ぶの!私の気持ちをきちんと聞いてくれて二人で話す機会を持ってくれるあの子を!」
婚約破棄されても問題ないと思っていたが、やっぱり心は傷ついていたみたいで、昨日から溜め込んでいた不満や悲しみが言葉や表情となって現れた。
いつもはぼんやりとしている穏やかな私が怒鳴るように捲し立てた姿に目を丸くしていた婚約者。
「トビアトス様、私達は言いましたわよ?この計画は内密に行われている極秘案件だから私達からは説明出来ない。婚約者である貴方からセルディア様へ説明して欲しい。説明を怠ってはならないと何度も申し上げましたよね!」
「きちんと説明しておりましたか?...私達が見た所色々と不安そうになさっておりましたわよ?」
「自分の婚約者なら言わなくてもわかってくれるだろう。なんて考えておりませんよね?それは男性側の怠慢ですわよ?その様子では本当に捨てられてしまっても仕方ありませんわよ...」
「「「このままでは本当に婚約破棄ですわ!」」」
「..は?...え、だ、だか...お、俺は...」
怖いくらいの笑顔で婚約者を見つめてくる友人達。
青ざめながら私と友人達の姿を見つめている婚約者。
「私達は手助けは致しませんわよ。セルディア様の誤解を解きたいのならトビアトス様が努力すべきよ。」
「ええ、そうですわ。私達は何度も態度を改めるように申しましたもの。もっと言葉を尽くしてセルディア様と向き合うべきだと...」
「あれだけ他人行儀な婚約者だというのに何処に自信があったのかしら。今回の事は本当にセルディア様がお可哀想よ。何の説明も無しに当日を迎えられて...」
私達が居なかったら本当に一人ぼっちでしたわ!
友人達はチクチクと責めるような言葉を告げていった。
...ああ、皆様が怒っていらっしゃったのは御自身の婚約者にではなく私の婚約者に対して怒っていたのね。
また言葉が足りなすぎて私が理解してなかったから...
という事は婚約破棄という発言も言葉通りに受け取ってはいけなかったのね。
何か含みがあったのね。
私ったら早とちりしちゃったわ...
でもね、あの状況で他にどんな解釈があったというの?
私は問い詰めるようにジト目で婚約者を見つめた。
その視線に息を呑んだ婚約者は焦ったようにすがりついてきた。
「あ、あ、ち、違うんだ!セルディア!待ってくれ!俺は婚約破棄なんて望んでいない!!!ダメだ!ルーシアスと婚約などしないでくれ!俺にはお前しか居ないんだ!や、止めてくれ...婚約破棄なんて...」
伸びてきた手を弾き、淡々と告げた。
「私から婚約破棄など申しておりませんわ。貴方が一方的に宣言しただけですもの...」
...これだけの事態を引き起こしたんですもの。
理由を聞かなくては許せそうにありませんわ!
私に拒絶された手を見ながら涙を浮かべていた婚約者は突然、床に座り込んで泣き崩れていた令嬢を指差した。
「こ、こいつだ!この女が全て悪いんだ!婚約者のいる男にわざわざ人目のある所で媚び売って変な噂を流すから!しかも次のターゲットに王太子殿下を狙ってたんだぞ?!この女は!」
「あら...それは...」
まだ状況は読めませんが、予想外の展開になってきましたわ。男に媚びる令嬢に王太子殿下とは穏やかな話ではないわ。
王太子殿下には公爵令嬢の婚約者がいらっしゃるし...
そこで別の令嬢に恋などすれば国が荒れるのは必然ですわね。
「事あるごとに「私なら本当の貴方をわかってあげられる」とか「婚約破棄さえしてくれれば貴方だけの私になれるわ!」とか「私を手に入れるには早い者勝ちだから急がないと別の相手に奪われちゃうわよ?」とか「貴方の熱い視線を見ているとクラクラしちゃうわ!」とか頭のおかしい発言ばかり繰り返して、男の方に気があると周囲に思わせるんだ!俺達は止めるように何度も抗議したし、会わないように避けているのに!何故か待ち伏せされていて...」
青ざめながら、あれは恐ろしい体験だったと呟いた婚約者。そして同意するように頷く友人の婚約者達。
え...それって所謂ストーカーって奴ですわね。
女が男に執着するとしつこいと言いますものね...
若干私の中で同情する気持ちが出てきましたけど、それと私の件は別物ですわ。
未だ怒りが無くならない私...
「それに王太子殿下も恋では無いにしろ、その女に興味を持ち始めてしまって...公爵令嬢や公爵は苛立っていたんだ。自分達が蔑ろにされていると感じて...。だから陛下からの御命令でそこの女を俺達が排除する事になったんだ。二度と社交界に戻ってこれないように...」
「...え...陛下もこの一件に関わっておりますの?」
「ああ、あの方からの御命令で俺達は頭を悩ませた。家には迷惑をかけないようにひっそりとこの女を退場させる方法を...」
え...それはちょっと至難の技ですわね。
この令嬢の身分は知りませんが、恐らく格上なのは侯爵家である彼でしょう。その婚約者様方が一人の令嬢を社交界から追放すればどんな形であれ、噂となり醜聞へ繋がってしまうでしょう。
家を継ぐ彼らなら被害はもっと大きいかもしれません。
次代に移った際にその噂が足を引っ張るなんて事も考えられますものね。
「そこで相手側に非を認めさせて自ら退場してもらう形をとる事にしたんだ。だがその女は狡猾で全く尻尾を見せなかったんだ。噂はあんなに派手に広がっていたのに、俺達が令嬢に迫っているという噂しか出てこなかったんだんだ。この女に関しては数多な男性を虜にする魅力ある令嬢なんて馬鹿げた物しかなくて...本当に困ったんだ。」
「まあ...それはちょっと...」
「そこで俺達はそこの女を罠に嵌める事にしたんだ。それが今回の婚約破棄だ。わざとあの女が望んでいた婚約破棄をしたと手紙に書いて会いたいと呼びつけたんだ。夜会の少し前に...貴女をエスコートさせてほしいと付け加えて。それも俺達全員が少しずつ時間をずらして呼び出したんだ。」
あ、何となく読めてきましたわ。
彼らは別々にこの令嬢を呼び出して、同じように婚約破棄したから自分と一緒になって欲しいと仰ったのね。何度も同じ事を繰り返して同意を令嬢から引き出して...
その光景を必要な人達に見せたのね?きっと...
例えば令嬢の御両親とか...迷惑を被った婚約者達の御両親とかに...まあそこに王太子殿下も加われば百年の恋も目覚めるでしょうね。
「曖昧な噂だけでは娘を領地へ引き戻せなかった女の両親に軽口を叩いて男を手玉にとっていた娘の姿を見て驚愕していたよ。そして親同士で今回の件について話し合う事になったんだ。....その女の両親は凄い剣幕で怒鳴ってて修道院に入れると息巻いてたからもう二度と会う事はないだろう。今ほんの少しだけ席を外してるけど、すぐにこの女の両親が戻ってくる筈だ。」
そう言ってる側から泣き喚いてる令嬢を引きずりながら部屋の外へ連れ出す男性の姿があった。
酷く疲れきった表情だったが、令嬢を連れ出す時の言葉は怒りに溢れていた。
「いい加減に泣くのはやめろ!みっともない!全ては自分の蒔いた種だろ!後悔なら修道院で一生しろ!王太子殿下にまで迷惑をかけよって!このアバズレが!」
こんな事を引き起こした令嬢の動機は単純だった。
━━ より良い結婚相手に巡り逢いたかった。
ただそれだけだった。
深いことまで考えていない子供の浅知恵だったのだ。
誰かに迷惑がかかってるなんて想像もしていなかった。王太子殿下を狙ったのも、王子様と婚姻したら自分がいずれ王妃様...なんて軽い気持ちだったそうだ。
まさか公爵や公爵令嬢が怒り、国が荒れるなんて考えもしなかったらしい。
...なんて浅はかで人騒がせな方なのでしょう。
「だからこの件の手筈にあたふたしててセルディアへの説明を怠ってしまったんだ。セルディアなら説明しなくても俺を信じてくれるから事後報告でも問題ないと思ってしまったんだ。それにあの時も...言い訳じゃないけど...最後の根回しをしてて本当に忙しかったんだ。だから気がついたら最低限の言葉だけで伝えた気になっていたんだ。本当にすまなかった...」
ああ...思えば皆が知っているような言動があったわ。
今日も屋敷から見送られる時に婚約者の姿が無い事に誰も違和感を感じていなかった。初めから知ってたみたいに...。両親だって笑顔で見送ってたし...
知らなかったのはまた私だけって事なのね...
「状況は理解しましたわ。恐らく大変な事態だったのでしょう。...ですがそれとこれは話が別ですわ。だって私以外の人には説明出来てるのに、どうして私だけ何も知らされていないのでしょう。侍女でさえ大まかな事を知っていたのでしょう?...私は侍女よりも蔑ろにしてよいと思われているのですね。」
違うとわかっていたが、言わずにはいられなかった。
ずっと心の奥に秘めていた言葉が表に出た。
いつも、いつも、私にだけ言葉が足りない婚約者。
私になら通じると思って?
それで伝わった事なんて数える程しかありませんわ!
ほとんどが伝わらずに私が!困る事になるのです!
今まではそれでも我慢してきました。
それがケルヴィン・トビアトスという人なのだと思ってきた。
でもそれは違うわ!
彼はただ私を甘く見て見下してきたのよ。
私には何も言わなくても文句一つ言わない女だと...
だって友人達も言ってたわ。
態度を改めるように言ったと...それで変わらなかったのだから変える必要がないと彼自身が判断したのでしょう?
「ち、違うんだ!君を蔑ろにしたり、軽んじていた訳じゃないんだ!ただ...昔から君と話すと緊張して上手く話せなくなってしまって...気づいたら最低限の事しか言わなくなってしまったんだ。本当に悪かったと思っている。」
申し訳なさそうな表情で私を見つめてくる。
だけどそれすらもう嘘臭く見えてしまう。
とはいえ婚約破棄は事実ではなかった。
って事は侯爵家と伯爵家の婚約は継続中なのね。
格下の伯爵家から婚約破棄を申し出る事は出来ないし、それにお父様達が認めてはくれないだろうな...
案外ケルヴィンを気に入ってるから我が家は...
自分が取れる手段や報復など存在しない事に気づいた私は惨めに溜め息を溢す事しか出来なかった。
明らかに自分から興味を失い、優しげで穏やかな笑みを浮かべなくなった私。
「あ、俺はセルディア...君を愛してるんだ。どうか俺を許してくれ...」
すがるように私への愛の言葉を告げた婚約者。
だけどそれも今となっては薄っぺらく聞こえてしまうのは何故なのだろう。
婚約者の姿を見れば本気なのだとわかる。
だけど、それすらも私を繋ぎ止める為の手段に使われていて心が冷えきってしまう。
そんな私達の姿を見て自業自得だと鼻で嗤う友人達や同じ男性だからか割りと同情的な視線を向けていた友人の婚約者の姿があった。
「今回の事で貴方がどういう人間なのか、私の事をどう考えているのか嫌というほど理解しました。恐らく私はもう貴方を愛する事は出来ないでしょう。自分を蔑ろにする男性との未来を描けません。ですが私は伯爵家の令嬢。侯爵家や侯爵家の御子息の決定に従います。....では本日はお先に失礼いたしますわ。」
「ま、待ってくれッ...セルディア!」
婚約者の声が後ろから聞こえていたが、私は振り返ることなく馬車へと乗り込み屋敷に帰った。
そして婚約破棄騒動の結果を知りたがった家族や使用人達から声をかけられたが、私は視線を合わせることなく「その件につきましては私は誰からも説明を受けておりませんでしたので何も知りませんでした。本日本当に婚約破棄されると思っていましたのに...私以外の全員が茶番だと知っていたのね。もう私は家族や使用人すら信じる事ができませんわ。」と言いながら部屋に閉じ籠った。
「セ、セルディア!」
「待ってちょうだい!騙す気なんてなかったのよ!」
「お、お嬢様っ!!!」
「申し訳ありませんっ!!!」
扉の向こうから声が聞こえた。
だけど彼等も同罪だ。
幼い頃から続いていた婚約者の悪癖を知っていたのだから今回の事も予想がついていたはずだ。
それなのに何も言ってくれなかった。
それどころか婚約破棄されると思っていた私を笑顔で見送っていた。
...もう何も信じれない。
それから毎日婚約者や両親が私へ謝罪をした。
だけど私の心に残った不信感や嫌悪感は無くならず、形式的な言葉しか返す事が出来なくなっていた。
「許してくれ...セルディア、俺が悪かった。」
「侯爵家の御子息が頭を下げる必要などございません。あれは必要な措置だったのでしょうから。」
何日経っても、何週間経っても、私の態度は変わらなかった。
両親から何度も謝られ、諭されても凍りついた心が溶ける事はなかった。
そして話を聞きつけた侯爵や侯爵夫人は私の傷ついた姿を見て、息子のした事を謝罪してくださった。
自分達が甘やかしてしまったのかもしれない。
会話を怠るなど礼儀作法の初歩だというのに、嘆かわしい。と仰ってくださった。
そしてこのままでは婚姻は成り立たないだろうと仰ってくださり私達の婚約破棄を認めてくださった。
最後まで駄々を捏ねていた元婚約者を諌めながら私の両親を説得してくれた。
そして私は自分が計画していた通り、従兄弟のルーシアスと婚約を新たに結んだ。
気心が知れており互いの事は何でも話せた。
二人でいると、とても穏やかで心地よい時間を過ごせた。
そしてルーシアスが成人を迎え、結婚式を終えた初夜に「昔からセルディアの事が好きだった。愛している。」と告白された。
頬を赤くして恥ずかしそうに口づけしてくるルーシアスの姿にときめきが止まらなかった。
ルーシアスが明かしてくれた秘密は私の凍りついた心を溶かし、ぽっかりと空いていた穴を埋めてくれた。
その日からルーシアスは私の弟ではなく、大切な夫となった。
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