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ナナーシュの場合

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「お父様、これはここでいいの」
「ああ、ありがとうナナーシュ助かるよ」
今日は風が心地よいから窓を開けていました。
そのせいで不快な会話を聞いてしまいました。
侍女に窓を閉めるように言うと、いい風ですよなどと言う。
この侍女は気が利かない。
お母様がおられた頃は、侍女も気心の知れた者たちばかりだったのに。
お父様の不適切な行動を、私たちの目に触れないように気を遣ってくれていた。
お母様が亡くなって、執事と共に家のことをまとめていたお母様の乳母のマリーナはお母様の実家にもどされてしまった。
そのころから屋敷の雰囲気が変わりました。
使用人たちも少しずつ入れ替わっていき、今ではお母様がおられた頃の使用人はお父様付きの侍女のナラくらいになってしまいました。
お父様と侍女のナラの娘のナナーシュ。
男爵家出身のナラもナナーシュも、公爵家次期当主のお父様に馴れ馴れしい。
お母様はお元気だった頃から悩んでおられました。
でもまさかお父様呼びしているなんて。
そのまま2人で庭のバラの手入れをしている声を聞きたくなくて、侍女のマーサに窓を閉めさせました。
せっかくお茶を楽しんでいたのに。
料理長自慢の私の好きなオレンジが練り込んであるマフィン。
添えられたクリーム。
さっきまでとても楽しかったのに。
なんだか食欲がなくなってしまいました。
来年私は学園に入りこの家を離れます。
そうしたらこの家はどうなってしまうのでしょうか。
どうしたらいいのか。
私にはこんな時に相談できる相手がいない。
この国の4大公爵家の一つフレーク家の令嬢それが私、マリナールイース。
私より位の高い女性は王族だけ。
そんな私に対等に語り合える相手はそういない。
他の公爵家の同年代の者に弱みを見せるなど論外。
身内は母の実家は伯爵家でやはり格が落ちる。
それに従兄弟のマイルスルも従姉妹のマリーンも格上の我が家に遠慮があるのかあまり親しくしたことはない。
父の妹すなわち叔母はさらに格下の伯爵家に嫁ぎ領地に住んでいて交流がほぼない。
学園は全寮制で、この国の貴族はそこに通うことが慣習となっている。
このままいけば私も。
どうにかしなくては。
お父様は忙しくまたあまり社交に積極的でなく、ナラとナナーシュのことはまだこの家の中にとどまっている。
それでもお母様が亡くなりパートナーが亡くなったお父様に、それなりのお誘いがあるのには想像に難くない。
先日お父様の執務室に伺った時にも、それらしき招待状が積まれていた。
我が公爵家には、父の子は私しかいない。
私が婿を取るか、女公爵になるかしかないはずなのだ。
元々私とお母様が東棟に、お父様が西棟でお祖父様夫婦が主屋に住んでいる。
当主が住む主屋。
お父様が育った西棟。
お母様が嫁いでくるに建てられた東棟。
お母様は美しい人だった。
一途にお父様を思っていた。
お母様から聞くお父様はとてもキラキラしていた。
二人の子であることは私の誇りである。
それなのに。
私が13の時にお母様が亡くなった。
お母様が亡くなってから、見かけるお父様は私に無関心で挨拶に毎朝伺っていたら、
「なにがしたいんだ」
と言われてしまい
「そんなことする必要はない」
と言われてしまった。
西棟への渡り廊下に鍵がついた。
どうしてと泣き暮らした。
お母様が亡くなって寂しかった。
それなのにお父様が寄り添ってくれない。
それでも、きっとお父様もお母様が亡くなって辛いのだと我慢していた。
私は間違っていた。
ナラとその娘ナナーシュがお父様のそばでまるで家族のように振る舞っていたのだ。
許せない。
私のお父様なのに。



メールボックスはいつも通り空っぽ。
学園の寮には親元を離れた我が子にあてて、よく手紙が届く。
それは寮の入り口の個人に割り当てられたメールボックスに管理人によって配達される。
特に家を離れたばかりの下級生には家族からの手紙が毎日のようにとどくこともある。
でも私のメールボックスはいつも空っぽ。
お父様からメールが届くことはない。
すぐ下のナナーシュのメールボックスには頻繁に手紙が届いているのが余計に私の気持ちを逆撫でする。
封蝋のない手紙は表に返さないと誰から来たのかわからない。
ナラから、またはナラの実家の男爵家からとは思うが、もし、もしもお父様からだとしたら。
ナラのメールボックスの手紙を確認したくて仕方ない。
そんなはしたない自分が嫌になる。
そんなはずはないのだから。
学園生活は楽しかった。
勉強は楽しかった。
努力がきちんと身につく実感があった。
結果を出すときちんと評価される。
公爵家の者として、皆の模範となるやるべき努力を積み重ねていく。
きっとお父様もお母様もそんな学生時代を過ごしたのだろう。
学園にいるとそこかしこにお父様とお母様の気配が感じられます。
『お父様とお母様はね、学園で出会ったの』
よくお母様から聞いた両親の馴れ初め。学園時代のたくさんのお話のまさにその場所にいるのだから。
初めて出会った渡り廊下。
風で舞った母のりぼんを父が拾ってくれたのが2人の馴れ初めなの。
共に勉強した図書館。
クラスが違うから、待ち合わせて食事した食堂。
両親のそんな話を聞いていたから私も学園でそんな運命の出会いがあるのではないか、子供の頃から何となくそんなふうに思っていた。
だが、現実はそんなに甘くなかった。

学園は学問だけではなく、貴族としての振る舞いも習う場である。
もっとも貴族としての振る舞いは、そもそも幼い頃から各家庭で身につけるものなので習うというより実践する場である。
具体的には寮で取る朝食と夕食にはマナー講師が常に目を光らせる。
誕生日が来ると学園内にあるホールやカフェやガゼボ、季節によっては広場を使ってパーティーを催すのも推奨されている。
パーティーを催すのは学生に人気がある。
会場や招待客の選定から招待状の準備に始まってありとあらゆる料理やテーブクロスや花の手配、パーティーの主役として客を楽しませ、パーティーが終わった後の礼状の発送まで将来の貴族としての振る舞い方を実践で身につけることができる。
しかも学園内なら格安で出来るうえに、基礎教養の単位もいただける。
そのため、皮肉なことに位が低い騎士爵家や男爵家の跡取りではない子息や子女といった将来本格的なパーティーを催す予定のない生徒が記念にと積極的に開催することが多い。
そのほか学園では乗馬やダンスもあるが、乗馬なら初めから乗れること前提の遠乗りなどが最初の方にある。
そしてダンス。
そうダンス。
入学してから、それがわたしマリナールイースを悩ませていた。

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