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最終章 誰かの願い
80:王都動乱1
しおりを挟むぼやけた視界に飛び込んできたのは、エリーゼの心配そうな顔だった。
「ご主人様、良かった……。目を覚ましてくれて」
気がつけば、俺はベッドに寝かされていた。
どうやらエリーゼがやってくれたらしい。
「お体はいかがですか? どこか痛いところは?」
「大丈夫だ。……ニアとルードは?」
部屋の中に彼らの姿はない。
エリーゼは首を振った。
「わたしが気づいたときは、あの人たちはもういませんでした。ご主人様だけが床に倒れていて」
「そっか」
俺は体を起こした。
別にめまいもしないし、痛みもない。
動揺していたせいで攻撃をまともに食らってしまったが、俺だって超一流の腕前なんだ。
ただルードもかなりの手練れだな、あれは。
「何があったのですか?」
エリーゼの問いかけに、俺はちょっとだけ考えてから言った。
「あの二人の触れてほしくない部分まで、無遠慮に踏み込んでしまって。彼らは俺の命の恩人だが、向こうにとって俺はただの行きずりの相手だ。馴れ馴れしくしすぎて怒らせてしまった」
エリーゼは何も言わない。
俺の嘘を見抜いているだろうが、心遣いがありがたかった。
「はあ……」
それにしても予想外の話を聞いてしまった。正直、まだ心の整理がつかない。
船の事故で死んでしまった、十五歳の少年。俺は彼の名前すら知らない。
どうやって償えばいいんだろう。
けれどニアの望みを手伝ってやることはできない。
だいたい、のぞみの部屋だって本当かどうか分からないのだ。
そんなあやふやな状態でヨミの剣を強奪するなど、パルティアを敵に回して大変なことになってしまう。
ニアとルードのことは忘れて、今まで通り過ごす。
それ以外に取るべき道は見えない。
俺は結局、無力だった。
虚しさがこみ上げてくる。
「……今日はもう休もうか」
「はい」
ニアとルードのために取った部屋が無駄になってしまったな。仕方ない。
俺とエリーゼは「おやすみ」と言い合って、それぞれの部屋に入った。
翌朝、朝食を食べようと宿の食堂に行くと、なんだか人々がざわめいていた。
「朝っぱらから衛兵がそこら中に出ている。何かあったのか?」
「私も通りを歩いていただけなのに衛兵に小突かれたわ」
そんな話が聞こえてくる。
と、ざわめきを破るようにして衛兵が二人、食堂に入ってきた。
「怪しい者を見ていないか。隠し立てするとためにならんぞ」
威圧的な口調で言ってくる。
もちろん俺は何も知らないし、他の客たちだってそうだろう。だいたい『怪しい者』ってどんな奴だよ。
衛兵たちは厨房まで見て回った。次は宿の部屋を探すようで、階段を登っていく。
「なんだあれ」
俺は思わず顔をしかめた。エリーゼも同意する。
「なにかあったみたいですね。巻き込まれないうちに、早めに店に帰りましょう」
「そうしよう」
さっさと朝食を食べ終えて宿の精算をした。
昨日のうちに買い物は済ませてある。あとは帰るだけだ。
王都の町並みのあちこちに衛兵がたむろしている。
どいつも険しい顔で、たまに戸惑っているような奴もいる。
よほどのことが起きたらしい。
「王城にアレス帝国の使者が来ていましたよね。なにか関係があるのでしょうか」
「そうかもな」
俺たちはヒソヒソ声で話しながら、足早に街路を歩いていった。
と。
「いたぞ! こっちだ!」
通りの向こうで衛兵が声を上げた。
あちこちから衛兵や騎士が集まってくる。
「少数で戦おうとするな! 必ず大勢で追い込め!」
「相手はあの白騎士だ! 油断するな!」
……なんだって!?
この国で白騎士と呼ばれる人物は一人しかいない。
王宮騎士団長のヴァリスだ。
国宝ヨミの剣の使い手である彼が、なんで追われている?
俺は迷った。
関わるべきじゃない、それは分かっている。
だがヴァリスには恩がある。
それにヨミの剣にも聞きたいことがある。
「ああ、クソ!」
俺は思わず叫んだ。
もし昨日、ニアとルードに出会わなければ。俺が森の民の体を乗っ取ったのだと知らなければ。
きっとヴァリスを見捨てただろう。
けれど知ってしまった以上、恩人を見捨てる真似はしたくなかった。
ヴァリスを助けたって罪滅ぼしにはならない。
でもこれ以上、恩知らずなことはしたくないんだ。
俺はこの体の本来の持ち主の代わりに体を乗っ取った。
代償は森の民たちの魂。
そうして始まった人生は、大変なことが多かったけど。
親切にしてくれた人がいた。
困っているときに助けてくれた人もいた。
エリーゼや他の奴隷たちや、村のみんな。
みんな俺の力になってくれた。
俺は命さえ借り物なのに、色んな人に恩がある。借りがある。
その借りを返そうともせずにヴァリスを見捨てるのは、どうしてもできなかった。
我ながら無謀だと思う。つながりの村や店のみんなのことを考える。
だが、やはり駄目だ。
やはり見捨てられない!
「すまん、エリーゼ。きみは店に帰っていてくれ。もし俺になにかあったら、盗賊ギルドと相談してつながりの村まで行くんだ。店のみんなといっしょに」
最悪、パルティア王国と敵対することになる。
「なにかあるなんて! わたしだけ帰るなんてできません!」
エリーゼが必死の表情になっている。
「きみがいても、今はなにもできない。頼む。危険な目にあわせたくないから」
衛兵と騎士たちはさらに集まってきている。
行動を起こすなら早くしなければ。
「…………」
エリーゼは泣きそうな顔になって。
「……分かりました。ご無事のお帰りを待っています」
そう言って、メイドスカートをひるがえして走っていった。
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