時き継幻想フララジカ

日奈 うさぎ

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第二十九節「静乱の跡 懐かしき場所 苦悩少女前日譚」

~その時迸る 勇気~

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 ナターシャが廊下を駆け抜け、教師の叱責の声にも耳を貸す事無く去っていく。
 それは力の限りの走り……彼女の持つ力を振り絞ったもの。
 あっという間に校舎を抜けた彼女は、後を追う竜星に気付く事無く……学校から姿を消した。

 一般人の竜星がそんなナターシャに追い付ける訳も無い。
 彼は既に影も形も残っていない彼女を追って、走り馴れていない脚をひたすらに動かすのだった。



 竜星に宛てが無い訳ではない。
 実は彼……ナターシャがあの場所コンビニにしょっちゅう出没する事を知っていた。
 先日の出会いこそ偶然ではあったが、何かある度に彼女が店内に居た事に気付いていたのだ。

 だから今日もきっと……

 そんな想いが竜星の脳裏に駆け巡り、彼をかの地へとひた走らせていた。



 そして予想は……的中する。



 店内にこそ居なかったが……その向かい、二人が語り合った公園のベンチにナターシャが座っていたのである。

 項垂れる様にベンチに座る彼女。
 竜星がそっと近づき、心を決めて声を掛ける。

「ナターシャ……さん」

「あ……乾君……」

 今まで自失していたのだろう、そこでナターシャは竜星に気が付いた。
 その姿は先程汚されたまま。
 乳白色の染みが髪に纏わりつき、乾いて固まっている。
 牛乳は制服にまで達し、深紅に浮かぶ黒い染みへと変わっていた。

 そんな彼女の姿が痛々しく見えて……竜星の目元が思わず緩む。

「ごめんナターシャさん……僕のせいで……僕が余計な事言ったから……」

 昂った感情が口元、瞼を震えさせ、鼻を啜らせた。

 彼女を守ろうとして。
 でも失敗して。
 そして彼女を守れなかったから。

 それが堪らなく悔しくて、苦しくて……。
 
 気付けば涙が溢れ、止まらなかった。
 彼はそこまで強くないから。
 とても弱い少年だったから。

 それが堪らなく悔しくて、辛くて……。

「僕……僕は……ウッ……ウウッ……!!」



 その時……彼の頬に、温かい感触がそっと触れた。



「乾君……大丈夫?」

 それはナターシャの細くて白い指。
 竜星が流す涙を掬う様にそっと撫で上げる。

 それがどうにも心地よくて……彼の昂った感情が途端に収まりを見せた。

「え、あ……」

 それはまるでナターシャが竜星を慰めるかのよう。
 どちらが辛かった方なのかがわからなくなる程に……。

「ボクは気にしてないよ……いつものことだもん」

 ナターシャが見せた表情は、言った通りのいつもの顔。
 でもそれは強がり……そばかすが浮いた目元には僅かな染みが見える。
 恐らくは彼女も泣いていたのだろう。

 しかしナターシャは竜星に微笑み、その指を離した。

「それに乾君がボクの事守ってくれたの……すごくうれしかた……」

 柔らかそうな産毛を纏う頬は僅かに血色を帯び……白い肌と相まって真っ赤にも見える。
 まるで幻想に浮かぶ様にふんわりとした、化粧一つ纏わない素顔のナターシャ。
 そんな彼女の顔にとても惹かれてならなくて……。



 気付けば竜星は、ナターシャの笑顔に魅入っていた。



「乾君……?」

 途端、「ハッ」として竜星が意識を取り戻す。
 再び視線をナターシャへ戻すと、顔を傾けて見上げる彼女の顔が再び映り込んだ。
 不思議そうに見つめる彼女がとても可愛く見えて……竜星は堪らずその顔を背けてしまうのだった。

「あ、その……僕もっ、大丈夫だから……」

 それ以上の言葉が見つからなくて、思いのままに声に乗せる。
 途切れ途切れで格好悪い返し。

 でも相手に伝えるには十分な一言だった。

「良かった……ボク、乾君にまで嫌われたらどうしようって思ってたよ……」

 人と会話が苦手なナターシャでも、その一言はしっかりと伝わっていた。
 「ぷぅ」と溜息を付き、微笑みを浮かべる。
 ホッと一安心と……大きく息を吸い込み、牛乳の染みた汗をさっと拭う。



 だがそんな時、竜星の心臓は……今までに無い程に脈打っていた。



 今の一言への返しが思い浮かんだから。
 それが、少年の心を大きく揺るがす程に大きく重い一言だったから。

 どれだけ時間が長く感じられただろう。
 実際には数秒であったが、彼が心を決めるまでには……何十秒にも、何分にも感じていた。

 でも言う事を決めたから。
 もう後悔なんてしたくなかったから。



 少年は……勇気を振り絞る。





「僕はナターシャちゃんの事を絶対に嫌いになんてならない……僕は……君が好きだから!!」





 ずっと、ずっと好きだった。
 一年生の時からずっと。

 ナターシャと竜星は一年の時から同じクラスだった。
 仲良く話す事は殆ど無かったが、似た様な性格の彼女に親近感を持ったのが最初。
 気付けば彼女を意識し、帰る姿を追っていた。
 二年生になっても同じクラスになった事が嬉しくて、家に帰って密かに喜んだりもした。
 今年こそはきっと仲良くなりたい……そんな願いを込めて。

 そして今、彼は遂に心の内を打ち明けた。

 昨日話をして、近づけたから。
 今なら言える……そう思ったから。



 この時、あどけなかった少年は……男になったのだ。


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