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第二十九節「静乱の跡 懐かしき場所 苦悩少女前日譚」
~その渾身撃 流星~
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ポタッ……ポタッ……
熱気を伴った透明な雫が床へと幾度と無く落ち、乾いた灰色の床を黒く染め上げる。
「ハァッ……ハァッ……!」
頬から雫を流し、荒立てた息は掠れた様な音が混じる。
息継ぐ口元は大きく下がり、眼は僅かに震えを帯びていた。
明らかな体力消耗……それも極度のもの。
それはバロルフ。
どうしてこうなったのか、当人にはなおもわからないままだった。
決して彼の体力が低い訳でも無ければ、尽きる程に延々と長く戦い続けていた訳ではない。
戦い続けていた時間と言えばおおよそ十五分程度。
一方的でもあった連撃を繰り返し、勇を追い詰めていた。
そう思い込んでいた。
だが、バロルフは何故この様な状況に陥っていたのか理解出来ずじまい。
体力も命力も自慢する程の量を有していたにも関わらず、既に底を突きかけているのだ。
対して勇はと言えば……彼の正面でただ静かに身を屈めて身構え、次の攻撃に備えたまま。
その顔は未だ最初と同じ、余裕さは微塵も感じない口元の下がった厳しい顔付き。
しかしよく見れば汗の一粒も浮かんでおらず、息を切らした節も見当たらない。
―――何故だ……何故ッ……!?―――
バロルフが顔をしかめ、思考を巡らせる。
最初から今までずっと優勢のはずだった。
相手に隙を与えぬず、動きを封じる様に先回りして動き続けていたはずだった。
逃げ道を塞ぎ、動きの道筋を確実に削いだはずだった。
余裕を殺し、逃げきれぬ恐怖を植え付けたはずだった。
なのに何故、藤咲勇はまだ立ち続けているのか。
込み上げるのは悔しさ。
当然だろう、あれだけの口を叩いておきながら見下していた相手に一撃すらも見舞う事が出来ずにいたのだから。
そんな時……身を屈めていた勇がゆっくりと膝を起こしていく。
疲弊し、手に持つ魔剣の切っ先を床に落とし、肩を揺らすバロルフ。
そんな彼を前に……勇はなおしかめた表情を浮かべたままだ。
わざとらしい程に、崩す事無く。
その時一瞬、勇の表情が崩れる。
それを目の当たりにしたバロルフが……思わずその表情を引きつらせた。
まるで馬鹿にするかの如く……ペロリと舌を覗かせた笑みを見せたのだ。
「ば、馬鹿な……まさか貴様……?!」
思わずバロルフの口から心情が溢れ出る。
自分の置かれた状況に気付いてしまったのだから。
バロルフの様子を前に、遂に勇が抑えていた声を解き放った。
「アンタが思っているのはきっと、『何故俺がこうやって立っていられるのか』って所だろうな」
「ッ!?」
勇の言葉がバロルフの動揺を誘う。
格下だと思っていた相手に心内を当てられ、戸惑わない訳がない。
「だが、アンタの実力の底は見えた……」
勇の瞳が光を放つかの如く力強く睨み付ける。
溢れんばかりの力を見せつける勇を前に、バロルフが思わずその身を引かせた。
「アンタは言ったな……自身が剣聖さんをも超える存在だと。 でもアンタの実力は剣聖さんやデュゼローの足元にも及ばない……!!」
「何……ッ!?」
「それどころか、シン達にすら及ばない……その底力を理解出来ないアンタにはッ!!」
そう、勇は最初からバロルフを試していたに過ぎなかった。
イシュライトの読み通り、バロルフは完全に勇に動きをコントロールされていたのである。
勇が一挙一動を追い詰められた体で演出し、攻撃を仕向ける。
それを追い詰めていると勘違いしたバロルフはまんまと引っ掛かり、読み通りの攻撃を仕掛ける。
それは知らず知らず内に彼の体力や命力を奪い去り、想定していた以上の消耗を誘発していたのだ。
その結果が現状である。
バロルフはもう既に動く余裕は殆ど残っておらず、勇を眺めるしか出来ないでいる。
しかし勇にとっては「その程度でしか無かった」という事に他ならない。
それもまた、勇の読み通りであった。
バロルフは確かに人並み外れた才能を有していたのだろう。
もしかしたら剣聖をも超える才能だったのかもしれない。
だが、それだけだった。
『あちら側』の魔剣使いは、自らの才能の限界まで鍛え上げ、そこで満足する。
生き残る為だけの力なのだ、それだけで十分だったのだろう。
だからこそ、限界を超えるなどという発想に至る者は殆ど存在しなかった。
剣聖ら三剣魔や魔烈王ギューゼル、イシュライト達イ・ドゥールがいい例であろう。
そう挙げた中でも自らその道を切り開いたのは、剣聖とギューゼルのみに他ならない。
ラクアンツェやデュゼローは剣聖の真似をし、イ・ドゥールの者達は伝統から学んだだけだ。
過去にそういった境地に達した者が居なかった訳では無いだろうが、現状で言えば把握しているのはそれだけ。
そしてその名の中に……勇も連なる。
才能だけでは届かない。
努力だけでは届かない。
双方の限界を突破した先に、勇達は居るのである。
そこに、ただ片方を極めた程度の者の手が届く事など、有り得はしない。
「まだ俺の事を馬鹿にするくらいなら許すさ……そんなの慣れっこだしな……」
勇が一歩、また一歩と踏み出す。
力強く、確実に。
その度に床から高い音が打ち鳴らされ、一つ一つが威嚇と成る。
それがバロルフを更に引かせ、「ビリビリ」とした悪寒を呼んでいた。
それは恐怖……。
バロルフの目に映るのは変わらぬ藤咲勇の姿。
だが感じ取っていたのは、まるで自身を押し潰してしまうかの如き巨大な気配だった。
気付けば身を引かせた足すら固まり、身動きが止まっていた。
「けどな、剣聖さんやデュゼローはこんなもんじゃない……アンタが想像する遥か先を越えた力を持っていたんだ……!! それを見も知らずのお前が語っていい事じゃない……!!」
「う、ああ……」
そして勇は遂に、バロルフの目の前へと到達する。
勇の瞳から放たれる眼光が貫くかの如く突き刺さり、顔すら引かせさせていた。
その顔に流れるのは、大粒の冷や汗。
「そしてアンタは茶奈を辱めた……俺はそれが絶対に許せないッ!!」
バンッ!!
勇の怒りを体現した拳が激しく握りしめられ、破衝音が鳴り響く。
まるでそれは爆音の様に激しく強く。
命力の波動ともとれる衝撃が周囲に飛び、勇の周辺から突如として埃が一斉に弾け舞った。
バロルフは想像すらしていなかったのだろう。
目の前に居る者が命力を一欠片も有していない事に。
ただ感じない程に小さいのだろうと、思っていたのだろう。
当然だ、勇の謎の力はまだ誰にも感じ取れはしない。
そこに居るのは命力を感じない一人の人間。
だがその内に秘めるのは、あの三剣魔デュゼローを圧倒する程の願いの力。
勇とバロルフとの力の差は、ライオンと猫……その差に等しい。
大人しかったライオンの怒りを呼び起こしたのは誰でもない猫本人。
もはやそこに、慈悲など不要。
「うおぁあぁあぁあぁーーーーーー!!」
その時、バロルフが自身を縛る感情を押し退け……魔剣を振り上げた。
残る力を振り絞り、全てを篭めて。
彼の目に映るのは勇のみ。
自身を追い詰めた者を潰す為に……バロルフは力の限り、魔剣を振り下ろしたのだった。
バッギャァーーーーーーンッ!!
激しい破砕音が鳴り響く。
だが、そこに至るまでに……肉を切った感覚などは感じなかった。
勇はその身をぐるりと回し、今まで同様に躱していたのである。
しかしその様子は今までと全く異なっていた。
勇の全身の筋肉が激しく引き締まる。
途端、彼の体の中で激しい凝縮音が「ギュム!!」と鳴り響いた。
地を突いた右足を軸足に、回転運動に沿って体が流れる様に構えられる。
腰を落とし、膝を曲げ、体を捻る。
それはまるで、先日空を駆けた時と同じ。
全身のバネを引き絞る……流星跳躍の応用。
バギャンッ!!
その時、軸足が突く床に亀裂が激しく走る。
余りの力の踏み込みがその強度を越え、床を激しく砕いた。
それでも怯まない。
踏み込まれた足、伸びる膝、腰。
回転力の慣性に加え、捻る体の復元慣性がその力を増させた。
その全てが重なった時……勇の体に秘める願いの力が解き放たれる。
全身の力が右拳に集約され……願いの力がその威力を何倍にも増幅した。
まるでそれは……光り輝く流星の如し。
誰しもが、その一撃を前に驚愕する。
計り知れぬ威力の一撃……それを理解するには足りぬ程に、余りにも一瞬過ぎた。
―――うおおおおおおッ!?―――
バロルフも目の前の一撃を前に、何する事も叶わない。
一瞬の様でじれったい程の長い間……走馬灯の様な、ただ眺めるだけの間を感じていた。
そして勇の一撃が撃ち込まれた瞬間……その意識は一瞬にして消し飛ぶ事となる。
ドッッギョオァッッッッッ!!!!!
それはただの一撃ではない。
まるで弾丸の様な旋回力と、全身の回転力、願いの力が合わさり極限にまで高められた破壊の力。
それが撃ち込まれた瞬間……バロルフの体が激しく歪んだ。
勇の拳を中心に、彼の体が強引に捻じれていく。
骨や筋肉など関係ない……その強度すらをも超えた捻転力に体の全てが引っ張られて。
それと同時に打ち込まれた衝撃が全身へと響き渡り、彼の体を激しく打ち上げた。
余りの衝撃は、バロルフの魔剣すらも粉々に打ち砕く程に強烈。
その一瞬で……バロルフは訓練場の天井へと打ち付けられた。
それだけでは終わらない。
バロルフを叩き上げた衝撃はなおも留まる所を知らない。
遂にはバロルフの体が天井を突き抜けていく。
バッゴォォォッッッ!!!!!
そしてとうとう……無数の破材を撒き散らしながら、グラウンドをぶち抜いたのだった。
コンクリートや鉄鋼材、土塊や石などを巻き上げ……バロルフの体が日の下に晒される。
そこで遂に力が収まり……破材共々、グラウンドへと落下した。
バロルフはもう意識など残ってはいない。
白目を剥き、全身を痙攣させていた。
死んではいない……鍛えられた体が幸いにも命を取り留めさせたのだろう。
なにより、勇がそうなる様に加減していたのではあるが。
勇の拳からは、余りの威力により白煙が立ち込める。
しかし当の本人にはまるでダメージなどありはしない。
拳を撃ち抜いた姿は、力強く、それでいて美しく……。
魅せるのは……穴からの陽光を浴び輝く、天を突く様に全身を伸ばしきった姿勢。
仲間達も、魔剣使い達も……そんな勇を前にただ唖然と佇む他無い。
見せつけられた力が想像の遥か先を行っており、言葉に形容する事すら出来なかったのだ。
そして何よりも……圧倒的だったから。
仲間達ですらも畏怖する程に強烈無比。
強いと思っていたバロルフでさえ子ども扱いなのだ、畏れもするだろう。
勇が全てを終え、拳を下げると……その視線は次に、バロルフの仲間達へと向けられる。
それに気付いた彼等が脅えた表情を浮かべ、その身を引かせ始めた。
「さて……まだ俺に反論する奴がいるなら、掛かってきてくれても構わない。 なんなら全員同時でもいい」
「う……ああ……」
彼等を睨む瞳もまた闘志に溢れたもの。
鋭い眼光が突き刺さり、誰しもが怯え惑い始めた。
バロルフの仲間達の中にはまだ【七天聖】を名乗る者は居るだろう。
だが誰一人として……勇へ敵意を向ける者は居なかった。
敵う訳がない……そう思わせるには十分過ぎた。
「どうするんだッ!?」
「「ひ、ひぃいい!?」」
途端、魔剣使い達はまるで蜘蛛の子が散るかの如く、二か所ある訓練場の入り口へと逃げて行く。
逃げ足だけは速い様で、彼等はあっという間に姿を消したのだった。
後に残るのは勇と仲間達。
そして崩壊した天井から落ちる破片と、それが掻き鳴らす「パラパラ」という虚しい音だけ。
「なんだよ……みんな口ばっかりか……」
勇も少しは期待していた所もあったのだろう。
口は悪くても、叩けば伸びる……そう思っていた。
それこそアンディとナターシャの様に。
しかし圧倒的過ぎる力は彼等に恐怖しか与えなかった様で。
上手く行かなかった状況に思わず頭を掻き毟る勇の姿があった。
「まぁ仕方ない……皆、戻ろうか」
「お? おお……」
呆気に取られたままの心輝達であったが……勇の声に気付き、強張らせた体を緩めていく。
茶奈は相変わらずのままであったが、見るものは見ていた様で……小さな手で作られた可愛い親指の突き出した拳を勇へと向ける。
勇もそれに気付くと、「ニコッ」とした万遍の笑顔を茶奈に向けて応えていた。
こうして三・四番隊の「おしおき」は万事済み、勇達は揃って笑顔で本部へと戻っていくのだった。
熱気を伴った透明な雫が床へと幾度と無く落ち、乾いた灰色の床を黒く染め上げる。
「ハァッ……ハァッ……!」
頬から雫を流し、荒立てた息は掠れた様な音が混じる。
息継ぐ口元は大きく下がり、眼は僅かに震えを帯びていた。
明らかな体力消耗……それも極度のもの。
それはバロルフ。
どうしてこうなったのか、当人にはなおもわからないままだった。
決して彼の体力が低い訳でも無ければ、尽きる程に延々と長く戦い続けていた訳ではない。
戦い続けていた時間と言えばおおよそ十五分程度。
一方的でもあった連撃を繰り返し、勇を追い詰めていた。
そう思い込んでいた。
だが、バロルフは何故この様な状況に陥っていたのか理解出来ずじまい。
体力も命力も自慢する程の量を有していたにも関わらず、既に底を突きかけているのだ。
対して勇はと言えば……彼の正面でただ静かに身を屈めて身構え、次の攻撃に備えたまま。
その顔は未だ最初と同じ、余裕さは微塵も感じない口元の下がった厳しい顔付き。
しかしよく見れば汗の一粒も浮かんでおらず、息を切らした節も見当たらない。
―――何故だ……何故ッ……!?―――
バロルフが顔をしかめ、思考を巡らせる。
最初から今までずっと優勢のはずだった。
相手に隙を与えぬず、動きを封じる様に先回りして動き続けていたはずだった。
逃げ道を塞ぎ、動きの道筋を確実に削いだはずだった。
余裕を殺し、逃げきれぬ恐怖を植え付けたはずだった。
なのに何故、藤咲勇はまだ立ち続けているのか。
込み上げるのは悔しさ。
当然だろう、あれだけの口を叩いておきながら見下していた相手に一撃すらも見舞う事が出来ずにいたのだから。
そんな時……身を屈めていた勇がゆっくりと膝を起こしていく。
疲弊し、手に持つ魔剣の切っ先を床に落とし、肩を揺らすバロルフ。
そんな彼を前に……勇はなおしかめた表情を浮かべたままだ。
わざとらしい程に、崩す事無く。
その時一瞬、勇の表情が崩れる。
それを目の当たりにしたバロルフが……思わずその表情を引きつらせた。
まるで馬鹿にするかの如く……ペロリと舌を覗かせた笑みを見せたのだ。
「ば、馬鹿な……まさか貴様……?!」
思わずバロルフの口から心情が溢れ出る。
自分の置かれた状況に気付いてしまったのだから。
バロルフの様子を前に、遂に勇が抑えていた声を解き放った。
「アンタが思っているのはきっと、『何故俺がこうやって立っていられるのか』って所だろうな」
「ッ!?」
勇の言葉がバロルフの動揺を誘う。
格下だと思っていた相手に心内を当てられ、戸惑わない訳がない。
「だが、アンタの実力の底は見えた……」
勇の瞳が光を放つかの如く力強く睨み付ける。
溢れんばかりの力を見せつける勇を前に、バロルフが思わずその身を引かせた。
「アンタは言ったな……自身が剣聖さんをも超える存在だと。 でもアンタの実力は剣聖さんやデュゼローの足元にも及ばない……!!」
「何……ッ!?」
「それどころか、シン達にすら及ばない……その底力を理解出来ないアンタにはッ!!」
そう、勇は最初からバロルフを試していたに過ぎなかった。
イシュライトの読み通り、バロルフは完全に勇に動きをコントロールされていたのである。
勇が一挙一動を追い詰められた体で演出し、攻撃を仕向ける。
それを追い詰めていると勘違いしたバロルフはまんまと引っ掛かり、読み通りの攻撃を仕掛ける。
それは知らず知らず内に彼の体力や命力を奪い去り、想定していた以上の消耗を誘発していたのだ。
その結果が現状である。
バロルフはもう既に動く余裕は殆ど残っておらず、勇を眺めるしか出来ないでいる。
しかし勇にとっては「その程度でしか無かった」という事に他ならない。
それもまた、勇の読み通りであった。
バロルフは確かに人並み外れた才能を有していたのだろう。
もしかしたら剣聖をも超える才能だったのかもしれない。
だが、それだけだった。
『あちら側』の魔剣使いは、自らの才能の限界まで鍛え上げ、そこで満足する。
生き残る為だけの力なのだ、それだけで十分だったのだろう。
だからこそ、限界を超えるなどという発想に至る者は殆ど存在しなかった。
剣聖ら三剣魔や魔烈王ギューゼル、イシュライト達イ・ドゥールがいい例であろう。
そう挙げた中でも自らその道を切り開いたのは、剣聖とギューゼルのみに他ならない。
ラクアンツェやデュゼローは剣聖の真似をし、イ・ドゥールの者達は伝統から学んだだけだ。
過去にそういった境地に達した者が居なかった訳では無いだろうが、現状で言えば把握しているのはそれだけ。
そしてその名の中に……勇も連なる。
才能だけでは届かない。
努力だけでは届かない。
双方の限界を突破した先に、勇達は居るのである。
そこに、ただ片方を極めた程度の者の手が届く事など、有り得はしない。
「まだ俺の事を馬鹿にするくらいなら許すさ……そんなの慣れっこだしな……」
勇が一歩、また一歩と踏み出す。
力強く、確実に。
その度に床から高い音が打ち鳴らされ、一つ一つが威嚇と成る。
それがバロルフを更に引かせ、「ビリビリ」とした悪寒を呼んでいた。
それは恐怖……。
バロルフの目に映るのは変わらぬ藤咲勇の姿。
だが感じ取っていたのは、まるで自身を押し潰してしまうかの如き巨大な気配だった。
気付けば身を引かせた足すら固まり、身動きが止まっていた。
「けどな、剣聖さんやデュゼローはこんなもんじゃない……アンタが想像する遥か先を越えた力を持っていたんだ……!! それを見も知らずのお前が語っていい事じゃない……!!」
「う、ああ……」
そして勇は遂に、バロルフの目の前へと到達する。
勇の瞳から放たれる眼光が貫くかの如く突き刺さり、顔すら引かせさせていた。
その顔に流れるのは、大粒の冷や汗。
「そしてアンタは茶奈を辱めた……俺はそれが絶対に許せないッ!!」
バンッ!!
勇の怒りを体現した拳が激しく握りしめられ、破衝音が鳴り響く。
まるでそれは爆音の様に激しく強く。
命力の波動ともとれる衝撃が周囲に飛び、勇の周辺から突如として埃が一斉に弾け舞った。
バロルフは想像すらしていなかったのだろう。
目の前に居る者が命力を一欠片も有していない事に。
ただ感じない程に小さいのだろうと、思っていたのだろう。
当然だ、勇の謎の力はまだ誰にも感じ取れはしない。
そこに居るのは命力を感じない一人の人間。
だがその内に秘めるのは、あの三剣魔デュゼローを圧倒する程の願いの力。
勇とバロルフとの力の差は、ライオンと猫……その差に等しい。
大人しかったライオンの怒りを呼び起こしたのは誰でもない猫本人。
もはやそこに、慈悲など不要。
「うおぁあぁあぁあぁーーーーーー!!」
その時、バロルフが自身を縛る感情を押し退け……魔剣を振り上げた。
残る力を振り絞り、全てを篭めて。
彼の目に映るのは勇のみ。
自身を追い詰めた者を潰す為に……バロルフは力の限り、魔剣を振り下ろしたのだった。
バッギャァーーーーーーンッ!!
激しい破砕音が鳴り響く。
だが、そこに至るまでに……肉を切った感覚などは感じなかった。
勇はその身をぐるりと回し、今まで同様に躱していたのである。
しかしその様子は今までと全く異なっていた。
勇の全身の筋肉が激しく引き締まる。
途端、彼の体の中で激しい凝縮音が「ギュム!!」と鳴り響いた。
地を突いた右足を軸足に、回転運動に沿って体が流れる様に構えられる。
腰を落とし、膝を曲げ、体を捻る。
それはまるで、先日空を駆けた時と同じ。
全身のバネを引き絞る……流星跳躍の応用。
バギャンッ!!
その時、軸足が突く床に亀裂が激しく走る。
余りの力の踏み込みがその強度を越え、床を激しく砕いた。
それでも怯まない。
踏み込まれた足、伸びる膝、腰。
回転力の慣性に加え、捻る体の復元慣性がその力を増させた。
その全てが重なった時……勇の体に秘める願いの力が解き放たれる。
全身の力が右拳に集約され……願いの力がその威力を何倍にも増幅した。
まるでそれは……光り輝く流星の如し。
誰しもが、その一撃を前に驚愕する。
計り知れぬ威力の一撃……それを理解するには足りぬ程に、余りにも一瞬過ぎた。
―――うおおおおおおッ!?―――
バロルフも目の前の一撃を前に、何する事も叶わない。
一瞬の様でじれったい程の長い間……走馬灯の様な、ただ眺めるだけの間を感じていた。
そして勇の一撃が撃ち込まれた瞬間……その意識は一瞬にして消し飛ぶ事となる。
ドッッギョオァッッッッッ!!!!!
それはただの一撃ではない。
まるで弾丸の様な旋回力と、全身の回転力、願いの力が合わさり極限にまで高められた破壊の力。
それが撃ち込まれた瞬間……バロルフの体が激しく歪んだ。
勇の拳を中心に、彼の体が強引に捻じれていく。
骨や筋肉など関係ない……その強度すらをも超えた捻転力に体の全てが引っ張られて。
それと同時に打ち込まれた衝撃が全身へと響き渡り、彼の体を激しく打ち上げた。
余りの衝撃は、バロルフの魔剣すらも粉々に打ち砕く程に強烈。
その一瞬で……バロルフは訓練場の天井へと打ち付けられた。
それだけでは終わらない。
バロルフを叩き上げた衝撃はなおも留まる所を知らない。
遂にはバロルフの体が天井を突き抜けていく。
バッゴォォォッッッ!!!!!
そしてとうとう……無数の破材を撒き散らしながら、グラウンドをぶち抜いたのだった。
コンクリートや鉄鋼材、土塊や石などを巻き上げ……バロルフの体が日の下に晒される。
そこで遂に力が収まり……破材共々、グラウンドへと落下した。
バロルフはもう意識など残ってはいない。
白目を剥き、全身を痙攣させていた。
死んではいない……鍛えられた体が幸いにも命を取り留めさせたのだろう。
なにより、勇がそうなる様に加減していたのではあるが。
勇の拳からは、余りの威力により白煙が立ち込める。
しかし当の本人にはまるでダメージなどありはしない。
拳を撃ち抜いた姿は、力強く、それでいて美しく……。
魅せるのは……穴からの陽光を浴び輝く、天を突く様に全身を伸ばしきった姿勢。
仲間達も、魔剣使い達も……そんな勇を前にただ唖然と佇む他無い。
見せつけられた力が想像の遥か先を行っており、言葉に形容する事すら出来なかったのだ。
そして何よりも……圧倒的だったから。
仲間達ですらも畏怖する程に強烈無比。
強いと思っていたバロルフでさえ子ども扱いなのだ、畏れもするだろう。
勇が全てを終え、拳を下げると……その視線は次に、バロルフの仲間達へと向けられる。
それに気付いた彼等が脅えた表情を浮かべ、その身を引かせ始めた。
「さて……まだ俺に反論する奴がいるなら、掛かってきてくれても構わない。 なんなら全員同時でもいい」
「う……ああ……」
彼等を睨む瞳もまた闘志に溢れたもの。
鋭い眼光が突き刺さり、誰しもが怯え惑い始めた。
バロルフの仲間達の中にはまだ【七天聖】を名乗る者は居るだろう。
だが誰一人として……勇へ敵意を向ける者は居なかった。
敵う訳がない……そう思わせるには十分過ぎた。
「どうするんだッ!?」
「「ひ、ひぃいい!?」」
途端、魔剣使い達はまるで蜘蛛の子が散るかの如く、二か所ある訓練場の入り口へと逃げて行く。
逃げ足だけは速い様で、彼等はあっという間に姿を消したのだった。
後に残るのは勇と仲間達。
そして崩壊した天井から落ちる破片と、それが掻き鳴らす「パラパラ」という虚しい音だけ。
「なんだよ……みんな口ばっかりか……」
勇も少しは期待していた所もあったのだろう。
口は悪くても、叩けば伸びる……そう思っていた。
それこそアンディとナターシャの様に。
しかし圧倒的過ぎる力は彼等に恐怖しか与えなかった様で。
上手く行かなかった状況に思わず頭を掻き毟る勇の姿があった。
「まぁ仕方ない……皆、戻ろうか」
「お? おお……」
呆気に取られたままの心輝達であったが……勇の声に気付き、強張らせた体を緩めていく。
茶奈は相変わらずのままであったが、見るものは見ていた様で……小さな手で作られた可愛い親指の突き出した拳を勇へと向ける。
勇もそれに気付くと、「ニコッ」とした万遍の笑顔を茶奈に向けて応えていた。
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