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2、【始まり】
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「今日もいい一日だったなぁ」
自室のベッドに寝転び、大きく伸びをした。部長が【可愛いもの】が好きだということが発覚したり、意外と甘党だということも分かった。人は見かけによらないと言うが、まさにその通りだ。
しかし、誕生日でもないのになぜケーキを? もしかして……入居祝い!? だとしたら、私は何も用意していない。これはマズイ! 一緒に住むのに挨拶を交わしただけになっている。おまけに会社では上司にあたる。部下が手土産を持っていくのが常識(マナー)だと社会人一年目の頃、当時お世話になった先輩に教えてもらった。……部長、どんな【可愛いもの】だったら喜んでくれるだろう?
ここは、本人に聞いてみよう。まだ起きているといいのだけれど。
自室を出てリビングを通り、部長の部屋の前に立った。なんだか緊張する。軽く二回ノックすればいいと分かっていても、なかなか扉を叩けない。意を決して拳を振り上げると、「俺の部屋を壊す気か?」と後ろから手を掴まれた。
振り返ると、髪を下ろした部長が立っていた。仄かに石鹸の香りがする。首から下げられたタオルが風呂上りであることを物語っていた。
「ち、違います! 部長に聞きたいことがあって……」
「なんだ?」
「部長は、どういった【可愛いもの】が好きなんですか? 例えば、ぬいぐるみとか……ぬいぐるみとか」
「……お前の中の【可愛いもの】は、ぬいぐるみしかないのか?」
「すみません……。思いつかなくて」
「……部屋、見るか?」
「いいんですか!?」
「別に見せても減るわけじゃないしな。……どーぞ」
開かれた扉から「お邪魔します!」と中に入った。一体、部長の部屋は──
辺りを見回し、絶句した。本当に私の部屋と同じ間取り!? 壁紙も私の部屋とはまるで違う。私の部屋は無機質なオフホワイトのどこにでもある壁紙なのだが、部長の部屋の壁紙は白をベースにピンクの淡い小花が所々に散りばめられ、女子力が高い。家具も白で統一され、清潔感溢れる部屋だ。そして、一際目を引くのがベッドの上に散乱しているぬいぐるみ。黄緑色の怪獣がなんともメルヘンチックで可愛い。ピンクのウサギ型のクッションもある。
そして、綺麗に並べられた香水たち。どれもこれもデザインが可愛い。私はハッとした。部長の部屋に置いてあるすべての物が可愛い。私の殺風景な部屋とは大違いだ。
「木浪、分かったか? これが【可愛い】ということだ。【可愛いもの】こそ、正義!」
「……部長に彼女がいない理由って……」
「あぁ。隠し立てしても仕方ない。正直に話そう。俺が見た目に反する乙女チックだから、【気持ち悪い】と毎回フラれるんだ」
「……確かに、部長の女子力は凄まじい……。でも、私は好きですよ」
「……お前──」
「お部屋見せてくださり、ありがとうございました! 今度、私の部屋もお見せしますね! 何もないですけど」
自分の部屋に帰りたいのだが、扉の前に部長が立っていて出るに出られない。早く部屋に戻って寝たいのに。部長だって明日仕事だ。同じ気持ちだと思うのだが、一向に退く気配がないのは何でだろう。
「あの……部長?」
「木浪、新しいルールを追加する」
「え? 新しいルールですか?」
「家では、互いのことを名前で呼ぶこと」
「な、名前で? ……では、鬼頭さん。そこを」
「それは苗字だろ? 俺が言ったのは、【名前】だ」
「苗字だって【名前】に含まれますよ? それに部長だって私のこと苗字で呼んでるじゃないですか!」
「だからだ」
「どういう意味ですか?」
「俺が帰宅後に言ったこと覚えてるか?」
「えっと……【人を疑いすぎだ】ですか?」
「それもそうだが……。【ここはオフィスじゃない】とも俺は言った」
「……言っていたような気もします」
「だが、俺たちの呼び方はどうだ? 会社のままじゃないか? お前に至ってはあからさまに【部長】呼びだ。それでは、お互いに家で気が休まるはずがない。違うか?」
「……仰る通りです」
「そこで、今夜から互いに【名前】呼びにする。異論は認めない。いいな? ──蒼芭」
【名前】呼びでもハードルが高いのに、まさかの部長から呼び捨て……。心臓に悪い。いい意味でも悪い意味でも。会社で間違えて名前呼びしないようにしないと。……気を引き締めよう。
「おい、蒼芭。返事は?」
「分かりました」
「……それだけか?」
「他に何か必要でしたか?」
「俺にだけ名前を呼ばせるつもりか?」
「あ……」
鬼頭部長としか呼んでいないため、下の名前が分からない。部屋に行けば部長の名刺がある。ここをなんとか乗り切って部屋に戻るつもりだったのだが、名前を呼ばないと部屋から出してもらえそうにない。部長の名前なんだっけ? 桃太郎……絶対違う! 頭の一文字すら浮かばない。
絶体絶命のピンチ!!
「どうした、蒼芭?」
「……怒らないで聞いてくれますか?」
「なんだ?」
「……大変失礼ながら、申し上げます! 私、鬼頭部長の下の名前……ど忘れしてしまいました! 誠に申し訳ありません!!」
大きく頭を下げた。視線は自分の爪先を見ている。それでも頭上からゴウゴウと音が聞こえてきそうなほど、重い視線を感じる。顔を上げるのが怖い。でも、上司の名前をしっかり覚えていない私が悪い。
「バカ正直。……知ってたよ、そんなこと。お前、顔に出やすいからな。いい機会だ。今から、お前に自己紹介する。上司としてではなく、【一人の男】として」
肩に手を添えられ、ゆっくりと顔を上げると目の前に部長の顔があった。彼の肌から漂ってくる石鹸の香りから距離の近さが分かり、ドキドキしてしまう。
「改めて──鬼頭 誠だ。これからもよろしくな、蒼芭」
あえて名前の【誠】を強調した。呼べと言わんばかりの圧力。緊張していることを悟られないように平然を装って私も挨拶を返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします。……誠さん」
満足したのか「明日も朝食の準備で朝早いんだろ? 早く寝ろ」とすぐに部屋から追い出された。部長──じゃなかった。誠さんにはいつも振り回されてばかり。それは、会社でも家でも……この先もずっと変わらないだろう。
自室のベッドに寝転び、大きく伸びをした。部長が【可愛いもの】が好きだということが発覚したり、意外と甘党だということも分かった。人は見かけによらないと言うが、まさにその通りだ。
しかし、誕生日でもないのになぜケーキを? もしかして……入居祝い!? だとしたら、私は何も用意していない。これはマズイ! 一緒に住むのに挨拶を交わしただけになっている。おまけに会社では上司にあたる。部下が手土産を持っていくのが常識(マナー)だと社会人一年目の頃、当時お世話になった先輩に教えてもらった。……部長、どんな【可愛いもの】だったら喜んでくれるだろう?
ここは、本人に聞いてみよう。まだ起きているといいのだけれど。
自室を出てリビングを通り、部長の部屋の前に立った。なんだか緊張する。軽く二回ノックすればいいと分かっていても、なかなか扉を叩けない。意を決して拳を振り上げると、「俺の部屋を壊す気か?」と後ろから手を掴まれた。
振り返ると、髪を下ろした部長が立っていた。仄かに石鹸の香りがする。首から下げられたタオルが風呂上りであることを物語っていた。
「ち、違います! 部長に聞きたいことがあって……」
「なんだ?」
「部長は、どういった【可愛いもの】が好きなんですか? 例えば、ぬいぐるみとか……ぬいぐるみとか」
「……お前の中の【可愛いもの】は、ぬいぐるみしかないのか?」
「すみません……。思いつかなくて」
「……部屋、見るか?」
「いいんですか!?」
「別に見せても減るわけじゃないしな。……どーぞ」
開かれた扉から「お邪魔します!」と中に入った。一体、部長の部屋は──
辺りを見回し、絶句した。本当に私の部屋と同じ間取り!? 壁紙も私の部屋とはまるで違う。私の部屋は無機質なオフホワイトのどこにでもある壁紙なのだが、部長の部屋の壁紙は白をベースにピンクの淡い小花が所々に散りばめられ、女子力が高い。家具も白で統一され、清潔感溢れる部屋だ。そして、一際目を引くのがベッドの上に散乱しているぬいぐるみ。黄緑色の怪獣がなんともメルヘンチックで可愛い。ピンクのウサギ型のクッションもある。
そして、綺麗に並べられた香水たち。どれもこれもデザインが可愛い。私はハッとした。部長の部屋に置いてあるすべての物が可愛い。私の殺風景な部屋とは大違いだ。
「木浪、分かったか? これが【可愛い】ということだ。【可愛いもの】こそ、正義!」
「……部長に彼女がいない理由って……」
「あぁ。隠し立てしても仕方ない。正直に話そう。俺が見た目に反する乙女チックだから、【気持ち悪い】と毎回フラれるんだ」
「……確かに、部長の女子力は凄まじい……。でも、私は好きですよ」
「……お前──」
「お部屋見せてくださり、ありがとうございました! 今度、私の部屋もお見せしますね! 何もないですけど」
自分の部屋に帰りたいのだが、扉の前に部長が立っていて出るに出られない。早く部屋に戻って寝たいのに。部長だって明日仕事だ。同じ気持ちだと思うのだが、一向に退く気配がないのは何でだろう。
「あの……部長?」
「木浪、新しいルールを追加する」
「え? 新しいルールですか?」
「家では、互いのことを名前で呼ぶこと」
「な、名前で? ……では、鬼頭さん。そこを」
「それは苗字だろ? 俺が言ったのは、【名前】だ」
「苗字だって【名前】に含まれますよ? それに部長だって私のこと苗字で呼んでるじゃないですか!」
「だからだ」
「どういう意味ですか?」
「俺が帰宅後に言ったこと覚えてるか?」
「えっと……【人を疑いすぎだ】ですか?」
「それもそうだが……。【ここはオフィスじゃない】とも俺は言った」
「……言っていたような気もします」
「だが、俺たちの呼び方はどうだ? 会社のままじゃないか? お前に至ってはあからさまに【部長】呼びだ。それでは、お互いに家で気が休まるはずがない。違うか?」
「……仰る通りです」
「そこで、今夜から互いに【名前】呼びにする。異論は認めない。いいな? ──蒼芭」
【名前】呼びでもハードルが高いのに、まさかの部長から呼び捨て……。心臓に悪い。いい意味でも悪い意味でも。会社で間違えて名前呼びしないようにしないと。……気を引き締めよう。
「おい、蒼芭。返事は?」
「分かりました」
「……それだけか?」
「他に何か必要でしたか?」
「俺にだけ名前を呼ばせるつもりか?」
「あ……」
鬼頭部長としか呼んでいないため、下の名前が分からない。部屋に行けば部長の名刺がある。ここをなんとか乗り切って部屋に戻るつもりだったのだが、名前を呼ばないと部屋から出してもらえそうにない。部長の名前なんだっけ? 桃太郎……絶対違う! 頭の一文字すら浮かばない。
絶体絶命のピンチ!!
「どうした、蒼芭?」
「……怒らないで聞いてくれますか?」
「なんだ?」
「……大変失礼ながら、申し上げます! 私、鬼頭部長の下の名前……ど忘れしてしまいました! 誠に申し訳ありません!!」
大きく頭を下げた。視線は自分の爪先を見ている。それでも頭上からゴウゴウと音が聞こえてきそうなほど、重い視線を感じる。顔を上げるのが怖い。でも、上司の名前をしっかり覚えていない私が悪い。
「バカ正直。……知ってたよ、そんなこと。お前、顔に出やすいからな。いい機会だ。今から、お前に自己紹介する。上司としてではなく、【一人の男】として」
肩に手を添えられ、ゆっくりと顔を上げると目の前に部長の顔があった。彼の肌から漂ってくる石鹸の香りから距離の近さが分かり、ドキドキしてしまう。
「改めて──鬼頭 誠だ。これからもよろしくな、蒼芭」
あえて名前の【誠】を強調した。呼べと言わんばかりの圧力。緊張していることを悟られないように平然を装って私も挨拶を返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします。……誠さん」
満足したのか「明日も朝食の準備で朝早いんだろ? 早く寝ろ」とすぐに部屋から追い出された。部長──じゃなかった。誠さんにはいつも振り回されてばかり。それは、会社でも家でも……この先もずっと変わらないだろう。
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