目覚めの悪い朝も嫌いじゃない

望月おと

文字の大きさ
上 下
10 / 17
2、【始まり】

しおりを挟む
 会社に着くと、部長はすでに仕事に励んでいた。先ほどまで一緒に居たのが夢ではないかと思えてくる。あまり視線を送るのはやめておこう。変な噂が立ったらお互いに困る。

 いつもと同じように社員たちに挨拶をしていると、「木浪」と部長に呼ばれた。返事をし、すぐに席を立ち、部長の席へと向かう。椅子に腰かけた彼はどこか落ち着かない様子で自身の唇を触っていた。

「何でしょうか?」
「……じまり」
「え?」
「だから、戸締りはちゃんとしたのかと聞いている」
「はい。三回チェックしましたから、安心してください」
「そうか。……この資料をまとめ直してほしい。早急に頼む。午後から急な商談が入ってな」
「分かりました。お預かりします」
「完了したら、俺のパソコン宛てにファイルを送ってくれ」
「はい」

 鬼頭部長は気難しいと言われているが、心配症なだけなのかもしれない。戸締りしたのか気になってソワソワしていた姿を思い出し、なんだか可愛く思えて頬が緩んでしまった。

「木浪……。お前、今変なことを思わなかったか?」
「お、思ってないですよ!」
「その慌てぶり……」

 右の口角を上げ、下から見上げる形で部長は私に粘着質な視線を向けてきた。嫌な予感しかしない。部長は立ち上がると、近くにあったファイルの山を私が手にしている書類の上に躊躇ちゅうちょなく、重ねた。

「他の者に頼もうと思っていたが、このファイル整理もお前に頼むことにしよう」
「ちょ!?」
「なんだ、この程度も自分で持てないのか? だらしない」
「う……前が見えない」
「ん? いつまでここにいるつもりだ? もう席に戻っていいぞ」
「し、失礼します」

 重いわけではなく、高さがあって全然前が見えない。すれ違う社員が私に気を使い、避けてくれる。

「木浪さん」
「ごめんなさい。ファイルの山で前が見えなくて」
「うん。だから──」

 「あ……」ファイルが半分減り、声を掛けてくれた人物の姿が現れた。

「木浪さんの席まで運べばいい?」
「は、はい! ありがとうございます。えっと……」

 確か、彼は──

藤川ふじかわ。社員が多いから名前覚えるの大変でしょ」
「はい……。手伝ってくださり、ありがとうございます。藤川さん」
「いいよ。このくらい当然だし。また困ったときは遠慮せず言いなよ? 鬼頭さん、無茶ぶりするのが趣味みたいなところあるから」
「趣味……」
「冗談だって! 木浪さんが本気にするとは思わなかったな。ま、鬼畜に変りはないけどね」

 「じゃ」藤川さんは爽やかな笑みを残し、自身のデスクへと戻って行った。その背中に「ありがとうございます」と声を飛ばし、私も席に着いた。

 切れ長の目が特徴的でクールな印象を受けた藤川さんだが、話しやすい人だった。やさしい彼は女子社員からも人気がありそうだ。

 身長も高く、175cm以上はあるのではないだろうか。細身で黒髪が似合っている。

「木浪さん、藤川くんと楽しそうに話してませんでしたー?」

 隣のデスクの山根やまねさんが椅子ごと近づいてきた。私の肩に彼女の肩がぶつかっている。山根さんは距離感がおかしい。話す相手にくっついて話す癖がある。同性でも異性でも。本人は気にする素振りもなく、これが彼女にとっての普通のようだ。

 入社四年目の上司である山根さんは小柄で着せ替え人形のような見た目をした可愛らしい女性だ。私よりも二歳年下。

 隣にいたのなら一部始終を見ていたような気もするが、なぜ彼女は尋ねてきたのだろう。

「女子社員とにこやかに話す藤川くん、初めて見ましたよ」
「え?」
「藤川くん、滅多に自分から女子社員に声かけないのに……」
「私が藤川さんの進行方向を塞いじゃったから」
「いいえ。藤川くん、わざと自分から木浪さんに向かっていったんです」
「そうだったんですか? なんでですかね?」
「私も分からないから、木浪さんに聞いたんじゃないですかぁ! 藤川くんといつから仲良しなんですか?」
「仲良しも何も……さっき初めて話しました」
「……うそ」
「本当です。藤川さんの名前もまだ覚えてなくて……」

 私の顔をじっと見つめ、山根さんは「こういう女性がタイプなの?」と首をひねりながら、自分のデスクへとキャスター付きの椅子で素早く戻って行った。

 ……山根さんは不思議な人物だ。さて、目の前の山積みになっているファイルをどんどん片していかなければ。午後に会議があると部長は言っていた。時計に目をやると、十時半を回っている。急がなければ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

会社の後輩が諦めてくれません

碧井夢夏
恋愛
満員電車で助けた就活生が会社まで追いかけてきた。 彼女、赤堀結は恩返しをするために入社した鶴だと言った。 亀じゃなくて良かったな・・ と思ったのは、松味食品の営業部エース、茶谷吾郎。 結は吾郎が何度振っても諦めない。 むしろ、変に条件を出してくる。 誰に対しても失礼な男と、彼のことが大好きな彼女のラブコメディ。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

処理中です...