目覚めの悪い朝も嫌いじゃない

望月おと

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1、【再出発】

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 鞄からノートとペンを取り出し、【ルール】と大きく見出しを部長は書いた。

「ルールその1、家に誰も招かない」
「そうですね。そこは徹底しましょう!」
「ルールその2、会社で家の話はしない」
「これもやめましょう!」
「ルールその3、互いに距離を取る」
「上司・部下の関係ですから。当然ですね!」

 「……こんなところか」ノートを書き終えた部長は私に視線を移した。

「一つ、頼みがあるんだが……」
「なんでしょう?」
「お前──料理は得意か?」
「まぁ、それなりには作れますよ」
「そうか。実は……炊事が苦手でな」
「でしたら、私が担当します! 食費代、半々にしましょう」
「いや、手間賃込みで食費は俺が全額負担する」
「そんな! 私も食べますし、全額負担なんて」
「作ってもらうんだ。当たり前だろ」
「でも──」
「わかった」

 手にしていたボールペンの先を部長は私に向けた。「わかった」と部長は言ったが、私の言い分を聞き入れたわけではなさそうだ。一人納得したように頷いている。一体、何について「わかった」のだろうか。

「木浪。お前、【お人よし】だろ?」
「は?」

 私の拍子抜けな声が静かなリビングに響いた。【お人よし】? よくやさしいとは言われるが、【お人よし】と人から言われたことはない。

「なんですか、突然」
「お前、誰かに騙されたことあるだろ?」
「うっ……」
「否定しないところを見ると図星か」
「ど、どうして、そんなことが部長に分かるんですか!?」
「俺が今まで会った女はみんな、金を出すと言えば『ありがとう』と素直に喜んでいた。しかし、お前はそれを断った。その上、自分の負担まで増やそうとした。彼氏でもない男に飯まで作らされて、その上、食費も折半。お人よしにも程がある。お前は、もう少しずる賢く生きたほうがいい。世の中にはお前みたいな奴を食い物にする輩も多いからな」


 言い返す言葉もない。的を得た部長の意見に耳が痛かった。つい悪いと思い、一歩引いてしまう。そこを元カレに付け込まれた。「木浪」と部長に呼ばれ、顔を上げると強面の顔は破顔していた。

「……だが、俺はお前みたいな奴のほうが信用できて好きだ」

 息の仕方を忘れた。それほどの衝撃だった。【冷徹】の言葉が似合うほど、いつもの部長は無表情に近い。そんな部長の笑顔は、陽だまりのように穏やかで爽やか。普段とのギャップがありすぎて、反応に困る。おまけに、職場で絶対聞くことのない「好きだ」までプラスされ、心が落ち着かない。距離の近さまで意識してしまう始末。

「ん? どうかしたか?」

 誤魔化すようにマグカップを手に取り、「別に」とコーヒーを口にした。しばらく部長と目を合わせられる自信がない。部長は自分の笑顔を鏡で見たことがあるのだろうか。部長を知る人物にとって、彼がもたらす笑顔の破壊力は危険だ。女性社員はみな彼の虜になるだろう。男性社員も頬を赤らめるかもしれない。

 部長の微笑みを見られることは嬉しいが、その度に赤面するほどドキドキしていたら心臓が持たない。

 その他にも細かいルールを二人で決めた。食事はなるべく一緒に摂るようにする、お風呂は部長が先に入る、部長が先に出勤し、出勤時間をずらす、など。


「他に何かありますか?」
「今は思い付かないが、生活していく内に決めていこう」
「そうですね!」

 やっぱり部長は私生活でも頼りになる。こんなに出来る人の彼女は、どんな人なんだろう。気にはなるけど、聞けない。

「木浪」
「はい?」
「お前、彼氏いないのか?」
「へ?」

 まさか、部長から恋愛に関する質問が飛んでくるとは思わなかった。先に聞いてきたのは部長だし、私も聞いてみよう。

「いませんよ。部長はいらっしゃるんですか?」
「……俺に女が寄ってくるように見えるか?」
「モテそうですけどね、部長」
「お前の目は節穴だな。お世辞も要らん」
「お世辞なんて言ってませんよ。ありのままをお伝えしただけなのに」
「俺のどこをどう見たら、モテると思うんだ?」
「そりゃ、口が過ぎることもありますけど……。根はやさしいですし、仕事はバリバリこなすし。何より、頼りがいがあります!」
「……ま、お前とは出会って日も浅い。俺について知らなさすぎる」
「部長が思ってるほど、部長は嫌な人じゃないですよ! 私は好きですよ、部長のこと」

 沈黙が流れていく。「好きだと言ったけど、恋愛感情ではなくて……人として尊敬しているという意味で」そう伝えたが、部長は「今日はもう寝る」と自室へ行ってしまった。

 この先、大丈夫だろうか。部長と一つ屋根の下、うまくやっていかなくちゃ……。

 二人分のマグカップを洗いながら、先の未来に不安を感じていた。
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