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9、【親と子】
しおりを挟む一人取り残された遼は再びソファーに腰を下ろし、響子の両親について考えていた。父親から三秒ほど見つめられ、母親は遼の顔を見るなり泣き崩れた。
彼の中に ある考えが浮かぶ。
《響子の両親も自分を犯人だと思ったのではないか?》
だとするならば、あの深々としたお辞儀は何だ? 犯人だと思う人物に丁寧に頭を下げる人はいないだろう。ましてや彼らは被害者の両親である。娘を殺害したと思う人物を前にして、冷静を保てる親などいないはずだ。
では、響子の両親は名も知らない遼にどうして深々とお辞儀をしたのだろうか……。澄貴と話していたから、彼の学校の友人だと思ったのかもしれない。もしかしたら、響子の教え子だと気づいたのかもしれない。だが、遼には【何か】が引っ掛かっていた。
「ごめんね、遅くなって!」
背後から突然声を掛けられ、驚いた遼はソファーから数センチ腰が浮いた。
見れば、額からは汗が流れ、息も絶え絶えな遼の母がそこにいた。髪も服も濡れている。余程、慌てて来たのだろう。ここに着くまで生きた心地がしなかったに違いない。我が子の身を案じ、一刻も早く会いたい一心で彼女は車を停めた駐車場から降りしきる雨の中、傘も差さずに走ってきた。だが、遼を見た母の顔には心配よりも安堵の色が広がっていた。
「……よかった。疑い晴れて」
「いや……また話聞くって言ってた。受付の人に母さんが来たこと伝えてくる。ここに座って待ってて」
「……そう」と、ガッカリした声を母は床に落とした。受付へ向かう遼の背中は、事件前も今も何ら変わっていない。生まれたときから、母はこの背中を見続けている。彼の表情や思いは背中を見れば、母には大体分かった。無論、遼が犯人ではないということも。しかし、これを証明するのには無理がある。見えないモノを見えるようにする魔法道具でもない限り、立証は難しい。
無実だと母には分かるのに、疑われる息子。どうすることもできない自分の無力さが母は悔しかった。
受付から戻った遼は母の隣に座り、勇気を出して気になっていたことを彼女に訊ねた。
「……仕事、大丈夫?」
「早退したこと? みんな子育てしながら働いてるから、珍しいことじゃないよ」
「そうじゃなくて……」
「大丈夫。警察からの電話は心配されたけど、事件のことは今朝のニュースでみんな知ってたから、″担任の先生なの″って伝えたら理解してくれた。……遼が心配してるようなことは無いよ。だから、大丈夫」
「……ごめん。また迷惑かけて」
「謝ることないでしょ」
「それにね」と母が言いかけた時、「お待たせして、すみません」と独特な訛りをした赤いスカジャンのスキンヘッドが二人に声をかけた。何度見ても警察官には見えない男である。彼の一歩後ろには、大男の本多が立っている。
「警視庁捜査一課の青宮です」
「同じく、本多です」
「念のため……」と青宮と本多は警察手帳を遼の母に見せた。彼女から疑いの眼差しを向けられたからだ。
「今日、遼くんからお話を伺ったのですが、また確認しなければいけないことも出てくると思いますので、その際はご協力よろしくお願いします」
見た目は人相が悪い青宮だが、内面は律儀で礼儀正しい。彼のギャップに驚きつつ、母は青宮に「分かりました」と頭を下げた。警察署を出る二人を出入り口の自動ドアまで青宮と本多は見送った。降りしきる雨の中を親子は駆けていく。
「……本多。遼くんの行動から目を離すなよ」
「分かりました」
**********
警察署から帰宅するなり、クラス委員長である竹内剛から遼の携帯に連絡が入った。
「よっ。大丈夫か?」
「……まぁ、なんとか」
「あんまり気を落とすなよ」
今日事件を知ったというのに、剛の口調からはあまり悲しみの感情は伝わって来なかった。
「竹内は悲しくないのかよ?」
「悲しいに決まってるだろ! ……ただ、俺なんかよりもお前の方が辛いと思って……」
自身の感情を圧し殺し、剛は遼を心配していたようだ。彼はそういう優しさを持っている。だからこそ、クラスを束ねるクラス委員長に投票で選ばれた。そんな彼の気遣いにも気付けず、遼は剛に「ごめん……」と謝った。今日は色々あって疲れたのだろう。遼の心にも体にもゆとりが無くなっていた。
「先生の事件でクラスのみんなも参ってると思うんだ。いつ学校が再開されるかも分からないし……。明日、会えないか? こういう時だからこそ、今後について俺たちクラス委員で話し合おう」
「分かった。明日、どこで会う?」
「そうだな……。13時に市立図書館でどう?」
「じゃあ、13時に図書館で」
「それじゃ、明日な」
「あぁ、また明日」
悲しいのは自分一人だけではない。クラス中、いや学校中が悲しみに包まれている。自分を副委員長に推薦してくれたクラスの皆のためにも、委員長である剛と協力して、クラスを1つにまとめあげていかなければいけない。
「やっぱ、竹内には敵わないな……」
通話履歴を見つめ、遼は剛のリーダーとしての素質に脱帽していた。どんな状況でも常に自分より他人を優先して考えることができる剛を遼は尊敬している。だからこそ、彼のサポートに全力で取り組み、クラスのためにと協力してより良いクラスになるよう努めてきた。
遼は悲しみを乗り越えるために、響子を殺害した犯人を自分自身の手で見つけるという目的を持った。だが、クラスの生徒全員が遼のようにどん底から這い上がれたわけではない。多くの生徒たちは担任を失った苦しみ・悲しみ・喪失感の渦中にいる。その生徒たちのケアをしていかなければいけない。もちろん、学校が再開されれば、その道のプロが来てカウンセリングを行うだろう。しかし、今の段階で学校再開の見込みは立っていない。少しでも早く彼らの心の傷を塞ぐ手立てを考える必要がある。大学受験は待ってくれない。そのための話し合いを明日、遼と剛は市立図書館で行う約束をした。
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