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13話 セーフかアウトを決めるのは運命ではない、審判である

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 昨夜の雨はその日の内に上がり、今朝は雲一つ無い快晴だ。

 昼休み。
 誠、渉、早苗の三人は食堂に集まって昼食を取りつつ談笑している。尤も、食堂メニューを注文しているのは渉だけで、誠と早苗は自前の弁当だが。
 誠と渉が隣合って座り、その誠と向かいの席に早苗が座る。

「誠、香美屋のバイトは最近どうだ?」

 食がある程度進んだところで、渉が誠の香美屋での働きぶりについての話題を持ちかけた。

「順調かな。店のメニューもある程度なら任せてもらえるようになってきたし。コーヒーの淹れ方は、まだ勉強中だけど」

「おぉー、さすが誠。やっぱ短期バイトのプロはやることが違うぜ」

 順調どころか既に現場の一部を任されていると言う誠に、渉は自分のことのように喜ぶ。

「でもさ岡崎くん、椥辻くんはあくまでも、次のアルバイトが入るまでの中継ぎなんでしょ?そんなに戦力になってたら、いざ抜けた時にお店の方が大変じゃない?」

 喜ぶ渉とは反対に、早苗は誠が活躍することへの懸念点を挙げた。
 誠の働きぶりは素晴らしい。それが良いことに変わりは無いが、いざその彼が辞めた時の反動が大きくなるのではないかと。

「あー、まー、それは、そうなんだけどな……叔父さんも、誠のことを頼りにしてるし、……誠っ、出来るだけ、出来るだけでいいから、なるべく長く働いてくれっ!」

 このとーりっ、と両手を合わせて拝むように誠に頭を下げてみせる渉。

「ま、まぁ、今年中は続けるつもりだから。その間に募集なり何なりしてくれれば」

 香美屋のマスターとしては、せっかくまともなアルバイトが入ってきてくれた(以前に入ってきたアルバイトがまともでは無かった)のだから、手放したくは無いだろう。

「わりっ。叔父さんには俺からも、誠のことをよく労ってあげるように言っとくから!」

「そこまでしなくてもいいって」

 誠としては、短期間でお金を稼げないと言う点にさえ目を瞑れば、香美屋は理想的なバイト先と言えた。
 渉は事前に「誠が普段している短期バイトと比べても稼げない」と言っていたが、月給として見れば、誠が一ヶ月の中で複数の短期バイトをするのとそう変わらない金額なのだ。
 加えて、香美屋に来るお客はほぼリピーターで、気前の良い壮年層がほとんど(凪紗のようなケースは別として)であり、昨今社会問題にもなっているカスタマーハラスメント(カスハラ)の心配も無いと言ってもいい。

 ただ、穴場のような立地なため、求人広告に募集を掛けても応募してくれる人はごく少ないかもしれないので、そこばかりは運に任せるしかない。

「椥辻くんも大変だね」

 おかしそうに小さく笑う早苗に、誠は「まぁ出来るだけ頑張るよ」と応えた。



 今日は香美屋の勤務が入っていない誠は、久しぶりに何もない放課後を迎えていた。
 せっかく時間があるのだし、今晩は新しい料理でも試してみるべく、隣町のスーパーまで自転車を飛ばそうかと思いながら下校していると。

 前方に、最近になって見慣れてきた美しい黒髪の後ろ姿が見えた。
 香美屋に来ている時は必ず見送る後ろ姿だ、見間違えるはずもない。
 誠は少し駆け寄って、隣に並んでその姿――凪紗に声をかける。

「速水先輩、こんにち、……?」

「ん...…?ぁあ、椥辻くん……」

 それは間違いなく速水凪紗その人だったが、顔が赤く、しかし顔色が悪く、呼吸も荒い上に声も鼻声だ。

「あの、大丈夫ですか?見るからに具合悪そうですけど」

「うーん……今朝起きた時は、気のせいかなって思ってたんだけど、急にしんどくなってきてね……」

 と言っている内に、凪紗は足取りすら覚束なくなり、倒れかけて、

「ちょっ、あぶなっ」

 誠は咄嗟に凪紗の左腕を掴み、倒れないように支えて、
 ――ブレザーとセーター越しでさえ、人体が発するとは思えない熱を感じた。

「……身体、すごい熱くなってますけど」

「えー……私はこう、なんか寒いんだけど……」

「それ、間違いなく風邪ですって!」

「そんな大袈裟な、……ぁ」

 とうとう膝の力まで抜けてしまう凪紗。

「ちょっ、ちょっと、速水先輩!?」

「ご、ごめ……なん、か、身体に力、入んない、かも……」

 左腕を掴んでいるだけでは支えきれず、誠は凪紗を脇から羽交い締めするように支え直す。

 あの"不攻不落の速水城塞“がどうしてこうまで弱っているのか?

 水攻めでもされたのかと半ば冗談でそう思った誠だが――強ちそれが間違いでもないことに気付いた。

「まさか、昨夜あの雨の中を帰ったから...…?」

「は、走ろうと思ったら、転んで水溜まりに、ヘッドスライディング……セーフ」

「それはセーフじゃない、アウト!ゲームセットです!」

「はは、負けちゃった……」

 九回裏ツーアウト、決死のヘッドスライディングで塁に滑り込んだが、タッチアウト……ではなく、水計では無かったが、水に濡れたことに変わりは無かったようだ。

「(どうする、さすがにこんな状態の速水先輩を放っておくわけにはいかないぞ)」

 かくなる上は、と誠は羽交い締めしている腕を片方解き、凪紗の鞄を取り上げる。

「あ、ちょっと……」

 自分の鞄と合わせて両肩に担ぎ、凪紗の正面に回り込んで、倒れそうになる彼女を背中へ。

「緊急時につき失礼します、変態とか痴漢とか言わないでくださいよ……っと」

「わっ……」

 そのまま勢いよく凪紗を跳ね上げ、彼女の膝の裏に手を掛けて持ち上げる。

「(……速水先輩って、身長あってスポーツやってた割に、軽いんだな)」

 鍛えられてスリムな身体に見えて、意外と出ているところは出ている、それこそ――背中に押し付けられている一対の柔らかさに意識を向けてしまうほど。

「……このまま先輩の自宅近くまで運びます。家、どの辺ですか?」

「え、ゃ、悪いよこんな……」

「じゃぁアレです、香美屋のマスターからの特命を受けました。これも業務の一貫です」

 我ながらめちゃくちゃなこじつけだ、と誠は自分の中でそう呟いた。

「……強引だ」

 ふうぅぅぅ、と溜め息をついた凪紗は、誠の背中に身体を預けた。

「まず……駅前まで行って」

「了解です」

 出来るだけ揺らさないように、なおかつ出来るだけ速く、誠は凪紗のナビゲーション通りに彼女をトランスポートする。

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