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1話 不攻不落の速水城塞
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私立翠乃愛(みどりのあ)学園。
生徒の自主性と多様性を重んじ尊ぶ校風が、様々な分野にて優秀な人材を輩出している高校として知られている。
その中でも、女子テニス部は特に注目されており、突出した才によって多大な結果をもたらした者がいた。
『速水凪紗』。
彗星のごとく高校女子テニス界に降臨し、全国優勝三連覇を果たしたが、三度頂点の座を戴いた後はいともあっさりとラケットを手放して引退した、伝説のテニスプレーヤー。
長く美しい黒髪を靡かせて舞う、見目麗しいテニスコートの戦乙女は、同性異性を問わず注目と羨望の的。
その美貌に言い寄ろうと考える男子生徒も後を絶たなかったが、多くを語らず行動と結果で示し、何者も寄せ付けぬ孤高の佇まいは、言葉無くとも不埒な輩を退ける。
そんな、周囲からは高嶺の花、あるいは女神のように崇め称えられる速水凪紗と、自分が関わることも無いだろう、と彼ーー『椥辻誠』は思っていた。
ーー今日、この時までは。
10月。
長々と厳しい残暑から、突然手のひらを返したように冷え込み始め、木の葉が色づきつつある朝の通学路を、誠はのんびりと歩いていた。
「(こっちに来てから、もう一年と半年か……)」
高校生になると同時に、誠は親元を離れて一人暮らしを始めていた。
時が経つのも早いもので、一人暮らしを始めてから既に一年半が過ぎている。
一人暮らしを始めて当初は、晴れて自由の身だと狂喜したものだが、家事や炊事なども全て一人で行わなければならないことを煩わしく思いはしたものの、それもすぐに慣れたーー自由の身になったこと自体は喜ばしいし、自身もそれを強く望んでいたーー。
少しでも生活費や小遣いの稼ぎにでもと始めた短期のアルバイトもいくつかこなし、懐もそれなりに暖まっている。
学園では部活こそしていないものの、仲の良い友人も何人かいるし、普段の成績も問題ない水準をキープしていて、ーーほんの物足りなさを除けばーーそれなりに充足感のある日々を過ごしていた。
「おーい、誠ー!」
すると、背中から誠にとって聞き慣れた声が届いた。
誠は声に反応して振り向くと、自分と同じ翠乃愛学園の制服を着た男子ーークラスメイトにして親友の『岡崎渉』が駆け寄ってきていた。
「おはよう、渉」
「はよっす」
隣り合ってから、早速渉の方から話題を降ってくる。
「誠ってさ、この間短期のバイト終わったとこだろ?」
「うん。だから次はどうしようか探してるところだ」
渉の方も、誠が一人暮らしであることや、短期のアルバイトで様々な職場を渡り歩いていることは知っている。
「実はさ、俺の叔父さんがやってる喫茶店でバイトしてた奴が急にやめちまったみたいでさ。いきなり人手が無くなって困ってんだ」
すると渉は、ばつの悪そうに頭をかく。
「俺も手伝ってやりてぇけど、サッカー部があるから簡単に手伝いに行けねぇしってことで……」
「俺に頼みに来たってことか」
「そうそう。個人経営の喫茶店だし、給料も誠が普段やってる短期バイトほど高く無いから、誠にとっちゃあんま旨くねぇ頼みなんだけどな……次のバイトが入る目処が立つまでの間だけでいいからさ」
嫌なら断ってくれていい、と言いかけた渉だったが、
「いいよ」
誠は特に難を示すことなく頷いた。
「えっ、マジで!?てっきり断られるかと思ったわ」
「渉も困っているから、俺を頼って来てくれたんだろ?それに、喫茶店のバイトは初めてだから、ちょうどいい経験になると思うし」
「いやー、ありがとな!誠なら安心して任せられるって信じてたからな!」
これで一安心だぜ、と渉は安堵に息をつく。
「そんな安心されても困るんだけど……まぁ、やるからには真面目にやるよ」
「真面目にやってくれるなら叔父さんも喜ぶって。俺の方から推薦しておくから、早速今日の放課後に……」
すると、足を止めていた誠と渉のすぐ側を、一人の女子生徒が通り過ぎていった。
長く艶やかな黒髪に、端正な顔立ち、鍛えられて無駄の無いスラリとした身体付きは、朝の澄んだ空気と朝日もあって、思わず誰もが一目奪われる。
翠乃愛学園に通う生徒なら誰でも知っている、三年連続で全国制覇を果たした元女子テニス部のトップエース。
「今日も綺麗だよなぁ、速水先輩」
その靡く黒髪の後ろ姿を眺めながら、渉は恍惚の表情を浮かべる。
「なんつーか、孤高って言うか、我が道を往くって言うか、とにかくこう……寄せ付けないオーラかがすげぇ」
「オーラって。まぁ、言わんとすることは分かるよ」
誠も噂越しとは言え、彼女の学園内での評判は知っている。
曰く、孤高の天才美少女テニスプレーヤー。
また曰く、不攻不落の速水城塞。
前者は、全国優勝三連覇を果たした栄誉と言うのは想像に容易い。
しかし、後者のこれに問題があった。
速水凪紗と言う女子生徒は、控えめに言っても紛れもない美少女なのだが、"孤高"と言われるだけあって基本的に他人に興味を示さない……と言われるらしい。らしいと言うのはあくまでも、尾ひれの付いた噂に過ぎないからだが。
それは色恋沙汰にも当てはまり、これまでに何人もの男子生徒が彼女に言い寄ろうとしたのだが、まるでその辺の石ころを蹴るような素っ気なさを前に撃沈した者が死屍累々。
普通ならそこで「速水凪紗は恋愛に興味が無い」と結論付けられるところだが、そのあまりの無関心ぶりが逆に男子生徒達を焚き点けさせ、「誰が最初に速水凪紗を口説き落とせるか」と言う、一種の娯楽化するまでに至ってしまった。
そうしてこれまで以上の男子生徒達が、我こそはと名乗りを上げて凪紗を口説き落とそうとしてーーやはり路傍の石のごとく蹴られまくり、やがて付いた渾名が『不攻不落の速水城塞』である。
「しかし、不攻不落の速水城塞か……人の色恋沙汰をゲームにしているようなのに、あの人が靡くとも思えないけどな」
誠は溜め息混じりに呟いた。
そのような渾名もあるせいか、凪紗は孤高の人として認識されている節もある。
「つっても、俺らからすりゃー手の届かない高嶺の花だし、見てるだけで充分だわな」
かく言う渉も、凪紗とどうこうなりたいと言う願望などなく、文字通り高嶺の花として眺めているだけだ。
「違いない」
ーーこれから自分に待ち受けているものが何なのかを知る由もなく、誠は苦笑した。
生徒の自主性と多様性を重んじ尊ぶ校風が、様々な分野にて優秀な人材を輩出している高校として知られている。
その中でも、女子テニス部は特に注目されており、突出した才によって多大な結果をもたらした者がいた。
『速水凪紗』。
彗星のごとく高校女子テニス界に降臨し、全国優勝三連覇を果たしたが、三度頂点の座を戴いた後はいともあっさりとラケットを手放して引退した、伝説のテニスプレーヤー。
長く美しい黒髪を靡かせて舞う、見目麗しいテニスコートの戦乙女は、同性異性を問わず注目と羨望の的。
その美貌に言い寄ろうと考える男子生徒も後を絶たなかったが、多くを語らず行動と結果で示し、何者も寄せ付けぬ孤高の佇まいは、言葉無くとも不埒な輩を退ける。
そんな、周囲からは高嶺の花、あるいは女神のように崇め称えられる速水凪紗と、自分が関わることも無いだろう、と彼ーー『椥辻誠』は思っていた。
ーー今日、この時までは。
10月。
長々と厳しい残暑から、突然手のひらを返したように冷え込み始め、木の葉が色づきつつある朝の通学路を、誠はのんびりと歩いていた。
「(こっちに来てから、もう一年と半年か……)」
高校生になると同時に、誠は親元を離れて一人暮らしを始めていた。
時が経つのも早いもので、一人暮らしを始めてから既に一年半が過ぎている。
一人暮らしを始めて当初は、晴れて自由の身だと狂喜したものだが、家事や炊事なども全て一人で行わなければならないことを煩わしく思いはしたものの、それもすぐに慣れたーー自由の身になったこと自体は喜ばしいし、自身もそれを強く望んでいたーー。
少しでも生活費や小遣いの稼ぎにでもと始めた短期のアルバイトもいくつかこなし、懐もそれなりに暖まっている。
学園では部活こそしていないものの、仲の良い友人も何人かいるし、普段の成績も問題ない水準をキープしていて、ーーほんの物足りなさを除けばーーそれなりに充足感のある日々を過ごしていた。
「おーい、誠ー!」
すると、背中から誠にとって聞き慣れた声が届いた。
誠は声に反応して振り向くと、自分と同じ翠乃愛学園の制服を着た男子ーークラスメイトにして親友の『岡崎渉』が駆け寄ってきていた。
「おはよう、渉」
「はよっす」
隣り合ってから、早速渉の方から話題を降ってくる。
「誠ってさ、この間短期のバイト終わったとこだろ?」
「うん。だから次はどうしようか探してるところだ」
渉の方も、誠が一人暮らしであることや、短期のアルバイトで様々な職場を渡り歩いていることは知っている。
「実はさ、俺の叔父さんがやってる喫茶店でバイトしてた奴が急にやめちまったみたいでさ。いきなり人手が無くなって困ってんだ」
すると渉は、ばつの悪そうに頭をかく。
「俺も手伝ってやりてぇけど、サッカー部があるから簡単に手伝いに行けねぇしってことで……」
「俺に頼みに来たってことか」
「そうそう。個人経営の喫茶店だし、給料も誠が普段やってる短期バイトほど高く無いから、誠にとっちゃあんま旨くねぇ頼みなんだけどな……次のバイトが入る目処が立つまでの間だけでいいからさ」
嫌なら断ってくれていい、と言いかけた渉だったが、
「いいよ」
誠は特に難を示すことなく頷いた。
「えっ、マジで!?てっきり断られるかと思ったわ」
「渉も困っているから、俺を頼って来てくれたんだろ?それに、喫茶店のバイトは初めてだから、ちょうどいい経験になると思うし」
「いやー、ありがとな!誠なら安心して任せられるって信じてたからな!」
これで一安心だぜ、と渉は安堵に息をつく。
「そんな安心されても困るんだけど……まぁ、やるからには真面目にやるよ」
「真面目にやってくれるなら叔父さんも喜ぶって。俺の方から推薦しておくから、早速今日の放課後に……」
すると、足を止めていた誠と渉のすぐ側を、一人の女子生徒が通り過ぎていった。
長く艶やかな黒髪に、端正な顔立ち、鍛えられて無駄の無いスラリとした身体付きは、朝の澄んだ空気と朝日もあって、思わず誰もが一目奪われる。
翠乃愛学園に通う生徒なら誰でも知っている、三年連続で全国制覇を果たした元女子テニス部のトップエース。
「今日も綺麗だよなぁ、速水先輩」
その靡く黒髪の後ろ姿を眺めながら、渉は恍惚の表情を浮かべる。
「なんつーか、孤高って言うか、我が道を往くって言うか、とにかくこう……寄せ付けないオーラかがすげぇ」
「オーラって。まぁ、言わんとすることは分かるよ」
誠も噂越しとは言え、彼女の学園内での評判は知っている。
曰く、孤高の天才美少女テニスプレーヤー。
また曰く、不攻不落の速水城塞。
前者は、全国優勝三連覇を果たした栄誉と言うのは想像に容易い。
しかし、後者のこれに問題があった。
速水凪紗と言う女子生徒は、控えめに言っても紛れもない美少女なのだが、"孤高"と言われるだけあって基本的に他人に興味を示さない……と言われるらしい。らしいと言うのはあくまでも、尾ひれの付いた噂に過ぎないからだが。
それは色恋沙汰にも当てはまり、これまでに何人もの男子生徒が彼女に言い寄ろうとしたのだが、まるでその辺の石ころを蹴るような素っ気なさを前に撃沈した者が死屍累々。
普通ならそこで「速水凪紗は恋愛に興味が無い」と結論付けられるところだが、そのあまりの無関心ぶりが逆に男子生徒達を焚き点けさせ、「誰が最初に速水凪紗を口説き落とせるか」と言う、一種の娯楽化するまでに至ってしまった。
そうしてこれまで以上の男子生徒達が、我こそはと名乗りを上げて凪紗を口説き落とそうとしてーーやはり路傍の石のごとく蹴られまくり、やがて付いた渾名が『不攻不落の速水城塞』である。
「しかし、不攻不落の速水城塞か……人の色恋沙汰をゲームにしているようなのに、あの人が靡くとも思えないけどな」
誠は溜め息混じりに呟いた。
そのような渾名もあるせいか、凪紗は孤高の人として認識されている節もある。
「つっても、俺らからすりゃー手の届かない高嶺の花だし、見てるだけで充分だわな」
かく言う渉も、凪紗とどうこうなりたいと言う願望などなく、文字通り高嶺の花として眺めているだけだ。
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