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キミだけを
#4
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一体いつからそこに居たんだろう。
さっき来たばかりだとも思うし、もう一日中ここに居たような気もする。
頭が冴えない。
まるでまだ夢の中にいて、ぼうとその夢の中にいる自分を見ている気分だ。
身体を動かそうとしても、なぜだか動かなかった。
感覚が曖昧過ぎて、右手を動かそうとしても肩がピクリと動いたり
左手を動かそうとすると足が少しずれるだけに終わった。
「…な…に、これ…」
どうやら辛うじて声だけは出るみたいだ。
記憶も少しづつではあるけど思い出してきた。
確か俺は、真野と琥珀から呼び出されて、そして琥珀の部屋に来た。
そこでソファーに座って…
座って…?
それからどうしたんだっけ。
えーと…ああ、そうだ。
琥珀がお茶を持ってくるって言ってたから俺はそれを待ってて…。
待ってたんだよな?
あれ?
おかしいな
だって琥珀がお茶を持ってきた記憶がない。
そこからの記憶が飛んでいるみたいだ。
「あ…れ…」
ここは琥珀の部屋なのか?
俺は何をしにここに来たんだっけ?
ああダメだ。考えるのが辛い。
何かを考えようとしても上手く纏まらないから考えること事態が億劫になってくる。
「こ…はく…?」
取り敢えず、現状この状況が何なのか知りたい。
誰か居ないかと思い、俺は幼馴染の名前を呟いた。
「…樹、起きた?」
まさか返事が返ってくるとは思っていなかった。
と言う事は、ここは琥珀の部屋で間違いないのだろう。
やっぱり俺は呼び出されて琥珀の部屋にきて、そこから…。
「頭痛い?」
「う、ううん…いたく、ない…けど、上手く…うごか…」
「ああ、身体か。少し効き過ぎたみたいだ。ごめんな?」
何が?と言おうとしたが琥珀の手が俺の頭を優しく撫でてることに気付き、声が出せなくなった。
「まさか、ここまで効くなんて俺も誤算だった。けど、良かった。こうして樹をベッドまで運べたし、それに…これも」
そう意味の分からない事を言っている琥珀が俺の頭から手を放し、上の方で何やらジャラっとした金属音が響いた。
「鎖。樹を楽に繋ぐことができた」
ヒュッと喉の奥が鳴った。
琥珀が俺の首元に指を立ててコツコツと音を鳴らす。
どうやら俺は金属製の首輪を付けられているようで、それが鎖へと繋がれているみたいだった。
それがどこに繋がっているのかまだ身体が言う事を聞かないので分からないが、
到底自由に動けるような感じではない事だけは確かだろう。
「樹、あのアロマを間近で吸い込んだだろ?あれ、鼻から吸引するタイプの麻酔みたいなもので、すぐに意識が無くなるんだ。
医者の息子ってさ、案外悪くないよ。色んなものが手に入るから」
「…な…で…?真野、は…?」
「ああ、あの子か。そうだなぁ、あの子は今頃、俺以外のαと仲良くやってるんじゃない?」
琥珀がおかしそうにコテンと首を傾けた。
「は…?」
琥珀以外のα?
何で?だって真野の運命の番は琥珀のはずだろ?
だって、恋人同士になったって言ってた。
「運命の番なんて俺には必要ないから。だから他のαにあの子をあげてきたんだ」
琥珀が何を言っているのか分からない。理解しようとしても感情が追いつかない。
「だ、て…え?連絡…」
「メッセージのこと?これ?」
琥珀が俺の目の前に差し出してきたのは、俺とやり取りしていたログが残っている真野の携帯だった。
「なんで、それ、おま…えが」
「だってあの子には要らないだろ?樹の連絡先なんて知る必要がない」
だから取り上げたのか?
じゃあ、さっきまで連絡していた相手は誰だ?
琥珀と恋人になれたって凄い喜んでいたのに。俺に連絡してきた相手は…。
「今日、樹に連絡したのは全部俺だよ。樹をここに呼び出すために、あの子の携帯を借りたんだ。勿論、この後樹の連絡先だけ消去して返すつもりだから安心して」
真顔で、一体何を言ってるんだコイツは?
なぜそこまでする必要がある?
俺を呼び出すため、ただそれだけの為に、真野の携帯を盗んだのか?
「…勘違いしないで樹。この携帯はあの子の許可を得て借りてきてるから」
「こい…びとどうしじゃ…」
「は?んなわけねーじゃん」
「他のαって…なに?どういう、こと?」
「ああ…言ったら樹怒りそう」
そりゃそうだろ。多分何を聞いても俺は怒ると思う。
だってこんな状況だ。
琥珀が真野に対して他のαを当てがったなんて、とてもじゃないけどいい話ではないだろう。
真野が心底琥珀に惚れていることは俺が一番よく知っているんだから。
「樹が、俺に会わなくなってきた時からあの子が樹に何かしたんじゃないかって勘繰ってた」
なので今までは極力接触を避けていた真野に近づいたと琥珀は話し始めた。
『ねぇ、正直に話して。樹に何した?』
微かにだけど、でも確かに香る甘い匂い。
Ωが発するαを誘う匂いだ。
しかも俺に対しては強烈で、その香りが一気に教室中に広がったような気もする。
『吾妻屋先輩…どうしたんですか?急にそんなこと…』
自身の教室に呼び出していたのは紛れもなく俺の運命の相手だ。
一目見た時から分かっていた。
ああ、彼が俺の運命なのかと。
絶望しかなかった。
運命の番なんか要らない。
俺には樹が居ればいい。
どうしてそう余計な事をしてくれるのかと俺は俺自身の運命すら呪ったほどだ。
『最近は、俺から君に話しかけて勘違いしてるかもしれないから言っておくけど
俺は君を運命だとは思ってない。俺の運命は樹だけだから。…それが分かったからこそ樹にちょっかいかけたんだろ?』
『ちょっかいだなんてそんな事…』
『ああ…ほらやっぱり、樹に会ったんだ』
『っ…』
しまったという顔をした真野に俺は軽蔑のまなざしを向けた。
『どうして?なんでそんな余計な事を?』
『余計な事って…だって、先輩は僕の運命の相手じゃないですかっ!
僕と先輩は番なんですよ?そうなる事が、自然で…運命の番は求め合うことが本来のあるべき姿なのに…』
本来のあるべき姿?
何それ
ああ、反吐が出そう。
『君は、俺が樹を好きな気持ちが嘘偽りのまがい物だとでも言いたいの?』
『そ、それは…でも…』
『言っておくけど、俺は君が運命の番だろうと、君を好きになるつもりも、今後好きになる事もない』
『でも…先輩だって感じたはずです。僕を見た瞬間、あの瞬間、疑いようもなく僕たちは惹かれ合いました。
本当は先輩だって僕の事が欲しいはずです』
『は、ははっなにそれ?凄い自信だね。…ああでもそうか、うん。そうだね。俺たちは確かに惹かれ合ったかもしれない。
でもさ、それって肉欲的で、とても綺麗な代物ではなかったよね?』
『それは!僕たちが運命だからこそ、子孫を残そうとする本能だとっ』
『そうだね。俺も男だから、性のはけ口くらいは欲しいけど。その相手が君だっていうなら納得もするよ。
俺は今まで樹を大事にし過ぎて手は出してこれなかったから。その代わり、マーキングはしたけどね。俺以外の男も女も近づけないように』
樹に会う度に、近寄って、触れて、嗅いで、舐めて、そして俺の痕を付ける。
樹も気づいていたのにその行為を止めようとはしなかった。
それは俺に運命の番がいるから、βの自分からはその内離れていくだろうと高を括っていたからだろう。
そんなこと、あるわけないのに。
『そのようですね。新島さんを見た瞬間、まるで亡霊のように先輩の匂いがこびり付いてましたから』
『俺と運命の番の君には刺激が強すぎたかな?本来、俺は君のαだ。そのαが他の、しかもβに対して匂いを付けている。
本来は君が付けるべき匂いだったのにね。』
『…確かに、嫉妬しましたよ。僕が運命の相手なのにって…。でも新島さんの人柄に触れて、先輩がどうしてこの人に固執するか少しわかった気もしたんです。
でも、でもだからと言って僕はあなたを彼に譲る事は出来ません。先輩の番は僕です!』
『そう…だったら俺をここでレイプする?俺の精子が欲しいんでしょ?身体だけならいつでも君は手に入れられるでしょ?そのΩのフェロモンで俺を狂わせることができる。
でも覚えておいてね?心までは偽れない。俺が好きなのは君じゃない。たとえ運命の番だろうと、俺の心までは侵せない。君の項を噛むことは絶対にしないよ』
『そんな…酷い』
『酷い?どっちが?俺は樹が好き。それは君も理解してる。なのに運命と言うだけで俺は君を好きにならないといけない。
それが自然の摂理だと、それが本来の姿だと。ねぇ、そんな理不尽があっていいと思う?俺の意思は?俺の感情は?それを見ないふりして君を好きになれって言う方が酷いと思わない?』
αだからΩと結ばれないといけないなんて
ふざけるのも大概にしてほしい。
人が人を好きになる事をなぜ誰かが決めたルールや制限や制約で決められなければいけないのか。
それだったら、一昔前の時代、男は女と結ばれないとおかしいと
子孫を残すことが自然なのだと、同性同士が恋愛をするのはご法度なのだと、お前は間違っているのだと
そう言う事と今のこのαとΩの制約とで一体何が違うと言うのだろうか?
どうして性別で相手を決められないといけない?
『ねぇ、そんなにαが欲しいなら、俺じゃなくてもいいよね?』
『はい?…それは、どういう意味ですか?』
『確かに俺は君の運命の相手だけど、俺は君を幸せにはできないし、俺も君と結ばれても幸せにはなれない。だったら運命の相手なんて最初からいなかった事にしてしまえばいい』
『先輩…?』
『ねぇΩってさ、αのフェロモンを直に受けると発情するんでしょ?』
『先輩、…何を考えて…』
『特に俺は運命の相手だ。その相手からのフェロモンを受けたΩってどうなるのかな?』
『や、やめてください。ここ、学校ですよ?それもαとΩしかいない…』
『だからこそ、やる意味があるよね?今は下校時間だから残ってる生徒も少ないだろうけど、Ωがここでヒートを起こしたら…ねぇ?どうなると思う?』
そこまで聞いた俺は「もう…やめろっ」と声を張り上げた。
「続き聞かないの?真野がどうなったのか知りたくない?ああでも俺も最後までは知らないよ。ヒート起こしたあの子は教室に置いてきたから。
他のαが発見するか、またはΩに助けてもらえるかってところだとは思うけどね。流石に俺もヒート起こしたΩの近くに居るのは辛かったけど、でも俺は樹以外は抱きたくないから。我慢できたよ」
まるで目の前にいる相手が今まで仲良くやってきていた幼馴染だと思えない。
琥珀が仕出かした事は軽く犯罪なんじゃないのか?
下手したら真野は他のαからレイプされるかもしれないのに。
それを放置してきたって?
人がやるべきことじゃないだろ!
「だって…真野は、本気でお前のこと…」
やっと舌が回り出してきて声に感情がこもる様になってきた。
「相手が俺を好きだからってそれが何になる?」
琥珀がすっと俺の頬をその手で撫でる。
「相手から想われたら、その好意を受け止めなきゃいけない?俺がαだから?相手が運命の番だから?…馬鹿馬鹿しい。
そんな事で俺の気持ちを変えられるわけがない。
なあ、言っただろ?俺は樹以外の運命は要らないって。樹だけが俺の運命なんだって。
それはずっと変わらない。今までもこれからも。この先もずっと俺は樹だけを愛してる」
愛?
愛だって?
「違う、だろ。お前のそれは、それは愛とかそんなんじゃ…」
「素直に愛してるって言っても伝わらないんだ?…いや、違うな。樹はもうとっくに俺の思いに気付いてた。
だから俺を避けたんだろ?」
「俺は…友情だって、琥珀はそこを勘違いしてるから…だから少し離れようと思っただけだ」
「嘘。樹がそう思い込みたかっただけ。俺から触れても酷く拒まなかったのは、拒んだら俺の愛を受け止める事になるから、
気付いたと思わせないようにするために友情が行き過ぎた過剰なスキンシップだと思い込みたかっただけだろ?」
「…」
「でも俺はそれでも良かった。あの行為には樹をΩに誘導変異させようと思ってやってたから」
真野が言っていた事は正解だった。
琥珀は俺をΩに変えようとしていた。本人から直でそう言われるとは思ってなかったけど。
「樹は知らないだろうから今言うけど、過剰なスキンシップのずっとずっと前から俺は樹を誘導変異させようとしてた。
中学の時くらいからずっと、ね。」
「…んで…そこまで」
「好きだから」
「…」
どうしても手に入れたい相手だったから、もうそうするしか方法はないと思ったと琥珀は呟いた。
「でも樹はとうとうΩに変化することはなかった。俺がどれだけお前にフェロモンを付けてもお前は変わらないまま。正直、Ωのヒートに充てられるより気が狂いそうだったよ。
日増しに俺の匂いが強くなっていく樹と会って普通の顔して接しないといけない。とんでもない苦痛だったよ。
どうして俺の匂いをさせてるのに、俺のモノになってくれないんだろうって。なんでまだ俺のモノじゃないんだろうって。
ずっと、ずっと考えてた。どうしたら樹が手に入るのか」
そんな時に、琥珀の前に運命の番が現れたという。
「呪ったよ。神様でもなんでも、俺の運命ってやつ全部を。何で違う奴なんだって。どうして樹じゃない相手を選ばせるんだって」
「…それが、運命なら抗うなよ。αの人生棒に振る気かよ」
「望んでαになったわけじゃない。本気で好きな相手と結ばれないこんな身体なんかあっても意味がない」
「αは貴重だ。琥珀はそれに選ばれた。だから…」
「だからΩと番になれって?自分の心を偽ってまで?」
「…」
「樹以外の相手を選ばなきゃいけないようなら死ぬ方がマシだ」
そこで俺は漸く、少し状況がおかしい事に気が付いた。
「ちょっと待て…お前さっきなんて言った?…誘導変異を、中学の時からやってたって…?」
俺が琥珀の顔を見上げた時、琥珀はそれは見たこともないような顔で微笑んで見せた。
「やっと気が付いた?相変わらず、察するのが遅いよ樹は」
コイツは何を言っている?
だって中学の時はもう、バース検査は終わっていた。
それで琥珀はβだと診断されていたはずだ。
なのに琥珀はまるでその時から自分はαだと分かっていたような口調だ。
「10歳の時のバース検査、あれ本当はさ、俺はαだと診断が出てたんだ」
「何で…バース検査を偽る事なんて…」
「さっきも言っただろ?俺は医者の息子だからって。…いつでも虚偽の診断書を提出できた」
バース検査は行政から要請された地域の大きい病院が主体となって行っていた。
当時、俺らが住むこの区域一体の検査は琥珀の父親が経営している病院だったという。
「診断書とデータを病院から盗み出したんだ。俺がβだったらそのまま提出、αだったらβに内容をすり替えようって思ってた。
ああでも、Ωの可能性は考えてなかったかな」
当時10歳の子供が考える内容ではない。
確かに当時から琥珀は大人びていたし、頭の切れる少年だった事は確かだ。
だからこそ、俺も琥珀はαだと思っていたところもある。
「盗んだデータを見たら俺はαだった。樹はβ。俺がそのデータを見て、どれほど絶望したか樹には分からないだろうな」
「分かるかよ…なんでβなんて…」
「だってそうしないと樹と離れることになるだろ?樹はβだからαである俺とは絶対に結ばれない。それが分かったから俺は内容をβに改竄した。
常に樹の傍に居て、樹が他のβと結ばれるようなことがないようにした。もしそんな事があったら俺は、その相手を殺してしまうかもしれないと思ったから」
行き過ぎた友情。
ずっとそう思い込みたかった。
でもそう思い込むことで、琥珀の感情を益々増長させたのかもしれない。
俺は初めてゾクリと身体が震えた。
これは純粋な恐怖だ。
琥珀がαだとやっと理解した俺が感じた恐怖。
「お前、おかしいよ…」
「そうだよ。樹の事となると俺はおかしくなる。だからずっとおかしいままなんだ。樹と初めて会った時から俺は樹の為だけに俺を演じてきた。
樹は俺を好きになる事はないって分かってたけど、樹の傍から離れないならそれでいいと思ってた。あの時までは…」
二度目のバース検査。
余りに突発で、琥珀が初めて後手に回ったのだ。
「俺は遂に、αだとバレた。そして樹と離された。…しかも、誰の陰謀か…おあつらえ向きに運命の番まで現れた。
まるでここまでが神のシナリオだとでも言う様に…」
確かに、ここまで来ると運命の導きとしか思えない偶然が重なっている。
「でもそれは、それこそが、αとΩの運命なんじゃないのかよ。お前はそれに逆らった。俺なんかにすっ転びやがって…」
「転んだ?違う。俺は樹を選んだだけだ。俺に運命が居ようがいまいが関係ない。俺には樹がいる。
運命に逆らう事になるならそれでもいい。天罰が下ろうと構わない。でも、樹だけは手放す気はないよ」
グイっと鎖を引っ張られ、首がガクンと揺れた。
上半身が宙に浮き、琥珀の顔が目の前に現れた。
「樹がβだろうと、俺がαだろうと関係ない。俺は俺自身でお前を愛してる」
そう言って、琥珀は強引にまた鎖を引っ張り、俺に口づけてきた。
「んっ…んん」
口と口とを合わせただけのキスから、チュッとリップ音を鳴らし、角度を変えてまた口づけてくる。
琥珀の眼鏡が顔に当たる。
「う…んっ」
抵抗しようにもまだ身体の自由が効かない。
初めてのキスが、男で、しかも幼馴染だ。
ずっと友人だと思ってた。最近ではそう思い込もうとしていた。
でもその相手が、そう思わせないように徹底的に俺の感情を潰してくる。
どうすればいい
どうすれば元に戻れる?
話せたから、口は自由に動く。これだけ動けば少しは…。
ガリっと音をさせ、俺は琥珀の唇を強めに噛んだ。
「イッ…た…」
すぐさま唇を離した琥珀は切れた唇から赤い液体を滲ませていた。
「ふざけんなよ琥珀、俺はお前のもんになるつもりはない。お前がどれだけ俺を愛そうとも俺がお前を好きになる事はない。
変な気を起こして俺に触れてみろ、今みたいに噛み千切ってやる」
「…ふっ…ハハ!」
「何がおかしい?」
「最高だよ樹。樹から俺に痕を残してくれるんだ?だったらさ、どうせならもっと消えない痕を、俺に付けてよ」
にやりと笑んだ琥珀は赤く滲んだ唇をその舌でぺろりと舐め上げた。
それはまるで味わうかのようにゆっくりとした動作が俺の目には焼き付いた。
その後はもうなし崩しだった。
また強引に口づけてきた琥珀に俺はまた噛もうと口を開けた瞬間に舌を捻じ込まれた。
クチュクチュと音をさせて俺の咥内を舐め上げ舌を吸い、俺の唾液をこれでもかと飲んで、また更に舌を奥へと進めてくる。
琥珀の舌を噛んでも嬉しがり、俺の咥内にもじんわりと血の味が広がった時にもう噛むことはやめた。
どう抵抗しても嬉しがるのであれば抵抗せず、無関心を決め込んだ方が少しは琥珀にダメージがいくかと思ったからだ。
「大人しいね樹。もうキスに慣れた?ああそれとも、俺に抵抗するのは逆効果だって思って抵抗辞めた?
俺はさ、どっちでもいいんだ。相手が樹なら何だっていい。どんな反応だって嬉しいんだよ」
俺が一番堪えるのは樹に会えない事だと付け加え
そして遂に俺は琥珀にベッドへと押し倒された。
「やめろ」
「やめない」
「嫌いになる」
「いいよ」
「縁切るぞ」
「…それは嫌かな。でも、やめない。今ここで、樹を俺のモノにする」
「セックスしても、俺はお前のモノにならない。俺はΩじゃない」
「樹と子供作りたいなんて思ってない。そりゃ既成事実が作れれば、今後樹を俺に縛り付けておくことは簡単だけど
俺はそれ以上に樹がただ欲しいだけ。いつまで耐えたと思う?いつまで待ったと思う?いつからこの日を望んでいたと思う?
もう限界なんだよ。今すぐ欲しい。もう待つのも耐えるのも友人だと思われるのも嫌なんだ」
そう言いながら琥珀は俺に付けた首輪へと触れた。
「項を噛むくらいで樹が手に入るなら何度だって、何百回だって噛んでやる。でも樹はそうじゃない。樹に運命の番はいない。
だからこそ俺は嬉しいし、悲しい。俺は樹の運命の相手にはなれないけど、でもその代わり樹には俺以外の運命の相手はいないってことになる。
だったら俺はそこに付け入るよ。俺が樹の運命の相手になる。たとえそれが神に背いた行為だとしても。」
俺の首輪に口づけを落として、そして鎖骨を噛んで、徐々に琥珀の手が俺を侵食していく感覚。
丁寧に、強引に、緩急をつけて愛撫をされる。
これは本来、真野が受け入れるべき愛撫だった。
真野が受け入れるべき手だった。
真野が受け取るべき、精液だった。
「っごめん…」
「…樹?痛いの?泣いてる」
舌で俺の涙を掬って、そしてまた琥珀は俺に腰を打ち付ける。
不毛な行為。
何も生まない。
痛いよ
身体より心が痛すぎる
何で俺を選んだ
どうして運命の相手が居るのに俺を選ぶ
俺は真野にどう償えばいい
運命の番を攫ったβとして一生後悔を背負わされる
唯一救いなのは俺に子供が出来ないことだ
真野、ごめん
俺がお前の運命を変えてしまったのかもしれない
俺が琥珀にさえ出会っていなければ真野は幸せになれた
「ごめん、ごめっ…!」
「樹、誰を想って泣いてる?」
鎖がジャラリと音を立てた。
目の前が涙で滲んで見えない。
「俺を見て」
「樹、俺を見て」
「…見ろよ!」
見てるよ。
でも見えないんだ。
もう、何も見えなくなってしまったんだ。
何もかも、全部、俺の視界から消えてしまった。
さっき来たばかりだとも思うし、もう一日中ここに居たような気もする。
頭が冴えない。
まるでまだ夢の中にいて、ぼうとその夢の中にいる自分を見ている気分だ。
身体を動かそうとしても、なぜだか動かなかった。
感覚が曖昧過ぎて、右手を動かそうとしても肩がピクリと動いたり
左手を動かそうとすると足が少しずれるだけに終わった。
「…な…に、これ…」
どうやら辛うじて声だけは出るみたいだ。
記憶も少しづつではあるけど思い出してきた。
確か俺は、真野と琥珀から呼び出されて、そして琥珀の部屋に来た。
そこでソファーに座って…
座って…?
それからどうしたんだっけ。
えーと…ああ、そうだ。
琥珀がお茶を持ってくるって言ってたから俺はそれを待ってて…。
待ってたんだよな?
あれ?
おかしいな
だって琥珀がお茶を持ってきた記憶がない。
そこからの記憶が飛んでいるみたいだ。
「あ…れ…」
ここは琥珀の部屋なのか?
俺は何をしにここに来たんだっけ?
ああダメだ。考えるのが辛い。
何かを考えようとしても上手く纏まらないから考えること事態が億劫になってくる。
「こ…はく…?」
取り敢えず、現状この状況が何なのか知りたい。
誰か居ないかと思い、俺は幼馴染の名前を呟いた。
「…樹、起きた?」
まさか返事が返ってくるとは思っていなかった。
と言う事は、ここは琥珀の部屋で間違いないのだろう。
やっぱり俺は呼び出されて琥珀の部屋にきて、そこから…。
「頭痛い?」
「う、ううん…いたく、ない…けど、上手く…うごか…」
「ああ、身体か。少し効き過ぎたみたいだ。ごめんな?」
何が?と言おうとしたが琥珀の手が俺の頭を優しく撫でてることに気付き、声が出せなくなった。
「まさか、ここまで効くなんて俺も誤算だった。けど、良かった。こうして樹をベッドまで運べたし、それに…これも」
そう意味の分からない事を言っている琥珀が俺の頭から手を放し、上の方で何やらジャラっとした金属音が響いた。
「鎖。樹を楽に繋ぐことができた」
ヒュッと喉の奥が鳴った。
琥珀が俺の首元に指を立ててコツコツと音を鳴らす。
どうやら俺は金属製の首輪を付けられているようで、それが鎖へと繋がれているみたいだった。
それがどこに繋がっているのかまだ身体が言う事を聞かないので分からないが、
到底自由に動けるような感じではない事だけは確かだろう。
「樹、あのアロマを間近で吸い込んだだろ?あれ、鼻から吸引するタイプの麻酔みたいなもので、すぐに意識が無くなるんだ。
医者の息子ってさ、案外悪くないよ。色んなものが手に入るから」
「…な…で…?真野、は…?」
「ああ、あの子か。そうだなぁ、あの子は今頃、俺以外のαと仲良くやってるんじゃない?」
琥珀がおかしそうにコテンと首を傾けた。
「は…?」
琥珀以外のα?
何で?だって真野の運命の番は琥珀のはずだろ?
だって、恋人同士になったって言ってた。
「運命の番なんて俺には必要ないから。だから他のαにあの子をあげてきたんだ」
琥珀が何を言っているのか分からない。理解しようとしても感情が追いつかない。
「だ、て…え?連絡…」
「メッセージのこと?これ?」
琥珀が俺の目の前に差し出してきたのは、俺とやり取りしていたログが残っている真野の携帯だった。
「なんで、それ、おま…えが」
「だってあの子には要らないだろ?樹の連絡先なんて知る必要がない」
だから取り上げたのか?
じゃあ、さっきまで連絡していた相手は誰だ?
琥珀と恋人になれたって凄い喜んでいたのに。俺に連絡してきた相手は…。
「今日、樹に連絡したのは全部俺だよ。樹をここに呼び出すために、あの子の携帯を借りたんだ。勿論、この後樹の連絡先だけ消去して返すつもりだから安心して」
真顔で、一体何を言ってるんだコイツは?
なぜそこまでする必要がある?
俺を呼び出すため、ただそれだけの為に、真野の携帯を盗んだのか?
「…勘違いしないで樹。この携帯はあの子の許可を得て借りてきてるから」
「こい…びとどうしじゃ…」
「は?んなわけねーじゃん」
「他のαって…なに?どういう、こと?」
「ああ…言ったら樹怒りそう」
そりゃそうだろ。多分何を聞いても俺は怒ると思う。
だってこんな状況だ。
琥珀が真野に対して他のαを当てがったなんて、とてもじゃないけどいい話ではないだろう。
真野が心底琥珀に惚れていることは俺が一番よく知っているんだから。
「樹が、俺に会わなくなってきた時からあの子が樹に何かしたんじゃないかって勘繰ってた」
なので今までは極力接触を避けていた真野に近づいたと琥珀は話し始めた。
『ねぇ、正直に話して。樹に何した?』
微かにだけど、でも確かに香る甘い匂い。
Ωが発するαを誘う匂いだ。
しかも俺に対しては強烈で、その香りが一気に教室中に広がったような気もする。
『吾妻屋先輩…どうしたんですか?急にそんなこと…』
自身の教室に呼び出していたのは紛れもなく俺の運命の相手だ。
一目見た時から分かっていた。
ああ、彼が俺の運命なのかと。
絶望しかなかった。
運命の番なんか要らない。
俺には樹が居ればいい。
どうしてそう余計な事をしてくれるのかと俺は俺自身の運命すら呪ったほどだ。
『最近は、俺から君に話しかけて勘違いしてるかもしれないから言っておくけど
俺は君を運命だとは思ってない。俺の運命は樹だけだから。…それが分かったからこそ樹にちょっかいかけたんだろ?』
『ちょっかいだなんてそんな事…』
『ああ…ほらやっぱり、樹に会ったんだ』
『っ…』
しまったという顔をした真野に俺は軽蔑のまなざしを向けた。
『どうして?なんでそんな余計な事を?』
『余計な事って…だって、先輩は僕の運命の相手じゃないですかっ!
僕と先輩は番なんですよ?そうなる事が、自然で…運命の番は求め合うことが本来のあるべき姿なのに…』
本来のあるべき姿?
何それ
ああ、反吐が出そう。
『君は、俺が樹を好きな気持ちが嘘偽りのまがい物だとでも言いたいの?』
『そ、それは…でも…』
『言っておくけど、俺は君が運命の番だろうと、君を好きになるつもりも、今後好きになる事もない』
『でも…先輩だって感じたはずです。僕を見た瞬間、あの瞬間、疑いようもなく僕たちは惹かれ合いました。
本当は先輩だって僕の事が欲しいはずです』
『は、ははっなにそれ?凄い自信だね。…ああでもそうか、うん。そうだね。俺たちは確かに惹かれ合ったかもしれない。
でもさ、それって肉欲的で、とても綺麗な代物ではなかったよね?』
『それは!僕たちが運命だからこそ、子孫を残そうとする本能だとっ』
『そうだね。俺も男だから、性のはけ口くらいは欲しいけど。その相手が君だっていうなら納得もするよ。
俺は今まで樹を大事にし過ぎて手は出してこれなかったから。その代わり、マーキングはしたけどね。俺以外の男も女も近づけないように』
樹に会う度に、近寄って、触れて、嗅いで、舐めて、そして俺の痕を付ける。
樹も気づいていたのにその行為を止めようとはしなかった。
それは俺に運命の番がいるから、βの自分からはその内離れていくだろうと高を括っていたからだろう。
そんなこと、あるわけないのに。
『そのようですね。新島さんを見た瞬間、まるで亡霊のように先輩の匂いがこびり付いてましたから』
『俺と運命の番の君には刺激が強すぎたかな?本来、俺は君のαだ。そのαが他の、しかもβに対して匂いを付けている。
本来は君が付けるべき匂いだったのにね。』
『…確かに、嫉妬しましたよ。僕が運命の相手なのにって…。でも新島さんの人柄に触れて、先輩がどうしてこの人に固執するか少しわかった気もしたんです。
でも、でもだからと言って僕はあなたを彼に譲る事は出来ません。先輩の番は僕です!』
『そう…だったら俺をここでレイプする?俺の精子が欲しいんでしょ?身体だけならいつでも君は手に入れられるでしょ?そのΩのフェロモンで俺を狂わせることができる。
でも覚えておいてね?心までは偽れない。俺が好きなのは君じゃない。たとえ運命の番だろうと、俺の心までは侵せない。君の項を噛むことは絶対にしないよ』
『そんな…酷い』
『酷い?どっちが?俺は樹が好き。それは君も理解してる。なのに運命と言うだけで俺は君を好きにならないといけない。
それが自然の摂理だと、それが本来の姿だと。ねぇ、そんな理不尽があっていいと思う?俺の意思は?俺の感情は?それを見ないふりして君を好きになれって言う方が酷いと思わない?』
αだからΩと結ばれないといけないなんて
ふざけるのも大概にしてほしい。
人が人を好きになる事をなぜ誰かが決めたルールや制限や制約で決められなければいけないのか。
それだったら、一昔前の時代、男は女と結ばれないとおかしいと
子孫を残すことが自然なのだと、同性同士が恋愛をするのはご法度なのだと、お前は間違っているのだと
そう言う事と今のこのαとΩの制約とで一体何が違うと言うのだろうか?
どうして性別で相手を決められないといけない?
『ねぇ、そんなにαが欲しいなら、俺じゃなくてもいいよね?』
『はい?…それは、どういう意味ですか?』
『確かに俺は君の運命の相手だけど、俺は君を幸せにはできないし、俺も君と結ばれても幸せにはなれない。だったら運命の相手なんて最初からいなかった事にしてしまえばいい』
『先輩…?』
『ねぇΩってさ、αのフェロモンを直に受けると発情するんでしょ?』
『先輩、…何を考えて…』
『特に俺は運命の相手だ。その相手からのフェロモンを受けたΩってどうなるのかな?』
『や、やめてください。ここ、学校ですよ?それもαとΩしかいない…』
『だからこそ、やる意味があるよね?今は下校時間だから残ってる生徒も少ないだろうけど、Ωがここでヒートを起こしたら…ねぇ?どうなると思う?』
そこまで聞いた俺は「もう…やめろっ」と声を張り上げた。
「続き聞かないの?真野がどうなったのか知りたくない?ああでも俺も最後までは知らないよ。ヒート起こしたあの子は教室に置いてきたから。
他のαが発見するか、またはΩに助けてもらえるかってところだとは思うけどね。流石に俺もヒート起こしたΩの近くに居るのは辛かったけど、でも俺は樹以外は抱きたくないから。我慢できたよ」
まるで目の前にいる相手が今まで仲良くやってきていた幼馴染だと思えない。
琥珀が仕出かした事は軽く犯罪なんじゃないのか?
下手したら真野は他のαからレイプされるかもしれないのに。
それを放置してきたって?
人がやるべきことじゃないだろ!
「だって…真野は、本気でお前のこと…」
やっと舌が回り出してきて声に感情がこもる様になってきた。
「相手が俺を好きだからってそれが何になる?」
琥珀がすっと俺の頬をその手で撫でる。
「相手から想われたら、その好意を受け止めなきゃいけない?俺がαだから?相手が運命の番だから?…馬鹿馬鹿しい。
そんな事で俺の気持ちを変えられるわけがない。
なあ、言っただろ?俺は樹以外の運命は要らないって。樹だけが俺の運命なんだって。
それはずっと変わらない。今までもこれからも。この先もずっと俺は樹だけを愛してる」
愛?
愛だって?
「違う、だろ。お前のそれは、それは愛とかそんなんじゃ…」
「素直に愛してるって言っても伝わらないんだ?…いや、違うな。樹はもうとっくに俺の思いに気付いてた。
だから俺を避けたんだろ?」
「俺は…友情だって、琥珀はそこを勘違いしてるから…だから少し離れようと思っただけだ」
「嘘。樹がそう思い込みたかっただけ。俺から触れても酷く拒まなかったのは、拒んだら俺の愛を受け止める事になるから、
気付いたと思わせないようにするために友情が行き過ぎた過剰なスキンシップだと思い込みたかっただけだろ?」
「…」
「でも俺はそれでも良かった。あの行為には樹をΩに誘導変異させようと思ってやってたから」
真野が言っていた事は正解だった。
琥珀は俺をΩに変えようとしていた。本人から直でそう言われるとは思ってなかったけど。
「樹は知らないだろうから今言うけど、過剰なスキンシップのずっとずっと前から俺は樹を誘導変異させようとしてた。
中学の時くらいからずっと、ね。」
「…んで…そこまで」
「好きだから」
「…」
どうしても手に入れたい相手だったから、もうそうするしか方法はないと思ったと琥珀は呟いた。
「でも樹はとうとうΩに変化することはなかった。俺がどれだけお前にフェロモンを付けてもお前は変わらないまま。正直、Ωのヒートに充てられるより気が狂いそうだったよ。
日増しに俺の匂いが強くなっていく樹と会って普通の顔して接しないといけない。とんでもない苦痛だったよ。
どうして俺の匂いをさせてるのに、俺のモノになってくれないんだろうって。なんでまだ俺のモノじゃないんだろうって。
ずっと、ずっと考えてた。どうしたら樹が手に入るのか」
そんな時に、琥珀の前に運命の番が現れたという。
「呪ったよ。神様でもなんでも、俺の運命ってやつ全部を。何で違う奴なんだって。どうして樹じゃない相手を選ばせるんだって」
「…それが、運命なら抗うなよ。αの人生棒に振る気かよ」
「望んでαになったわけじゃない。本気で好きな相手と結ばれないこんな身体なんかあっても意味がない」
「αは貴重だ。琥珀はそれに選ばれた。だから…」
「だからΩと番になれって?自分の心を偽ってまで?」
「…」
「樹以外の相手を選ばなきゃいけないようなら死ぬ方がマシだ」
そこで俺は漸く、少し状況がおかしい事に気が付いた。
「ちょっと待て…お前さっきなんて言った?…誘導変異を、中学の時からやってたって…?」
俺が琥珀の顔を見上げた時、琥珀はそれは見たこともないような顔で微笑んで見せた。
「やっと気が付いた?相変わらず、察するのが遅いよ樹は」
コイツは何を言っている?
だって中学の時はもう、バース検査は終わっていた。
それで琥珀はβだと診断されていたはずだ。
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「10歳の時のバース検査、あれ本当はさ、俺はαだと診断が出てたんだ」
「何で…バース検査を偽る事なんて…」
「さっきも言っただろ?俺は医者の息子だからって。…いつでも虚偽の診断書を提出できた」
バース検査は行政から要請された地域の大きい病院が主体となって行っていた。
当時、俺らが住むこの区域一体の検査は琥珀の父親が経営している病院だったという。
「診断書とデータを病院から盗み出したんだ。俺がβだったらそのまま提出、αだったらβに内容をすり替えようって思ってた。
ああでも、Ωの可能性は考えてなかったかな」
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確かに当時から琥珀は大人びていたし、頭の切れる少年だった事は確かだ。
だからこそ、俺も琥珀はαだと思っていたところもある。
「盗んだデータを見たら俺はαだった。樹はβ。俺がそのデータを見て、どれほど絶望したか樹には分からないだろうな」
「分かるかよ…なんでβなんて…」
「だってそうしないと樹と離れることになるだろ?樹はβだからαである俺とは絶対に結ばれない。それが分かったから俺は内容をβに改竄した。
常に樹の傍に居て、樹が他のβと結ばれるようなことがないようにした。もしそんな事があったら俺は、その相手を殺してしまうかもしれないと思ったから」
行き過ぎた友情。
ずっとそう思い込みたかった。
でもそう思い込むことで、琥珀の感情を益々増長させたのかもしれない。
俺は初めてゾクリと身体が震えた。
これは純粋な恐怖だ。
琥珀がαだとやっと理解した俺が感じた恐怖。
「お前、おかしいよ…」
「そうだよ。樹の事となると俺はおかしくなる。だからずっとおかしいままなんだ。樹と初めて会った時から俺は樹の為だけに俺を演じてきた。
樹は俺を好きになる事はないって分かってたけど、樹の傍から離れないならそれでいいと思ってた。あの時までは…」
二度目のバース検査。
余りに突発で、琥珀が初めて後手に回ったのだ。
「俺は遂に、αだとバレた。そして樹と離された。…しかも、誰の陰謀か…おあつらえ向きに運命の番まで現れた。
まるでここまでが神のシナリオだとでも言う様に…」
確かに、ここまで来ると運命の導きとしか思えない偶然が重なっている。
「でもそれは、それこそが、αとΩの運命なんじゃないのかよ。お前はそれに逆らった。俺なんかにすっ転びやがって…」
「転んだ?違う。俺は樹を選んだだけだ。俺に運命が居ようがいまいが関係ない。俺には樹がいる。
運命に逆らう事になるならそれでもいい。天罰が下ろうと構わない。でも、樹だけは手放す気はないよ」
グイっと鎖を引っ張られ、首がガクンと揺れた。
上半身が宙に浮き、琥珀の顔が目の前に現れた。
「樹がβだろうと、俺がαだろうと関係ない。俺は俺自身でお前を愛してる」
そう言って、琥珀は強引にまた鎖を引っ張り、俺に口づけてきた。
「んっ…んん」
口と口とを合わせただけのキスから、チュッとリップ音を鳴らし、角度を変えてまた口づけてくる。
琥珀の眼鏡が顔に当たる。
「う…んっ」
抵抗しようにもまだ身体の自由が効かない。
初めてのキスが、男で、しかも幼馴染だ。
ずっと友人だと思ってた。最近ではそう思い込もうとしていた。
でもその相手が、そう思わせないように徹底的に俺の感情を潰してくる。
どうすればいい
どうすれば元に戻れる?
話せたから、口は自由に動く。これだけ動けば少しは…。
ガリっと音をさせ、俺は琥珀の唇を強めに噛んだ。
「イッ…た…」
すぐさま唇を離した琥珀は切れた唇から赤い液体を滲ませていた。
「ふざけんなよ琥珀、俺はお前のもんになるつもりはない。お前がどれだけ俺を愛そうとも俺がお前を好きになる事はない。
変な気を起こして俺に触れてみろ、今みたいに噛み千切ってやる」
「…ふっ…ハハ!」
「何がおかしい?」
「最高だよ樹。樹から俺に痕を残してくれるんだ?だったらさ、どうせならもっと消えない痕を、俺に付けてよ」
にやりと笑んだ琥珀は赤く滲んだ唇をその舌でぺろりと舐め上げた。
それはまるで味わうかのようにゆっくりとした動作が俺の目には焼き付いた。
その後はもうなし崩しだった。
また強引に口づけてきた琥珀に俺はまた噛もうと口を開けた瞬間に舌を捻じ込まれた。
クチュクチュと音をさせて俺の咥内を舐め上げ舌を吸い、俺の唾液をこれでもかと飲んで、また更に舌を奥へと進めてくる。
琥珀の舌を噛んでも嬉しがり、俺の咥内にもじんわりと血の味が広がった時にもう噛むことはやめた。
どう抵抗しても嬉しがるのであれば抵抗せず、無関心を決め込んだ方が少しは琥珀にダメージがいくかと思ったからだ。
「大人しいね樹。もうキスに慣れた?ああそれとも、俺に抵抗するのは逆効果だって思って抵抗辞めた?
俺はさ、どっちでもいいんだ。相手が樹なら何だっていい。どんな反応だって嬉しいんだよ」
俺が一番堪えるのは樹に会えない事だと付け加え
そして遂に俺は琥珀にベッドへと押し倒された。
「やめろ」
「やめない」
「嫌いになる」
「いいよ」
「縁切るぞ」
「…それは嫌かな。でも、やめない。今ここで、樹を俺のモノにする」
「セックスしても、俺はお前のモノにならない。俺はΩじゃない」
「樹と子供作りたいなんて思ってない。そりゃ既成事実が作れれば、今後樹を俺に縛り付けておくことは簡単だけど
俺はそれ以上に樹がただ欲しいだけ。いつまで耐えたと思う?いつまで待ったと思う?いつからこの日を望んでいたと思う?
もう限界なんだよ。今すぐ欲しい。もう待つのも耐えるのも友人だと思われるのも嫌なんだ」
そう言いながら琥珀は俺に付けた首輪へと触れた。
「項を噛むくらいで樹が手に入るなら何度だって、何百回だって噛んでやる。でも樹はそうじゃない。樹に運命の番はいない。
だからこそ俺は嬉しいし、悲しい。俺は樹の運命の相手にはなれないけど、でもその代わり樹には俺以外の運命の相手はいないってことになる。
だったら俺はそこに付け入るよ。俺が樹の運命の相手になる。たとえそれが神に背いた行為だとしても。」
俺の首輪に口づけを落として、そして鎖骨を噛んで、徐々に琥珀の手が俺を侵食していく感覚。
丁寧に、強引に、緩急をつけて愛撫をされる。
これは本来、真野が受け入れるべき愛撫だった。
真野が受け入れるべき手だった。
真野が受け取るべき、精液だった。
「っごめん…」
「…樹?痛いの?泣いてる」
舌で俺の涙を掬って、そしてまた琥珀は俺に腰を打ち付ける。
不毛な行為。
何も生まない。
痛いよ
身体より心が痛すぎる
何で俺を選んだ
どうして運命の相手が居るのに俺を選ぶ
俺は真野にどう償えばいい
運命の番を攫ったβとして一生後悔を背負わされる
唯一救いなのは俺に子供が出来ないことだ
真野、ごめん
俺がお前の運命を変えてしまったのかもしれない
俺が琥珀にさえ出会っていなければ真野は幸せになれた
「ごめん、ごめっ…!」
「樹、誰を想って泣いてる?」
鎖がジャラリと音を立てた。
目の前が涙で滲んで見えない。
「俺を見て」
「樹、俺を見て」
「…見ろよ!」
見てるよ。
でも見えないんだ。
もう、何も見えなくなってしまったんだ。
何もかも、全部、俺の視界から消えてしまった。
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