ショートショート「土中人間」

有原野分

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土中人間

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 ぼくは土の中にいる。土の中はあたたかい。あたたかいと生き物は眠たくなる。基本的には。だからぼくはよく眠っている。よく眠っていると、これが案外楽しい。だから例え土の中で身動きが取れなくても、それなりに人生を謳歌していると思う。
 でも先日、体が粉々に崩れるかと思うほどの衝撃で目を覚ました。大地がわなわなと震えたんだ。それに合わせてぼくの体も大きく振動した。脳が激しくシェイクされ、関節という関節、骨という骨がみしみしと嫌な音を立てた。びっくりした。死ぬかと思った。いやほんとに。少しして大きな爆発音が地面に染み込んできて、ぼくの鼓膜を突き破ろうとしたから、ぼくはつい我慢していたおしっこを漏らしてしまったんだ。そしてまた大きな振動がやってきて、その度にぼくの体は軟体動物のように伸びたり縮んだりした。
 ようやく収まってきた頃、土と接している肌がこすれて出血していないかと心配になったけど、どうせ血が出ていようがどうすることもできないので、ぼくは得意の想像力を駆使していったいなにが起こったのかを推理しようと思った。
 はじめぼくはこの揺れを大規模な地震かと思ったけど、地震のときはもっとこう、人間の生理的欲求のような腹の底から突き上げてくるようなもどかしさと、ビッグバンのときのような世界を包み込むような爆発が起きるはずだから、どうやらこれは地震ではないという判断をくだした。
 ではなんだろう?
 ぼくはシェイクされた脳みそで考える。ヒントはきっとあの音だ。
 ドガアーンとかグワラドーンとかなんかそんな感じの爆発音。そうか、もしかしたらあれは星と星がぶつかった音かもしれない。いや、一度そう思ったらなんとなくそうでないといけない気がする。だからぼくはもう星がぶつかったことに決めたのだった。
 いちおう、頭の中で想像してみる。
 どこか遠い宇宙からやってきた惑星がこの星にぶつかる。するとドガーンという衝撃とともに大地が揺れる。
 うん、悪くない。悪くはないけど、なにかこうしっくりこない。さっき漏らしちゃったから出し切っていないのだろうか。なんかそんな感じのもどかしさが腹部の奥のほうに残っていて、ぼくは体を震わせてみる。あ、やっぱりまだ残っていた。残尿。そのまま尿を土に吸い込ませて、ぼくは再び考える。
 星はやめよう。なんとなく、星と星の衝突じゃない気がしてきた。
 だとすると、考えられることはあと一つしかない。一つしかないからもし違ったらもうどうしようもなくなる。お手上げだ。尻尾を巻いて逃げだすしかない。よし、とぼくは固く決意して、その残された理由を決めにかかる。
 きっとあれは爆発だ。なにか大きなものが爆発したんだ。いったいなんだろう。爆発、つまり、爆発するものがあったのは確かだ、ようするに、爆発するもの、爆発するもの、そんな感じのもの、ドガーンとやっちゃう系の、――爆弾、そうだ、爆弾に違いない。あの爆発は爆弾が爆発して起きた爆発だったのだ!
 いや、自分でも驚いた。なぜぼくはさっきのあれが爆弾の爆発だと分かったのだろうか。実は薄々と思っていたんだけど、ぼくはやっぱり天才なんじゃないだろうか。だってこんな土の中にずっといるのに、あの振動が爆弾の爆発だなんていったいどうしたら分かるというんだ。ぼくは天才だから分かったんだ。天才じゃなかったらきっとさっきの爆発が爆発かどうかも分かるもんか。いや、その前にその振動で目を覚ますのかもあやしいところだ。でもぼくは天才だから敏感なのだ。敏感だから天才なのだ。だから孤独なのかもしれない。ああ、そうか。どうりでぼくはいつも一人なんだ。やってしまった。天才のせいで今までのあやふやだった人生の謎が点と点を結んだかのように繋がってしまった。ちくしょう、だから言ったのに。ぼくは天才になんかなりたくなかった。ああ、天才が憎い。天才をやめてしまいたい。天才なんかくたばってしまえ! ぼくは以前の凡人に戻りたいんだ。いっそのこと、さっきの爆発の影響で、脳が本当にシェイクされたらよかったのに。
 でも仕方ない。これもきっと天才の苦悩というものだろう。どうせ天才なんだ。いつか天才じゃなくなる方法も思いつくはずだ。だからその前に天才のうちにしかできないことをやっておこうと思った。うん、さすが天才だ。
 ぼくは目を閉じて、繋がってしまった人生の謎を一からなぞってみることにした。
 ぼくは土の中にいる。土の中は暗い。暗いけど生まれたときから暗いから別に気にもしない。光という概念がここにはないから。概念がないから想像もできない。でもぼくは天才だからある日閃いたんだ。光っていう概念があったらいいなあって。
 ぼくは生まれたときから土の中にいる。でも本当はよく分かっていない。生まれたときからなのか生まれたときは別で気がついたらここにいただけなのかはだってぼくは自分が生まれたときの瞬間のことを思い出せないからだからぼくはいまここにいつからいるのか正直分からないんだ。
 でもとにかくぼくはずっと土の中にいる。だからずっと裸だ。体は土に包まれている。そのせいであまり成長しなかった。でも土の中は栄養が豊富だ。水分だって困らない。なんとなくお腹が空いたらお腹に栄養が入ってくるし、喉が渇くなんてこともない。ただ問題なのは息が詰まるということだ。土の中は酸素が薄いし、鼻の穴の中には常に土が詰まっているからもう呼吸どころじゃない。だからぼくはずっと呼吸を止めているときの苦しさを味わっているんだけど、こればっかりはどうしようもない。だってないものをねだっても仕方ないじゃないか。
 確かにここには酸素はあまりない。でもその分土がある。あたたかい土が。そうしてぼくはいつも眠っている。土の中はとても眠たくなるんだ。そしてここには目覚まし時計なんてものはないから、いつまでだって眠れるんだ。現にいまだって自分が起きているのか眠っているのか夢を見ているのかも定かではない。頬を引っ張ろうにも腕を動かすこともできないんだから。
 でも、さっきのあの爆発。あれには驚いた。きっとあれは爆弾だとはどう考えても思うんだけど、あんな規模の爆弾が爆発したら、きっと地球の形は変わってしまうんじゃないだろうか。ぼくは知っている。地球には海があって、その上に土があって、さらに上には空があるってことを。その中にたくさんの生き物がいて、みんな土に憧れを抱きながら寿命に悩んでいる。ぼくはそれが怖いからどうしても地上には行けないんだ。でも、ときにどうしても孤独になって暇に殺されそうなときには、ふと思うときもあるんだけどね。
 ――まあ、思うっていっても、ちょっと死について夢に見る程度なんだけど。
 そういえば、さっきから妙に冷たい。まるで土に水が染み込んでいるようだ。もしかしたらさっきの爆発で海が流れ込んできたのかもしれない。困った。ぼくは泳げないんだ。それにぼくは水の中はあまり好きじゃないんだ。だって、水はなんか抵抗がなさ過ぎて気持ちが悪いでしょ? その点、土はいい。硬いから安心感がまるで違う。
 でも、どうやらそんな悠長なことを考えている暇はなさそうだ。だからぼくは再び眠ろうと思う。だってとにかく眠たいんだ。眠たくて眠たくていまにも死にそうなんだよ。なあ、お願いだ。もうひと眠りだけさせておくれ。


(いつかこんな夢が見れたら――)


 ぼくは土の中にいる。土の中はあたたかい。あたたかいからつい油断して忘れてしまうんだ。自分が生まれたときのことも、自分が生きているということも。
 ぼくは土の中にいる。思い出そうと思っても、思い出せないことのほうが圧倒的に多いから、むしろなにも覚えていることなんてなくて、だから新しいこともとくに覚えるつもりはないよ。
 新しい概念は新しい世界だ。その世界の土についてぼくはまだなにも知らないし、なにも思えない。これは天才だからか? ああ、孤独だ。天才はいつも土の中だ。さて、そろそろ天才をやめよう。天才よりも、ぼくは悠久の砂漠の夢を見たいんだ。そこは空気に満ち満ちている。そこには光がある。そこはまるで夢のような世界なんだ。
 土の中はとても暗いよ。でもとても楽しんだ。だってずっと眠れるんだ。目が覚めてもまた眠ってしまえばそれはもう目が覚めたとは言えないんだ。だからぼくはある意味永遠なんだよ。死? そんなものは怖くなんてないよ。ぼくは死ぬよりも生きているほうがよっぽどあたたかくて好きだけどね。うん、嘘じゃないよ。この世界には嘘なんて存在しないから。それはただの憧れなんだ。


(早く春がこないかなあ――)


 ぼくは土の中にいる。ここはなにもない。遥か太古に地上から染み込んできた概念の残りカスがぼくに楽しい夢を見させてくれるだけだ。それはとても楽しい。苦しくもないし、つらくもないし、不幸なんて概念も存在しない。ただ寝ていればいいんだから。
 だからぼくはいまもずっと土の中にいる。
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