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猫のムギ
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飼っていた猫のムギが眠るように息を引き取ったのは、ちょうど十七年前にムギを引き取ったばかりの春先の桜が散りかけた肌寒い頃だった。
ちょうどその頃、あたしは離婚したばかりで、猫を飼いたいと思ったのは寂しさを紛らわしたかったからかもしれないが、それでも生き物を飼うという命の重さを軽視したつもりはまったくないつもりで、だからこそ真剣に悩んだ。
ムギは保護猫だった。譲渡するときの条件が高く、また譲渡先の人ともうまく折り合いがつかず、諦めようかと思ったことも何度かあったが、実際にムギと会ったときのあの目と寂しそうな声を聞いてしまったら、諦めることなどとてもじゃないけどできなかった。
こんなことをいうのは自分勝手な人間目線かもしれないが、ムギはきっとあたしが迎えに来るのを待っていたんだと思う。
ムギが来てくれてから家の中は華やいだ。あたしは生活のすべてをムギに使うようになり、ムギもそれに応えてくれていたと思う。彼氏ができて、その彼と結婚を決めたのも、彼がムギに対して送る視線が家族のそれに向けられるまなざしと同じだったからだ。
だから、あたしはとても幸せな毎日を過ごさせてもらったと思っている。
子供が生まれ、また生まれ、月日が少しずつ流れ去っていく中で、あたしたちは自然と年をとっていき、着実に老いていくことが案外嬉しくもあった。それでも、もう二度と会えないと思うと、命の儚さを前に涙が枯れることはなく、ムギが亡くなってから桜が散り、梅雨がやってこようとしたある曇天の午後、こんな日はベランダを前にムギと一緒に前を眺めていたということをふと思い出して、そこであたしはようやく涙を流したのだった。
はじめ、ムギはムギではなく、サクラという名前にするつもりだった。しかしどうしてか青空に舞うピンク色の花びらを眺めていると、この子はサクラではない気がして、ムギにした。白い毛並みの所々茶色の模様がいかにも「ムギ」という感じだった。
また会いたいと思うことは、たくさんあった。それは何気ない日常の中、例えば朝起きてすぐや、ベランダに大きな鳩が迷い込んできたときなど、今でもあたしはムギがいたときの思い出を目の前に咲かせてしまい、途端に悲しみ溺れそうになるのを何度も堪えてきたのだけど、ここ最近、その歯止めが緩くなってきたのか、あたしは子供のように泣き虫になってしまったように思う。
子供たちはとっくの昔に独り立ちして、今では各々に家族を持っている。あたしは、夫と二人で慎ましく生きていけたらと思っていたが、その夫も二年前に亡くなってしまった。
風に揺られた風鈴の透き通った音が聞こえてくる。昔、夫が伊豆旅行のときに買ってくれた安物の風鈴だった。
いつだったか、あたしはムギになってみたいと思うことがあった。ムギはいつも一生懸命に生きていた。ご飯を催促するときも、猫草をはむときも、遊ぶときも、部屋中をパトロールするときも。
あたしたちは、果たしてムギみたいに一生懸命生きてきたのだろうか。
草木が枯れて、風が冷たくなってくると、ムギはあまりベランダに出なくなり、そうして日がな寝ていることが増え、その寝姿を見てあたしは何度も癒され、そしてムギになってあたしもずっと寝ていたいと願ったことか。それでもあたしたちは働かないといけない。それすらも今なら楽しく思えるのは、やはり年の功なのだろうか。
雪を見て、心があまり弾まなくなったのは、雪の中でも生きている野良猫が現実にいるということを知ってからだった。元々、ムギは野良だった。いったい、その瞳にはどんな景色が映っていたのだろうか。あたしは、本当にムギの飼い主といて、よかったのだろうか。せめてもう一度会いたいと思いながら、それでもまた今年も窓の向こう側にたくさんの桜が咲いている景色を眺められるのは、やはり生きていることに対しての感謝だと思っている。
あたしは、本当に、幸せ者だ。
目を閉じて、いざ自分がムギや夫の元に向かうとなると、どのような気持ちになるのかと想像したこともあったが、案外、なんともないような夢のようで、あたしはそっと暗闇の向こう側になにかを見つめようとするだろう。
だからかもしれない。突然、目の前に光が飛び込んできた。あたしは目をうっすらと開けてみた。驚いたことに、そこには若い頃のあたしがいた。その瞳に映っているのは、まぎれもなく、はじめて会ったときのムギだった。
これがムギの見ていた景色だったのだ。あたしはそう思うと、なんだかすごく気分が軽くなって、小さな声でニャーと鳴いて、彼女の腕にすり寄った。
これが走馬灯なのか夢なのかは分からなかったけど、あたしの瞳の中に写り込んでいるムギの顔は、確かにあのいつも一緒にいたムギだった。
きっともうすぐ、桜が散る。あたしはそのことが、ようやく嬉しく感じられた。
ちょうどその頃、あたしは離婚したばかりで、猫を飼いたいと思ったのは寂しさを紛らわしたかったからかもしれないが、それでも生き物を飼うという命の重さを軽視したつもりはまったくないつもりで、だからこそ真剣に悩んだ。
ムギは保護猫だった。譲渡するときの条件が高く、また譲渡先の人ともうまく折り合いがつかず、諦めようかと思ったことも何度かあったが、実際にムギと会ったときのあの目と寂しそうな声を聞いてしまったら、諦めることなどとてもじゃないけどできなかった。
こんなことをいうのは自分勝手な人間目線かもしれないが、ムギはきっとあたしが迎えに来るのを待っていたんだと思う。
ムギが来てくれてから家の中は華やいだ。あたしは生活のすべてをムギに使うようになり、ムギもそれに応えてくれていたと思う。彼氏ができて、その彼と結婚を決めたのも、彼がムギに対して送る視線が家族のそれに向けられるまなざしと同じだったからだ。
だから、あたしはとても幸せな毎日を過ごさせてもらったと思っている。
子供が生まれ、また生まれ、月日が少しずつ流れ去っていく中で、あたしたちは自然と年をとっていき、着実に老いていくことが案外嬉しくもあった。それでも、もう二度と会えないと思うと、命の儚さを前に涙が枯れることはなく、ムギが亡くなってから桜が散り、梅雨がやってこようとしたある曇天の午後、こんな日はベランダを前にムギと一緒に前を眺めていたということをふと思い出して、そこであたしはようやく涙を流したのだった。
はじめ、ムギはムギではなく、サクラという名前にするつもりだった。しかしどうしてか青空に舞うピンク色の花びらを眺めていると、この子はサクラではない気がして、ムギにした。白い毛並みの所々茶色の模様がいかにも「ムギ」という感じだった。
また会いたいと思うことは、たくさんあった。それは何気ない日常の中、例えば朝起きてすぐや、ベランダに大きな鳩が迷い込んできたときなど、今でもあたしはムギがいたときの思い出を目の前に咲かせてしまい、途端に悲しみ溺れそうになるのを何度も堪えてきたのだけど、ここ最近、その歯止めが緩くなってきたのか、あたしは子供のように泣き虫になってしまったように思う。
子供たちはとっくの昔に独り立ちして、今では各々に家族を持っている。あたしは、夫と二人で慎ましく生きていけたらと思っていたが、その夫も二年前に亡くなってしまった。
風に揺られた風鈴の透き通った音が聞こえてくる。昔、夫が伊豆旅行のときに買ってくれた安物の風鈴だった。
いつだったか、あたしはムギになってみたいと思うことがあった。ムギはいつも一生懸命に生きていた。ご飯を催促するときも、猫草をはむときも、遊ぶときも、部屋中をパトロールするときも。
あたしたちは、果たしてムギみたいに一生懸命生きてきたのだろうか。
草木が枯れて、風が冷たくなってくると、ムギはあまりベランダに出なくなり、そうして日がな寝ていることが増え、その寝姿を見てあたしは何度も癒され、そしてムギになってあたしもずっと寝ていたいと願ったことか。それでもあたしたちは働かないといけない。それすらも今なら楽しく思えるのは、やはり年の功なのだろうか。
雪を見て、心があまり弾まなくなったのは、雪の中でも生きている野良猫が現実にいるということを知ってからだった。元々、ムギは野良だった。いったい、その瞳にはどんな景色が映っていたのだろうか。あたしは、本当にムギの飼い主といて、よかったのだろうか。せめてもう一度会いたいと思いながら、それでもまた今年も窓の向こう側にたくさんの桜が咲いている景色を眺められるのは、やはり生きていることに対しての感謝だと思っている。
あたしは、本当に、幸せ者だ。
目を閉じて、いざ自分がムギや夫の元に向かうとなると、どのような気持ちになるのかと想像したこともあったが、案外、なんともないような夢のようで、あたしはそっと暗闇の向こう側になにかを見つめようとするだろう。
だからかもしれない。突然、目の前に光が飛び込んできた。あたしは目をうっすらと開けてみた。驚いたことに、そこには若い頃のあたしがいた。その瞳に映っているのは、まぎれもなく、はじめて会ったときのムギだった。
これがムギの見ていた景色だったのだ。あたしはそう思うと、なんだかすごく気分が軽くなって、小さな声でニャーと鳴いて、彼女の腕にすり寄った。
これが走馬灯なのか夢なのかは分からなかったけど、あたしの瞳の中に写り込んでいるムギの顔は、確かにあのいつも一緒にいたムギだった。
きっともうすぐ、桜が散る。あたしはそのことが、ようやく嬉しく感じられた。
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