ショートショート「ガラスの町」

有原野分

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ガラスの町

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 十三時五十一分。人々は一斉に傘を開く。
 小さなガラスの欠片のような雨は歴史あるつるつるの古い石畳の上にさらさらと降り注ぎ、人々は家の中でまたは傘の上にその音を楽しんでいた。中には完全に傘を放棄し、その透き通るような水の飛沫を全身に浴びている人の姿も見かける。その光景に見飽きた人もいれば、写真に収めようとわざわざカメラを構える人も未だにいた。
 雨は次第に弱くなり、乱反射していたキラキラと輝くプリズムは少しずつ消えていく。そして町は正常に戻る。人々は次の予報まで傘をしまう。

 この町の天気予報が外れることはなかった。いや、それは天気だけではなくもはやコントールするという概念が消えかけているほど町はシステマチックになりすべての事象はとっくの昔から予定通りにしか進行しなかった。それは人間も同じだった。
 誰もが自由意志だと思いながら生きていたが、自由だと思わせるような教育を代々してきたおかげで誰もがそのことを疑問に感じなくなっていた。
 人々は自分の意志を完全に信じていた。だから哲学は死ななかった。文化も、教養も、まだまだ不完全だと誰もが信じて疑わなかった。町には埃一つ落ちておらず、争いごとも一切ない。仕事にあぶれるようなこともなければ、叶わない夢も存在しなかった。

 ある日その町に旅人がきた。正確には運ばれてきたのだった。
 旅人は町の外で気を失っているところを通りすがりの猟師にたまたま発見された。それが予定通りだったのか予定外だったのかは町の中央の地下深くに据えてある自立型スーパーコンピューターにも分からなかったが、町の人たちはその旅人を大いに歓迎した。町にはもう長いこと新しい文化が生まれていなかった。保守的な党はそれを是としたが、革新派は否定した。それすらも予め決められていたまつりごとだったが、旅人にはそんなことは知らなかった。ただ目を覚まして今までの旅について語るだけだった。

「世界をぐるっと回ってきましたが、どこの町もここのようには綺麗でもなく美しくもありませんでした。どこの町にも犯罪という非道徳的な行為をする厄介者がいて、人々に傷を与えるのです。ゴミを捨てる人間もいれば、仕事がなく貧乏に喘いでいる人もたくさんいました。天気予報なんてまったくあてになりません。晴れだといえば雨が降り、みんなずぶぬれになってプンスカ怒っていましたよ」

 旅人の愚痴は瞬く間に広まり、人々は自分たちの町を誇りに思ったが、一部の町人の中には予想もしなかった〝バグ〟が生じたようで、実際に町はここから二分した。それは決して予定通りの行動ではなく、想定外の出来事だった。

 ある日、また雨が降った。それは予報より一分早い雨で、それを見ていた旅人はその美しさに惚れ惚れとしたが、雨に対してその雨粒の美しさよりも時間が正確ではなかったことに誰もが驚いている町の人の姿を見て、ぞっとした。そして旅人は置手紙を残して町から去っていった。

「この町はあまりにも美しい。だが、この町は美しくない」

 確かに町に降る雨はイミテーションだった。それでも雨は雨に変わりはなく、雨とはそういうものだと誰もが疑いもしなかった。だからこの手紙の真意を理解するために雨を見てみようじゃないかという派閥が実際に派生はしたが、結局いつのまにか町はまた元の通りに戻っていった。

 数ヶ月後、予報もなく地面が大きく揺れた。人々はパニックに陥り、ただ混乱の中騒いだ。ふと、誰かが空を指さして声を上げた。
「ヒビが入っている」
 町内にアラームが鳴り響き、人々は無機質な言葉の赴くまま地下に避難した。その直後、激しい音が地上から轟き、地下室の電気は一斉に消えた。
 長い時間が経ち、ようやく誰かがつぶやいた。
「町に出てみよう」

 町人はみな言葉を失った。そこには見たこともない黒い空が広がっており、町の表面には亀裂が入っていた。それはガラスの上に投影されていたマッピング上に自分たちが住んでいたことを町人に知らしめた。丸い粒が空から降り注いでいる。作られた真水の雨ではなく、正真正銘の雲の中を通ってきた汚れた雨粒はかすかな陽光を鈍く反射し、町の虚像を浮かび上がらせた。それなのに誰もが傘のことを忘れて雨を浴び続けていた。雨はガラスの隙間から町を濡らし、町の人たちは中央に設置していた信じられていた過去に対していつの間にか耳を貸すことはなくなり、いつしか町には天気予報のあてにならない雨が降るようになった。その雨音に負けないような笑い声が響いた先には、美しさの概念は限りなく薄くなって――。
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