10 / 68
第1章 視えるパティシエと謎の店
◆ 7 悪夢に堕ちる
しおりを挟む具合の悪い自分でもそれなら……と思わせてくれて、断る理由が無くなってしまった。仕事として同じように接客もやっている身としては、その気配りに感心してしまう。
「えっと……じゃあ、お言葉に甘えてお願いしても?」
「――畏まりました」
素直に誘いに乗ると、満足げに微笑んだ。
男から見ても魅力的な笑顔で、尊の心臓はまた騒がしくなった。カッコいい男の笑顔には、男女問わずドキドキさせる効果があるんだなと初めて思い知らされた。
(くそ。なんかどきどきさせられてばかりで悔しい……それにしても、バーテンダーって、こんなに客の体調を気にするものなのかな)
「お客様それぞれに見合ったモノを用意するのが、当店の約定ですので。……では少々お待ちを」
そんな言葉をかけられ、更にドキリとする。
まるで心の裡まで見透かされているような気がした。
――男が、静かな仕種でカクテルを作り始める。
最初に、カクテルグラスの縁を日本酒で濡らすと、広げた塩の上で縁を転がし、グラスの一部分にスノースタイルという状態を作った。
それから、小さなメジャーカップで日本酒、それにプラスしてリキュールを計量してシェイカーに入れ、氷を入れる。蓋をしてシェイクし始めた。手首のスナップを効かせた流れるような動作から生まれる氷のぶつかる音は、リズミカルで心地よい。
準備したカクテルグラスに、ゆっくりとシェイカーの中身を注ぐ。
シェイカーを振る動きも、酒を注ぐ仕草も、音色まで全て、淀みがなく綺麗で――
バーテンダーの仕事ぶりを初めて目の前で見た尊は、思わず見惚れてしまっていた。
(うちの店長もそうだけど……腕のいい人が作業している時の所作って、綺麗だよな)
職人技の磨き抜かれた美しさが、尊は好きだ。自分もそういう風になれたらと思っているし、こういうプロの技を眺めるのはとても勉強になる。
「――どうぞ」
目の前に置かれたグラスには、ミモザのような柔らかな黄色の液体が注がれていた。グラスの縁に雪のような塩の結晶が薄く積っている。ミントの香りもして、爽やかな良い匂いが鼻をくすぐる。
その酒の味を早く知りたいという欲求に、強く駆られた。体調のことも一瞬忘れてグラスを手に取り――
……ゆっくりと、口を付ける。
最初に唇に触れる塩は結晶が細かく、スッと溶けてなくなった。
口内を酒が満たした瞬間、不思議なほど鮮やかに――頭の中に様々なイメージが浮かんでいく。
柔らかな陽射しと、清浄な空気。陽の光の下で揺れる濃緑の草花。
薬草を口に含んだような、複雑な苦みと甘み。
口から、喉を通って、冷たさが身体の中に落ちていく感覚がやけにはっきりと分かる。
体の中から浄化されていくような。
とても清らかな感じがした。
これまでに、味わったことのない感覚で……
あっ、と思わず声が出る。
「これって、何を使っているカクテルですか……?」
「ドライ・ベルモットにペルノと、ホワイト・ペパーミントを少々。ペルノは、かつて幻覚をもたらすとして悪名を轟かせたアブサンの代替品として作られた酒で……ニガヨモギが、今の貴方には効果があると思ったので。本当はジンベースなのを日本酒に変えているんですが――」
何かを含むような物言いのまま、男が笑みを深くした。
「――ベースとなったカクテルの名は『ノック・アウト』。それが、貴方の中の『穢れ』を追い祓ってくれるのでは?」
――その言葉の意味することが。
尊には理解できなかった。
何か言おうとしたら、舌がもつれることに気付く。
「は……なん、だ、これ」
「どうかしましたか」
体が痺れる。
自由が利かない。
訳が分からなくて目の前の男を縋るように見ると――
男はやはり微笑んでいた。
「……思った以上に効果はある、みたいだな」
ザッと体中の血の気が引いた気がした。
(何……?なんて言った?)
確信犯が浮かべる微笑み。
――俺は、一体何を――飲まされた?
一服、盛られたってこと?
嘘だろ、何で?
平和な鎌倉の普通の店で?
意味不明だ。でも逃げなくちゃいけない状況か、これ。
慌てて椅子から立ち上がろうとしたが、力が入らず、床に崩れ落ちた。
男がカウンターから出て傍に立っていた。
「あんた……俺に、何を――した?」
「言っただろう?その客にふさわしい一杯を提供するのが、この店の『約定』だって」
言葉遣いもまるで違う。一瞬で、危険な匂いがする人間になった。
「大丈夫だ。眠っていればすぐに終わる」
優し気な声が頭上から降ってくる。
腕を取られても、抵抗できない。
意識が遠くなる。
抱き上げられるような感覚があったが、尊の意識は――暗闇に落ちる――……
『……――相変わらず、隙だらけのお人好しじゃのう』
……りん、と。
鈴の音が鳴ったのを、尊がその耳で捉えられたかどうか。
10
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
京都かくりよあやかし書房
西門 檀
キャラ文芸
迷い込んだ世界は、かつて現世の世界にあったという。
時が止まった明治の世界。
そこには、あやかしたちの営みが栄えていた。
人間の世界からこちらへと来てしまった、春しおりはあやかし書房でお世話になる。
イケメン店主と双子のおきつね書店員、ふしぎな町で出会うあやかしたちとのハートフルなお話。
※2025年1月1日より本編start! だいたい毎日更新の予定です。
AV研は今日もハレンチ
楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo?
AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて――
薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!
限界集落で暮らす女子中学生のお仕事はどうやらあやかし退治らしいのです
釈 余白(しやく)
キャラ文芸
現代日本と不釣り合いなとある山奥には、神社を中心とする妖討伐の一族が暮らす村があった。その一族を率いる櫛田八早月(くしだ やよい)は、わずか八歳で跡目を継いだ神職の巫(かんなぎ)である。その八早月はこの春いよいよ中学生となり少し離れた町の中学校へ通うことになった。
妖退治と変わった風習に囲まれ育った八早月は、初めて体験する普通の生活を想像し胸を高鳴らせていた。きっと今まで見たこともないものや未体験なこと、知らないことにも沢山触れるに違いないと。
この物語は、ちょっと変わった幼少期を経て中学生になった少女の、非日常的な日常を中心とした体験を綴ったものです。一体どんな日々が待ち受けているのでしょう。
※外伝
・限界集落で暮らす専業主婦のお仕事は『今も』あやかし退治なのです
https://www.alphapolis.co.jp/novel/398438394/874873298
※当作品は完全なフィクションです。
登場する人物、地名、、法人名、行事名、その他すべての固有名詞は創作物ですので、もし同名な人や物が有り迷惑である場合はご連絡ください。
事前に実在のものと被らないか調べてはおりますが完全とは言い切れません。
当然各地の伝統文化や催事などを貶める意図もございませんが、万一似通ったものがあり問題だとお感じになられた場合はご容赦ください。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
下っ端妃は逃げ出したい
都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー
庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。
そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。
しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……
推理小説家の今日の献立
東 万里央(あずま まりお)
キャラ文芸
永夢(えむ 24)は子どもっぽいことがコンプレックスの、出版社青雲館の小説編集者二年目。ある日大学時代から三年付き合った恋人・悠人に自然消滅を狙った形で振られてしまう。
その後悠人に新たな恋人ができたと知り、傷付いてバーで慣れない酒を飲んでいたのだが、途中質の悪い男にナンパされ絡まれた。危ういところを助けてくれたのは、なんと偶然同じバーで飲んでいた、担当の小説家・湊(みなと 34)。湊は嘔吐し、足取りの覚束ない永夢を連れ帰り、世話してくれた上にベッドに寝かせてくれた。
翌朝、永夢はいい香りで目が覚める。昨夜のことを思い出し、とんでもないことをしたと青ざめるのだが、香りに誘われそろそろとキッチンに向かう。そこでは湊が手作りの豚汁を温め、炊きたてのご飯をよそっていて?
「ちょうどよかった。朝食です。一度誰かに味見してもらいたかったんです」
ある理由から「普通に美味しいご飯」を作って食べたいイケメン小説家と、私生活ポンコツ女性編集者のほのぼのおうちご飯日記&時々恋愛。
.。*゚+.*.。 献立表 ゚+..。*゚+
第一話『豚汁』
第二話『小鮎の天ぷらと二種のかき揚げ』
第三話『みんな大好きなお弁当』
第四話『餡かけチャーハンと焼き餃子』
第五話『コンソメ仕立てのロールキャベツ』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる