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第1章 視えるパティシエと謎の店

◆ 7 悪夢に堕ちる

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具合の悪い自分でもそれなら……と思わせてくれて、断る理由が無くなってしまった。仕事として同じように接客もやっている身としては、その気配りに感心してしまう。

「えっと……じゃあ、お言葉に甘えてお願いしても?」
「――かしこまりました」

素直に誘いに乗ると、満足げに微笑んだ。
男から見ても魅力的な笑顔で、尊の心臓はまた騒がしくなった。カッコいい男の笑顔には、男女問わずドキドキさせる効果があるんだなと初めて思い知らされた。

(くそ。なんかどきどきさせられてばかりで悔しい……それにしても、バーテンダーって、こんなに客の体調を気にするものなのかな)

「お客様それぞれに見合ったモノを用意するのが、当店の約定ですので。……では少々お待ちを」

そんな言葉をかけられ、更にドキリとする。
まるで心のうちまで見透かされているような気がした。


――男が、静かな仕種でカクテルを作り始める。

最初に、カクテルグラスの縁を日本酒で濡らすと、広げた塩の上で縁を転がし、グラスの一部分にスノースタイルという状態を作った。
それから、小さなメジャーカップで日本酒、それにプラスしてリキュールを計量してシェイカーに入れ、氷を入れる。蓋をしてシェイクし始めた。手首のスナップを効かせた流れるような動作から生まれる氷のぶつかる音は、リズミカルで心地よい。
準備したカクテルグラスに、ゆっくりとシェイカーの中身を注ぐ。

シェイカーを振る動きも、酒を注ぐ仕草も、音色まで全て、淀みがなく綺麗で――

バーテンダーの仕事ぶりを初めて目の前で見た尊は、思わず見惚れてしまっていた。

(うちの店長もそうだけど……腕のいい人が作業している時の所作って、綺麗だよな)

職人技の磨き抜かれた美しさが、尊は好きだ。自分もそういう風になれたらと思っているし、こういうプロの技を眺めるのはとても勉強になる。

「――どうぞ」

目の前に置かれたグラスには、ミモザのような柔らかな黄色の液体が注がれていた。グラスの縁に雪のような塩の結晶が薄く積っている。ミントの香りもして、爽やかな良い匂いが鼻をくすぐる。
その酒の味を早く知りたいという欲求に、強く駆られた。体調のことも一瞬忘れてグラスを手に取り――

……ゆっくりと、口を付ける。

最初に唇に触れる塩は結晶が細かく、スッと溶けてなくなった。
口内を酒が満たした瞬間、不思議なほど鮮やかに――頭の中に様々なイメージが浮かんでいく。
柔らかな陽射しと、清浄な空気。陽の光の下で揺れる濃緑の草花。
薬草を口に含んだような、複雑な苦みと甘み。

口から、喉を通って、冷たさが身体の中に落ちていく感覚がやけにはっきりと分かる。
体の中から浄化されていくような。
とても清らかな感じがした。

これまでに、味わったことのない感覚で……

あっ、と思わず声が出る。


「これって、何を使っているカクテルですか……?」
「ドライ・ベルモットにペルノと、ホワイト・ペパーミントを少々。ペルノは、かつて幻覚をもたらすとして悪名を轟かせたアブサンの代替品として作られた酒で……ニガヨモギが、今の貴方には効果があると思ったので。本当はジンベースなのを日本酒に変えているんですが――」


何かを含むような物言いのまま、男が笑みを深くした。


「――ベースとなったカクテルの名は『ノック・アウト』。それが、貴方の中の『穢れ』を追い祓ってくれるのでは?」


――その言葉の意味することが。

尊には理解できなかった。
何か言おうとしたら、舌がもつれることに気付く。


「は……なん、だ、これ」
「どうかしましたか」


体が痺れる。
自由が利かない。
訳が分からなくて目の前の男を縋るように見ると――
男はやはり微笑んでいた。


「……思った以上に効果はある、みたいだな」


ザッと体中の血の気が引いた気がした。


(何……?なんて言った?)


確信犯が浮かべる微笑み。


――俺は、一体何を――飲まされた?

一服、盛られたってこと?
嘘だろ、何で?
平和な鎌倉の普通の店で?
意味不明だ。でも逃げなくちゃいけない状況か、これ。

慌てて椅子から立ち上がろうとしたが、力が入らず、床に崩れ落ちた。
男がカウンターから出て傍に立っていた。

「あんた……俺に、何を――した?」
「言っただろう?その客にふさわしい一杯を提供するのが、この店の『約定』だって」

言葉遣いもまるで違う。一瞬で、危険な匂いがする人間になった。

「大丈夫だ。眠っていればすぐに終わる」

優し気な声が頭上から降ってくる。
腕を取られても、抵抗できない。
意識が遠くなる。

抱き上げられるような感覚があったが、尊の意識は――暗闇に落ちる――……




『……――相変わらず、隙だらけのお人好しじゃのう』

……りん、と。

鈴の音が鳴ったのを、尊がその耳で捉えられたかどうか。


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