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29 鏡のかけらを溶かすには①
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「……条件、か。アンタは俺より良い物件、とでも言いたそうだね?」
2人以外の声がした。
ジャリ、と砕けた硝子の破片を踏む音がして――
ここに居ないはずの、蓮が2人の前に現れた。
「蓮くん!?」
「!!?」
足早に近付いて来た蓮は、驚いて何も反応出来ない右京の胸倉を思い切り掴んだ。
「……悪いけど、泉水さんの前から今すぐ消えてくれるかな。じゃないと俺、何するか分からないよ?」
「う、っ……」
まともに動けない右京を一方的に殴るようなことをしなかったのは、「泉水のお客」という、ただその1点でかろうじて理性が働いていたからだ。そうでなかったら、本当に何をしていたか分からない。静かなトーンで話す蓮は本気の殺意を漲らせている。
その迫力に押され、右京は蛇に睨まれた蛙のように、全く身動きが出来ない。
数秒、睨みあった2人だが、右京は完全に気力を失っていて何も言い返せなかった。しばらくして、諦めたように視線を逸らす。身体を預けていたカウンターから離れ、無言のまま、店の外へと出て行った。
茫然と立ち尽くす泉水がゆっくりとした足取りで、蓮の方に足を踏み出す。
「蓮くん……」
どうしてここに、とか、びっくりしたとか、気を付けろって言われてたのにごめんとか、色々言いたいことはあるのに、何故か言葉が出て来なかった。
「泉水さん」
蓮が近付いて、大きな腕で泉水を抱き締める。
――温かい、と思った。
冷たくなった指先を蓮の手が包む。
ようやく、普通に呼吸ができた気がした。
冷静に対処はしたつもりだが、嫌な記憶も甦って……思ったよりも緊張していたんだ、と気付く。
「……お仕事は?」
「サボった、って言うと怒られそうだけど、早退した。何だかじっとしてられなくて、そんな状態なら会いに行った方がいいですって、ユキにお尻を叩かれてさ」
泉水さんが強くて良かった、と屈託なく笑う。
「強いって分かってても、多分、俺は心配してたと思うけど」
「……一応、大学の時は空手部だったんだ。でも今はブランクもあって、自慢するほど強くないから」
「酔っ払いを撃退出来るなら充分だよ……とにかく、無事で良かった」
泉水も、蓮を安心させようとして笑ってみせるが、どこか、心ここに在らず、という雰囲気のままだ。
「泉水さん、大丈夫?家まで送ろうか?」
「………」
泉水は蓮に自分の身体を預けて、そっと寄り添った。
背中をさする蓮の掌の熱が心地良い。少しずつ、平静を取り戻しながら――過去の傷と、これからのことを考えていた。いつまで、このトラウマを引き摺るつもりなんだ……と、自分に問いかけながら。
そっと、蓮の首に腕を回し、その髪に触れる。
「君といれば、もう平気だって……今、確かめたくなった」
「え?」
"君の心に刺さった、鏡のかけらを溶かしてくれる人が――現れることを祈ってるよ"
(僕のことを、『雪の女王』のカイに例えた「彼」はそう言った)
全部、知って欲しいと思える人と。
醜い傷を隠さなくてもいいと、そう思える自分自身に。
今なら手が届くのかもしれない――
泉水は蓮の頬にそっと触れた。
「今すぐ、蓮くんが欲しい」
「……………え?」
言葉の意味をすぐには呑み込めず、蓮はただ棒立ちになってしまった。
泉水の指が蓮の後頭部にかかり、ぐっと自分の方に引き寄せる。
「今ここでしたい、って言ったら嫌……?」
耳元で蠱惑的に響く泉水の言葉を、蓮は現実のものとして咀嚼できなかった。
(んん?……今、ここでヤリたいって言われた気がするけど、俺の妄想かな……?願望が強すぎて幻聴が聴こえた??)
まさか、泉水がそんな事を言い出すはずが……と、思いつつ。
こちらを見詰める泉水の瞳には欲情の色が宿り、目元には薄く朱が差し、羞恥心を滲ませながらも――明らかに蓮を誘っているように見えた。
いやいや落ち着け、泉水さんは襲われて動揺してるし……一時的な気の迷いなんじゃないか?と、蓮は逸る鼓動を抑えるためにわざとおどけて明るい声を出す。
「まっ、またまたぁ、そんな事言ってー。俺のこと、揶揄ってる?うっかり本気にしちゃう所だよ?」
「…………」
泉水はノーリアクションだ。
あれぇ?と蓮は引きつった笑顔のままよく分からない汗をかく。
泉水が無言で蓮から離れると、店内のガラス窓に下げられたシェードをひとつずつ下げ、外からの視線を遮断していく。迷いのない動きでそのまま調理場に向かい、何かを手にしてから戻って来た。
「こんなのでも無いよりいいかな、ゴムも無いんだけど」
プラスチックの容器に入ったオリーブオイルを、蓮の側のテーブルに置く。
その行動に、蓮の喉が無意識に鳴った。
「……マジで、本気?」
その決意を、もう一度確認するように、泉水の瞳を覗き込む。
泉水は小さく頷く。
「どうにか、なりたいんだ。何も考えられないくらい、どうにかして欲しい……馬鹿な事だって思うかもしれないけど。理性に邪魔されずに、心と身体で感じられるようになりたい。今ここで、きっかけが欲しい」
泉水が切ない声を上げる。
「……協力、してくれる?」
2人以外の声がした。
ジャリ、と砕けた硝子の破片を踏む音がして――
ここに居ないはずの、蓮が2人の前に現れた。
「蓮くん!?」
「!!?」
足早に近付いて来た蓮は、驚いて何も反応出来ない右京の胸倉を思い切り掴んだ。
「……悪いけど、泉水さんの前から今すぐ消えてくれるかな。じゃないと俺、何するか分からないよ?」
「う、っ……」
まともに動けない右京を一方的に殴るようなことをしなかったのは、「泉水のお客」という、ただその1点でかろうじて理性が働いていたからだ。そうでなかったら、本当に何をしていたか分からない。静かなトーンで話す蓮は本気の殺意を漲らせている。
その迫力に押され、右京は蛇に睨まれた蛙のように、全く身動きが出来ない。
数秒、睨みあった2人だが、右京は完全に気力を失っていて何も言い返せなかった。しばらくして、諦めたように視線を逸らす。身体を預けていたカウンターから離れ、無言のまま、店の外へと出て行った。
茫然と立ち尽くす泉水がゆっくりとした足取りで、蓮の方に足を踏み出す。
「蓮くん……」
どうしてここに、とか、びっくりしたとか、気を付けろって言われてたのにごめんとか、色々言いたいことはあるのに、何故か言葉が出て来なかった。
「泉水さん」
蓮が近付いて、大きな腕で泉水を抱き締める。
――温かい、と思った。
冷たくなった指先を蓮の手が包む。
ようやく、普通に呼吸ができた気がした。
冷静に対処はしたつもりだが、嫌な記憶も甦って……思ったよりも緊張していたんだ、と気付く。
「……お仕事は?」
「サボった、って言うと怒られそうだけど、早退した。何だかじっとしてられなくて、そんな状態なら会いに行った方がいいですって、ユキにお尻を叩かれてさ」
泉水さんが強くて良かった、と屈託なく笑う。
「強いって分かってても、多分、俺は心配してたと思うけど」
「……一応、大学の時は空手部だったんだ。でも今はブランクもあって、自慢するほど強くないから」
「酔っ払いを撃退出来るなら充分だよ……とにかく、無事で良かった」
泉水も、蓮を安心させようとして笑ってみせるが、どこか、心ここに在らず、という雰囲気のままだ。
「泉水さん、大丈夫?家まで送ろうか?」
「………」
泉水は蓮に自分の身体を預けて、そっと寄り添った。
背中をさする蓮の掌の熱が心地良い。少しずつ、平静を取り戻しながら――過去の傷と、これからのことを考えていた。いつまで、このトラウマを引き摺るつもりなんだ……と、自分に問いかけながら。
そっと、蓮の首に腕を回し、その髪に触れる。
「君といれば、もう平気だって……今、確かめたくなった」
「え?」
"君の心に刺さった、鏡のかけらを溶かしてくれる人が――現れることを祈ってるよ"
(僕のことを、『雪の女王』のカイに例えた「彼」はそう言った)
全部、知って欲しいと思える人と。
醜い傷を隠さなくてもいいと、そう思える自分自身に。
今なら手が届くのかもしれない――
泉水は蓮の頬にそっと触れた。
「今すぐ、蓮くんが欲しい」
「……………え?」
言葉の意味をすぐには呑み込めず、蓮はただ棒立ちになってしまった。
泉水の指が蓮の後頭部にかかり、ぐっと自分の方に引き寄せる。
「今ここでしたい、って言ったら嫌……?」
耳元で蠱惑的に響く泉水の言葉を、蓮は現実のものとして咀嚼できなかった。
(んん?……今、ここでヤリたいって言われた気がするけど、俺の妄想かな……?願望が強すぎて幻聴が聴こえた??)
まさか、泉水がそんな事を言い出すはずが……と、思いつつ。
こちらを見詰める泉水の瞳には欲情の色が宿り、目元には薄く朱が差し、羞恥心を滲ませながらも――明らかに蓮を誘っているように見えた。
いやいや落ち着け、泉水さんは襲われて動揺してるし……一時的な気の迷いなんじゃないか?と、蓮は逸る鼓動を抑えるためにわざとおどけて明るい声を出す。
「まっ、またまたぁ、そんな事言ってー。俺のこと、揶揄ってる?うっかり本気にしちゃう所だよ?」
「…………」
泉水はノーリアクションだ。
あれぇ?と蓮は引きつった笑顔のままよく分からない汗をかく。
泉水が無言で蓮から離れると、店内のガラス窓に下げられたシェードをひとつずつ下げ、外からの視線を遮断していく。迷いのない動きでそのまま調理場に向かい、何かを手にしてから戻って来た。
「こんなのでも無いよりいいかな、ゴムも無いんだけど」
プラスチックの容器に入ったオリーブオイルを、蓮の側のテーブルに置く。
その行動に、蓮の喉が無意識に鳴った。
「……マジで、本気?」
その決意を、もう一度確認するように、泉水の瞳を覗き込む。
泉水は小さく頷く。
「どうにか、なりたいんだ。何も考えられないくらい、どうにかして欲しい……馬鹿な事だって思うかもしれないけど。理性に邪魔されずに、心と身体で感じられるようになりたい。今ここで、きっかけが欲しい」
泉水が切ない声を上げる。
「……協力、してくれる?」
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