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28 泉水と右京
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それからしばらく経った午後十時過ぎ――。
鎌倉の御成通りにあるショコラの専門店を出た後、泉水と右京の2人は一緒にタクシーに乗っていた。
泉水はやり残した仕事もあるので、送るのは店まででいいと既に右京に告げていた。
右京の自宅は港区で、泉水の方が先に降りることになる予定だ。
「今日は本当にありがとう。無理を言って申し訳なかったね」
隣に座る右京がいつまでも済まなさそうに言ってくるので、泉水は苦笑する。
「いえ、普段お世話になってますから。それに、お酒とチョコのペアリングっていう企画、自分で作るスイーツの参考にもなりました」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。君は繊細な舌をしてるから、そうやって面白がってくれるんじゃないかと思ったんだ」
「………」
“下心見えすぎ”と、とにかく蓮に評判の悪い右京だが、泉水のことを気にかけてくれていることは確かだ。その好意をあまり重く受け止めていなかった泉水だったが……いざ2人きりで出掛けると、その考えが間違っていたと気付かされる。
セレスタイトでいつも見せる、紳士だけれど強気な態度とは少し違っていた。
普段話す時よりも逆に丁寧、というか、緊張しているような。
その様子に右京の不器用さというか、自分に対する本気度のようなものが感じられて――この誘いに乗るべきではなかったと、今更ながら泉水は後悔した。
せめて一緒にいる間は右京にも楽しんでもらいたいと、さっき食べたり飲んだりしたチョコとお酒の話で会話を盛り上げ、しばらくは良い雰囲気だったのだが――
しばらくすると右京の様子がおかしくなった。
口数が減り、ぼんやりとして俯きがちになってくる。
どうも気分が悪いらしい。慌てて後部座席の窓を開けて、冷たい空気を車内に入れた。
「右京さん……大丈夫ですか?」
「うん……ああ、大丈夫だ……」
「乗り物酔いですか?一度降ります?」
「いや、本当に大丈夫……」
そんなやり取りが続き、タクシーの運転手までがハラハラしながら「大丈夫ですか」と聞いてくるが、右京は「平気です」と頑張り続けた。
結局、セレスタイトで2人とも降りることにして、一度休んだ方がいいと勧めた。
タクシーを降り、フラフラしている相手の体を支えながら、泉水は店の鍵を開け、店内まで連れて行こうと頑張った。右京は泉水より一回り大きいがっちりした体格なので、支えるのも苦労した。
カウンターと調理場付近の電気を点け、なんとかテーブルまでたどり着き、椅子に座らせることに成功した時には、一仕事終えたような気分になった。
「右京さん、しっかり。今、お水を取ってきます」
「……済まない……」
カウンター内の調理場に入り、業務用冷蔵庫の中のペットボトルを取り出す。
急いで戻り、キャップを開けると右京の手に水を持たせた。
「飲めます?」
「ああ……」
ゆっくりとではあるが水を飲む右京を見て、泉水はホッと胸を撫で下ろす。
必至に右京を連れてきたので、かなり汗をかいてしまった。泉水はジャケットを脱ぎ、シャツ姿になる。置いてあったメニューを扇子代わりにして、自分の顔に風を送った。
ペットボトルの水を半分ほど飲んで、右京の顔色はようやく元に戻ってきたようだ。
「右京さん、もしかしてお酒があまり強くない……とか?」
泉水がそう指摘すると、図星を突かれたことで虚勢も張れなくなったのか「実はそうなんだ」と白状した。
「強そうに見られることが多いし、自分から誘っておいて弱いと言うのも恥ずかしくて……」
面目ない、と頭を下げる。
こんな風に小さくなってしょげている右京は、何だか子供のように見える。
いつもの堂々とした姿からは、想像も出来ない。
それならどうしてこの企画を選んだのだろうと思ったが……
“チョコレート好きの自分が興味を持ちそうだったから”
という理由からだとしたら、何だか胸が痛む。
「無理は良くないですよ……右京さんて、何でも完璧にこなそうとしすぎてるように見えるから。少し緊張して酔っぱらっちゃう右京さんも、それはそれでいいと思いますけどね」
ふっと泉水は笑い、落ち込んでいる右京を少しでも慰めたいと、そんな言葉をかける。
「あ、レモンがありますから、少し切りましょうか。さっぱりしていいかも」
そう言って、またキッチンの方へ向かおうとした時――右京の手が伸びて、泉水の腕を後ろから掴んだ。突然のことに、泉水は何が起きたか分からなかった。
振り返ると、さっきまで椅子に座ってぐったりしていた右京が立ち上がって、泉水を真剣な眼差しで見下ろしている。
「泉水くん……」
「えっ?」
右京が、泉水の身体を背後から抱き締めた。
「君は、優しいな」
「……!」
マズい、と泉水が思った時には、ガッチリと抱き寄せられて、身動きが取れなくなっていた。
「右京さん!ちょっと、冗談は止めてください」
「冗談……?冗談なんかじゃ――ない。ずっと、好きだった。初めて君を見た時から……柄にもなく、一目惚れ……というやつかな」
まだ少し喋り方がおかしく、酔っているのは確かだ。具合が落ち着いてきたせいで、こんな悪さをする余裕が出てきてしまったのか。泉水もすっかり油断していた。
「君だって、全くその気が無かったら――僕に、ここまで付き合わないだろう?」
「………!」
こんな台詞を、前にもどこかで聞いた。
泉水の身体が強張る。
右京の手がシャツの胸元にかかり、強い力で引かれるとボタンが弾け飛んだ。
「なっ、何してるんですか!」
「悪いようには、しないから……」
胸元に右京の手が触れてくる。
サッと泉水の頭から血の気が引く。
『大丈夫』
『僕も君が好きだよ』
『こうして欲しかったんだろ?』
――指が、足が、冷たくなる。
身体が動かない。
過去の記憶が泉水を縛る。
こうなったのは自分のせい、なのか?
「あの時」と同じ。
不用意に近付き過ぎて、勘違いさせた?
自業自得だと誰かが囁く。
冷たい記憶に支配されそうになった時、
――蓮の顔が、頭に浮かんだ。
このままでは、本当にあの時と同じになってしまう。
それだけは嫌だ、と思った時、泉水の身体は自然に動いた。
「……触らないでください」
「!?」
泉水の足が、思い切り右京の足の甲を踏んだ。
「痛い!!」
「ごめんなさいっ!」
一瞬怯んだせいで、腕の力が緩んだ。その隙に、肘打ちを相手の鳩尾に叩き込む。
「ううっ!」
痛みで前屈みになったところで拘束から逃れる。そのまま右京の膝裏に回し蹴りを入れ、バランスを崩させた。よろけてカウンターにぶつかった右京が、天板上のグラスを床に落としてしまい、硝子が割れる音が店内に響く。
「……手荒な真似は、したくなかったんですけど」
ふう、と息を吐いて、構えを解いた泉水の動きは、明らかに武道経験者の動きだった。右京は泉水に軽くあしらわれた事がまだ信じられないようで、言葉もなく――目を丸くしている。
「僕には付き合ってる人がいます……!右京さんのことは唯のお客様としか思っていません。勘違いさせたのなら、本当にごめんなさいっ」
「……つ、付き合ってる?まさか――あのホストの男だとか、言わないよな?泉水くん……!」
「そんなの、右京さんには関係な――」
「どうしてだ!?彼より、私の方がよっぽど条件がいいじゃないか!」
逆上した右京が、再び泉水に近寄ろうとした時。
鎌倉の御成通りにあるショコラの専門店を出た後、泉水と右京の2人は一緒にタクシーに乗っていた。
泉水はやり残した仕事もあるので、送るのは店まででいいと既に右京に告げていた。
右京の自宅は港区で、泉水の方が先に降りることになる予定だ。
「今日は本当にありがとう。無理を言って申し訳なかったね」
隣に座る右京がいつまでも済まなさそうに言ってくるので、泉水は苦笑する。
「いえ、普段お世話になってますから。それに、お酒とチョコのペアリングっていう企画、自分で作るスイーツの参考にもなりました」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。君は繊細な舌をしてるから、そうやって面白がってくれるんじゃないかと思ったんだ」
「………」
“下心見えすぎ”と、とにかく蓮に評判の悪い右京だが、泉水のことを気にかけてくれていることは確かだ。その好意をあまり重く受け止めていなかった泉水だったが……いざ2人きりで出掛けると、その考えが間違っていたと気付かされる。
セレスタイトでいつも見せる、紳士だけれど強気な態度とは少し違っていた。
普段話す時よりも逆に丁寧、というか、緊張しているような。
その様子に右京の不器用さというか、自分に対する本気度のようなものが感じられて――この誘いに乗るべきではなかったと、今更ながら泉水は後悔した。
せめて一緒にいる間は右京にも楽しんでもらいたいと、さっき食べたり飲んだりしたチョコとお酒の話で会話を盛り上げ、しばらくは良い雰囲気だったのだが――
しばらくすると右京の様子がおかしくなった。
口数が減り、ぼんやりとして俯きがちになってくる。
どうも気分が悪いらしい。慌てて後部座席の窓を開けて、冷たい空気を車内に入れた。
「右京さん……大丈夫ですか?」
「うん……ああ、大丈夫だ……」
「乗り物酔いですか?一度降ります?」
「いや、本当に大丈夫……」
そんなやり取りが続き、タクシーの運転手までがハラハラしながら「大丈夫ですか」と聞いてくるが、右京は「平気です」と頑張り続けた。
結局、セレスタイトで2人とも降りることにして、一度休んだ方がいいと勧めた。
タクシーを降り、フラフラしている相手の体を支えながら、泉水は店の鍵を開け、店内まで連れて行こうと頑張った。右京は泉水より一回り大きいがっちりした体格なので、支えるのも苦労した。
カウンターと調理場付近の電気を点け、なんとかテーブルまでたどり着き、椅子に座らせることに成功した時には、一仕事終えたような気分になった。
「右京さん、しっかり。今、お水を取ってきます」
「……済まない……」
カウンター内の調理場に入り、業務用冷蔵庫の中のペットボトルを取り出す。
急いで戻り、キャップを開けると右京の手に水を持たせた。
「飲めます?」
「ああ……」
ゆっくりとではあるが水を飲む右京を見て、泉水はホッと胸を撫で下ろす。
必至に右京を連れてきたので、かなり汗をかいてしまった。泉水はジャケットを脱ぎ、シャツ姿になる。置いてあったメニューを扇子代わりにして、自分の顔に風を送った。
ペットボトルの水を半分ほど飲んで、右京の顔色はようやく元に戻ってきたようだ。
「右京さん、もしかしてお酒があまり強くない……とか?」
泉水がそう指摘すると、図星を突かれたことで虚勢も張れなくなったのか「実はそうなんだ」と白状した。
「強そうに見られることが多いし、自分から誘っておいて弱いと言うのも恥ずかしくて……」
面目ない、と頭を下げる。
こんな風に小さくなってしょげている右京は、何だか子供のように見える。
いつもの堂々とした姿からは、想像も出来ない。
それならどうしてこの企画を選んだのだろうと思ったが……
“チョコレート好きの自分が興味を持ちそうだったから”
という理由からだとしたら、何だか胸が痛む。
「無理は良くないですよ……右京さんて、何でも完璧にこなそうとしすぎてるように見えるから。少し緊張して酔っぱらっちゃう右京さんも、それはそれでいいと思いますけどね」
ふっと泉水は笑い、落ち込んでいる右京を少しでも慰めたいと、そんな言葉をかける。
「あ、レモンがありますから、少し切りましょうか。さっぱりしていいかも」
そう言って、またキッチンの方へ向かおうとした時――右京の手が伸びて、泉水の腕を後ろから掴んだ。突然のことに、泉水は何が起きたか分からなかった。
振り返ると、さっきまで椅子に座ってぐったりしていた右京が立ち上がって、泉水を真剣な眼差しで見下ろしている。
「泉水くん……」
「えっ?」
右京が、泉水の身体を背後から抱き締めた。
「君は、優しいな」
「……!」
マズい、と泉水が思った時には、ガッチリと抱き寄せられて、身動きが取れなくなっていた。
「右京さん!ちょっと、冗談は止めてください」
「冗談……?冗談なんかじゃ――ない。ずっと、好きだった。初めて君を見た時から……柄にもなく、一目惚れ……というやつかな」
まだ少し喋り方がおかしく、酔っているのは確かだ。具合が落ち着いてきたせいで、こんな悪さをする余裕が出てきてしまったのか。泉水もすっかり油断していた。
「君だって、全くその気が無かったら――僕に、ここまで付き合わないだろう?」
「………!」
こんな台詞を、前にもどこかで聞いた。
泉水の身体が強張る。
右京の手がシャツの胸元にかかり、強い力で引かれるとボタンが弾け飛んだ。
「なっ、何してるんですか!」
「悪いようには、しないから……」
胸元に右京の手が触れてくる。
サッと泉水の頭から血の気が引く。
『大丈夫』
『僕も君が好きだよ』
『こうして欲しかったんだろ?』
――指が、足が、冷たくなる。
身体が動かない。
過去の記憶が泉水を縛る。
こうなったのは自分のせい、なのか?
「あの時」と同じ。
不用意に近付き過ぎて、勘違いさせた?
自業自得だと誰かが囁く。
冷たい記憶に支配されそうになった時、
――蓮の顔が、頭に浮かんだ。
このままでは、本当にあの時と同じになってしまう。
それだけは嫌だ、と思った時、泉水の身体は自然に動いた。
「……触らないでください」
「!?」
泉水の足が、思い切り右京の足の甲を踏んだ。
「痛い!!」
「ごめんなさいっ!」
一瞬怯んだせいで、腕の力が緩んだ。その隙に、肘打ちを相手の鳩尾に叩き込む。
「ううっ!」
痛みで前屈みになったところで拘束から逃れる。そのまま右京の膝裏に回し蹴りを入れ、バランスを崩させた。よろけてカウンターにぶつかった右京が、天板上のグラスを床に落としてしまい、硝子が割れる音が店内に響く。
「……手荒な真似は、したくなかったんですけど」
ふう、と息を吐いて、構えを解いた泉水の動きは、明らかに武道経験者の動きだった。右京は泉水に軽くあしらわれた事がまだ信じられないようで、言葉もなく――目を丸くしている。
「僕には付き合ってる人がいます……!右京さんのことは唯のお客様としか思っていません。勘違いさせたのなら、本当にごめんなさいっ」
「……つ、付き合ってる?まさか――あのホストの男だとか、言わないよな?泉水くん……!」
「そんなの、右京さんには関係な――」
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