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17 ホストクラブ『Φblivion』-オブリビオン- ③
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蓮の肩に腕を回し、お互いの顔と顔をグッと近付けてくる。
一気に高城の纏う香水の薫りに包まれて、あ、と蓮は思い出したくない相手を思い出してしまう。
(そうだ、皇さんがいつもコレつけてるんだったな……)
ディオールの『ソヴァージュ』。
あの男とすれ違った時に、すぐ気付いたのはそのせいだ。
「最近、売上が落ちてるよな。たまにNo.ギリギリのときもあるし……何か理由があるのか?」
一瞬で空気が張り詰めた。隙だらけの喉元に突然、白刃を突きつけられたようだ。
さっき感じた不穏な気配は、やはり気のせいではなかったらしい。
「それは――すみません。固定客に甘え過ぎたかもしれないです」
「お前に覇気がないと俺が困る……分かるだろ?」
いや、全然わかりませんよ?……と言いたいが、とてもそんな状況ではない。
この店では売上ランキングの5位までを「No.持ち」として待遇を区別する。
常にトップのNo.1が高城で、その次に蓮がNo.2を取ることが多いが、それは不動ではない。このところ、その順位が安定していないことを揶揄されているのは分かるのだが、高城が蓮のランキングにそこまでこだわる理由が分からない。
肩に置かれた手に力が入った。
にっこりと笑う美しい笑顔の奥に潜む、無言の圧がかなり怖い。
息がかかりそうな至近距離で、その強い視線を受け止める。
つ、と顎に指をかけられた。
「お前、この店では2番手だろうが何だろうが別に構わない……なんて腑抜けたこと考えてるんじゃないだろうな?」
痛い所を突かれて、蓮は返事に困った。
確かに今の蓮はランキングにはこだわっていない。客にも自分にも、必要以上の負荷をかける仕事の仕方はやめたのだ。
それが手を抜いているように見えたとしたら、この男の癇に障ったとしても不思議はないが――たとえ高城であろうと、自分の行動について口出しされるいわれはないと思った。
「俺だって真剣にやってますよ。遊びに来てる訳じゃないですから」
「……どうだかな。歌舞伎町にいた頃とは別人みたいだって、噂だぞ」
「!」
触れられたくない過去の話を持ち出されて蓮は動揺した。一体どこからその情報が伝わったのかと考えて、心の奥底に沈めた記憶が揺らぐ。
高城の指に頬をゆっくりと撫でられて、背筋に震えが走った。
抗えない強い力に脳が危険信号を発し、ゾクゾクする。
この男に支配されたいと望む女は、どんな気持ちでこんな危ない感覚に身を委ねているのだろうか――と。魅入られたようにその目を見詰めた。
「……俺を退屈させるなよ、連夜」
薄く笑って、蓮の肩に食い込ませた指の力を抜いた。密着していた体が少し離れる。
視線で屈服させられる前で助かった。
(退屈……ね)
それが一番の本音ということか。
No.2に収まった蓮が、そのまま大人しくしていることがご不満らしい。
この人は自分に向かってくる相手が欲しいのかもしれない。
その牙と爪で本気でじゃれられたら、大抵の相手はひとたまりもないと思うのだが。
「……努力します。でも皇さんのモチベーションが俺なんかで左右される筈ないですよね?」
蓮が精一杯の嫌味で応じると、ハッと高城は渇いた笑い声を上げる。
「後輩と同じ答えだなんて、オリジナリティが無くて面白くない。それも指導対象だぞ……まぁいい。そのうち、ゆっくり飲もう」
「はい、喜んで」
蓮の肩を軽く叩いて抱き寄せていた身体を解放した。高城が立ち上がり、控室の方に足を向ける。
その背を見送りながら、危険な生き物が自分から離れていく感覚を味わう。
それはまるで雄の肉食獣が尻尾を揺らしながらゆっくりと去っていく光景のようで――蓮は苦笑するしかなかった。
「今のって、蓮夜先輩に対する牽制ですか?」
高城がいてもいなくても全く雰囲気が変わらないユキが、不思議そうに尋ねてくる。
はあぁーと大きく息を吐きながら、蓮は硬直した身体をドサリとソファに投げ出した。
「お前、ホント心臓が強くて羨ましいよ……あの人の圧を浴びて、何でそんなに普通?」
「人の圧とか、よく分かりません」
「本当に凄いなお前……。まぁ牽制というか、仕事舐めんなよっていう気合い入れなんだろうな。あの人、ホストっていう仕事に真剣だから」
「高城先輩と蓮夜先輩の仲って、どうなんですか」
「ちょっと敵視されてて何かと絡まれる仲、ってとこかな……でも嫌がらせとかそういう感じじゃない。そこはあの人らしいけど」
「ライバルとして認められてる、ってことですかね」
何気ないユキの言葉に、蓮は唇を噛んだ。
「俺にはそんな資格なんて――」
「……先輩?」
「俺が仕事で無理はしない主義だ、ってお前も知ってるだろ?多分、こういう軽いノリがあの人のお気に召さないんだと思う。ライバルなんてそんな上等なもんじゃないよ」
「……」
ユキは蓮の過去話に言及して来なかった。興味がないのか、それとも気遣いなのかどうかはよく分からない。
この2人の間にしては珍しく沈黙が落ちた時、蓮のスマホに着信があった。
「――ん?」
それを見た蓮の顔色がみるみる変わる。
『例の歯医者が来て、ものすごく分かりやすく、泉水を口説いてる。海外土産を持ってきて、今度一緒に出かけようって誘ってるぞ。どうする?』
と、橘からのメッセージが届いていた。
「えっ、急にそんな物騒な顔になります?」
「口説かれてる……だと?」
「どうしたんですか」
蓮が、スマホを手にしたまま俯いて小刻みに震える。
「俺の泉水さんが、分かりやすく、口説かれてるらしい……あの歯医者に……っ!」
「――どこから確認したらいいですかね。『俺の泉水さん』か、『あの歯医者』か、『口説かれてる』か」
わっ、と蓮がユキに泣きついた。
「ユキぃ、今すぐ泉水さんのとこに飛んで行きたい…っ!」
「ムリだって分かってるでしょ?『泉水さん』がさっきの写真の人なんですね」
涙声ですがる蓮を、よしよしとユキが宥める。
今は18時。
あと1時間ほどで仕事が始まる蓮にはどうしようもない。
(……どうする、って何だよ。先走って手を出すなって言ったのそっちだろ?
牽制しといてそんなこと言うとか……煽ってんのか?)
蓮の苛立ちはピークに達し、つい橘へと向かってしまう。
『後で一部始終報告求む』
とだけ爆速で返信して、スマホをソファに投げつけた。
「モノに当たっちゃダメですよ」
ユキにものスゴく真っ当なことを言われ、反論できない。蓮は頭を抱えた。
セレスタイトは今が閉店時間だから、客が居なくなる時間を狙ったのだと推測できる。
(ついに本気モード、ってことか?
……海外土産ね。そういえばスウェーデンに行くとか言ってたな……)
と、前回遭遇した時のことを思い出す。
あの「ソヴァージュ野郎」と。
メラメラと嫉妬の炎が燃え上がるが――
泉水は誰のものでもない。
恋愛は自由だ。
蓮に止める権利はない訳で。
(早くその権利を奪い取れ……ってことだよな)
蓮はソファの上でゴロゴロと転がって身悶えしてしまった。
一気に高城の纏う香水の薫りに包まれて、あ、と蓮は思い出したくない相手を思い出してしまう。
(そうだ、皇さんがいつもコレつけてるんだったな……)
ディオールの『ソヴァージュ』。
あの男とすれ違った時に、すぐ気付いたのはそのせいだ。
「最近、売上が落ちてるよな。たまにNo.ギリギリのときもあるし……何か理由があるのか?」
一瞬で空気が張り詰めた。隙だらけの喉元に突然、白刃を突きつけられたようだ。
さっき感じた不穏な気配は、やはり気のせいではなかったらしい。
「それは――すみません。固定客に甘え過ぎたかもしれないです」
「お前に覇気がないと俺が困る……分かるだろ?」
いや、全然わかりませんよ?……と言いたいが、とてもそんな状況ではない。
この店では売上ランキングの5位までを「No.持ち」として待遇を区別する。
常にトップのNo.1が高城で、その次に蓮がNo.2を取ることが多いが、それは不動ではない。このところ、その順位が安定していないことを揶揄されているのは分かるのだが、高城が蓮のランキングにそこまでこだわる理由が分からない。
肩に置かれた手に力が入った。
にっこりと笑う美しい笑顔の奥に潜む、無言の圧がかなり怖い。
息がかかりそうな至近距離で、その強い視線を受け止める。
つ、と顎に指をかけられた。
「お前、この店では2番手だろうが何だろうが別に構わない……なんて腑抜けたこと考えてるんじゃないだろうな?」
痛い所を突かれて、蓮は返事に困った。
確かに今の蓮はランキングにはこだわっていない。客にも自分にも、必要以上の負荷をかける仕事の仕方はやめたのだ。
それが手を抜いているように見えたとしたら、この男の癇に障ったとしても不思議はないが――たとえ高城であろうと、自分の行動について口出しされるいわれはないと思った。
「俺だって真剣にやってますよ。遊びに来てる訳じゃないですから」
「……どうだかな。歌舞伎町にいた頃とは別人みたいだって、噂だぞ」
「!」
触れられたくない過去の話を持ち出されて蓮は動揺した。一体どこからその情報が伝わったのかと考えて、心の奥底に沈めた記憶が揺らぐ。
高城の指に頬をゆっくりと撫でられて、背筋に震えが走った。
抗えない強い力に脳が危険信号を発し、ゾクゾクする。
この男に支配されたいと望む女は、どんな気持ちでこんな危ない感覚に身を委ねているのだろうか――と。魅入られたようにその目を見詰めた。
「……俺を退屈させるなよ、連夜」
薄く笑って、蓮の肩に食い込ませた指の力を抜いた。密着していた体が少し離れる。
視線で屈服させられる前で助かった。
(退屈……ね)
それが一番の本音ということか。
No.2に収まった蓮が、そのまま大人しくしていることがご不満らしい。
この人は自分に向かってくる相手が欲しいのかもしれない。
その牙と爪で本気でじゃれられたら、大抵の相手はひとたまりもないと思うのだが。
「……努力します。でも皇さんのモチベーションが俺なんかで左右される筈ないですよね?」
蓮が精一杯の嫌味で応じると、ハッと高城は渇いた笑い声を上げる。
「後輩と同じ答えだなんて、オリジナリティが無くて面白くない。それも指導対象だぞ……まぁいい。そのうち、ゆっくり飲もう」
「はい、喜んで」
蓮の肩を軽く叩いて抱き寄せていた身体を解放した。高城が立ち上がり、控室の方に足を向ける。
その背を見送りながら、危険な生き物が自分から離れていく感覚を味わう。
それはまるで雄の肉食獣が尻尾を揺らしながらゆっくりと去っていく光景のようで――蓮は苦笑するしかなかった。
「今のって、蓮夜先輩に対する牽制ですか?」
高城がいてもいなくても全く雰囲気が変わらないユキが、不思議そうに尋ねてくる。
はあぁーと大きく息を吐きながら、蓮は硬直した身体をドサリとソファに投げ出した。
「お前、ホント心臓が強くて羨ましいよ……あの人の圧を浴びて、何でそんなに普通?」
「人の圧とか、よく分かりません」
「本当に凄いなお前……。まぁ牽制というか、仕事舐めんなよっていう気合い入れなんだろうな。あの人、ホストっていう仕事に真剣だから」
「高城先輩と蓮夜先輩の仲って、どうなんですか」
「ちょっと敵視されてて何かと絡まれる仲、ってとこかな……でも嫌がらせとかそういう感じじゃない。そこはあの人らしいけど」
「ライバルとして認められてる、ってことですかね」
何気ないユキの言葉に、蓮は唇を噛んだ。
「俺にはそんな資格なんて――」
「……先輩?」
「俺が仕事で無理はしない主義だ、ってお前も知ってるだろ?多分、こういう軽いノリがあの人のお気に召さないんだと思う。ライバルなんてそんな上等なもんじゃないよ」
「……」
ユキは蓮の過去話に言及して来なかった。興味がないのか、それとも気遣いなのかどうかはよく分からない。
この2人の間にしては珍しく沈黙が落ちた時、蓮のスマホに着信があった。
「――ん?」
それを見た蓮の顔色がみるみる変わる。
『例の歯医者が来て、ものすごく分かりやすく、泉水を口説いてる。海外土産を持ってきて、今度一緒に出かけようって誘ってるぞ。どうする?』
と、橘からのメッセージが届いていた。
「えっ、急にそんな物騒な顔になります?」
「口説かれてる……だと?」
「どうしたんですか」
蓮が、スマホを手にしたまま俯いて小刻みに震える。
「俺の泉水さんが、分かりやすく、口説かれてるらしい……あの歯医者に……っ!」
「――どこから確認したらいいですかね。『俺の泉水さん』か、『あの歯医者』か、『口説かれてる』か」
わっ、と蓮がユキに泣きついた。
「ユキぃ、今すぐ泉水さんのとこに飛んで行きたい…っ!」
「ムリだって分かってるでしょ?『泉水さん』がさっきの写真の人なんですね」
涙声ですがる蓮を、よしよしとユキが宥める。
今は18時。
あと1時間ほどで仕事が始まる蓮にはどうしようもない。
(……どうする、って何だよ。先走って手を出すなって言ったのそっちだろ?
牽制しといてそんなこと言うとか……煽ってんのか?)
蓮の苛立ちはピークに達し、つい橘へと向かってしまう。
『後で一部始終報告求む』
とだけ爆速で返信して、スマホをソファに投げつけた。
「モノに当たっちゃダメですよ」
ユキにものスゴく真っ当なことを言われ、反論できない。蓮は頭を抱えた。
セレスタイトは今が閉店時間だから、客が居なくなる時間を狙ったのだと推測できる。
(ついに本気モード、ってことか?
……海外土産ね。そういえばスウェーデンに行くとか言ってたな……)
と、前回遭遇した時のことを思い出す。
あの「ソヴァージュ野郎」と。
メラメラと嫉妬の炎が燃え上がるが――
泉水は誰のものでもない。
恋愛は自由だ。
蓮に止める権利はない訳で。
(早くその権利を奪い取れ……ってことだよな)
蓮はソファの上でゴロゴロと転がって身悶えしてしまった。
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