紋章という名の物語

彩城あやと

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 ナサニエルは人間たちの国々のように、互いが領土や資源を独占しようと争うことがなければ、国家の体制や活動に大きな不満を持ち、一部の群衆や軍事組織が武装蜂起することもない、穏やかに統治された国だった。
 アルヴィンはそんなナサニエルで、国王であるオスカー三世の17番目の子として、壮大な魔力を持って生まれ落ち。
 水の精霊も、風の精霊も、火の精霊も、土の精霊も、アルヴィンの誕生を祝福していることから、ナサニエルに住む魔法使いたちは、きっとアルヴィンこそが次代の国王になるだろと、囁き合っていた。
 そんな中、7歳になったアルヴィンは、『王の紋章』が自分には継承されす、国王にはなれないと言う不思議な確信を抱いていたようだ。
 アルヴィンの兄姉たちがナサニエルを心から愛し、心からナサニエルを支えたいと願っていたのは周知の事実。
 だが、アルヴィンは、何故、アルヴィンの兄姉たちが生まれた土地と言うだけでそこまでナサニエルを愛せるのかと不思議に思い、不思議に思う自分はきっとどれほど魔力を磨いたとしても国王になることなんかない。
 次期国王候補であるアルヴィンは、今日初めて会ったケレスに、そう語っていた。

「アルヴィン王子! 国王を選ぶのは精霊たちですから! 王族の一員として生まれたからにはこの国王になるべく、最低限の教養を身に付けて下さい! ああっ、もう逃げないで!」

 護衛件、教育係のヘンドリック、ド、ロルジュがアルヴィンの襟首を、むんずと掴んだ。

「本日は少しでもアルヴィン王子を楽しい気分で学ばせようと、閣下がアルヴィン王子と歳のい従兄のケレスさまをこの勉強会に招いて下さったのに、何を語っているのですか!
 ほら、ケレスさまもお困りになっているでしょう?」

「ケレスは困ったふりをしているだけさ。そうだろ? ケレス?」

「困っている訳でもなく、困ったふりをしている訳でもなく、呆れているのですが。
 アルヴィン王子と一緒にアルヴィン先生の元で歴史を学べと言われたこの数時間、学べたのはこの本に書いてある五行だけですよね?
 ロデット先生もすでにこの勉強会を諦めたのか、窓辺でこっくりこっくりと船を漕いでいますが、僕、今日は本当に勉強会に招かれたと考えていいのでしょうか?」

 ずばっと思った事を口にしたケレスはその実、人見知りの強い子供であった。
 いや、正確には思った事を遠慮なく口にしてしまう性分から、物静かにしていることを心がけている子供だったのだが、アルヴィンのそばにいるうちに、いつの間にか素の自分をさらけ出してしまっていた。
 アルヴィンが自由奔放すぎるのだ。
 次に何を言い出すのか、しだすのか、掴めないうちにケレスはいつの間にか、猫かぶりベールを剥いでいた。それは不快なものではなく、むしろ楽しいものであった。

 アルヴィンがくすくすと笑った。

「うん。ロデット先生はもう、ご高齢だからね。ここはそっと休ませてあげるのが優しさだと、僕は思う。
 でもケレスはすごいね。まだ9歳なのに、識字率がやたらと低いこの国で読み書きが出来るんだから。これは誇れることだよ。僕が断言してあげる」

「あ、ありがとうございます」  

 ケレスが頬を赤く染めた。
 どうやらケレスは何をしでかすか分からない2歳年下のアルヴィンに呆れを通り越し、憧れを抱いてしまっていたようだ。
 アルヴィンは自由奔放だが、魔力は高く、見た目麗しく、頭の回転も早ければ、身体能力も高い。時期国王だと噂されてもいる。
 そんなアルヴィンに褒められると、痒いような誇らしい気持ちになる。

「いえいえ、どういたしまして。ケレスはもうロデット先生から学ぶべきことはないよ。うん。そう、ないよ。そういうこと訳でヘンドリック、僕とケレスはここで失礼させていただ」

「かないで下さい!」

 昔、騎士団の合間をクールに闊歩していたヘンドリックがその身を振り乱しながら、飄々と逃げようとするアルヴィンを羽交い締めにした。 

「アルヴィン王子! 今日、こそは! 歴史を! 学んでいただかないと!」

 アルヴィンが何でもないようにヘンドリックの腕から抜け出した。

「ヘンドリック。ぼくはナサニエルの歴史よりも、土地よりも、ナサニエルに住む魔法使いたちや精霊たちのほうが何十倍も、何百倍も、何千倍も好きなんだ。
 だから国王は『国』が大好きなお兄さまの誰かが引き継ぐべきで、今、ぼくはケレスと庭で精霊たちと遊ぶほうが大事なんだよ。なので失礼。行こ、ケレス」

 ケレスは「今日、僕は勉強しに来たのです。遊びに来たわけではありません」と言えなかった。
 この場はもはや、勉強会ではない。それならいっそふっ切れて、アルヴィンの言うまま、心ゆくまで遊んでみたかった。
 ケレスの灰蒼色の瞳が困惑の色と好奇心の色を織り交ぜてアルヴィンを見上げると、アルヴィンが花を咲かせたように笑った。

「ケレス、遠慮はいらない。僕の手を取って」

 差し出された小さなアルヴィンの手。
 それはケレスが守ってあげたいと思えるほど、小さくて華奢な手だった。

 この手を取って遊びに行けば、怒られるだろうな、とケレスは思った。
 だが、差し出されたアルヴィンの手はケレスの手に比べてあまりに小さく、守ってやらなければとケレスの庇護欲が働く。

 ケレスはぱっと迷いを振り切ったようにアルヴィンの小さな手を取り椅子から立ち上がった。

「小さい手。これはまだ誰かが守ってあげなくてはいけない手だ」

 僕が責任をもって、アルヴィンの代わりに怒られてあげよう。
 そしてこのアルヴィンの手が大きくなり、アルヴィンがナサニエルの国王となっても、汚れ役くらい買って出よう。
 アルヴィンは自由奔放だけど、そこがいい。
 両親の前でも猫をかぶっていなければならない僕よりずっと、いい。

「ケレス。今、ぼくね、火と水と風と土の精霊たちと一緒に、誰にも見つからないように、庭じゅうに深い、深い、落とし穴を掘っているんだ。しかも水入り」

 ケレスが灰蒼色の瞳を驚きで見開かせた。

「待って下さい。その落とし穴、誰かが落ちたら、溺れてしまいませんか?」 

「うん。溺れるらしいね。でもケガはしないらしいよ。犠牲者の数はすでに二桁を超えたって風の噂で聞いたけどね」

「ふ、二桁!? と言うか、そこらじゅう、警備だらけのこの宮殿の広大な庭に、誰にも見つからないように落とし穴を、掘っているんですか?」  

「落とし穴作るとき、姿も音も消せば大丈夫、誰にも見つからないから」
 
 ケレスが躊躇した。

「……僕にそんな高度な魔法を僕が使えるかどうか……」

 魔法で深い深い落とし穴を掘るには火の精霊を使って地面を爆発させる必要がある。
 しかもその爆発音を風の精霊に消してもらいながらの並行魔法。
 掘った穴の土が張った水を吸わないようにさせるにはどうすればいいのか。
 ケレスにはそのやり方が分からない。
 でも、アルヴィンは知っているのだろう。
 ケレスは灰蒼色の瞳を好奇心いっぱいに輝かせながらアルヴィンを見た。

「僕にも出来るかな?」

「もちろん!」

「庭師が泣きます! お止め下さい! アルヴィン王子の作った落とし穴に落ちるのは、怠惰な魔法使いばかりとはいえ……あ……っ! 待っ!」

 アルヴィンはケレスの手を握り締めたままヘンドリックから走り逃げる。ロデット先生は相変らず船を漕いだままだ。

「怠惰な魔法使いは王宮にいらないよ! ヘンドリックもそう思っているだろ?」

「思ってても言えません!」

 思っているんだ。
 目を丸くするケレスの隣でアルヴィンが笑った。

「そんな正直さが好きだよ!ヘンドリック!」

 ケレスとアルヴィンを追いかけていたヘンドリックの足が止まる。
 ケレスとアルヴィンの目の前には外へと続く扉。
 開けば、楽しいことはそこから始まる。
 
 ただし、ヘンドリックが止めさえしなければ、の話だが。
 ケレスとアルヴィンが振り返れば、諦めたようにヘンドリックが大きなため息をついた。

「時間は一時間。落とし穴の深さは子供らしく10センチまで。守れますか?」

 ヘンドリックの了承を得たアルヴィンとケレスは輝いたように顔を見合わせ、扉のノブを大きく開ける―――――そこには。
 いつもは廊下の壁に飾られてある大きなタペストリーが。
 ケレスとアルヴィンの視界に。
 飛び込んでこない。
 ひとりの男が。
 立ちはだかっている。

 闇を落としたような黒髪。
 澄んだアイスブルーの瞳。
 魔法使いじゃない。
 人間でもない。
 のちとして知る。

 魔王だ。

 ケレスが怯えたように一歩引いた。
 変わりにアルヴィンが前に一歩前に、出る。 

「可愛い!!」

 魔王がにやりと笑った。

「見つけた」

 アルヴィンの腕を魔王が掴んだ。
 その瞬間。
 アルヴィンと魔王の間に閃光が走り抜ける。
 ケレスは恐怖に立ちすくみ、目を閉じた。閉じることしか出来なかった。
 アルヴィンの声にならない悲鳴がケレスの全身に走り抜ける。
 ケレスの本能が叫んだ。

 ――見てはいけない!
 ――聞いてはいけない! 

 耳も塞いだケレスの耳に絹を切り裂くような甲高いアルヴィンの声がどこまでもこだまする。
 ヘンドリックの慌ただしい足音が鳴り響く。
 ケレスがおそるおそる瞼を開けば、冷たい大理石の床の上。アルヴィンがまばたきもせずに転がっていた。焼け焦げた服の下には、『代理王の紋章』。
 ケレスは衝撃でその場に崩落ち、何故、自分がアルヴィンより前に進み出なかった自分を責めた。

『代理王の紋章』を国王に授けられた者は――――精霊たちから『王の紋章』を受け取る権利を剥奪される。
 アルヴィンが『王の紋章』を継承し、ナサニエルの国王になることはもう、ないのだから。


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