紋章という名の物語

彩城あやと

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 ☆



 あたたかい寝床の中。
 ごそりとアルヴィンが身じろぎした瞬間、優しいぬくもりが消えて冷気が襲ってくる。
 目を開けると朝もやけ。鋭い目をしたアルヴィンが森の奥を見つめながら手早く、後ろ手に縛ったツタを解いていた。

「アルヴィン?」

「静かに」

 アルヴィンがすらりと剣を抜き、森に気配を溶け込ませる。
 ただならないアルヴィンの気配。
 おそらくアルヴィンの視界の向こう――何かがいる。
 狩の時の要領だ。俺もそっと深呼吸しながら森へと気配を溶け込ませるとアルヴィンが驚いた気配を見せた。ふと微笑んだ気配も一瞬。アルヴィンの気配が完全に森へと溶け込んだ。
 俺も同じように気配を消しながら、森の奥に感覚を研ぎ澄ますと、首筋にビリビリとしたものが走った。
 危険が近づいていると肌がようやく感じる。
 アルヴィンを見上げた。
 すごいものだと思う。
 自給自足を余儀なくされた俺やオヤジは生きていくために森と同化するすべを肌で覚えざるを得なかった。
 医者にはかかれない身の上なのだから、そんな野性の勘を養わざるを得なかった。
 それなのに。アルヴィンは俺よりも早く危険を察知して行動を起こした。
 アルヴィンが身にまとうものすべては豪奢で、手に握っている剣も異趣ある装飾が施されてある。
 だから苦労知らずの貴族(へんたい)かと思っていたのだが。違ったのか。
 手元に置いていた攻撃用の棒切れを拾う。口の中でフィシアを呼び、臨戦態勢に入る。
 ざざざざざ。森の奥から風が泳いでくる。
 木々をくぐり抜け、出てきたものはバグロフ――白い霧をまとい、獲物の生気を奪いほふる、熊にも似た魔獣だった。
 遭遇率はかなり低くく、知能は高い。やっかいな相手だ。
 アルヴィンの手は昨晩俺がツタで縛り、アルヴィンが解いたのはつい先ほどだ。アルヴィンの手は痺れていて当然。剣を握っているのもやっとのことだろう。
 俺一人でバグロフを仕留めなければ。
 手に汗握り、風を、フィシアを躍り出させる前。
 アルヴィンが風のように動いた。
 アルヴィンに踏みしめられた枯葉が舞う。重みのあるマントがバサリと宙に浮かぶ。
 あとは一瞬。
 どうっと鈍い音を立てて、バグロフが地面に転がっていた。 

「すみません。起こすつもりはなかったのですがよく眠れましたか?」 

 驚いた。強い。
 普段魔法を使うはずの魔法使いがこれほどまでの剣技を見せるとは。

 ほっと一息ついたアルヴィンが優雅な足取りで近づいてくる。
 金の髪が朝日を浴びて豪奢な輝きを増してくる。  
 蒼い瞳が俺を射すくめる。
 こいつはあまりにも――綺麗すぎる。

「旦那さま?」

「あ……」
 
 アルヴィンの形のいい唇から吐かれた言葉がなければ呆然と見惚れてしまうところだった。
 
「旦那さま……何だその呼び方は?」

 変態プレイの続きか。SMか。
 なんだってこう……見惚れるような容姿をしているくせに中身は残念なんだ。

「何をおっしゃいますやら……もう私たちは夫婦ではありませんか」

「夫婦?」

「ええ、夫婦です。ひと晩身を寄せ合って夜を越したおかげをもちまして」

 アルヴィンがの腕が優美に動く。その手首には白いブレスレッド。そして何故か俺の手首にも同じものが。

「はぁ!? なんだこれは!?」

「いつまでも永遠に続く輪(ブレスレッド)、夫婦の証しですよ。もしかして人間の世界にはないのですか!?」

「そんなひと晩寝ていきなり現れるファンタジー(ブレスレッド)なんか、ない!!」

「ええ!? 人間界の世界は変わっているんですね!?」

 いや、そんな綺麗な顔で妙に感心されても。

「魔法使いの感覚で変わっていると言われればそれまでだが、はっきり言おう。人間の世界では一緒にひと晩寝たからと夫婦になるという習慣はない。男同士で夫婦とかも」

 そう男同士の場合、『夫婦』(ふうふ)にはならず『夫夫』(おっとっと)になる。いや、ならないか。
 
「おかしいですね」

 ずずずいっとアルヴィンが俺の腕を取り、しげしげとブレスレッドを見つめた。

「この夫婦の証しはお互いの精力を魔力に代えずに愛の営みに耐え忍んだふたりに現れるもの。ちなみに同衾する前にすでに契を結んだふたりには現れませんが。いいですか?」

 アルヴィンの顔が近い。前髪にアルヴィンの髪が、体温が触れる。

「夫婦になるためにはお互いの魔力、精を放出することなく、反発させることなく、精霊たちに祝福してもらわなければならないのです。つまり。私たちは精霊たちに祝福された間柄になります」

「ひと晩一緒に寝ただけで大げさな。おい、その剣を貸せ」
 
 ブレスレッドは天然素材、皮のようなもので出来ている。剣でなら切れるだろう。

「な、な、何をされるおつもりですか!? やめて下さい!」

 アルヴィンの腰から剣を取り上げようとして、地面に押し倒された。

「おい! 何をする! 放せ!」

「放しません。いいですか。私が旦那様に『一緒に寝よう』と誘われ、しかもひと晩耐え忍んだ。何故だと思います?」

 何故だろう。
 アルヴィンは知っていた。
 契――ヤった経験のない俺たちがひと晩寝れば夫婦になるということを。
 だが、一緒に寝ないという選択肢もアルヴィンは選べただろうし。
 逆に欲望に素直になって、ひと晩寝る前に俺を無理やり犯しておけば、夫婦になれなかったことも知っていただろう。
 バグロフが襲う気配を感じたアルヴィンがツタを解いたことからそれは両方可能だったはずだ。
 それなら何故。
 ――ああ、そうか。

「アルヴィンが変態だからか?」

「どうして私が変態になるんですか!?」

「どこからどう見てもそうなるだろう」

 アルヴィンは自分の行動を省みたのか押し黙った。どうやら心当たりはあるらしい。

「……旦那様」

「なんだ」
 
 変態を認めるのか?

「舞い上がった自分の行動は確かに認めましょう」

 上から目線だな。

「旦那様の見た目に踊らされた自分にも」

 ああ、見た目(冷徹非道顔)は呪いのせいだから気にしなくてもいいんだが。

「ですが、今生にただひとり。旦那様を伴侶に選んだ私の気持ちも考えて下さい!」

 考えろと言われても……昨日会って、昨日のうちに俺と夫婦になるとアルヴィンは決断した。
 何故なら。
 今まで変態過ぎて誰にも相手されなかったからか? なんてこと。失礼すぎて本人に聞けるわけがない。

「あ――……」

 なんて言ったらいいものか。少しアルヴィンが不憫になってきた。ほだされはしないが。
 アルヴィンが優美な仕草で音もなく膝を折り、俺を見上げた。

「たとえ旦那様に夫婦になる覚悟がなかったにしても。私、アルヴィン・フェナー・グスターヴァス・アルファンガスはその名にかけて責任を負います」

「いや、負わなくていい。大仰すぎるだろ」
 
 慌てて膝を折るアルヴィンを立ち上げると、そのアルヴィンがごいっと俺を羽交い締めにしてきた。

「取らせて下さい!」

「それが人にものを頼む態度か!!」

 首がもげる!

「旦那様。ここはいがみ合わずに、神殿へと向かいましょう」

「このままの姿勢でか!?」

「了承のお返事がいただけないようであれば、あるいは」

 どんな脅しだ。
 しかもその『了承』。
 夫婦になる了承のことか、それとも神殿へと向かう了承のことか、はっきりしない。

「いいか、俺は人間だ。魔法使いの習慣には付き合えない」

「そう、なんですよ。そこなんです」

「……どこを指して言っている?」

 こいつ、思考が少し飛んでるな。

「旦那様が人間だと言うことです」

 ドキリと心臓が跳ねた瞬間。するりとアルヴィンの腕が解けた。

「旦那様は黒髪黒瞳で、人間です。それなのに私たちは夫婦の証しを持つことが出来た。いえ、旦那様を一目見て欲しいと感じた私にとって、結果的には良かったと思うのですが。
 けれど、ですね。夫婦になるには『お互いの魔力、精を放出することなく、反発させることなく、ひと晩を過ごし、精霊たちの祝福を受ける』ことが必要になります」

「……だから?」

「人間である旦那様が持ちえない魔力を持っていたということになります」

「……なるほど」

 魔王の紋章を継承して魔法使い化が進んでいるからな。精霊(フィシア)も使えるし、魔力を持っていても不思議じゃないが。
 問題は。
 アルヴィンの抱いた疑問をどうやって誤魔化すかだな。
 魔王の紋章を継承して、さらに男の伴侶を手に入れ、魔法使いの国で王になるなんてごめんだ。
 アルヴィンが花が咲くかのように微笑んだ。

「旦那様は人間ながらも微力の魔力を持つ稀有(けう)のお方だった。そして私たちは運命の相手であったということでしょうか?」

 違うと思う。
 でもそういうことにしておかなければ、この場を誤魔化すことは出来ないような気がする。
 ため息が溢れた。

「行きましょう。旦那様」

 アルヴィンのやつ。俺の返事を待たずに勝手に納得しやがったな。

「アルヴィン。話がある」

「なんでしょう?」

「別れよう」

「え?」

 そもそも夜が明ければ、この変態(アルヴィン)とは別行動を取るつもりだった。
 ちょうどいい機会だ。

「別れよう」

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