紋章という名の物語

彩城あやと

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 半月ほど経っただろうか。
 朝も昼も夜も関係なく、身体で身体を強く結び続ける行為をアルヴィンに強要され続け、いっそこの身体を粉々に引き裂いてしまえ、と叫んだのも昨夜のこと。
 その俺の身体を抱きしめ、死んだように眠るアルヴィンは一体、何を考えているのか。
 この半月間、俺の機嫌を取るようにありとあらゆる贈り物をしてきた。居間にはそれがあふれかえっている。
 とても家に持ち帰れる量だとは思えない。
 持ち帰るつもりなんて、さらさらないが。

 ふとアルヴィンの鍛えれれた肩にある代理王の紋章を見た。完成している。昨夜まではあやふやな色をしたいたというのに。
 そっとアルヴィンの腕から抜け出した。
 その拍子にアルヴィンの長いまつ毛がかすかに震えた。起きるのか。そう思ったのだが、アルヴィンは規則正しい寝息を繰り返し、深い眠りから戻ってくることはなかった。
 それもそのはず、アルヴィンは朝も昼も夜も関係なしに俺を抱いていたにも関わらず、どうやって時間を工面しているのか代理王としての仕事も滞りなく推し進めていた。
 疲れ果てているんだろう。

 音を立てないよう、ベッドから抜け出し、ワードローブを開けた。生地は上質。カフスは宝石。アルヴィンが俺に似合うだろうと用意してくれた服があふれかえっている。
 だか、俺の元々着ていた服はどこにもなかった。
 あの服はこの部屋にもアルヴィンにも似つかわしくない粗末な服だった。きっと捨てられてしまったのだろう。
 だが、これでは家に帰れない……こんな高価な服をもらってかえるわけにはいかない。
 しばらく考え、袖を通した。
 服は服だ。裸で帰る訳にはいかない。
 代理王の紋章が完成した今。俺がここにいる必要は、ない。

 ……アーレフ。オヤジの住む村に帰ろう。

 俺はアーレフから、俺がほとんどの魔法が使えるようになったことを聞いていた。
 つまり、ここから迷える森まで、空間移動ができる。

『アルヴィンに別れを言わなくていいのか?』

 アーレフがクリスタルブレスレッドの中からそう聞いてきた。
 ちなみにアーレフとの契約はあっけないほど簡単に完遂していた。あれほどアルヴィンに抱かれれば、それもそのはず。
 それでもアーレフがクリスタルブレスレッドの中にひそんでいるのには理由があった。
 アルヴィンは実体化したアーレフを目の前に、執拗なくらい俺の身体をまさぐってくるためだ。変態め。アーレフはブレスレッドの中にしまっておくほかないだろうが。

『オルランド?』
 
 ……しめっぽい別れは好きじゃない。帰ろう。

 振り返り、アルヴィンを見た。長いまつげに影が出来ている。いつ見ても綺麗な男だと思う。
 心の中でアルヴィンにさよならを言った。
 直接アルヴィンに言えないのは、俺が弱いせいだ。
 俺が元々着ていた粗末な服。
 代理王の紋章が完成した今。俺もあの服と同じようにあっさりと捨てられてしまう思うと、正気じゃいられなくなる。
 
『俺はたくさん別れを見てきた。綺麗な愛ほど、別れは汚れていた。だからオルランドはアルヴィンに別れを言わないのか?』

 ……反対だ。汚れた愛ほど、別れは綺麗だ。だから別れは言わなくていい。

 代理王の紋章が完成した今。あとは用ナシとばかりに、アルヴィンが笑って「さよなら、お元気で」と言ってくるのが目に見えている。ふっと息を吐いた。

『オルランド。俺にはそんな風に思えない。アルヴィンはオルランドを想っている。ここにずっととどめておきたいと画策するくらいには』

 アルヴィン代理王の紋章を完成させるためだけにアルヴィンは俺を利用していただけだ。

 ……帰ろう、アーレフ。

『分かった。帰ろう。ユージンの元へ』

 クリスタルブレスレッドが光を放つと、それはやがて俺の全身を包んだ。
 身体が重力を失う。
 死んだように眠るアルヴィンを見る。手が無意識のうちに伸びた。

 別れたくない。
 堰を切ったように涙があふれてくる。
 アルヴィンと過ごした日々が走馬灯のように頭に浮かんで消える。
 死ぬわけでもないのに。

「さようなら、アルヴィン」

 言葉がぽろりと口から零れた。
 そう声に出して言わなければ、アルヴィンと決別できないような気がした。
 光りが視界を遮っていく。アルヴィンが見えなくなっていく。

 アルヴィン。俺は二度とナサニエルに戻らない。だがアルヴィンが立派な王になることを遠い国から祈っている。どうか、幸せに。

 そんな最後のつぶやきは、光りの粒になって消えていた。


 

 ☆



 一度の空間移動で、迷える森の手前までまで、たどり着いたことには驚いた。
 辺り一面。深い雪。
 空を見上げれば、重たい灰色。大つぶの雪が次から次から、降ってくる。

 嗚咽が唇の端から漏れた。
 涙腺が壊れたように熱くなり、感情のまま、泣き叫びだしそうになる。

『オルランド。どうした?』

 ……悪い。少し、ひとりにしてくれないか?

 アーレフの気配がふと消えた。手には無機質なクリスタルブレスレッド。
 アーレフは俺がアルヴィンに抱かれているときもこうして、どこかに姿を隠してくれていた。

 はらはら。はらはら。冷たい雪が降ってくる。

『ね、旦那様。この降り積もる雪のように、私たちも時間を重ね、思い出を積もらせましょうね……私たちどちらかの命が尽きるまで』
 
 身体が雪の中に崩れ落ちた。
 支えていられなかった。
 自身の体重も。
 重責も。
 義理も。
 何もかも。
 捨てたかった。
 王の紋章も。
 オヤジも。
 自分が自分であることでさえ、捨ててしまいたいたかった。
 
 降る雪を脱け殻のように見つめていれば、身体が凍る。不思議と生きていることを実感して笑えてしまう。
 見上げれば、雪。雪。雪。
 白くもなんともない、灰色の雪が降ってくる。
 
 アルヴィンともう二度と会えない。

 心の中が伽藍洞(がらんどう)になったようだった。何も残っていない。
 これから何をすればいいのか。今、何をすればいいのか分からない。涙さえでない。

 雪が辺りに積もり、俺の身体にも積もり、このままだと凍死してしまうことが目に見えているのに、動けない。
 
 俺はオヤジの元に、帰ろうとしていたはずだ。だからアルヴィンと別れたはずだ。思い出しても、動けない。
 心が伽藍洞で、まるで世界のすべてが消えてしまったみたいで、動けない。

 ぎしり、ぎしり、ぎしり。

 雪を誰かが踏みしめる音。振り返ればそこに、雪まみれのアルヴィンが立っていた。

「もう、見ていられません。死ぬ、おつもりですか?」

 腕を掴まれた。お互いの身体に降り積もった雪がどさどさと落ちる。強く抱きしめられた。
 髪にかかる吐息。体温。匂い。すべてがアルヴィンだ。

「震えているではありませんか」

 強く抱きしめられ、光が跳ねる。俺の身体に降り積もった雪が消える。雪でぬれた服が乾く。冷えた身体が、あたためられていく。

「アルヴィン……離せ」

 怖い。一度失ったぬくもりに包まれ、また失う。その瞬間が怖い。涙でにじむ視界の中、アルヴィンを見上げれば、アルヴィンが息を飲んだ。

「旦那さ……オルランド」

 オルランドと呼ばれて、心が軋む。アルヴィンの中で、俺たちはもう、夫婦じゃなくなってしまった。
 それを何度も何度も、この半月間、強調されてきた。もう、たくさんだ。

「代理王の紋章は完成しただろう。もう、俺に触るな」

 アルヴィンの身体がするりと離れた。背中に回されていた手が最後に落ちる。
 アルヴィンが弱々しく微笑んだ。人形のように綺麗に。絵画のように美しく。

「すみません。旦那……オルランドに嫌われて当然のことをしていしまった自覚くらいあったのですが見ていられず。ですがどうか、お慈悲を。
 お見送りくらいさせて下さい」

 俺に降り積もった雪を魔法で消したアルヴィンの身体にはまだ雪が積もっていた。
 寒さに透き通る肌。凍えている。アルヴィンは出て行った俺をすぐに追いかけ、声はかけないつもりで見送ろうとしていたのか?

 綺麗な愛ほど、別れは汚れている。
 汚れた愛ほど、別れは綺麗だ。
 アーレフの言った言葉とその言葉に返した自分の言葉を思い出した。
 アルヴィンは代理王の紋章を完成させるためだけに俺を何度も抱いた。
 だから別れはきっと綺麗なものになるんだろう。
 そう、そのほうがいい。
 せめて別れだけでも、綺麗に。

 ……アーレフ、アルヴィンの雪を払い、身体をあたためろ。

『分かった』

 光りの粒がアルヴィンの周りに跳ねる。
 目を見開き、成長を喜ぶような顔を見せるアルヴィンから目をそらした。

「着いてくるなら、好きにするといい」

 灰色の空の下。
 風が喜ぶように舞い上がったように――見えた。
 アルヴィンもそれを見上げる。
 迷える森の奥がさざめきだす。早く、来い。と言わんばかりに。それはぱっくりと闇を開いたかのように、どこか不気味なものだった。
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