紋章という名の物語

彩城あやと

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『これから辛くなる、耐えられるか』

 クリスタルブレスレッドの精霊、アーレフが俺だけに聞こえる声でそう言ってから、あれから何日たったのか。


 魔力が足りない。
 頭が割れるように、痛む。吐く。
 チェンバーポットを抱込んだ。
 胃の中のものをひっくり返すように吐こうとするが、胃の中はすでに空っぽのようだ。喉だけがぐうっと鳴った。
 苦しかった。魔力が足りない状態がこんなに苦しいものだとは思わなかった。
 この苦しさはオヤジの住む村に行った時の比じゃない。このままだと枯れる。生きたまま、枯れる。
 ふっ、とロウソクの火を消すように、意識が途切れた。
 そして、覚醒する。

 また――繰り返すのだ。
 ずるずると魔力を吸い取られ、解放されない地獄のような苦しみの中へと。
 苦しみから逃れたくて、涙がこぼれた。

 このまでは気が、狂う。

「オルランド」

 あたたかい布で清められた。
 ケレスだ。膝を折り、俺を心配そうに覗き込んでいる。
 ケレスは俺が気を失ったあと、必ずといっていいほどこうして俺を覗き込んでいるが、アルヴィンはあの日以来、見かけることもない。
 あれから何日たったのか。
 よく、分からない。

『俺と契約して27日たっている』

 アーレフが答えた。
 初めは声だけしか聞こえなかったアーレフも俺(けいやくしゃ)だけに見える姿を見せている。
 細く編んだ茶色い髪。、鳶色の瞳。
 着ているものと言えば、襞が多く優雅に見える腰帯から巻かれた白いの布一枚だけ。
 人間でも、魔法使いでもないと、言外に語る瑞々しい赤銅色した肌を晒し、あとは過剰に思える装飾品で身を飾っているだけだ。
 それらはどこか理知的さを醸し出しながらも、歩み寄りだの協調性だの、そうしたものとは無縁だと言っているようようにも見える。

 ああ、頭が割れるように痛い。

『王。王の伴侶から魔力をもらえ。このままではユージンのように王の紋章を失う』

 アーレフが威風堂々とそう言った。

 望むところだ。
 王の紋章は、誰かに譲渡し、俺はアルヴィンと人間になって、オヤジの元に帰らなければならない。
 だからアルヴィンから魔力はもらえない。

『王。王は低魔力脳症になりかけている。王の紋章を失うだけじゃない。このままでは障害が残る。王の伴侶から魔力を貰え。呼ぶんだ。王の伴侶を』

 ゆるゆると首を横に振った。

 ナサニエルの王は魔法使いがなるべきだ。
 俺は魔法使いじゃない。
 王の紋章は俺が持つべきものじゃない。

『王は認められた魔法使いだ。すでに人間ではない』

 ゆるゆると首を横に振った。

 違う。
 俺は人間だ。
 人間として生まれて人間として死ぬ。

 手を強く握りしめられた。ケレスだ。
 俺がアーレフと会話をしていると思わず、首を横にばかり振るから、変に思ったのだろう。
 自嘲的で嫌な笑みが浮かんだ。
 ケレスは俺の気が狂ったとでも思ったのだろうか。

 ああ、頭が割れるように痛い。

「オルランド」

 心配そうなケレスの声。
 ケレスは出会ったばかりの俺にもよくしてくれる。
 
 大丈夫。

 そう言おうとして頭を抱え込んだ。頭が、割れる。

「オルランド!」

『王。これ以上は無理だ。呼べ、王の伴侶、アルヴィンという男を』
 
 ……アルヴィンは呼ばない。呼べない。
 だが。 
 
「アルヴィ…は、どこ、に…いるんだ?」

 ひどくかすれた声が唇から漏れた。病的に乾いている。
 ケレスの整った眉根が、ぐっと深いシワをきざんだ。

「アルヴィンは……代理王としてヘンリーと共に各領地を巡っている」

「そう、か」
 
 ケレスは俺のそばにずっといてくれているが、アルヴィンはヘンリーと共にいる。
 ヘンリー。翠蒼の瞳。緩く束ねた淡い金。アルヴィンの肩を抱いてた優雅で、どこか猥雑な男。
  
「オルランド。そんな顔をするな。アルヴィンは代理王だ。己のなすべきことをしている」

 そんなこと、分かっている。
 だがアルヴィンがそばにいないと落ち着かない。
 苦しい。さみしい。心細い。
 アルヴィンを補充したい。
 
『呼べ。王の伴侶を。貰え。魔力を貰え。苦しまなくていい。本来なら俺と契約するべきではなかったのだ。俺は許さざるべき存在だ』

 アーレフから聞き逃せない言葉を聞き、アーレフを見た。
 
 ……アーレフ、許さざるべき存在、とはどういうことだ?

『言葉の通りだ。俺は失われた魔術書(ロストグリモワール)を使って、魔法使いたちによって造られた精霊だ。自然に生まれたものじゃない。魔法使いたちに許さざる存在だと言われている』

 ……許さざるべき存在なんかこの世に存在しない。

『だが魔法使いたちはこぞってそう言う。厭(いと)う。俺たちを見つければロストチャームに封印する。
 迷える森にいる精霊も俺と同じ許されざるべき存在だ。だから封印されていない『許さざるべき存在(せいれい)』は迷える森に住んでいる……どうした? 王?』

 ……魔法使いたちがアーレフのことを許さざるべき存在だと言う? 厭う? 封印する? 自分の祖先が勝手に作り出しておいたものを? 

『王は怒っているのか? 何故?』

 ……アーレフ。この世に存在の許されない者なんかいない。

 アーレフが驚いたように鳶色の瞳を大きくした。

『王……俺は王が生まれたときから知っている。クリスタルブレスレッドの中から見ていた。
 大らかなのも、頑固なのも、天邪鬼なのも、王の紋章を継承したことも知っている。王になれ。厭われる続けた俺たちロストグリモワールから生まれた精霊たちのためにも』

 ……俺は王にはならない。

『俺は王が赤ん坊の時から王になればいいと思っていた。仕えたいと思っていた』

 ……オルランドと呼んでくれ。俺は王にはならない。仕えなくてもいい。

『王』

 ……オルランドだ。

『…………オルランド、俺はオルランドのそばにいたい』

 ……いればいい。オヤジにも言われている。
 アーレフの身の振り方に責任を取れないのなら、ブレスレッドと契約するなと。
 帰ろう。アーレフ。オヤジの元に。

『だが、オルランドが人間になれば、俺の精霊としての力が使えなくなる』

 アーレフと契約したのは人間になるためだ。アーレフの精霊の力なんかいらない。

『……いらない? いらないのか? 昔から皆が欲しがるこの力を?』

 ……ああ、いらない。こうして時々話し相手になってくれると……しまった! もしかして人間の住む土地では、こうした会話ができなくなるのか?

『契約者(オルランド)に限り、それはない。だがオルランド、俺の力をうまく使えば偉大な王として後世にも名を残せる』

 ……残すつもりなんかない。アーレフの力はいらない。必要なのはアーレフの存在だ。

『俺の、存在が、必要。力、では、なく』

 ……俺は冷徹非道顔だ。
 普通に会話をしてくれる相手が欲しい。

 ふっと、ため息がもれた。
 激しい頭痛が襲ってくる。痛みにもんどりうった。

「オルランド!!」

『この男に席を外すよう伝えろ』

 いぶかしんでアーレフを見上げた。

『俺がオルランドの今ある苦しみから解放させてやる。それにはこの男は邪魔だ』

 アーレフの言葉にこくりと頷き、俺がケレスにひとりにして欲しいと頼めば、ケレスは後ろ髪引かれるような顔をしながらも「扉の前で待っている」と言って部屋から出て行ってくれた。
 ケレスがいなくなると、ケレスがベッドの上。仁王立ちでこう言った。

『実現化する。耐えろ』 

 実現化?

 魔力が枯渇しかけていたのにも関わらず、残ったわずかな魔力をクリスタルブレスレッドが吸い取った。
 視界が点滅する。耳鳴りが。喉から呻き声が漏れる。
 呼吸さえままならない。
 死ぬかもしれない。

 そう思ったとき。
 ギシリと。
 ベッドが鳴った。
 アーレフだ。俺にしか見えない幻のような姿ではなく、ベッドの上に威風堂々と存在している。

「オルランド、平気か?」

 そう聞いてくるアーレフのこめかみから、ひとしずく、汗が流れ落ちるのが見えた。

 アーレフのほうこそ平気なのか。

 言葉を紡ぐ余裕はなく、心の中でアーレフにそう聞くとアーレフがふと妖艶に笑った。
 アーレフのあたたかい両手が俺の両頬を包んだ。熱いくらいだ。それが今は心地よい。うっとりと目を閉じる。
 
 唇に熱い吐息が触れる。
 眼前には鳶色した強い眼光。アーレフの精悍な顔がある。
 驚いてのしかかるアーレフの身体を押し返した。

「オルランド、魔力を返す。魔法使いたちは魔力交換で魔力を回復させている。その要領で、オルランドに魔力を返す」

「待て。返さなくていい」

 力の入らない手でアーレフの分厚い胸板を押し返した。しっとりとしたきめ細やかな肌。熱い。人間とも魔法使いとも肌質が違う。

「遠慮はいらない」

「遠慮じゃない!! それでケレスを部屋から退出させたのか!!」

 アーレフがゆったりとした動作で首を傾げた。

「オルランドは見られているほうがいいのか?」

 会話が通じない。
 ガンガンと鳴り止まない頭痛がさらにひどくなったような気がしてこめかみを抑えると、アーレフに身体を引っくり返された。背中にアーレフの体重が押しかかる。

「アーレフ!?」

「じっと、していろ」

「…………っ!」

 ゆるりと。
 副越しに後孔を撫でられた。驚いて声も出ない。頭痛さえ忘れて振り返った。
 アーレフが間近に俺を覗き込んでいる。威風堂々とした姿で。
 少しは悪びれてもいんじゃないか。この国の国民性は一体どうなっているんだ。と呆れかえっていると、部屋に静かな声が響いた。

「そこまでです」

 どこから急に現れたのか。
 キラキラと舞うダイヤモンドダストを背にアルヴィンが目の前に立っていた。
 アーレフは無言でベッドを降りると、腕を組みアルヴィンを見据えているが。
 寒い。
 
「落ち着け、アルヴィン。それよりいつの間にここに?」

 アルヴィンは俺の問いに何も答えず、優美な仕草で俺の顎をすくい上げた。
 唇に唇が落ちてくる。
 軽く吸われ、食まれる。口内に潜り込んだ舌が心地よいところをくすぐってくる。
 注がれる。吸われる。翻弄される。唾液が、魔力が、飲み込めない。

「やめ……ろ、アルヴィン……」

 誰かに王の紋章を継承させられなくなる。
 飲み込みきれない唾液が唇の端から溢れる。角度を変えて何度もアルヴィンの唇が降ってくる。
 アルヴィンの熱さに翻弄される。
 唇が離れると、ぐったりとアルヴィンの胸に身体を預け、熱い吐息を吐き出した。

 飢えている。
 魔力が欲しくてたまらない。
 唾液で濡れた唇を舌で舐めると、アルヴィンの指がそのあとを追ってくる。
 アルヴィンを見上げれば、人形のように綺麗な顔で、人形のように美しく、綺麗に笑った。

「覚悟が決まりました、旦那様。私は代理王の紋章を完成させ、ナサニエルの王になります」

 その時、俺は知らなかった。
 俺が継承した王の紋章を他の誰かに継承させるため、事情を知ったケレスとヘンリーがアルヴィンが俺に魔力交換させないよう引き離していたことや
 それでもアルヴィンがケレスとヘンリーの目をかいくぐり、姿隠しの魔法で頻繁に俺の様子を覗いていたこと。
 このままだと俺が低魔力脳症から障害が残ることが考えられることから、俺が継承した王の紋章を他の誰かに継承させることを諦め、自分が代理王になろうと王太子として覚悟したことを。

 そんなことを知らない俺はアルヴィンが俺と離れている間に心変わりしたのかと思った。
 事実、俺の知らないアルヴィンが目の前にいる。
 目の前にいるアルヴィンは以前のように、旦那様、旦那様、と馬鹿のひとつ覚えみたいに嬉しそうに瞳を輝かせず、蒼い瞳を凍らせたように俺を見ている。
 心が凍る。
 アルヴィンを連れて出て行ったヘンリーはひどく魅力的な男だった。 

「何ですか、旦那様? その顔は。またいつものように、性的目的で俺に触れれば離婚だ、と私を脅す気ですか?」

「違……」

 うわずった声。
 俺はアルヴィンとオヤジの住む村に帰るつもりだった。
 今更、離婚だとか考えられない。それなのにアルヴィンは代理王になる覚悟を決めたと言う。

「いいですよ。私が王になれば、離婚でも、絶縁でも、して差し上げましょう。ただし、この代理王の紋章を完成させるまで、付き合って貰うことになりますが」

 ――どうせ魔法使いは、人間の住む国で生きていけないのですから、同じことです。

 そんなアルヴィンの心の声は俺の耳に届かない。

 ただ、バリバリと引き裂かれるような胸の痛みの中。笑みが溢れた。
 俺がこのままアルヴィンと魔力交換しなければ、他の誰かに王の紋章を継承され、ナサニエルに新国王が生まれる。
 だがアルヴィンが望むなら、アルヴィンが代理王としてナサニエルを統べればいい。
 俺はアルヴィンの足かせにはなりたくない。それでも。

「俺と別れる覚悟があるなら好きにすればいい」

 口から強がりが漏れた。
 これはもはや性分なのだろう。
 アルヴィンの腕の中。アルヴィンを強く抱きしめれば、強く抱き返された。
 アルヴィンの手も、首筋に触れる吐息も、かすかに震えている。お互いが震えている。
 目の前に見えた別れが、悲しくて。辛くて。それでもこの辛い気持ちを相手に押し付けたくなくて、震えている。
 耳元でアルヴィンが愛を囁いたような気がするが、それは俺の聞き違いだろう。
 俺はもう、アルヴィンに愛されてはいない。
 アルヴィンは代理王になることを、選んだ。
 きっと首筋に触れるアルヴィンの熱い吐息は、震えは、王になれる確証を得て、歓喜に浸っているものだろう。
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