紋章という名の物語

彩城あやと

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 オヤジからクリスタルブレスレッドを借り受け、イグネイシャスにあるケレスの屋敷に戻ったときには、初夏を思わせる太陽が暮れかけていた。
 
ケレスは俺が迷える森の神殿で願いたいことを、知っている。
人間に戻り、オヤジの元へと帰りたいということを。
それをアルヴィンにも伝えなければならない。

テーブルの上に用意された上質な茶葉が醸し出す香りを楽しむことも出来ず、ため息ひとつつくと、アルヴィンとケレスが席を立ち、俺を囲んできたので、たじろいだ。
どうやら、綺麗な蒼い四つの瞳は、魔力の少ない土地で奪われた俺の体力を心配しているようだ。
俺の凶悪非道顔を恐れもしないで、それどころか、幼い子供を心配するかのように、心配している。
ため息をついたのは、魔力の少ない土地で体力が奪われたせいではないのに。

「アルヴィンに、話がある」

「話、ですか?」

首を優雅な動作で傾げるアルヴィンを横目に、ケレスは俺の意図を察したのか、ひとつの提案をしてきた。

「オルランドの顔色はまだすぐれないようだ。無理にとは言わない。せめてローズガーデンで憩い、安らぎを感じながら……アルヴィンと話をしてみればいい」

疎外感を感じたのか、アルヴィンが綺麗に整った眉を片方上げが、俺はこのケレスの提案に乗ることにした。

ケレスと別行動を取り、鬱々とした気分でアルヴィンと向かったローズガーデンでは、日暮れ前だというのに自然の生命力であふれていた。
湖面に遊ぶ水鳥の姿。樹木の香気。ささやくような風の声。
そこはケレスの言うように、憩いと安らぎを感じることができる空間だった。
だが、鬱々とした気分が晴れない。
 それはそうだ。
俺はアルヴィンを騙していた。
アルヴィンに、触れば離婚だ、だの、勝手なことを言い続けていたが、俺は最初からアルヴィンとの夫婦生活を続けられないことを覚悟していた。卑怯者だ。
本物のことを言えば、アルヴィンもそう思うだろう。軽蔑する。

「綺麗ですね」

 アルヴィンの艶やかな声で肩がビクリと揺れた。
顔は地面に伏せたまま。
目に入るのは、地面に転がった小石。
薔薇も、アルヴィンも見る余裕が持てず、口が「ああ」とだけ、相槌を打っていた。

「旦那様、このローズガーデンは人為的ながらも自然そのものを創造し、自然と生きる思想を感じます。自然の生命力も。
そんな中でそんな顔をなさって……」

「アルヴィン」

「私にキスでもおねだりするおつもりですか?恥じらうことはありません。エロい旦那様、私にとってそれはご褒美でしかありませんから」

固まった。
アルヴィンは、馬鹿か。いや、変態か。
人が真剣に悩んでいるというのに、脳内がピンク一色で染まっている。
呆れて伏せていた顔を上げると、アルヴィンが今にも泣きそうな顔をしながら、俺を見ていた。
息が、止まる。
アルヴィンは何か勘付いている。

「旦那様」

アルヴィンの両手が俺の両頬を包んだ。綺麗な顔が俺の顔に迫ってくる。
キス、される。目を、閉じる。

「旦那様」

コツンと額にアルヴィンの額が当たる。

「熱はありませんね」

目を開くと、アルヴィンの綺麗な青い瞳が飛び込んできた。
触れるだけのキスも。
驚いてアルヴィンの蒼い瞳を覗き込むと、アルヴィンのあたたかい手が俺の両頬を包んだ。

「旦那様、不治の病をとうとう、発病してしまいましたか?」

グッと息が詰まった。
アルヴィンは信じている。俺が不治の病だと。その告発を今だと、思っている。
違うのだが。
すっと息を吸った。

「違う、アルヴィン、俺は不治の病なんか患っていない」

アルヴィンが驚きに目を見開いた。

「俺は」

俺はオヤジから継承してしまった王の紋章を不治の病のように例えただけとも言えない。
オヤジは魔王だ。
数々の混乱をナサニエルに残してきた。そんなオヤジを売るようなことを俺の口から言えない。
言葉を無くしていると、アルヴィンが満面の笑みを浮かべ、俺をぎゅっと抱きしめた。

「旦那様は不治の病ではなかったのですね!良かった!!」

額に、頬に、いくつも、いくつも、アルヴィンの唇が押し当てられる。アルヴィンは喜び、舞い上がっているが。
焦る。

「は、話を最後まで聞いてくれ」

「はい」

嬉しそうに微笑むアルヴィンは見惚れるほど綺麗で、息が詰まる。そうだーー今更ながらに気が付いたが、俺はこの顔が初めて見たときから、好きだった。

「アルヴィン、俺は言わなかったことがある。俺が迷える森の神殿で願おうと思っていることは……こと、は……」

 言い淀んでいると、アルヴィンの腕が優しく俺の身体を抱きしめ、背中を優しく撫でた。 
目を、閉じる。
俺は孤独に慣れていた。オヤジ以外、誰とも話さない日々。それをむしろ望んでいた。恐れられる視線。感情。言動。そんなものにいちいち感情を動かしたくなくなかった。
 オヤジ以外の誰もがうとましかった。
こんなに、愛しいと思う人が出来ると思っていなかった。
そう、アルヴィンはいつの間にか俺の心に忍び込み、愛しい存在になっていた。
 
「旦那様?」

アルヴィンの腕を振り払い、アルヴィンの青い瞳を真っ直ぐに見上げる。
自分の気持ちに気が付いても、これから取らなければならない行動は変わらない。

「アルヴィン、俺の願いごとは……迷える森の神殿で願いたいと思うことは、普通の……人間に戻ることだ。だから、アルヴィンと、ずっと同じ時間を過ごすことは出来ない、すまない」

 アルヴィンの人形のように綺麗な顔が凍りついた。
それは、そうだ。
俺はアルヴィンを裏切っていた。しかも出会った日から、ずっと。
アルヴィンが優雅な仕草で一歩、二歩、と後退した。
罵られないだけ、マシだと思わなければ。

「今まで黙っていて、すまなかった」

アルヴィンは俺を許さないだろう。謝って許せる問題じゃない。逆の立場なら、まず間違いなく、キレる。

沈黙が落ちた。
アルヴィンは何も言わない。綺麗な姿はそのまま。本物の人形になったかのようだ。

一歩、下がった。
アルヴィンとの距離が広がる。手を伸ばせば、掴める距離ではあるが、アルヴィンはそのままだ。
もう、以前のようには戻れない。
別れの言葉を探して、締め付けられるように胸が痛んだ。
別れる、という行為自体、初めてだった。この世で一番離れたくない相手が今更アルヴィンだったと気が付いても、もう遅い。
これ以上、俺の願いごとを叶えるために、アルヴィンを頼るというのも虫がよすぎる。
誰かに迷える森までの行き道は誰かに聞きながら探すしかない。
逃げるように踵を返すと、アルヴィンに腕を掴まれた。

「どちらまで、行かれるつもりですか?」

「……迷える森の神殿まで」

「私がご案内します」

「だが、俺はアルヴィンを騙していた!これ以上は」

「旦那様」

暮れゆく太陽の下。
アルヴィンが祈りを捧げるように膝をついた。

「旦那様のいない世界で私は生きていけません。ですから、どうか、死を分かち合うまで私をそばに置いて下さい」

「アルヴィン……! 俺は」

「旦那様が人間に戻られると言うのなら、それはそれで結構です。私も迷える森の神殿で旦那様と同じように人間になりたいと願いますから」

「何を言って……!願いには、代償が……!」

「代償……? そんなもの、得られるものに比べれば些細なことに過ぎません。愛しています」

 アルヴィンが俺の両頬を両手で包み、微笑んだ。

「そんな顔をなさって、どうなさいました? 旦那様? あ、また私を変わり者……変態だと笑うおつもりですか?」

 アルヴィンがくすりと微笑んだ。

「ですが、恋をすれば、誰でも変になるものです」

「……アルヴィン」

力強く抱きしめてくるアルヴィンの腕の中、熱いものが身体の奥からこみ上げてくる。
これは歓喜だ。
アルヴィンと離れないで済む。
そう思うだけで、全身に喜びが満ちあふれる。
そっと瞼を閉じれば、花の香りが辺り一面に広がっていることに気が付いた。
 俺は――花を、踏みにじる結末を、オヤジの生き方から知っている。
喜ぶべきじゃない。

「アルヴィンが人間になれば、この国で暮らしたすべてのものを失う」


「ええ、ですから、代わりに旦那様をすべて、下さい」

色香を放ち、すっと目を細めたアルヴィンに顎をすくいあげられた。

「嫌、ですか?」

嫌なわけ、ない。
視界がにじむ。
ゆるく首を横に振ると、首筋にアルヴィンの長い指が滑る。
見上げると、アルヴィンの蒼い瞳が情欲の色に染まっていた。

「……待て、アルヴィン」

この、感じは、マズイ。

サッと身体をひるがえし、アルヴィンの身体から逃れようとしたが、アルヴィンは俺の腰を強く抱きよせた。
壮絶な色香を含んだ瞳に見下ろされる。

「旦那様、同意しておいて逃げてはいけませんよ、くれるんでしょう?私に、すべて」

「いや、待て、ここをどこだと思っている」

俺は知らなかった。
アルヴィンは迷える森の神殿で呪われ、俺といると理性を抑えきれず、本能のまま、獣になると。
そう、獣は欲情すると場所を選ばない。
物陰に隠れるとか、人目につなかい場所で移動して性行為に及ぶとか、そんな思考を持たない。

「アルヴィン、落ち着け」

「これが、落ち着いていられますか!」

深く口づけられた。
角度を何度も変え、そのつど、壮絶な色香を含んだ蒼い瞳で見つめられれば、たまらない。
すべてに魔力が含まれている。
気が付けば、アルヴィンの腕にしがみつき、深い口づけを受け入れていた。
ここが、野外にもかかわらず。

「……は……っ」

熱い吐息はもう、アルヴィンのものなのか、俺のものなのか、分からない。

アルヴィンの熱い手が、背中を這い、腰を撫ぜ、シャツをめくった。

アルヴィンの長い指先が俺の乳首、左右をまんべんなく刺激し、転がすと、そこはぷっくりと赤く膨らんだ。羞恥に顔が赤く染まる。

「旦那様、相変わらず……男をそそる反応をされますね」

「黙れ……ん、ぅ」

乳首をやわやわとこねられ、凶器のように運ばれる刺激は淫らで、息が、詰まる。

「アルヴィン……っ!やめろ」

「そんな顔でやめろと言われても、説得力がないのをご存知で?」

官能的な低い声で囁かれると、腰がぞくぞくとわなないた。
ボーズが下着ごと、ずり下される。そそり勃つ性器が外気にさらされる。

「やめろ!アルヴィン!何の、罰ゲームだ。こんなところで!」

「こんなところだから、イイんでしょう?ほら、旦那様のここ、触ってもないのに、気持ちよさそうにビクビクしている」

「ぁ、ああ……っ」

アルヴィンがするりと動いた。
アルヴィンの舌先が性器の弱い部分を舐める。強制的に魔力を注がれる。快楽をどこに逃していいのか分からず、アルヴィンの頭を押さえるが、結合された部分から、くちゅくちゅとした淫猥な水音が鳴り止むことはなかった。
いつの間か、アルヴィンの頭を押さえていた手は、髪を緩くかき混ぜるものに変わってしまっている。

ひどい、快楽。
イキそうになると、はぐらかされ、吐き出せない甘い快楽は、もどかしく、蕩けそうになる。
アルヴィンの長い指はすでに後孔に埋まり、小刻みにイイところを刺激している。

息が詰まる。あまりの気持ちよさに、呼吸が出来ない。

「は、ぁ、アルヴィン、やめろ、こんなとこ、誰かに見られたら……死ねる……っ!」

「死なないで下さい。私が見せるわけないでしょう。こんなに乱れる旦那様を」

腰をグイと引かれて、身体が前のめりになる。
倒れると覚悟すれば、透明な壁にぶち当たった。

「シールドを張っています」

後孔にアルヴィンの昂りが押し当てられる。圧が加わって、ずるりと、アルヴィンの性器が中に進入してくる。

「…………っ!」

強烈な刺激に、やめろと、叫ぼうとすれば、顎を掴まれ、強烈な口づけが与えられた。
小刻みに揺らされ、中のイイ部分を刺激される。

「ん、ふ、ぅ!」

「キツイ、ですか?」

耳元にかかる低いアルヴィンの妖艶な声。強い快楽に酔いしれてるーー俺の、中で。
耐えられない。
太ももがぶるぶると震えると、アルヴィンが熱い吐息を首筋に吹きかけ、俺の性器を扱き始めた。

「あ、ぁ、ぁ……っ」

快感が強すぎて、肌にじっとりと汗がにじんだ。後孔がきゅっと収縮する。

「く……っ、旦那様、中が絡みついてくる」

アルヴィンの性器が強く内壁を突き上げた。快楽が快楽を呼び、ふたりに連鎖が起きる。

「あ、ああああ……っ!」

俺が透明な壁に白い飛沫が飛び散らせるのが早かったのか、アルヴィンが俺の最奥で白い飛沫を注ぐのが早かったのか。爆ぜる。
官能の芯を引きずられるように、甘い、痺れ。
唇を震わせると、アルヴィンの唇がそれを止め、またゆっくりと中を抽送し始めた。

「小憎たらしいほど淫乱な孔ですね。今度はもっと、じっくりと、いたぶることにしましょう」

「あ……、落ち着け、アルヴィン、俺はもう、逃げないっ!だからもう、もう、いいっ!あ……っ!」

快楽神経に直接訴えるような動きが中で始まる。
拒むのが難しいような衝撃で突き上げられる。

「ひ……っ!あっ!」

「部屋に、移動しますか?」

コクリと頷くと、アルヴィンと結合したままの状態で、身体がふわりと浮き、ゲストルームのベッドの上に投げ出された。

青い瞳が俺を見下ろしている。
獲物を探しだしたかのように、鋭く輝いている。
ぐじゅり、結合した部分から卑猥な音が鳴り響いた。

「それでは、旦那様、終わらない快楽を、始めましょう」

「待て……ああっ!」

魔力を与え合うと、精が枯れないということを、俺はこの後、知ることになる。













 ☆





 クリスタルブレスレッドのアーレフと契約するに至り、ケレスがゲストルームの床に複雑な魔法陣を描いて、アルヴィンが術式を発動させた。
 青く光り輝く魔法陣の中。
 俺は布が被せられてある供物を、見ないほうがいいと、勝手に解釈したのが最後。
 気が付けば天蓋付きのベッドの中にいた。 
 どうやら俺は術式の途中で気を失ってしまったようだ。
 床に描かれていたはずの、魔法陣が消えてしまっている。
 窓の外はさんさんと光り輝く太陽が昇り初めていた。
 半日ほど、気を失っていたのだろうか。

「旦那さま、気が付かれましたか?」

 人形のように綺麗に整った顔をしたアルヴィンが俺の顔を覗き込んでいた。
 優しく微笑むアルヴィンはいつもよりやつれた顔をしていた。肌艶もあまり良くない。
 アルヴィンは術式にかなりの魔力を使ったのだろうか。それとも。

「アーレフとの契約に、失敗したのか?」

「いえ、契約は成功しました」

 アルヴィンが辛そうにふと目を逸らした。

「どうした? アルヴィン?」

 心配になって、アルヴィンの頬に触れようとすると、アルヴィンがするりと立ち上がった。

「アルヴィン?」

「喉が乾いていませんか? 旦那様は2日半、意識を失っておられましたから」

「いや」

 不思議と喉は乾いていなかった。
 それよりも。
 ゾクリ――身体の芯が燃える。

 気が付けば、アルヴィンの手首を掴み、アルヴィンの身体を引き寄せていた。
 絡み合う視線。
 熱い吐息がもれる。
 アルヴィンの柔らかそうな唇。滑らかな肌。爽やかな香り。

「旦那様」

 アルヴィンの眉間がきゅっと締め付けられた。
 いつもは爽やかな香りのするアルヴィンに、ふと、ひとつの香りが混ざった。
 この香りの正体を俺は知っている。
 この香りはアルヴィンが俺を欲しがるときの――雄の香りだ。

 するりとアルヴィンの腕を撫でる。
 欲しい。
 アルヴィンが。
 吐息も。唾液も。精液も。すべてが――欲しい。

「いけません! 旦那様!! そんなことをすれば……」

 そんなことをすれば?
 ふと、オヤジの言ったことを思い出した。
 確か……アーレフと契約が完遂するまでに契約者は魔力を無茶苦茶奪い取られるが、その状態を長く続ければ、王の紋章は他の誰かに譲渡される、と。
 アルヴィンの腕を離した。

「……悪い」

 俺とアルヴィンが人間になるなら、この王の紋章は誰かに譲らなければならない。
 アルヴィンは代理王だ。
 俺がこの代理王の紋章を誰かに譲渡しない限り、ナサニエルに未来はない。
 
 それでも香る。
 アルヴィンから香る。
 淫猥な雄の香りが。
 俺が王の紋章を継承していると知らないアルヴィンが、俺を押し倒してこないのはいいことなのだが、ジリジリと焦るようなもどかしさに、身が焦げる。
 やるせなさに、髪を掻き上げた。
 魔力が枯渇しかけている。乾いた身体がアルヴィンを求めてやまない。

「旦那様、ブレスレットを……見てください」

 クリスタルブレスレットに目を落とせば、小さくバケットカットされたたくさんのクリスタルのうち、数粒が、黒に変わっていた。
 クリスタルブレスレットが、俺の魔力をゆっくり、じっくり、吸い取っているのを感じる。

「そのクリスタルブレスレットの色すべての色が変われば、アーレフとの契約が完了します。
 今はまだ小さい変化ですが、やがて旦那様の魔力ですべてを黒に塗り替えるでしょう。その時が契約完了の時です。アーレフが実体化して現れ、会話が可能になります」

 アルヴィンが一気にまくし立てるが、アルヴィンが欲しくて、話の半分も頭に入ってこない。
 熱い吐息が唇の端から漏れる。

 アルヴィンの喉がこくりと鳴った。
 柔らかそうな金の髪。蒼く澄んだ瞳で。すらりと伸びた鼻梁。整い過ぎていて生きているとは思えない顔立ちの中で、紅く色付く情熱的な唇だけが、ひどく艶かしい。
 頭の奥がぼうっと、かすんでいく。
 アルヴィンが欲しい。アルヴィンに触れたい。アルヴィンに満たされたい。

「アルヴィン、魔力が足りない。アルヴィンが欲し」

 ばっと自分の口を塞いだ。
 駄目だ。
 王の紋章を放棄しないと、この先、アルヴィンとの未来がない。
 慌てて掴んだアルヴィンの手を離すと、金の髪が舞った。
 身体がベッドに縫い止められる。アルヴィンに見下ろされる。蒼い瞳が切なく揺れて、シャープな顎のラインが傾き、唇が唇に落ちてくる。
 どくん、と心臓が鳴った。
 
 制止できない。
 欲しい。アルヴィンが。

「アルヴィン、やめろ」

 低いバリトンの声でアルヴィンを静止したのは俺じゃない。俺の知らない男だった。いつの間にそこにいたのか。気が付かなかった。

「離れろ」

 アルヴィンにそう言った男は、アルヴィンよりも背が高く、体格が良かった。広い肩幅。分厚い胸板。緩く束ねた淡い金。
 翠蒼の瞳は優雅で、どこか猥雑で、何があっても決して巻き込まれることないような立ち回る内面を鮮やかに体現している。

「誰だ?」

「お初にお目にかかる。俺はヘンリー、フランシス、スチュワート。宰相補佐を務めている。どうかヘンリーと」

 ヘンリーは飄々と掴みどころのない礼を取ると、まるで淑女を扱うように俺の手を取り、唇を落とした。
 だが、俺は淑女でもなんでもない。ナサニエルの風習にはついていけそうもないが、挨拶くらいはするべきだろうと、名前を名乗ると、ヘンリーが首を傾げた。

「サルヴァトール? アルヴィンと結婚したんじゃないのか?」

「教会へはまだ行っておりません。届けはまだです」

 アルヴィンがそう答えると、ヘンリーはもったいぶったように、ふむ。と頷いた。

「オルランドと呼んでも?」

 コクリと頷くと、ヘンリーは感心したように俺の顔をマジマジと眺めた。
 とたん、部屋の温度がグングン下がっていく。アルヴィンの仕業だ。
 ヘンリーがおどけたように自分の身体を両腕で抱き、ぶるりと震えた。

「アルヴィン、俺が美しいもの好きだって知っているだろう。いちいち妬くな。それよりオルランド、アルヴィン王太子を少し借りるぞ。おまえから引き離」

 ヘンリーはそこまで言って、ぱっと自分の口を抑えた。

「え?」

 アルヴィンを俺から引き離す?
 ヘンリーは何を言っている?

「コホン。訂正する。アルヴィンは今、代理王としての務めを放棄している状態だ。内部が混乱している。少し借り受けたい」

 ちょうどいいかもしれない。
 アルヴィンがいると、アルヴィンが欲しくてたまらなくなる。
 魔力を枯渇させた状態を長く保たなくては、王の紋章は誰にも継承できなくなる。

 だが、そんな考えもヘンリーを見て、変えそうになった。ヘンリーは底光りする目で、にっと、笑い、こう言ったのだ。 

「アルヴィンをもらってくぜ」

 嫌な気持ちにしかならなかった。
 ヘンリーは言った。

 俺からアルヴィンを引き離す、と。

 ムッとしてヘンリーを睨みあげると、ヘンリーは俺の気持ちを更に逆なでするように、アルヴィンの肩を抱いた。
 ヘンリーに肩を抱かれるアルヴィンは、少し顔色を青ざめさせ、ヘンリーに身体を預けた。

 このふたりは……触れ合い慣れている。

 直感がそう言った。
 アルヴィンはケレスとも仲が良かったが、それはあくまで友達としてだ。こんな距離感ゼロの友達なんていない。まして臣下など、ありえない。
 唇を噛み締めると、アルヴィンの手が慌てたように俺に伸びて、それを見たヘンリーの片方の眉がひょいと上がった。

「おっと、そこまで。行くぞ、アルヴィン」

 アルヴィンの手が宙で止まり、アルヴィンは頷いた。

 醜い感情がどす黒く渦巻いた。
 人間になってでも俺と居たいとアルヴィンは言わなかったか。
 それなのに、ヘンリーに肩を抱かれて俺から離れるというのか。

「旦那様……すみません。私は仕事に戻らなければ」

 代理王としての仕事を放棄させ、俺と居ろ、とは言えない。

「……謝らなくていい。行ってこい」

 大人げないことは重々承知の上、ベッドに潜り込んだ。 
 ぱたんと閉じた扉。
 心が軋むように締め付けられる。
 ヘンリーはアルヴィンに対して何らかの感情を抱いている。ヘンリーにアルヴィンを盗られる。
 だが、アルヴィンは代理王で努めを残し、俺はクリスタルブレスレッドの契約を完遂させるまでに、王の紋章を誰かに譲渡しなければならない。
 アルヴィンとは離れるしかない。

 苦しい。
 魔力が足りない。クリスタルブレスレッドに吸い取られていく。欲しい。アルヴィンが欲しい。ヘンリーに盗られたくない。
 ああ、俺はこんな状態で、アルヴィンなしに、生きていけるのか。

『息さえしていれば、生きていける』

 腕にはめるクリスタルブレスレッドからそんな声がもれた。
 アーレフなのか。
 俺の心を読むな。
 今は心の中が、ドロドロと、醜い。
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