紋章という名の物語

彩城あやと

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「ああ」

 重いためしか出なかった。
 ケレスは俺がもう人間ではなくなった理由について疑問を抱かないようだったが、新たな問題が現れた。

「そうか……アルヴィンは俺が不治の病を患っていると勘違いしたままだったんだな」 

 ちょうど良かった。
 これでアルヴィンに伝えられる。
 俺は迷える森の神殿で願いを叶えてもらい、オヤジの元へと帰るつもりだ、と。
 
 ふと胸のつかえが落ちたような気がした。
 アルヴィンに決別を伝えなければ、俺はアルヴィンとどこまでも一緒にいられるかもしれないという錯覚を抱くことができて……現実から逃げていた。
 だが、錯覚を抱いて現実に怯える日々――――それは、ひどく優しくて、残酷で、美しくて……心を蝕(むしば)んでいた。

「オヤジからクリスタルブレスレッドを借りることができたら、アルヴィンに伝える」

 それは自分自身に言った言葉なのか。ケレスに言った言葉だったのか。
 不意に涙がこぼれた。
 感情は理解できる許容量を超えたのか、悲しいとも辛いとも感じない。
 ただ涙は壊れた水栓から落ちる水のようぼたぼたと止まらない。
 これは膿(うみ)なのかもしれない。

「オルランド」

 ケレスの震える手が俺の肩に触れた。
 何となく、泣いてる理由がアルヴィンに、アルヴィンを捨て、オヤジを選ぶことだと知られたくなかった。
 だから何でもないような顔をして、笑みを浮かべることができた。

「ケレス、人間の住む土地は本当に魔力が少ないな。これだとオヤジの言ったように魔法使いはここでは生きていけない」

 俺が人間に戻れば、アルヴィンとは生きていけない。

「黒髪黒瞳の魔法使いオルランド。人間に戻らなければならない理由が何か、あるのか? 俺で良ければ聞かせてくれないか?」

 ケレスがハンカチを取り出して、俺の目元をそっと拭った。
 絹でできていて肌触わりはいいが……白い。

「黒くない」

 ケレスなのに。

「黒だと、気持ちが悪いだろう」

 ケレスが眉根を寄せたので、ふと笑いがこみ上げた。
 ケレスは綺麗好きだ。

「泣きながら笑うな。どうしてやればいいのか、分からなくなる」

「どうもしなくていい。どうにもならないから」

「オルランド、言葉の意味を理解しろ。いや、してくれ。俺は、どうにかして、やりたいたいんだ。答えろ。オルランドはどうして欲しい?」

「どう……って……」

 俺にはオヤジしかいなかった。
 ふたりで頭を抱えて、どうにもならない時には、諦めるしかなかった。
 欲を持てばそれだけ辛くなる。オヤジを困らせる。だから。
 もし、こう、だったら。
 もし、こう、なるなら。
 そんな事実とは異なる夢は描かない。描けない。諦めるしかない。

「オルランド?」

 ケレスが優しく諭すように、覗き込んでくる。
 俺の答えを待っている。
 今までこの冷徹非道顔のせいで人から避けられ続けていた俺の答えを待っている。
 アルヴィンも、そうだった。人を見かけで判断しない。

「俺はナサニエルに来れて、良かった」

 来なければ、こんな安心感や幸福感は得られなかっただろう。

「『ナサニエルに来れて良かった』だと!! オルランド! 別れの言葉を今使うな! いいか、俺たちのブレスレットはおまえが引きちぎった。
 だがそれでも俺たちは精霊たちに認められた夫婦であることには変わりない! 俺はおまえの伴侶として真剣に……!」

 ハッとケレスが顔を上げ、剣をスラリと抜いた。

 右向こう。
 約3メートルの真っ赤な蛇が俺たちを獲物として狙い、不気味に舌なめずりしていた。鱗の間は金色。セブンステップシャークだ。
 冬眠しない妖怪のような蛇で、噛まれれば七歩歩かないうちに死ぬ。
 話に集中しすぎたせいか、完全にセブンステップシャークの攻撃距離内に捉えられてしまっている。

 立ち上がり、フィシアを呼ぼうとしてケレスが俺の名前を強く呼んだ。

「魔力がない状態で魔法を使うな! 気を失えば死ぬ! ここは俺に任せて、迷える森まで、走れ!」

 セブンステップシャークは頭を小刻みに震わせ、時々首から上が宙返りするような動きを見せている。
 エサを食べようと必死に集中するあまり、おかしくなってしまったかのようだ。

「ケレスも、アルヴィンも残して行けない。俺が死んだら死んだ時のことだ」

 ケレスとアルヴィンの命を犠牲にしてまで、オヤジとふたり仲良く生きれない。そんなことをすればオヤジも怒るだろう。

 フィシアを呼ぼうと大きく呼吸して、ドンッと地面が、大きく、揺れた。
 ビキビキと地面に亀裂が走る。
 ステップシャークが身をくねらせながら、亀裂に落ちていく。
 アルヴィンだった。
 セブンステップシャークに襲われそうな俺たちに気付き、魔力の少ないこの土地で魔法を使ったようだった。息が乱れ、玉のような汗を浮かばせている。
 心配になって、アルヴィンに駆け寄ろうとすると、アルヴィンがそれを制した。

「動かないで下さい。思ったより地の精霊をコントロールで出来ませんでした。地面の亀裂が浅い」

 ずるり。
 真っ赤な蛇の首。
 シリリリ。シリリリ。
 長い舌を震わせ、まばたきを知らない蛇の目が、宝石のように輝き、地面から顔をのぞかせる。
 ゆっくりと、ゆっくりと、地面から這い上がってくる。

「旦那様、ケレス、今のうちに迷える森へ。援護します」

 ぜ、ぜ、と切れるようなアルヴィンの呼吸音。一瞬、アルヴィンがそのまま死んでしまうような気がして、気が遠くなりかける。

「フィシア……!」

 フィシアを呼び、辺り一面に砂埃を巻き上げた。

「セブン、ステップ、シャークの、巨体を、放り投げる、より、このほうが、魔力の消費が、少ない」

「なるほど」

 アルヴィンが駆け寄り、俺の身体を抱え上げた。アルヴィンの腕の中、身体を通して伝わるアルヴィンの激しい動悸は今にも心臓をつき破りそうだ。

「迷える森の奥深くまで! ひとまず魔力を回復する必要があります!!」

 迷える森の中にまで俺を抱えたアルヴィンとケレスが駆け出そうとした瞬間。
 聞き覚えのある声が悲鳴にも似た響きを持ってこだました。

「待て! 動くな!」

 もうもうと砂埃の中、そこに居たのは俺のオヤジだった。

 オヤジが両手を広げ、セブンステップシャークと俺たちの間に立ち塞がると、セブンステップシャークは頭を小刻みに震わせ、時々首から上が宙返りするような動きを見せた。
 シリリリ。長い舌。まばたきしない宝石のような目を輝かせている。オヤジを捉えている。

「オヤジ! 何をしている!! 逃げろ!」

 もがきアルヴィンの腕から飛び降りようとするが、アルヴィンの力強い手はそれを許さない。

「離せ! アルヴィン!!」

「しかし旦那様……!!」

「オルランド、落ち着いて」

 オヤジが振り返り、微笑みを浮かべた。
 ただし、オヤジの微笑みは凶悪なので、狂喜した悪人にも見える。
 切迫した状況の中、妙な懐かしさを覚えると、オヤジがセブンステップに手を伸ばした。

「オヤジ!!」

「大丈夫だよ。この子は遊びたがってるだけだから……セブ、落ち着いて、この人たちは僕の大事な人で、敵じゃないよ。ほら、おいで」

 セブンステップシャークがグッと立ち上がると、オヤジの身体に巻きつき、とぐろを巻き始めた。
 ケレスが剣を構え、セブンステップシャークに切りかかろうとすると、オヤジがそれを制止する。

「いや、だから大丈夫。この子はまだ子供で、遊んで欲しがってるだけだから。ほら」

 セブンステップシャークは頭を小刻みに震わせ、時々首から上が宙返りするような動きを見せている。
 おかしな話だが、オヤジが襲われているような感じはしない。噛まれそうな感じもない。
 オヤジはとぐろを巻かれ始めたが、苦しそうでもない。楽しそうに笑っている。凶悪顔で。
 絵で表現するなら、オヤジはあははー、うふふーの状態で、セブンステップシャークはハートを飛ばしている。地獄絵地図か。

「旦那様、セブンステップシャークは人間が飼い慣らせるようなものなのですか? ナサニエルでは猛毒を持っているので、近寄るなと言うのが定説になっていますが」

「いや……俺もオヤジからセブンステップシャークは猛毒を持っているから、近寄るなと教わったが」

 とぐろを巻かれているオヤジが口を開いた。

「うん。そう教えた。オルランドはそこまで動物たちに好かれる体質じゃないからね」

「そう言えばオヤジはやたら動物に好かれる体質だったな」

 家で飼っている家畜は元より、野生の動物たちでさえ、みんなオヤジが大好きだった。

「あはは。この子は長い舌で空気中の匂いを嗅ぎ、僕の匂いによく似たオルランドと僕を間違えて混乱したみたいだね。
 いいかい。この子が頭を小刻みに震わせ、時々首から上が宙返りするような動きを見せるのは『遊んで』の合図。
 シリリリと鳴くのは威嚇。攻撃態勢に入っている時。オルランドたちが魔法を使ったから驚いたみたいだね、ね? セブ」

 セブというのはセブンステップシャークにつけた名前か。素晴らしいネーミングセンスだ。そのまんま過ぎて、個体の識別が難しそうだ。

 トントンと、セブンステップシャークの頭を軽く叩くと、それがふたりの合図だったのか。
 セブンステップシャークは名残り惜しそうに身体をオヤジにひと擦りすると、するするとどこかに消えてしまった。
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