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アルヴィンは、すうすうと規則正しい音を響かせて眠るオルランドを、そっと眺めていた。
瞳に情欲の炎が灯っているのは、迷いの森に住む精霊たちの呪いのせいだろう。
アルヴィンは飢えていた。
オルランドと一度身体を繋げただけでは物足りない。
本能を理性で抑えきれないアルヴィンの身体は、行き場のない熱を抱え「足りない。もう一度オルランドを味わいたい」と切なる訴えを起こしたままだ。 アルヴィンとオルランドの手首にある夫婦の証しであるブレスレッドは白から艶やかな黒へと変わっている。
もっと身体をつなげれば、このブレスレッドはもっと艷やかな黒へと変わるのだろうか。
アルヴィンはすやすやと眠るオルランドの頬に手を伸ばしかけ――するりとベッドから抜け出した。
このままでは旦那様を無理やり襲い、犯しかねない。
それは望んだものではない。
旦那様とは、信頼し、信頼される関係を築いていきたい。
アルヴィンは音もなく、ゲストルームを後にして書斎へと向かった。
ジジジジジ。
蝋燭の灯芯が音を立てて燃え上がる。
壁一面に設えられた本棚にはズラリと並ぶ貴重な蔵書。
その横でアルヴィンは艶やかに色付いた黒いブレスレットをそっと撫で、重いため息を書斎の中に混ぜ混んだ。
ケレスは決して口にすることはなかったが、アルヴィンとケレスがまだ幼かった頃。
魔王が代理王の紋章をアルヴィンに授けたとき、ケレスは何故、自分が前に出て、時期国王候補であるアルヴィンを守れなかったのかと後悔していた。
だからかケレスは贖罪(しょくざい)のつもりか、己の意地とプライドにかけて、自分が得るだろう『結婚』という幸せを放棄し、生涯独身を貫こうとしている。
だからアルヴィンは、ケレスに惚れた相手が出来たとき、こう言ってやるつもりだった。
「ケレスが伴侶を持とうが、持たなかろうが、私に授かった代理王の紋章は消えないのですから、そんな生産性のない考えは捨てて下さい」と。
………それがまさか。こんなことになろうとは。
アルヴィンが居間でケレスとオルランドを見たとき、ケレスは風の精霊を酷使し過ぎて動けないオルランドの身体を、自らの身体をベッド代わりにし、オルランドの身体を休ませようとしていた。
それは冷たい床の上でオルランドを寝かせられないと思うケレスの優しさだろう。
だが、そんなケレスの優しさは誰にでも見せるものではない。
そもそもそんな優しさを見せるケレスをアルヴィンは今まで見たことがない。
……ケレスがオルランドを見つめていたあの目。
あの目は恋する者の目だ。
オルランドとの間にブレスレットが生まれたとき、ケレスがすぐさま膝をつき、永遠の愛をオルランドに誓ったのは『伴侶を大切にし、幸せしなければ』と言う責任感からではない。
純粋にオルランドを幸せにしたいと思ったのだろう。
そのために捨てたのだ。
己に課した意地とプライドを、オルランドのために。
伴侶(ケレス)から当然受ける権利であるオルランドの幸せまで、奪うわけにはいかないと。
これまでのケレスの性格を考えれば、それはありえないことだ。
だが、ケレスはオルランドと初めてあった時から少しおかしかった。あの時から、ケレスの心はすでに、オルランドに魅せられていたのかもしれない。
それでもアルヴィンはケレスの幸せを応援してやることが出来ない。
譲れないのだ。オルランドだけは。他の誰にも、もう、譲れない。
だがアルヴィンはケレスの幸せを祈らないわけではない――では、どうすれば。
コツコツ。
アルヴィンの横から伸びる指がテーブルの本を叩いた。アルヴィンがはっとしたように顔を上げる。ケレスだ。
「アルヴィン、さっきから見ていれば、本も開かず、何をそんなに集中して考えている?」
「ケレス、いつの間に」
「ノックもしたし、声もかけた。いつ俺の存在に気が付くのかと黙って見ていたが……集中し過ぎると周りが見えなくなるのは昔からの悪い癖だな、アルヴィン」
ケレスは相変わらず、全身が黒づくめだった。
これもケレスの贖罪のうちのひとつなのだろうか。
時期国王になるはずだったアルヴィンの『時期国王』の喪に服しているかのようだ。
ケレスがそこまで責任を感じる必要はないのに。
アルヴィンは昔から国王にはならないと、不思議と確信していたのだから。
ケレスが、ちらと、アルヴィンの手首を飾る夫婦の証しであるブレスレッドを見た。
ケレスが最後に見たブレスレッドの色は白だったはずだ。それなのに今は黒に変わっている。
それはアルヴィンとオルランドが最後までの行為に及んだことを物語っている。
「ケレス……」
「オルランド国王は、魔力を回復させたのか」
「ああ、無事、……!?」
ガタンとアルヴィンが椅子から立ち上がった。椅子が床に転げ落ちる。
……ケレスは今、確かに、オルランドに『国王』の敬称を付けた。
ケレスは見たのか。オルランドの肩にある『王の紋章』を。
目を見開き驚くアルヴィンの姿を見て、ケレスは眉間に深い皺を刻んだ。
「やはり、な。オルランドがハンカチで肩をおおっていたのは『王の紋章』を隠すためか」
アルヴィンが空を仰ぎ、してやられたとばかりに、どさりと、椅子に落ちた。
「かまをかけましたね」
「ああ、アルヴィンがこんな簡単な誘導に引っかかるとは思わなかったが」
「ころっとしてやられました。ケレスは旦那様が寝ている間にこっそりハンカチをめくり、『王の紋章』を見る機会があったとのではと思い当たり、つい」
「そんな卑怯なこと出来るか。オルランドは隠したがっていた。魔力を枯渇させてでも」
「知ってしまえばこの場合、同じことのように思いますが」
「かもしれないな。だが、聞かなければ良かったとも言えない」
「ええ、ケレスなら、そう言うと思いました」
「もうひとつ聞かせてくれ。オルランドはアルヴィンにも肩を見られたくないと言っていたが……その……」
ケレスがアルヴィンの黒く染まったブレスレットをチラリと見て、言い淀んだ。
おそらく、オルランドとの情事の合間に王の紋章を見たのかと聞きたいのだろう。だが、アルヴィンが待てどもケレスは言い淀んだままだ。
さてはオルランドの肌を晒した姿を想像して羞恥に身を染め、言い淀んでいるのか。これは重症だ。
「違いますよ。旦那様は肩にハンカチでおおい隠してあるものを、私にも見せて下さいません」
どこかホッとするケレスを見てアルヴィンの綺麗に整った片方の眉が上がった。
ケレスは大方、頑なに見られたくないと拒むオルランドの意思を尊重出来たと安堵しているのだろう。だが矛盾している。
ケレスもオルランドに無理を強いてその意思をねじ曲げようとしていたのだ。
過去のトラウマになっているナサニエルの行く末を案じてのことだろうが。
ケレスがはっとしたように口を開いた。
「待てアルヴィン、それなら何故、アルヴィン王太子はオルランドの肩に『王の紋章』があることを知っている?」
「旦那様は迷える森で風の精霊を操っていましたから」
「……なるほど。王の紋章を持つ者でなければ、と思い至った訳か。だがオルランドは人間だ。それで確信を得るには少し弱くはないか?」
「ええ。ですから迷える森の中で魔力交換の際、旦那様の意識が朦朧としている間にシャツをめくり、『王の紋章』を確認させていただきました」
ケレスが手の平から、ごうっと青い焔が燃え上がる。
「アルヴィン、卑怯者と呼ばれる覚悟はあるか?」
「ありません」
アルヴィンは優雅な仕草で手を差し出し、その青い焔の上にそっと手を重ね合わせると、青い焔は中和されたようにすううっと消えた。
「落ち着いて下さい。旦那様はその時、ハンカチで肩を隠しておりませんでしたから」
「なら、何故今になって隠す!?」
アルヴィンは肩をすくめた。
「旦那様はまさか私に肩を見られるとは思っていなかったというのがその時の状況でしょう。その後旦那様は風の精霊を使って『王の紋章』をハンカチで隠されましたから」
「……その時の状況をあまり聞きたくないな」
「ケレス……」
ケレスはオルランドとの間にブレスレッドが生まれたとき。
己の意地とプライドを捨て、オルランドの幸せを優先させようと、心動かし、オルランドに誓いを立てた。
それはその当時のアルヴィンの誓いと同じもの。
だが結果としてオルランドは、ケレスの誓いは受け入れてはくれなかった。
オルランドはブレスレットを引きちぎることで、ケレスの想いを引きちぎった。
「そんな顔をするな、アルヴィン」
ぐしゃりとケレスがアルヴィンの金の髪を軽くかき混ぜた。
「俺がオルランドに永遠を誓ったのは、夫婦である証しのブレスレットがあったからだ。それだけだ。ブレスレッドがなくなった今、俺はこれからも自由だ」
アルヴィンはケレスを見上げた。
ケレスは嘘をついている。
ケレスはどうでもいい相手と夫婦になった場合、責任から伴侶を一生涯、大事にするだろうが、永遠の愛までは誓わない。自分にも相手にも嘘はつかない。つけない。
アルヴィンがこのまま、ケレスのこの嘘に騙されるのは、優しさになるのか、それとも、身勝手になるのか。
アルヴィンは座ったまま、立っているケレスの胸に頭をゆっくりと預けた。
ケレスが身を固くしたのがアルヴィンに伝わる。
この友は触れることも、触れ合うことも、慣れていない。
「それでもケレスはこう考えているでしょう?
『ブレスレットはなくなってしまったが誓いは誓いだと。自分の名前にかけて誓いは必ず守る』
と。私の知っているケレスは、どうでもいい相手に誓いを立てません」
「……アルヴィンの知っている俺は俺じゃない」
「それなら、私が今、甘えている男はケレスではないことになってしまいます」
「俺を俺以上にアルヴィンは知っていると言いたいのか? はっ、どこからそんな根拠もない自信が持てる?」
「私が私である以上?」
ケレスががくりとうなだれた。
「ああ、そうだな。その通りだ」
「今、スルーしましたね? まぁいいです。ですがこれだけは、はっきり言っておきます。私は旦那様を誰にも譲る気はありません。これが私です。
ですからケレスもケレスのまま、譲れないものは譲らないで下さい」
「は! 俺がもう一度オルランドと同衾すればおそらく、ブレスレットはまた現れる。精霊たちが虚(うつ)ろげにブレスレッドを授けないことからそれは言える。
アルヴィンは、それでもいいのか!?」
「それは嫌です。それよりもケレスは今、そんなことを考えていないでしょう」
ケレスがすっと目を細めると、アルヴィンが優美な線を描いて口角を上げた。
「ケレスは常に自分は二の次と自分のことを考える。
ですからこう考えているはずです。
『オルランドは俺たちの会話から、すでに『王の紋章』を持つ国王の重要性を知っている。
それでもオルランドが『王の紋章』を隠すという事は、オルランドはナサニエルの国王になるつもりがないということだ。
だが前国王の魔王に引き続き、現国王オルランドからも見捨てられれば、ナサニエルは滅びる』と」
ケレスはイマイチ暗くて、どこまでも真面目すぎる性格ですから。
と、アルヴィンは余計なことを付け足さなかった。
ケレスが吠える。
「そうとしか考えられないだろう! 国王になりたがらないオルランドを何とか俺たちが説得し、国王に襲名させ、それを俺たちが支える、そんな方法しか残されていない!」
「ですが、そこに旦那様の自由はない。ケレスはそこを考え、心を削り取られるように痛めている」
「勝手に人の心を読むな!」
「当たり、ですか……」
書斎に一瞬の沈黙が落ち、ケレスがアルヴィンの頭に手を乗せた。
「アルヴィンも同じだろう。オルランドの望むことをしたくないと思っている」
「ええ」
アルヴィンが、『王の紋章』を持つもつものが現れたと、誰にも言わなかったのはそのせいだ。
オルランドの意思を無視し、ナサニエルの国王に祭り上げるのは間違っている。
ふと、アルヴィンの頭の上に乗るケレスの大きな手がピクリと動いた。
「アルヴィン、迷える森の神殿で、オルランドの『王の紋章』を、他の者へと……継承させたいと願えばどうだ?」
「無理でしょうね。この国は20年間、国王不在でした。誰が挑戦してもその願いは叶えられない」
「だが、やってみる価値はある」
「そうしてまた、ケレスは迷いの森を何度も彷徨うのですか?……もはや3歩踏み込めば、追い出されるのを知っていて?」
「うるさい!」
ケレスは過去の失態から責任を取ろうと何度も迷える森へと入っていた。
ケレスはどうしてこうもナサニエルに尽くそうとするのか。アルヴィンには理解出来ない。
「ではオルランド自ら『王の紋章』を誰かに譲りたいと願えばどうだ?」
「第3者が介入するより願いが叶う可能性は高いですね。本人が権利を放棄したいと願う訳ですから、精霊たちも考えて下さるかもしれません。
ですが、旦那様の願いは他にあります。そして私はその願いを叶えて欲しいと願っています」
「オルランドは何を願っている?」
「死にたくないと。旦那様はその遺伝から不治の病にかかっておいでのようです。ああ、遺伝性のものですから他の者へと感染る心配はないようですが」
「何!?」
ケレスの顔色がサッと青ざめた。
精霊たちは自然の流れに身を委ね、自然の流れを変えることはない。
生きとし生ける者にはすべて寿命がある。
それは自然の流れで、いくら魔法使いが精霊たちに魔力を注ぎ込んでも叶えてくれるものではない。
そんな願いを持って神殿へとたどり着くことが出来る訳がない。
「オルランドは迷える森で出会ったとき、木々に攻撃されていました」
「攻撃!? そんなこと、聞いたことがない」
迷える森は精魂尽きるまで願いを持つ者をさ迷わせ、心を折り、願いを諦めさせようとする。
不屈の精神を持つケレスのような輩は、初めから受けず、数歩踏み出しただけで追い出されるのだが。
「実際何度も迷える森へと踏み込んでるケレスの言葉には重みがありますね。ですが旦那様が森に攻撃されていたのは事実です。
そして旦那様は『選ばれた者』である可能性が高いのかもしれません。だから旦那様を攻撃し、神殿へのゆく道をふさいだ」
ケレスの胸に身を預けるアルヴィンの頭に、ケレスの震えが伝わる。
生きとし生ける者にはすべて寿命がある。
そんなこと誰でも知っている。そして誰もが無意識のうちに考えないようにしている。
愛しい者の死が目前に迫っている。
誰もそんなことを考えたくない。知りたくない。
知れば、絶望が襲う。
「ケレス!」
ガクリと生気を失ったようにケレスの身体が崩れ落ちた。
吐く息は行き場をなくしたように乱れ、瞳は何も映していない。
「オルランドは元気そうだった」
「ええ。不治の病とは思えないくらいにお元気でいらっしゃいます」
それだけにゾッとする。
死の病は唐突に訪れ、オルランドの命を削り取る恐れがある。
「アルヴィン……アルヴィン……オルランドを、早く迷える森に……神殿へと……向わせなければ、願いを叶えてもらわなければ」
「ですが、旦那様は迷える森から弾かれています。今行っても同じことでしょう」
「だが、精霊たちに認められる功績を挙げれば」
「願いは叶えてくれるかもしれませんね」
「オルランドをナサニエルの国王へと就任させて」
アルヴィンは首を緩く振った。
「それは旦那様の功績にはならないでしょう。精霊たちは旦那様の寿命を知った上で『王の紋章』を継承させているかもしれませんから」
「では……では……どうしろと!?」
「私は『王の紋章』を旦那様から他の者に継承させる方法を調べるつもりです。せめて旦那様がこの国に縛れないように。
そして死の間際までそばに居られるように――――私は旦那様を連れて、王都へ向かいます」
ゆらり。
ふたりの間で蝋燭の炎が、妖しく揺らめいた。
「俺も行こう」
「ケレス」
「誤解しないように言っておこう。オルランドに対するこの気持ちは愛でもなければ、恋でもない。不思議だが、家族を、弟を想うような気持ちだ。おまえたちの仲を引き裂くつもりはない」
家族を、弟を想うような気持ち。
それは確かに恋ではないだろう。
だが、愛には違いないのでは?
アルヴィンがケレスを見上げれば、ケレスはいつも通り。
傲慢ではない経験からくる自信をまとい、冷たい印象を与えるような瞳をしていた。
心は読むな、というところだろう。
*
アルヴィンの腕の中。
執事のマーロンが運んできたアーリーモーニングティーで起こされた。
朝食に遅く、昼食にはまだ早い時間帯。
食事の用意が出来ていると言われ、ダイニングルームへ案内されれば、豪奢なマホガニーのテーブルの上には、食べきれないほどの料理が並べられてあった。
それは昨日俺とアルヴィンが、昼食と夕食を食べ損じたせいで、ケレスが用意させたものだと執事のマーロンは言う。
俺はチキン、ビーフ、ラム、ポークなどのローストされた肉料理を選んで目の前で切り分けて貰い、ローストポテトとボイルキャベツを添えてもらった上で、アップルソースとオニオングレイビーソースをサーブし、黙々と食べた。
そう、黙々と。
何故なら、朝食には遅く、昼食には遅い時間帯にも関わらず、ケレスが同席していたからだ。
……気まずい。
ケレスは俺に夫婦の誓いを立てくれたのにも関わらず、俺は昨夜、ブレスレットを引きちぎってしまっていた。
アルヴィンの傷ついた姿が見ていられなくて衝動的な行動だったのだが、ケレスの矜持を傷つけたのも事実だ。
ケレスはそのことについて何も言ってこないが、俺はケレスに謝るべきなのか、何もなかったように振る舞うべきなのか、イマイチ判断がつかなでいる。
だが、ケレスとアルウィンは相変わらず息の合ったような、合っていないような会話を繰り返していて、ケレスもアルヴィンもいつも通りと言えばいつも通り。
ケレスは儀礼的に夫婦の誓いを立てただけか。
あまり気にすることでもないのかと思いながら、初めて口にする白パンに感動していると、ふと、ふたりの視線を感じた。
「どうした?」
「いえ、旦那様は綺麗にお食事を召し上がりますね。どこでそんなテーブルマナーを学んだのですか?」
「どこでと言われても……オヤジから?」
ふたりに沈黙が落ち、その沈黙を先に打ち破ったのはケレスだった。
「貴族や騎士が集まる食卓や、庶民が集まる食卓はテーブルマナーはやはり違ってくるのだが……オルランドのそれは、王族のものだ」
白いパンを落としそうになる。
オヤジは前国王の弟だ。王族だ。
だが、そのオヤジに口うるさく躾けられたテーブルマナーがまさか王族のものだったとは。
『魔王』であるオヤジがナサニエルで騒ぎの中心になっている話を聞いたあとなので、俺のオヤジは『魔王』だったとは言えない。そんなことを言えばオヤジに非難が集まる。だから。
「俺の住んでた村では、これが普通だった」
と言い切るより他にない。
凶悪顔のせいで村人から避けられていたから、食事に呼ばれた記憶も呼んだ記憶もないので、村のテーブルマナーなんてもの、まったく知らないが。
ふたりが少し、怪訝な顔をした。
嘘だとバレたような気がする。背中に冷たい汗が流れる。
だがしかし、ここは知らん顔するより他はない。
アンティークのティーカップに口をつけると、アルヴィンの明るい声が響いた。
「普通、ですか。それなら良かったです。
これから王都にあるクローディア城に参りますが、テーブルマナーとは一緒にいるすべての人が快適に楽しく過ごせる様に、積極的に工夫する事です。
この様子ですと旦那様とお食事されたいと望まれる方も多いでしょう」
「……待て、俺はそんなところには行かないぞ」
マナー違反を承知の上で、勢いよく席から立ち上がった。
成り行きでここまで流されてきたが、オヤジは待っている。ひとり、あの村で。
「俺は迷える森へと戻る」
たとえ、アルヴィンと別れることになっても。
オヤジとは生まれたときから、楽しい時も、辛い時も一緒に過ごしてきた。
冷酷非道顔で友達はおろか、知り合いすらできなかった俺の自己を認め、自分たちの環境を認め、感謝し、何があっても幸せだと思える毎日を過ごしてきた。過ごさせてくれた。
オヤジをひとりには出来ない。
「しかし旦那様、私たちは迷える森から追い出されてしまいました。こうなればおそらく、神殿までたどり着くことは出来ません。
遠回りしているように思えても、王都にあるクローディア城の図書室で迷える森について詳しく調べ、確実に神殿へたどり着ける方法を探して出してから、迷える森に行ったほうがいいかと」
「だが俺は時間を潰している暇はない」
オヤジは言っていた。
強く願っていれば、神殿に必ずたどり着くと。
アルヴィンが言淀み、綺麗な顔に頼りない笑みを浮かべた。
「それでは参りましょうか。迷える森へ」
瞳に情欲の炎が灯っているのは、迷いの森に住む精霊たちの呪いのせいだろう。
アルヴィンは飢えていた。
オルランドと一度身体を繋げただけでは物足りない。
本能を理性で抑えきれないアルヴィンの身体は、行き場のない熱を抱え「足りない。もう一度オルランドを味わいたい」と切なる訴えを起こしたままだ。 アルヴィンとオルランドの手首にある夫婦の証しであるブレスレッドは白から艶やかな黒へと変わっている。
もっと身体をつなげれば、このブレスレッドはもっと艷やかな黒へと変わるのだろうか。
アルヴィンはすやすやと眠るオルランドの頬に手を伸ばしかけ――するりとベッドから抜け出した。
このままでは旦那様を無理やり襲い、犯しかねない。
それは望んだものではない。
旦那様とは、信頼し、信頼される関係を築いていきたい。
アルヴィンは音もなく、ゲストルームを後にして書斎へと向かった。
ジジジジジ。
蝋燭の灯芯が音を立てて燃え上がる。
壁一面に設えられた本棚にはズラリと並ぶ貴重な蔵書。
その横でアルヴィンは艶やかに色付いた黒いブレスレットをそっと撫で、重いため息を書斎の中に混ぜ混んだ。
ケレスは決して口にすることはなかったが、アルヴィンとケレスがまだ幼かった頃。
魔王が代理王の紋章をアルヴィンに授けたとき、ケレスは何故、自分が前に出て、時期国王候補であるアルヴィンを守れなかったのかと後悔していた。
だからかケレスは贖罪(しょくざい)のつもりか、己の意地とプライドにかけて、自分が得るだろう『結婚』という幸せを放棄し、生涯独身を貫こうとしている。
だからアルヴィンは、ケレスに惚れた相手が出来たとき、こう言ってやるつもりだった。
「ケレスが伴侶を持とうが、持たなかろうが、私に授かった代理王の紋章は消えないのですから、そんな生産性のない考えは捨てて下さい」と。
………それがまさか。こんなことになろうとは。
アルヴィンが居間でケレスとオルランドを見たとき、ケレスは風の精霊を酷使し過ぎて動けないオルランドの身体を、自らの身体をベッド代わりにし、オルランドの身体を休ませようとしていた。
それは冷たい床の上でオルランドを寝かせられないと思うケレスの優しさだろう。
だが、そんなケレスの優しさは誰にでも見せるものではない。
そもそもそんな優しさを見せるケレスをアルヴィンは今まで見たことがない。
……ケレスがオルランドを見つめていたあの目。
あの目は恋する者の目だ。
オルランドとの間にブレスレットが生まれたとき、ケレスがすぐさま膝をつき、永遠の愛をオルランドに誓ったのは『伴侶を大切にし、幸せしなければ』と言う責任感からではない。
純粋にオルランドを幸せにしたいと思ったのだろう。
そのために捨てたのだ。
己に課した意地とプライドを、オルランドのために。
伴侶(ケレス)から当然受ける権利であるオルランドの幸せまで、奪うわけにはいかないと。
これまでのケレスの性格を考えれば、それはありえないことだ。
だが、ケレスはオルランドと初めてあった時から少しおかしかった。あの時から、ケレスの心はすでに、オルランドに魅せられていたのかもしれない。
それでもアルヴィンはケレスの幸せを応援してやることが出来ない。
譲れないのだ。オルランドだけは。他の誰にも、もう、譲れない。
だがアルヴィンはケレスの幸せを祈らないわけではない――では、どうすれば。
コツコツ。
アルヴィンの横から伸びる指がテーブルの本を叩いた。アルヴィンがはっとしたように顔を上げる。ケレスだ。
「アルヴィン、さっきから見ていれば、本も開かず、何をそんなに集中して考えている?」
「ケレス、いつの間に」
「ノックもしたし、声もかけた。いつ俺の存在に気が付くのかと黙って見ていたが……集中し過ぎると周りが見えなくなるのは昔からの悪い癖だな、アルヴィン」
ケレスは相変わらず、全身が黒づくめだった。
これもケレスの贖罪のうちのひとつなのだろうか。
時期国王になるはずだったアルヴィンの『時期国王』の喪に服しているかのようだ。
ケレスがそこまで責任を感じる必要はないのに。
アルヴィンは昔から国王にはならないと、不思議と確信していたのだから。
ケレスが、ちらと、アルヴィンの手首を飾る夫婦の証しであるブレスレッドを見た。
ケレスが最後に見たブレスレッドの色は白だったはずだ。それなのに今は黒に変わっている。
それはアルヴィンとオルランドが最後までの行為に及んだことを物語っている。
「ケレス……」
「オルランド国王は、魔力を回復させたのか」
「ああ、無事、……!?」
ガタンとアルヴィンが椅子から立ち上がった。椅子が床に転げ落ちる。
……ケレスは今、確かに、オルランドに『国王』の敬称を付けた。
ケレスは見たのか。オルランドの肩にある『王の紋章』を。
目を見開き驚くアルヴィンの姿を見て、ケレスは眉間に深い皺を刻んだ。
「やはり、な。オルランドがハンカチで肩をおおっていたのは『王の紋章』を隠すためか」
アルヴィンが空を仰ぎ、してやられたとばかりに、どさりと、椅子に落ちた。
「かまをかけましたね」
「ああ、アルヴィンがこんな簡単な誘導に引っかかるとは思わなかったが」
「ころっとしてやられました。ケレスは旦那様が寝ている間にこっそりハンカチをめくり、『王の紋章』を見る機会があったとのではと思い当たり、つい」
「そんな卑怯なこと出来るか。オルランドは隠したがっていた。魔力を枯渇させてでも」
「知ってしまえばこの場合、同じことのように思いますが」
「かもしれないな。だが、聞かなければ良かったとも言えない」
「ええ、ケレスなら、そう言うと思いました」
「もうひとつ聞かせてくれ。オルランドはアルヴィンにも肩を見られたくないと言っていたが……その……」
ケレスがアルヴィンの黒く染まったブレスレットをチラリと見て、言い淀んだ。
おそらく、オルランドとの情事の合間に王の紋章を見たのかと聞きたいのだろう。だが、アルヴィンが待てどもケレスは言い淀んだままだ。
さてはオルランドの肌を晒した姿を想像して羞恥に身を染め、言い淀んでいるのか。これは重症だ。
「違いますよ。旦那様は肩にハンカチでおおい隠してあるものを、私にも見せて下さいません」
どこかホッとするケレスを見てアルヴィンの綺麗に整った片方の眉が上がった。
ケレスは大方、頑なに見られたくないと拒むオルランドの意思を尊重出来たと安堵しているのだろう。だが矛盾している。
ケレスもオルランドに無理を強いてその意思をねじ曲げようとしていたのだ。
過去のトラウマになっているナサニエルの行く末を案じてのことだろうが。
ケレスがはっとしたように口を開いた。
「待てアルヴィン、それなら何故、アルヴィン王太子はオルランドの肩に『王の紋章』があることを知っている?」
「旦那様は迷える森で風の精霊を操っていましたから」
「……なるほど。王の紋章を持つ者でなければ、と思い至った訳か。だがオルランドは人間だ。それで確信を得るには少し弱くはないか?」
「ええ。ですから迷える森の中で魔力交換の際、旦那様の意識が朦朧としている間にシャツをめくり、『王の紋章』を確認させていただきました」
ケレスが手の平から、ごうっと青い焔が燃え上がる。
「アルヴィン、卑怯者と呼ばれる覚悟はあるか?」
「ありません」
アルヴィンは優雅な仕草で手を差し出し、その青い焔の上にそっと手を重ね合わせると、青い焔は中和されたようにすううっと消えた。
「落ち着いて下さい。旦那様はその時、ハンカチで肩を隠しておりませんでしたから」
「なら、何故今になって隠す!?」
アルヴィンは肩をすくめた。
「旦那様はまさか私に肩を見られるとは思っていなかったというのがその時の状況でしょう。その後旦那様は風の精霊を使って『王の紋章』をハンカチで隠されましたから」
「……その時の状況をあまり聞きたくないな」
「ケレス……」
ケレスはオルランドとの間にブレスレッドが生まれたとき。
己の意地とプライドを捨て、オルランドの幸せを優先させようと、心動かし、オルランドに誓いを立てた。
それはその当時のアルヴィンの誓いと同じもの。
だが結果としてオルランドは、ケレスの誓いは受け入れてはくれなかった。
オルランドはブレスレットを引きちぎることで、ケレスの想いを引きちぎった。
「そんな顔をするな、アルヴィン」
ぐしゃりとケレスがアルヴィンの金の髪を軽くかき混ぜた。
「俺がオルランドに永遠を誓ったのは、夫婦である証しのブレスレットがあったからだ。それだけだ。ブレスレッドがなくなった今、俺はこれからも自由だ」
アルヴィンはケレスを見上げた。
ケレスは嘘をついている。
ケレスはどうでもいい相手と夫婦になった場合、責任から伴侶を一生涯、大事にするだろうが、永遠の愛までは誓わない。自分にも相手にも嘘はつかない。つけない。
アルヴィンがこのまま、ケレスのこの嘘に騙されるのは、優しさになるのか、それとも、身勝手になるのか。
アルヴィンは座ったまま、立っているケレスの胸に頭をゆっくりと預けた。
ケレスが身を固くしたのがアルヴィンに伝わる。
この友は触れることも、触れ合うことも、慣れていない。
「それでもケレスはこう考えているでしょう?
『ブレスレットはなくなってしまったが誓いは誓いだと。自分の名前にかけて誓いは必ず守る』
と。私の知っているケレスは、どうでもいい相手に誓いを立てません」
「……アルヴィンの知っている俺は俺じゃない」
「それなら、私が今、甘えている男はケレスではないことになってしまいます」
「俺を俺以上にアルヴィンは知っていると言いたいのか? はっ、どこからそんな根拠もない自信が持てる?」
「私が私である以上?」
ケレスががくりとうなだれた。
「ああ、そうだな。その通りだ」
「今、スルーしましたね? まぁいいです。ですがこれだけは、はっきり言っておきます。私は旦那様を誰にも譲る気はありません。これが私です。
ですからケレスもケレスのまま、譲れないものは譲らないで下さい」
「は! 俺がもう一度オルランドと同衾すればおそらく、ブレスレットはまた現れる。精霊たちが虚(うつ)ろげにブレスレッドを授けないことからそれは言える。
アルヴィンは、それでもいいのか!?」
「それは嫌です。それよりもケレスは今、そんなことを考えていないでしょう」
ケレスがすっと目を細めると、アルヴィンが優美な線を描いて口角を上げた。
「ケレスは常に自分は二の次と自分のことを考える。
ですからこう考えているはずです。
『オルランドは俺たちの会話から、すでに『王の紋章』を持つ国王の重要性を知っている。
それでもオルランドが『王の紋章』を隠すという事は、オルランドはナサニエルの国王になるつもりがないということだ。
だが前国王の魔王に引き続き、現国王オルランドからも見捨てられれば、ナサニエルは滅びる』と」
ケレスはイマイチ暗くて、どこまでも真面目すぎる性格ですから。
と、アルヴィンは余計なことを付け足さなかった。
ケレスが吠える。
「そうとしか考えられないだろう! 国王になりたがらないオルランドを何とか俺たちが説得し、国王に襲名させ、それを俺たちが支える、そんな方法しか残されていない!」
「ですが、そこに旦那様の自由はない。ケレスはそこを考え、心を削り取られるように痛めている」
「勝手に人の心を読むな!」
「当たり、ですか……」
書斎に一瞬の沈黙が落ち、ケレスがアルヴィンの頭に手を乗せた。
「アルヴィンも同じだろう。オルランドの望むことをしたくないと思っている」
「ええ」
アルヴィンが、『王の紋章』を持つもつものが現れたと、誰にも言わなかったのはそのせいだ。
オルランドの意思を無視し、ナサニエルの国王に祭り上げるのは間違っている。
ふと、アルヴィンの頭の上に乗るケレスの大きな手がピクリと動いた。
「アルヴィン、迷える森の神殿で、オルランドの『王の紋章』を、他の者へと……継承させたいと願えばどうだ?」
「無理でしょうね。この国は20年間、国王不在でした。誰が挑戦してもその願いは叶えられない」
「だが、やってみる価値はある」
「そうしてまた、ケレスは迷いの森を何度も彷徨うのですか?……もはや3歩踏み込めば、追い出されるのを知っていて?」
「うるさい!」
ケレスは過去の失態から責任を取ろうと何度も迷える森へと入っていた。
ケレスはどうしてこうもナサニエルに尽くそうとするのか。アルヴィンには理解出来ない。
「ではオルランド自ら『王の紋章』を誰かに譲りたいと願えばどうだ?」
「第3者が介入するより願いが叶う可能性は高いですね。本人が権利を放棄したいと願う訳ですから、精霊たちも考えて下さるかもしれません。
ですが、旦那様の願いは他にあります。そして私はその願いを叶えて欲しいと願っています」
「オルランドは何を願っている?」
「死にたくないと。旦那様はその遺伝から不治の病にかかっておいでのようです。ああ、遺伝性のものですから他の者へと感染る心配はないようですが」
「何!?」
ケレスの顔色がサッと青ざめた。
精霊たちは自然の流れに身を委ね、自然の流れを変えることはない。
生きとし生ける者にはすべて寿命がある。
それは自然の流れで、いくら魔法使いが精霊たちに魔力を注ぎ込んでも叶えてくれるものではない。
そんな願いを持って神殿へとたどり着くことが出来る訳がない。
「オルランドは迷える森で出会ったとき、木々に攻撃されていました」
「攻撃!? そんなこと、聞いたことがない」
迷える森は精魂尽きるまで願いを持つ者をさ迷わせ、心を折り、願いを諦めさせようとする。
不屈の精神を持つケレスのような輩は、初めから受けず、数歩踏み出しただけで追い出されるのだが。
「実際何度も迷える森へと踏み込んでるケレスの言葉には重みがありますね。ですが旦那様が森に攻撃されていたのは事実です。
そして旦那様は『選ばれた者』である可能性が高いのかもしれません。だから旦那様を攻撃し、神殿へのゆく道をふさいだ」
ケレスの胸に身を預けるアルヴィンの頭に、ケレスの震えが伝わる。
生きとし生ける者にはすべて寿命がある。
そんなこと誰でも知っている。そして誰もが無意識のうちに考えないようにしている。
愛しい者の死が目前に迫っている。
誰もそんなことを考えたくない。知りたくない。
知れば、絶望が襲う。
「ケレス!」
ガクリと生気を失ったようにケレスの身体が崩れ落ちた。
吐く息は行き場をなくしたように乱れ、瞳は何も映していない。
「オルランドは元気そうだった」
「ええ。不治の病とは思えないくらいにお元気でいらっしゃいます」
それだけにゾッとする。
死の病は唐突に訪れ、オルランドの命を削り取る恐れがある。
「アルヴィン……アルヴィン……オルランドを、早く迷える森に……神殿へと……向わせなければ、願いを叶えてもらわなければ」
「ですが、旦那様は迷える森から弾かれています。今行っても同じことでしょう」
「だが、精霊たちに認められる功績を挙げれば」
「願いは叶えてくれるかもしれませんね」
「オルランドをナサニエルの国王へと就任させて」
アルヴィンは首を緩く振った。
「それは旦那様の功績にはならないでしょう。精霊たちは旦那様の寿命を知った上で『王の紋章』を継承させているかもしれませんから」
「では……では……どうしろと!?」
「私は『王の紋章』を旦那様から他の者に継承させる方法を調べるつもりです。せめて旦那様がこの国に縛れないように。
そして死の間際までそばに居られるように――――私は旦那様を連れて、王都へ向かいます」
ゆらり。
ふたりの間で蝋燭の炎が、妖しく揺らめいた。
「俺も行こう」
「ケレス」
「誤解しないように言っておこう。オルランドに対するこの気持ちは愛でもなければ、恋でもない。不思議だが、家族を、弟を想うような気持ちだ。おまえたちの仲を引き裂くつもりはない」
家族を、弟を想うような気持ち。
それは確かに恋ではないだろう。
だが、愛には違いないのでは?
アルヴィンがケレスを見上げれば、ケレスはいつも通り。
傲慢ではない経験からくる自信をまとい、冷たい印象を与えるような瞳をしていた。
心は読むな、というところだろう。
*
アルヴィンの腕の中。
執事のマーロンが運んできたアーリーモーニングティーで起こされた。
朝食に遅く、昼食にはまだ早い時間帯。
食事の用意が出来ていると言われ、ダイニングルームへ案内されれば、豪奢なマホガニーのテーブルの上には、食べきれないほどの料理が並べられてあった。
それは昨日俺とアルヴィンが、昼食と夕食を食べ損じたせいで、ケレスが用意させたものだと執事のマーロンは言う。
俺はチキン、ビーフ、ラム、ポークなどのローストされた肉料理を選んで目の前で切り分けて貰い、ローストポテトとボイルキャベツを添えてもらった上で、アップルソースとオニオングレイビーソースをサーブし、黙々と食べた。
そう、黙々と。
何故なら、朝食には遅く、昼食には遅い時間帯にも関わらず、ケレスが同席していたからだ。
……気まずい。
ケレスは俺に夫婦の誓いを立てくれたのにも関わらず、俺は昨夜、ブレスレットを引きちぎってしまっていた。
アルヴィンの傷ついた姿が見ていられなくて衝動的な行動だったのだが、ケレスの矜持を傷つけたのも事実だ。
ケレスはそのことについて何も言ってこないが、俺はケレスに謝るべきなのか、何もなかったように振る舞うべきなのか、イマイチ判断がつかなでいる。
だが、ケレスとアルウィンは相変わらず息の合ったような、合っていないような会話を繰り返していて、ケレスもアルヴィンもいつも通りと言えばいつも通り。
ケレスは儀礼的に夫婦の誓いを立てただけか。
あまり気にすることでもないのかと思いながら、初めて口にする白パンに感動していると、ふと、ふたりの視線を感じた。
「どうした?」
「いえ、旦那様は綺麗にお食事を召し上がりますね。どこでそんなテーブルマナーを学んだのですか?」
「どこでと言われても……オヤジから?」
ふたりに沈黙が落ち、その沈黙を先に打ち破ったのはケレスだった。
「貴族や騎士が集まる食卓や、庶民が集まる食卓はテーブルマナーはやはり違ってくるのだが……オルランドのそれは、王族のものだ」
白いパンを落としそうになる。
オヤジは前国王の弟だ。王族だ。
だが、そのオヤジに口うるさく躾けられたテーブルマナーがまさか王族のものだったとは。
『魔王』であるオヤジがナサニエルで騒ぎの中心になっている話を聞いたあとなので、俺のオヤジは『魔王』だったとは言えない。そんなことを言えばオヤジに非難が集まる。だから。
「俺の住んでた村では、これが普通だった」
と言い切るより他にない。
凶悪顔のせいで村人から避けられていたから、食事に呼ばれた記憶も呼んだ記憶もないので、村のテーブルマナーなんてもの、まったく知らないが。
ふたりが少し、怪訝な顔をした。
嘘だとバレたような気がする。背中に冷たい汗が流れる。
だがしかし、ここは知らん顔するより他はない。
アンティークのティーカップに口をつけると、アルヴィンの明るい声が響いた。
「普通、ですか。それなら良かったです。
これから王都にあるクローディア城に参りますが、テーブルマナーとは一緒にいるすべての人が快適に楽しく過ごせる様に、積極的に工夫する事です。
この様子ですと旦那様とお食事されたいと望まれる方も多いでしょう」
「……待て、俺はそんなところには行かないぞ」
マナー違反を承知の上で、勢いよく席から立ち上がった。
成り行きでここまで流されてきたが、オヤジは待っている。ひとり、あの村で。
「俺は迷える森へと戻る」
たとえ、アルヴィンと別れることになっても。
オヤジとは生まれたときから、楽しい時も、辛い時も一緒に過ごしてきた。
冷酷非道顔で友達はおろか、知り合いすらできなかった俺の自己を認め、自分たちの環境を認め、感謝し、何があっても幸せだと思える毎日を過ごしてきた。過ごさせてくれた。
オヤジをひとりには出来ない。
「しかし旦那様、私たちは迷える森から追い出されてしまいました。こうなればおそらく、神殿までたどり着くことは出来ません。
遠回りしているように思えても、王都にあるクローディア城の図書室で迷える森について詳しく調べ、確実に神殿へたどり着ける方法を探して出してから、迷える森に行ったほうがいいかと」
「だが俺は時間を潰している暇はない」
オヤジは言っていた。
強く願っていれば、神殿に必ずたどり着くと。
アルヴィンが言淀み、綺麗な顔に頼りない笑みを浮かべた。
「それでは参りましょうか。迷える森へ」
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