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第4章 男達の、視線の牢獄
男達が放つ欲情の圧
しおりを挟む結局夜更けになっても眠れずに、三人が寝た頃合いを見計らって、沙織は、そっと寝袋を抜け出した。
……と、思ったら。
「どした? 大丈夫?」
囁き声をかけてきたのは、佐伯だった。
寝袋から、顔を上げている。
はっとして、沙織は小さな声で答えた。
「起こしちゃってすみません。下でトイレ行ってきます」
「ああ……。えーと、ついてかなくて平気?」
「大丈夫です。一人で行けます」
「そう……じゃ、気をつけて」
むにゃむにゃ言う佐伯に頷いて、沙織は駅舎の地下に下りた。
もう最後になるかもしれないまともなトイレに座ると、沙織は頭を抱えた。
(――これからどうしよう……。どうなるんだろう……)
……さすがに沙織だっていい歳の大人だし、そんなに鈍感じゃない。
あの二人の若い男が、西島と佐伯が――新婚だという永瀬はわからないけど――、沙織に対してどんな感情を覚えているのか。……わからないわけはなかった。
あの、男特有の性欲というか、欲情が発するオーラ――圧みたいなものに当てられるのは、久しぶりの経験だった。
……けれど、若い頃にはああいう雰囲気の中で過ごしたことは何度もあった。
若い頃に付き合った男は何人かいたが、結局、……沙織は夫以外の男とは寝なかった。
中高生の頃から盗撮や痴漢の被害に遭ったりして男に嫌悪感があったし、心からは男を信用できなかったからだ。たとえそれが、こちらから恋して付き合った男であっても。
三人の中では、……何となく、佐伯が一番女好きだと思う。
薄々、そう感じられた。
笑い方、表情の作り方、喋り方。……それに、沙織の顔を覗き込むふとした仕草。
そのすべてが、過去沙織が遭遇してきた、いわゆる女たらし達と同じだった。
どうも佐伯は、……沙織をからかって反応を楽しんでいるような節(ふし)すらある。
あの手の猛烈な嵐のような女たらしに恋して、たっぷり泣かされた経験は若い頃の沙織にもあった。
王子様みたいな顔立ちをしていたあの男は……そうだ、沙織が初めて付き合った男だった。
あいつは可愛いだのタイプだのとのたまってさんざん沙織を浮かれさせ、男慣れしていない間抜けな沙織の心をあっという間に掴んで奪った。そして、こちらが身持ちの固いビビリのヤラせない女だと気づいた途端に秒速で捨てたのだ。
去る時は、本当に氷のように冷たかった。
(セックスするから寄りを戻そう)
そう言って彼の部屋でチョロく服を脱ぎに行きたい衝動を、沙織は泣きに泣いて押さえつけた。
寝たらもっと惨めになるのはわかっていたし、あの女好きで顔のいい男を繋ぎ止められるほどの顔も身体も持っていないことに気づいていたからだ。
若い頃の沙織は、〈美人〉と言われることもあれば〈可愛い〉と言われることもあり、〈タイプだ〉と言われることも、果ては〈遊んでそう〉と言われることもあった。
だけど、反対に〈可愛くない〉と言われることもあったし、〈真面目そう〉と悪い意味で――モテなさそうだという意味で言われたこともあったし、まったく圏外のどうでもいいゴミみたいな扱いをされることもあった。
扱いは、一緒にいる女達の顔ぶれで決まる。
沙織より美人がいる時は後者の扱いだし、そうでなければ前者の扱いになることもあった。
残念ながら、そういうものだ。
男は、女なんかよりもずっと、容姿の判断には非情だから。
まあ、つまりは沙織は〈普通〉だったのだ。
多少若さで輝いた時期はあったけれど、至って普通。
冴えない普通の女。
それでも、十歳年上でいかにも〈いい人止まり〉な、でも〈いい人〉の夫は沙織を心から愛してくれた。
若い沙織がデートに現われるだけで心から喜んで、素敵な婚約指輪を買って、結婚式で白いドレスを着せてくれた。
あの女に対する非情な品評会から――そこに参加し続けなければいけない苦しさから、沙織を見つけて助け出してくれた。
沙織を、もう〈女〉で頑張らなくてもいい場所に隠してくれた。
こんな沙織を、……彼は今も心から愛してくれていると思う。
(……パパ。あたし、怖いよ。助けに来てよぉ……)
……男達は、特に西島と佐伯は、沙織にあわよくばの感情を抱いている。
それは間違いない。
半年以上も女を見ていなかったから、沙織みたいに十歳近くも年上の女でも、男が反応してしまうのだろう。
……それは、夫との夫婦生活を考えても沙織にも納得ができた。
いくら優しいといっても、夫も男だ。
沙織が寝たいと思わなくても、寝てあげなければいけない時はたくさんあった。
そもそも、女は男より寝たいと思う日は圧倒的に少ないのだ。
夫と最後に寝たのは、友達とランチをする予定だった……あの日の朝だった。
沙織の肌には、まだ彼の温もりが残っている。
夫の腕や胸が、無性に懐かしかった。
神経質で落ち込みやすい性格の沙織は若い頃からさほど体重は変わらず太れないのに、呑気な夫は中年太りですっかりお腹が出た。
『ママの作る料理が美味しいからだよ』と笑う彼が沙織は好きだった。
沙織は、自分の身体を見下ろした。
細くて華奢だ。
この事態で、沙織が一番綺麗だった頃くらいまで痩せたと思う。
でも、もう若くないから、あの頃みたいないい痩せ方じゃない。
胸はもともと小さかったから子供を育てた今でもそんなに垂れてはいないし、母乳育児がつらくてすぐに脱落したから乳首の形も崩れていない。
だけど、二度の出産ですっかりお腹はたるんでいるし、下半身が太い洋梨体型は年々悪化している。
この二か月少ない食事量だったのに加えて歩きまわったおかげで多少は筋肉がついてマシになったかもしれないが、……あんなに若くてお腹がへこんでいる男達がわざわざ求めるような身体じゃない。
……なんてことは、こちらからわざわざ言わずとも、あちらで察してくれるといいのだけれど。
沙織はスポーツには疎いが、口振りからして、西島や佐伯はファンの女の子やモデルやなんかの綺麗な女性達にちやほやされるような生活を送っていたんじゃないだろうかと思われた。
平凡な沙織とは、……生きている世界が違う。
(――あたしなんか相手にされなくなるように、すぐに、他にも誰か人が見つかりますように!)
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読んでいただいてありがとうございました!
そして、お気に入りやいいねやしおりやエールをくださった方、本当にありがとうございます!
凄く嬉しいです。
もしよろしければ、この後もぜひぜひ読んでみてください!
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