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6.眩い舞踏会の夜に

あなたがくれた、最高の贈り物

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「おやおや、ウィレス侯爵。貴殿がもういらしておいでとは、お珍しいですな。こういった夜会には、遅れてくるのが常でしょう。これは、明日は季節外れの雪でも降るのではないかな」

 苦笑した老公爵が言うと、どこか神経質そうだが整った顔立ちをした若い貴族は、肩をすくめて答えた。

「普段ならば、こういった夜会には興味などないのですがね。領内の混乱を必死に収め、クリスティーナ様にご挨拶をするため、急ぎ参上したのです。彼女が無事解放されたあの謁見の日には、残念ながらほとんど微かにしかそのお声を聞くことはできませんでしたから」

 クリスティーナは目を瞬いて、雲の上の地位を持つ二人の貴族の会話を聞いていた。
 彼らは、レスターがエルザス王国の軍を率いて進軍するにあたり協力したこのクレフティス王国の諸侯たちなのだろうか。

「戦場でのわたしの働きを鑑みてくだされば、殿下はきっとこのわたしに栄えあるお役目を与えてくださるでしょう」

 そう言いながら一瞬クリスティーナの方を見かけ、若き侯爵は慌てて目を逸らした。
 老貴族は微笑み、目の前の青年に答えた。

「それは心外な。戦場働きではさすがに若い者には負けますが、この老体もずいぶんと陰で殿下とともに働いたのですよ。もっとも、当然我が国とクリスティーナ様のために一番ご尽力されたのはレスター殿下に他なりませんが」

「……?」

 老公爵の言葉に、クリスティーナはわずかに首を傾げた。
 レスターがこのクレフティス王国のために尽力したというのはわかるが、クリスティーナのためとは、いったいどういうことなのだろう。

 つい訊ねようとしたのだが、すぐに彼らの身分を思い出し、慌てて開きかけた口を閉じる。
 二人の貴族たちは、クリスティーナには自ら声をかけず、視線を送ろうともしなかった。
 どうやら、レスターの許可が下るのを待っているらしい。
 レスターは笑ってクリスティーナの身体を間近に引き寄せ、二人の男に答えた。

「残念だが、このクリスティーナは大変な恥ずかしがり屋でね。俺の他の者に触れることはおろか、滅多に声を聞かせようともしないのだ」

(えっ……?)

 クリスティーナは、目をぱちぱちと瞬いて、レスターを見上げた。
 彼はクリスティーナに向けるのとは別種の笑みを浮かべたまま、二人の貴族に対している。
 少し考え、クリスティーナは思い当たった。

(そうよね……。何もわからないわたしが不用意に喋っては、とんでもないことを口にしてしまうかもしれないわ。そうならないように、レスター様が代わりにお話ししてくださるのね)

 ようやくレスターの意を汲んだと思い、クリスティーナは無言のまま視線を二人の貴族に戻した。

 その瞬間、若い方の紳士と偶然に目が合ってしまう。
 レスターを見上げたクリスティーナに、彼はこっそりと視線を送っていたのだ。

 はっとしたように見開かれた目で熱く見つめられ、クリスティーナは戸惑ってしまった。
 しかし、すぐに若き侯爵は我に返り、クリスティーナから目線を外した。

 クリスティーナとウィレス侯爵が目を交わしたのに気づいたのかどうか、レスターはますますクリスティーナの身体を近くに抱き寄せた。
 そして、クリスティーナの手の甲にちゅっと吸いつくような音を立てて唇を落とし、二人の貴族に聞こえるように囁く。

「可哀そうに、こんなに震えて。早く寝室に戻って二人きりになりたいのか? クリスティーナ」

「……っ」

 クリスティーナは真っ赤になって、レスターを見た。
 レスターはふっと笑って続けた。

「だが、もう少し耐えてくれ。今夜集まったのは、君の美しい姿を一目見たいと夢見ていた者たちなのだから」

 そこまで言うと、顔を上げてレスターは二人のクレフティス王国の貴族を見た。


「さあ、クリスティーナ。お二人をよくご覧。――レダークス公爵は君の曽祖父の従妹を母に持つ方で、ウィレス侯爵は曾祖叔母の曾孫に当たる方だ。彼らはお二人とも、君の叔父上の独裁からこの国を取り戻し、そして虜囚の身となっていた君を救うため、多くのご尽力をくださった」


「‼」


 はっとして、クリスティーナはレスターの瞳をもう一度見上げた。
 彼が部屋を出る前に言っていたことの意味が、ようやくわかったのだ。

 ずっとクリスティーナは、あのギデオンだけが、自分に残されたたった一人の肉親だと思っていた――。
 だが、それは違ったのだ。


(……レスター様は、このことを教えてくださるために、今夜わたしをここへ連れてきてくれたのね……)
 

 考えてみれば、当然だった。
 そもそも、隣国の王子であるレスターにこのクレフティス王国を統治する正当性があるのも、家系図を遡ればエルザス王国とクレフティス王国に婚姻関係によって繋がっていたからだった。

 このクレフティス王国王家の直系は確かに叔父のギデオンだけだったが、国史を見返せば、きっと国内の有力諸侯たちと王家の婚姻は数多く結ばれているはずだ。
 クリスティーナもそのことは認識していたはずなのに、彼らが自分の肉親だという発想は脳裏に微塵も浮かばなかった。

 直接会話をすることができない分、二人の遠い肉親の姿と声をよく心に刻んでおこうと、クリスティーナはレダークス老公爵とウィレス侯爵に目を戻した。

 すると、二人の紳士は、意外にも今は躊躇うことなくまっすぐにクリスティーナの瞳を見つめていた。
 先刻レスターがしてくれた説明は、彼らにクリスティーナと言葉を交わす許可を下すためのものでもあったようだ。
 二人の上級貴族は、クリスティーナの前に跪き、代わる代わる言った。

「クリスティーナ様。長きに渡る虜囚の日々、そのご心労をお察しいたします。ご無事で何よりでございました。まだ足腰の立つうちにあなたのご健在のお姿を拝見することができたこと、執着至極に存じます」

「あなたを救い出すために動くのが遅れてしまい、本当に申し訳ございませんでした。我らクレフティス王国の諸侯は力を合わせ、ギデオンとロレッタによって遠隔地に隠されたあなたと母君の行方を捜しておりました。ですが、ギデオンの手に一歩及ばず……。そのためにあなたを大変な憂き目に遭わせてしまったこと、どうかお許しください」

 初めに口を開いたのは、レダークス公爵で、次の言葉が、ウィレス侯爵だ。

 二人の上級貴族に目の前で傅かれ、クリスティーナは戸惑った。
 クリスティーナに、レダークス公爵が続けた。

「故サイラス陛下の正妃だったロレッタは、我が不肖の姪でございます。非道の者が我が一族から出てしまったこと――。亡き陛下とお母君、そしてあなたに償うことのできない罪を働いてしまったことを、心からお詫び申し上げます。我が家に対する処断に関しては、殿下に一任してございます。どうぞ思うままに、殿下に我が家に対する処罰をご進言ください」

 その申し出に、クリスティーナは目を瞬いた。
 今この老公爵の言葉を聞いて心に感じた通り、『とんでもないことだ』と口にすべきかどうか逡巡する。
 しかし、すぐに助け舟を出すようにレスターが首を振った。

「いや……。彼女は、心優しくとても聡明な人だ。自分のために、誰かを処断するようなことは望まない。レダークス公爵は、このクレフティス王国を救うために本当によくご尽力くださった。たった一人出てしまった一族の蒙昧もうまいな者の犯した罪を問うよりも、功績を厚く称えるべきだと彼女は考えている」

 すると、老公爵は深々と頭を垂れ、高い地位を誇る一族の責任を双肩に担う者らしく厳格な声で言った。

「寛大なるご配慮をいただき、感謝に耐えません。ありがとうございます。クリスティーナ様……」

 この老公爵が、一番にクリスティーナに紹介されたいと言って現れた理由が、クリスティーナにもようやくわかった気がした。
 きっと彼は、眷族けんぞくの犯した罪をクリスティーナの前で一刻も早く明らかにし、処断を受けようと考えていたのだ。
 そして、若きウィレス侯爵の言葉にもまた、クリスティーナの境遇に同情する心からの思いやりに満ちていた。

 クリスティーナは、このクレフティス王国を支える諸侯たちが誠実な心ある方たちであることを知った。
 言葉を発することは許されていないため、クリスティーナは微かに頬を綻ばせ、感謝の気持ちを自分の表情に示した。

 
 ……すると、その瞬間だった。


 二人の貴族は――特に年の若いウィレス侯爵は、目に見えてわかるほどに動揺した。



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 ここまでお読みくださって、本当にありがとうございます!
 ♥やお気に入り登録などなどいただけたら本当に嬉しいです。
 この回は予約投稿なので、失敗していたら申し訳ございません!

 また、エールにて応援してくださった方、本当にありがとうございました……!
 自分は同人活動として動いておりますので、作品ごとにイラストの発注などもしておりまして、とても嬉しいです!!
 今後もできるだけ長く活動したいなと夢見ておりますので、励みにして頑張ります!!
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