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3.胸に秘めた、甘い追憶

初恋の人

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(……あれ? でも、どうしてわたしの名前を知っているんだろう……?)


 あまりに自然に名前を呼ばれてしまったため、すぐには気づかなかった。
 けれど、確かに、彼はクリスティーナの名を呼んだ。

 どこかで、彼と会ったことがあっただろうか?

 今度はクリスティーナの方が、熱心に彼の顔を見つめた。
 すると、青年はふっと苦笑した。

「その綺麗な瞳でじっくり見つめられると、照れてしまうな。今度は俺の顔に何かついているか、訊かなくてはならないようだ」

 青年の言葉にはっとし、クリスティーナは真っ赤になって首を振った。

「す、すみません! 違うんです。あなたの顔に、何もついてなんていません」

「そうか、安心した。君のような美しい人の前で、見苦しい姿をしていたくはないからな」

 優しく微笑んだまま、彼は何気ない様子で言った。

 ……だが、言われたクリスティーナの方は大事件だ。
 美しい――だなんて、これまで言われたことがない。

 クリスティーナは、もう耳まで赤くなって彼の賛辞さんじを否定した。

「そんなことありません。美しいとか、綺麗な瞳とか、わたしみたいなのが、そんな……」

 慌てて首を振ってから、クリスティーナは後悔した。
 こんなことを言ってくる男の人は、クリスティーナの身の上を知っているこのクライールの町の人たちの中には一人もいなかった。

 だが、彼のような大人の男性ならば、そのくらいのことをお世辞せじで女の子に言うことはあるだろう。
 こんなに過敏かびんに反応しては、なんと見苦しい娘だと思われたに違いない。
 
 ……謝ろうか?
 
 そう思って、今にも泣きそうな瞳で彼を見つめると、彼は怒っても呆れてもいなかった。
 笑ったまま、ただこう言ってくれた。

「君はまだ、自分の美しさを知らないのだな。俺は、こんなに愛らしい人を初めて見た。今日ここで君と出逢えた幸運を、神に感謝するよ」

「……っ」

 馬鹿なクリスティーナに、恥をかかせないための配慮だろうか?
 彼の称賛を真に受けるようなことはもちろんなかったが、声にこもった優しさが、クリスティーナは嬉しかった。

「すみません、びっくりしてしまって……。わたし、そんなことを言われるの、初めてで」

「そうなのか? では、俺は幸運だな。君の美しさを、この世で初めて称賛した男になれるとは。ますます、神に感謝しなくてはならないようだ」

「そんな……」

 ……もしかして、からかわれているのだろうか?

 クリスティーナはもう、返答にきゅうし切っていた。
 赤くなって黙り込んでいるクリスティーナに、青年は怪我をしていない方の右手を伸ばしてきた。

「あっ……」

 髪に手を触れられそうになり、クリスティーナは思わず身を引いてしまった。
 すると、彼もさっと手を戻した。

「すまない、不躾ぶしつけな真似をした。あまりに綺麗な髪だから、つい……」

 青年に謝られ、クリスティーナの方がばつの悪い思いをした。
 変に意識してしまっている、クリスティーナが悪いのだ。
 彼のような素敵な人が、クリスティーナに対して何か特別な感情を抱いているなどということが、あるわけないのに。

「いいえ。わたしこそ、驚いてしまって、過剰かじょうな反応をしてしまいました」

 すると、彼はまた微笑んだ。

「君は、本当に優しい人だな。クリスティーナ。このままだと、俺は君から目が離せなくなってしまいそうだ……」

 そう言ってから、彼は、ふいにこう訊ねてきた。

「クリスティーナ、君の歳は?」

「え? えっと、来年十五歳になりますが……」

 クリスティーナの年齢を聞いた男は、ぱっと目を見開いた。

「何と……。では、まだ十四か」

「……? はい、そうです」

 頷いてから、はっと気がつく。
 クリスティーナは、年齢を上に見られることが多いのだ。
 幼い頃からこのハンフィ救貧院で大人に混ざって働き、孤児の子供達の面倒を見ていたためだろうか? 同年代の女の子たちより、妙に老けるのが早くなってしまったようだ。
 慌てて、クリスティーナは青年に謝った。

「ごめんなさい。わたし、よく歳より上に見られるんです。なんだか、老けてしまってるみたいで……」

「いや、君が謝ることじゃない。……そうか、まだ十四歳か。参ったな。すぐにでも……と思ったのだが」

 口の中でそう呟いてから、青年はクリスティーナに言った。

「クリスティーナ。こちらこそ、失礼な言い方をしてしまった」

 青年が済まなそうな顔をしたので、クリスティーナは首を振った。

「いいえ、よく言われることですから。あ、もしかしたら……。髪が銀色だから、白髪みたいに見えちゃうのかもしれませんね」

 冗談めかして笑うと、彼は真面目な顔をした。

「こんなにも綺麗な髪を白髪と間違える者なんて、いるわけがない」

「え……?」

「星の光をはらんだような、美しい輝きだ。君に似合う、とても綺麗な髪だよ。クリスティーナ」

「あ……、ありがとうございます」

 否定や謙遜けんそんをするより先に、クリスティーナはお礼を言っていた。
 母よりもさらに色素の薄い銀色の髪に、密かに劣等感れっとうかんを覚えていたのだ。
 その髪を褒められ、クリスティーナは思わず頬をほころばせた。

(お世辞だって、……わかってるけど)

 自分に言い聞かせ、冷静さをなんとか取り戻そうと、クリスティーナは青年を見つめた。
 そして、お茶とお菓子を勧める。

「美味しくないかもしれないけど……」

「君が焼いたのか? それじゃ、一ついただこうかな」

 しかし、青年はクッキーに手を伸ばそうとはしなかった。
 彼は、悪戯な瞳でクリスティーナを見つめて続けた。

「君が、食べさせてくれるか?」

「えっ?」

 一瞬戸惑ったが、彼の左腕に巻かれた包帯にはっと気がついた。

 ……きっと左腕が利き手で、右手ではうまくクッキーやお茶を口にできないのだろう。
 そんなことに、今まで気づかなかったなんて。

 クリスティーナは、自分の気遣いのなさを反省した。

「すみません、気が利かなくて」

 クリスティーナは、急いで自分の焼いたバタークッキーに手を伸ばした。
 小さなクッキーは、まだほんのりと温かかった。

「あの……、どうぞ……」

 彼の薄い唇に、クリスティーナは手にしたクッキーをそっと運んだ。
 形のよい唇が開かれ、一口大に焼いたバタークッキーを、ぱくりと頬張る。
 クッキーを食べ、口が閉じる瞬間、まるでキスするように、彼の唇がクリスティーナの指先にちゅっと吸いついた。


「……っ」


 指先から全身に静電気が伝わるように、疼くような感覚が走る。
 思わず手を引き、口づけられた指先を守るようにして、クリスティーナは胸の中に抱いた。
 それから、また過剰な反応をしてしまったと赤くなる。

(た……、たまたま、ちょっと唇が触れただけじゃない。わたし、動揺しすぎだわ)

 すると、そんなクリスティーナをじっと見つめ、青年は笑みを浮かべた。

「そんなに可愛い反応をされると……。まだまだ、ここに長居していたくなるな」

 意味深に言ってから、彼はすっと立ち上がった。

「……けど、もう時間だ。そろそろ行かなくては」

「あ……。泊まっていかれないんですか?」

 もう日も沈むところだ。
 この青年とこんなにも早く別れるのが惜しい気持ちも手伝って、クリスティーナは思わずそう訊ねていた。
 すると、彼は微笑んだまま答えた。


「引き留めてくれるのか? 嬉しいな。だが、またすぐここへ来るよ。今夜からは、君の顔が頭から離れなくなりそうだから」


「!」


 やっぱり、……クリスティーナはからかわれているのだろう。
 こういう大人の男性は、日常取るべき礼儀作法のようにして、女性を喜ばせるようなことを口にするらしいから。
 そう思いながらも、胸の動悸どうきは静まらなかった。
 すると、彼は小首を傾げて、クリスティーナに訊いた。


「君も……、同じ気持ちだと嬉しいのだが」


「あ……」


 まっすぐに見つめられ、クリスティーナは返答に窮した。
 どう答えようか悩んでいると、彼に先をうながされる。

「どうだ?」

 吸い込まれるような淡い色の瞳に見つめられ、気がつけばクリスティーナは、素直に頷いていた。


「は……、はい……」


 答えを聞くと、青年は顔を輝かせた。


「そうか。よかった」


 自分でも思ってもみなかったことを言ってしまったクリスティーナは、胸の前で手を握り合わせ、小さくなっていた。
 そんなクリスティーナを見つめ、彼は続けた。


「必ず君を迎えに来る。だから君も、きっと俺を待っていてくれ」


 おずおずと頷くと、彼は嬉しそうに微笑んだ。
 すっかり日の暮れたクライールの町へ出ていく彼の背を、クリスティーナはいつまでも名残惜しく見つめていたのだった。





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