上 下
11 / 43
3.胸に秘めた、甘い追憶

淡い夢

しおりを挟む
 ……クリスティーナは、その時、夢を見ていた。

 それは、今も密かに慕い続けている、初恋の若者の夢だった。
 夢の中で、クリスティーナは――十四歳の少女に戻っていた。



 ♢ 〇 ♢



 ――そこは、クレフティス王国とエルザス王国の国境沿いにある、クライールという辺境の小さな町だった。

 街道からかなり離れた小高い丘の上に位置するクライールの町の片隅に、クリスティーナの暮らすハンフィ救貧院はあった。
 ハンフィ救貧院は小規模ながらも歴史があり、赤い煉瓦れんがの外壁はせて味のある色合いをしていた。

 親しみやすい雰囲気に溢れるこのハンフィ救貧院の建物が、クリスティーナは好きだった。

 赤ん坊の時に母とともにこの救貧院に預けられ、クリスティーナは、十四歳となったこの頃までずっと修道女しゅうどうじょたちの手伝いをして暮らしてきた。
 国王サイラスの寵愛ちょうあいを受けた果てに打ち捨てられたメアリーとクリスティーナ母娘を、ハンフィ救貧院の人々は暖かく迎え入れてくれた。

 母のメアリーは、二年ほど前に病で亡くなってしまった。
 もともと働き者のたちだった母は、クリスティーナのためにとこのハンフィ救貧院でもずいぶん熱心に働いたのだ。
 クリスティーナの行く末を心配するあまり、周囲が止めるのも聞かずに働きすぎてしまい、身体を壊したのが病の発端だった。
 クリスティーナも一生懸命看病したのだが、治ることはなく、母は逝った。

 十四歳になったばかりのクリスティーナは、今でもまだ時折母を思い出して涙することがある。
 ……けれども、ハンフィ救貧院で暮らしているのは、身寄りのない子供達ばかりなのだ。
 クリスティーナばかりが、我が身をなげいてはいられない。

 二年の月日が経って、少しずつ悲しみを思い出に変え、クリスティーナはハンフィ救貧院で一生懸命働いていた。
 むしろ、働くことで、クリスティーナの中の悲しみが思い出に変わっていったのかもしれなかった。

 このクライールの町で修道女となり、人生のすべてを神に捧げて生きていく。
 自分はきっとそういう人生を歩むのだろうと、クリスティーナは思っていた。
 それが、亡き父と――そしてこのクレフティス王国が、クリスティーナに求めたせいなのだから。



 ♢ 〇 ♢



 そんなある日のことだった。

 夕方近くになり、クリスティーナが焼いたバタークッキーを礼拝堂の卓子に並べて冷ましていると、ハンフィ救貧院でともに暮らす子供達がばたばたと階下へ降りてきた。

「わあ、いい匂い! これ皆、クリスティーナが焼いたの?」
「僕、お腹空いてきちゃった。お願い、ちょっとだけ味見してもいいでしょ? これ、貰いっと」
「あたしも!」

 自分を取り囲む子供達のうち数人が、湯気を立てる一口大のクッキーへすばやく手を伸ばそうとした。
 クリスティーナは、腰に手を当てて怖い顔を作った。

「こらっ。駄目でしょ、皆」
「だってぇ、クリスティーナ」
「あんまり美味しそうなんだもん」

 止められた子供達は、一様に唇を尖らせた。
 その顔があんまり可愛くて、クリスティーナは苦笑した。

「もう、いけない子たちね。わかってるでしょう? コニー、シリル、それにグレッグも。我慢なさい。これは、巡礼に来た方や旅の人に渡すものなんだから。それに、あなたたちはもうすぐ夕食の時間でしょう」

 すると、孤児たちの中でも少し背の高い女の子が、腰に手をやって胸を張った。

「そうよそうよ。だから、駄目だって言ったでしょう? あんたたち、クリスティーナを困らせないの!」

 それは、孤児たちの中でも成長が早くてちょっぴりおませな性格のキャサリンという少女だった。
 キャサリンは、ハンフィ救貧院で暮らしている子供達の中でもしっかり者で、クリスティーナや修道女たちをよく助けてくれている。

「夕食の時間まであとちょっとなんだから、そのくらい我慢しなさいよ」

 キャサリンの指摘に、男の子たちはますますぶすくれた。

「ちぇー。キャサリンの奴、クリスティーナの前だとすぐいい子振るんだからな」

 そう言ったのは、グレッグだ。
 赤毛の髪とそばかすが、やんちゃで悪戯な彼の性格をよく表している。

「何か言った⁉ グレッグ」
「べ、別に」

 キャサリンににらまれると、グレッグはさっと口をつぐんだ。
 そんなグレッグを見て、コニーやシリルたちはにやにやと笑っている。

「グレッグは、キャサリンに弱すぎなんだよ」
「そうそう。すぐ折れるくせに、毎回つっかかってくんだよな」

 しかし、そんな風にはやした男の子たちも、キャサリンがひとにらみすると黙ってしまった。
 子供達の様子を見て、クリスティーナはくすくすと笑った。

 すると、孤児たちの中でも一番幼いジョンが、クリスティーナのスカートにぎゅっとしがみついてきた。
 まだ七歳になったばかりで、身体も弱く風邪などを引きやすい体質のためか、ジョンはクリスティーナや年長のキャサリンにいつもくっついてまわっているのだ。

「どうしたの? 甘えん坊さん」

 すると、ジョンははしばみ色をしたまん丸な瞳でクリスティーナを見上げた。

「……お客さんが来たみたいだよ、クリスティーナ」


「お客様……?」


 顔を上げて入口の方を見てみると、いつの間にか扉が開いていて――ハンフィ救貧院に夕日の光が差し込んでいた。

 確かにそこには、見知らぬ男が立っていた。

 少し時間が早いが、……きっとあの人は夕方の祈りを捧げにこのハンフィ救貧院へやってきたのだろう。
 子供達に裏へ戻るように伝え、クリスティーナは客人のもとへ歩み寄った。

 それは、くしゃくしゃに乱れた金髪――いや、ブラウンの髪をなびかせた若い青年だった。

 褪せたスタンド・カラーのコートの中に、短いウエストコートを身に着けている。
 モスリンのクラバットと穿き慣れた感じのスラックスは、背の高い彼によく似合っていた。

 大きな怪我を負ったのだろうか、がっしりとした左腕には痛々しく包帯が巻かれ、首から吊るされていた。
 怪我を負った人がその日の食事を求め、救貧院を訪れることはよくあることだ。

 ……けれど、包帯よりも、もっと印象的なものがあった。
 見る人を射抜くような、鋭い瞳だ。

 彼の視線の鋭さに一瞬目をみはり、クリスティーナは動きを止めた。


(綺麗な人……!)


 これまでクリスティーナが出逢った人の中で一等美しいのは、なんといっても母のメアリーだった。
 銀髪の髪と夕暮れ色の瞳は、病床にあってもきらきらと輝き、見る者を魅了していた。

 ……しかし、この目の前の男性は別格のようだ。
 人の目をきつける端整な顔立ちは、まるで――神話に登場する神か英雄のようだった。

(……あっ、いけない。見惚みとれてる場合じゃないわ)

 ついぼーっとしてしまったことにはっと気がつき、クリスティーナはそっと首を振った。
 冬の寒い北風の中、怪我人をのんびりハンフィ救貧院の入口へ立たせておくわけにはいかない。


「……す、すみません。寒いですよね。当ハンフィ救貧院へようこそ。どうぞ、奥へお入りください」


 すると、彼は無言で頷き、クリスティーナについて、ハンフィ救貧院の中へと入ってきた。

 このハンフィ救貧院に訪れるのは、クライールの町に住む人々ばかりだ。
 若い男の旅人や巡礼者というのも珍しく、彼の来訪はまだ十四歳になったばかりのクリスティーナには新鮮な体験で、胸がどきどきと高鳴った。

 救貧院の扉を閉めて小さな礼拝堂の長椅子に案内すると、クリスティーナは彼の前に膝を着いた。
 そして、腰かけた彼と目線を合わせて訊く。

「あの、包帯の方はお取り替えしますか? もしご必要なら、用意してきますが」

「いや、結構だ。お気遣いありがとう」

 よく通る、張りのある声だ。
 なぜか目の前の青年は、おかしいくらいに熱心にクリスティーナの顔を見つめていた。
 小首を傾げ、クリスティーナは彼に訊ねた。

「……わたしの顔に、何かついてます?」

「いいや」

 またも簡潔な答えだ。
 しかし、その鋭い瞳は変わらずクリスティーナの顔に釘づけされている。
 

(どう、したのかな……?)


 ここまでまっすぐに見つめられると、こちらが恥ずかしくなってきてしまう。
 クリスティーナの頬に、ぽーっと熱が集まってきた。
 そんな自分自身にも困惑して、クリスティーナはどぎまぎと言った。

「あ、そうだわ。体が冷えてるんじゃありません? 今、温かいお茶を入れてきますね」

 今度は返事を待たずに、クリスティーナは立ち上がった。
 礼拝堂の裏手にある炊事場へ向かうクリスティーナの背を、来訪者の鋭い瞳が追いかけてくる。
 全身に視線を浴びていることがクリスティーナにもわかり、なんだか自分の動きがいつもよりわざとらしい気がした。

 ……おかげで、慣れているはずのお茶の用意にもすっかり手こずってしまった。
 それでもなんとかお茶の用意をし、先ほど焼いたばかりのバタークッキーを添えてクリスティーナは礼拝堂へと戻った。

「お待たせしました。お腹が空いていらっしゃったらと思って、クッキーも持ってきてみたんですが……。お一つ、いかがです?」

「ああ、ありがとう。君は優しいのだな。クリスティーナ」

 バタークッキーの芳ばしい香気のせいだろうか。
 初めて、青年が微笑んだ。

 その笑顔の優しさに、クリスティーナの頬はますます熱くなった。
 恐ろしいほどに整った顔立ちをしているが、……笑うと可愛らしい人だ。

「それに、この救貧院にいる他の子供達のこともよく面倒を見ているみたいだな。ここで働くのは、大変ではないのか?」

「い、いえ、働くのって、楽しいですから。それに、子供達も素直な子ばかりで、とっても可愛いんですよ。面倒を見ているというよりも、一緒に遊んでいるようなものなんです」

 戸惑いながらも、クリスティーナは答えた。
 そして、彼の前にお茶とバタークッキーをそっと置く。


(……あれ? でも、どうしてわたしの名前を知っているんだろう……?)




 ---

 ここまでお読みくださって、本当にありがとうございます!
 ♥やお気に入り登録などなどいただけたら本当に嬉しいです。
 活動の励みになりますので、ぜひよろしくお願いします。

 なるべく毎日更新しようと思ってますので、展開ゆっくりめですが、もしよろしければぜひお付き合いください。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...