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戦間期(1932〜1941)

『大和』建造五 進水式

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 進水式は、厳かに進んだ。
 昭和天皇は、式場の玉座の前にお立ちになり、呉鎮守府司令長官が、海軍大臣の代理として、命名書を読み上げた。
「命名書。軍艦大和。昭和一二年九月一五日其の工起し、今や其の成るを告げ、茲に命名す。昭和一五年八月八日。海軍大臣吉田善吾」
 工員達は式場から離れた場所にいたので、彼の言葉がよく聞き取れなかった。そこで、この様な話がなされた。
「なぁ、新戦艦の名前なんて言ったんだ?」
「俺もよく聞き取れなかったが、どうも『亜細亜』とかいうらしい」
「成る程、艦が大きくなって、艦名も一回り大きくなったのか。なら、さしずめ二番艦は『東亜』かな」
「違いない」
 かくして、A140は『大和』と名付けられた。これからは、我々も『大和』と呼ぶことにしよう。

「曳き方はじめ」
 その声と共に、曳船が動き出した。その後、式台上の支綱が切られ、『大和』は進み始めた。
 この時、『大和』には砲塔が積まれていなかった。『大和』の主砲は艦橋前部に背負式で二基、後部に一基であり、このままでは、前部が浮きすぎてしまう。そこで、三〇トンの海水が積まれていた。
 『大和』の進水式は恙無く進んでいった。ドックとの左右の余裕は四・五メートルあり、進水は比較的容易であったが、念のためとして、一ノットと非常にゆっくりとした速度で行われた。

「真珠湾を奇襲する、だと?」
 そう言ったのは、山本五十六大将である。
 昭和一六年一月現在、彼は連合艦隊司令長官の職に就いていた。
「ええ」
 そう、頷いたのは、連合艦隊主席参謀黒島亀人大佐である。
「真珠湾は米太平洋艦隊の本拠地ですから、そこを奇襲すれば、大打撃を与えることが出来ます」
 山本大将は、思わずつばを飲み込む。それは、これまで海軍が掲げていた漸減邀撃作戦を真っ向から否定する作戦であった。
「しかし、実際にそんなことが出来るのか?本拠地だという事は、それだけ防御能力が高いという事だ」
「そこで、空母を使います。米軍も、大艦巨砲主義から、抜け出せていません。空母による攻撃は、あちらも想定していないでしょうから、この攻撃は奇襲となるでしょう。しかし、開戦してしまえば、敵も馬鹿ではありません。必ずや哨戒を強化してくるでしょうから、開戦と同時に行うことが最も重要になってきます」
「ふむ」
 黒島大佐は身振りを交えて熱心に語る。それを受けて、山本大将も次第に乗り気になってきた。抑も、山本大将は日本は尋常一定の作戦では、日本は合衆国にとうてい勝てぬと考えており、その為に、彼は黒島大佐を起用したのも、一種の奇策を期待しての事であった。

 支那事変が生起して以来、日本と列強の軋轢は大きくなっていた。
 更には、日本と同盟関係にあったドイツが、英仏に代表される連合国、続いてソ連と戦争状態になるに当たって、それは更に拡大していった。
 日本には、連合国からの輸入物資に制限がかかるなど、穏やかならぬ状況になっていた。
 その状況下において、新戦艦の就役が早められるのは、当然とも言えた。
昭和一五年一〇月、艦本から呉工廠に部員が派遣されてきた。彼は戦艦の進捗具合を実際に見て、それが早められるようなら、早めるという任務を帯びていた。
 彼は『大和』を見、西島大佐の話を聞くや、圧倒された。それまでの軍艦の建造と言えば、最終段階に行くにつれ、艤装工事がずれ込み、とても就役を早めるなど出来ないのが実情であった。しかし、この新戦艦ではそれが一切無い。話に聞いていたとは言え、これが科学的生産管理法かと、息をのんでいた。
「それで、どの程度出来ますか」
「はい。それが、中々難しい。今まで就役日を念頭に置いて各種の設備の用意をしていました。それを、急には早めることは出来ません。今から動いても一月縮められるかどうか」
 艦本部員は西島大佐の回答の歯切れの悪さに、おや、と思った。それに、今や情勢は一拍の猶予もない。
「どうにか半年縮めることは出来ませんか」
 西島大佐はそれを聞くと、首を捻った。そうにもそれは無理に思える。仮に呉の全てを『大和』に集中出来たとしても、怪しい数字である。つまりは無理なことであった。
 しかし、早期艤装によって進水後の工事が予想外に少なくなったのも事実で有り、それを考えると、竣工を早めることは出来る。その期間が先程西島大佐の言った一ヶ月である。しかし、それは今のペースで工事が進んだ場合である。
「工員に残業を課し、昼夜交替制の二四時間勤務態勢にすれば、先程言った半年は無理にせよ、三ヶ月程度なら縮められるかも知れません」
 艦本部員はそれでも良い、と大きく頷く。
「兎に角、一刻でも速く仕上げてください。艦本は協力を惜しみません。それに、昨今の世界情勢は貴官も知っているでしょう」
 その艦本部員は若いにしても、それは言っても仕方ない事である。しかし、それをつい言ってしまうほど情勢は悪いのか。西島大佐も、呉にいるのだからピリピリした雰囲気は感じている。
「分かりました。最善を尽くすことを約束しましょう」
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