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杉野保の先輩観察日記
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交番勤務から移動となり、新しい勤務先の警察署でコンビを組むことになった男Ωの琴南慎二。挨拶するため探していると、先輩警察官からセクハラを受けていた。言い返さなかった琴南先輩に、俺は暫くもやもやしていた。
番を持っていない俺にとって、番を持っている先輩と組むのは自然な流れだったけれど、弱々しく見える先輩とこの先やっていけるのか不安だった。
良い人だというのは、すぐに感じた。気遣いもできるし、教え方も丁寧だった。けれど、セクハラされていた場面を思い出すと、どうしても尊敬ができなかった。
何故、訴えないのか。警察署内でセクハラなんてありえない。
そう、素直に言った。先輩は驚いたように見つめてくるばかりで、分かっている、とだけ返してきた。正直、がっかりだ。
移動になって一週間ほど経ったある日、休憩スペースで昼食を取ろうと向かった俺は、うたた寝していた琴南先輩に、初日にセクハラしていたβの先輩が顔を近づけている姿を目撃した。
怒鳴ろうとした俺より先に、琴南先輩の左拳が見事にβのセクハラ男の顔面にヒットした。鼻血を噴き出しながら倒れていくのを呆然と見守った。
「……気持ちわりぃな。何だ?」
うたた寝から目覚めた琴南先輩は、ブルッと体を震わせている。
「琴南……! せ、先輩を殴るとは何事だ……!」
鼻血を噴いたβの先輩はまだ起き上がれなかった。鼻を押さえたまま琴南先輩に指を突きつけていた。
「自分ですか? 殴った覚えはありませんが……」
「見ていましたけど?」
まだ、βの先輩は何か言おうとしたから止めた。俺が入ってきていたことに気付いていなかったのだろう、慌てている。
「あなたが何をしようとしていたのか、見ていましたけど?」
「杉野?」
「どうしますか?」
上から見下ろせば、それ以上、何も言わずに出て行った。倒れていた場所に鼻血が残っている。身震いした琴南先輩は、腕を何度もさすっている。
「寒気が止まらねぇな」
「あの人、キスしようとしてましたよ」
「ああ、どうりで」
先輩と向かい合うように座った俺に笑っている。
「笑ってる場合じゃないと思いますけど?」
「大丈夫。男に迫られると条件反射で突き飛ばすから」
「まあ、良い拳でしたよ」
「だろ?」
ニッと笑った琴南先輩は、弁当箱を広げている。俺も弁当箱を広げた。
「強いじゃないですか」
「ん? なんら?」
口いっぱいにご飯を詰め込みながら聞き返してくる。俺も詰め込みながら話した。
「先輩、強いなって」
「んぐっ。杉野も、良い腕してるって聞いてるぞ」
「それなりに、鍛えてますからね」
「お前、弁当箱でかいな」
「いやいや、先輩の弁当もたいがいですよ」
俺は横に大きな弁当箱だけれど、琴南先輩の弁当箱は二段だった。細身に見えて、よく食べる人だった。
「何でセクハラ連中を訴えないんですか?」
頬を腫らして食べる琴南先輩に、もう一度同じ質問をぶつけた。口の中でもぐもぐ噛んで飲み込んだ後、苦笑して見せた。
「言葉は慣れてる」
「慣れちゃ駄目でしょ」
「分かってる。でも俺は男だからさ、気にしないけど女性は辛いだろう? 怖くて言い出せない子もいるから」
「男も辛いと思いますけど?」
何故、こうも自分を棚上げするのだろう。じっと見つめる俺の頭をわし掴んできた。
「良い奴だな、杉野は」
「誤魔化さないで下さい」
「良いんだよ、俺は。俺はΩを守りたくて警察官になった。同じ署内のΩを守りたい。それだけだよ」
だから、言葉くらいのセクハラなら気にしないと言っている。あまりに酷い場合は録音して、上に掛け合ったりはしていると言った。
琴南先輩がすぐに上に訴えたり、その場で抵抗しないのは、他のΩにセクハラがいかないようにするためだった。
「すみませんでした」
食べ終えた弁当箱を仕舞っている琴南先輩に頭を下げた。首を傾げている。
「何だ、急に?」
「俺、先輩のことめっちゃひ弱で根性無しだと思ってました」
「おいおい……」
さすがにショックだったのか、眉根を寄せている。顔を上げると、右肘をテーブルに突きながら手を差し出した。
「一勝負いきましょう」
「……良いだろう。手加減はしないからな?」
ひ弱と言われたことが気になっているようだ。ガッシリ手を組んでくる。
「レディー……」
「「ゴー!」」
掛け声と共に、琴南先輩の力一杯の右手が炸裂した。一瞬でテーブルに押しつけられてしまう。勢い余って俺の手の甲が軋むほど叩きつけられていた。
「あっ! ごめん! やり過ぎた!」
「ちょ……マジでやばいじゃないですか!」
右手がじんじんしている。手の甲が真っ赤になっていた。
「お前が挑発するから!」
「先輩の本気が見たかったから」
よく見れば琴南先輩の腕は筋肉質で、体も引き締まっている。細身だけれどΩとは思えないほど逞しい。
腕力に訴えれば、この人は誰にも負けないかもしれない。それでも他のΩのために、Ωを守るために、不要な争いを避けている。
俺とは違って、先のことも考えている人だった。
「これからご指導のほど、宜しくお願いします、琴南先輩」
「……俺を認めてくれるってことか?」
「違います」
否定した俺に困惑している。
「俺が、先輩に認めてもらえるよう、努力します」
背筋を伸ばした俺に、右手を差し出してくれる。
「改めて宜しくな、杉野」
「はい、宜しくお願いします、琴南先輩」
握った手はまさに男だった。
~*~
すぐに突っ走ってしまう俺と、無防備に人助けをしてしまう琴南先輩は、なかなか良いコンビだと言われている。琴南先輩と組ませてもらってから、警察官として働くことが誇りになっている。
周りは琴南先輩をΩとして見ていたけれど、俺はαでもΩでもなく、男として、尊敬しているから。先輩の裸を見てもなんとも思わない。
そんな俺の態度が、他の先輩達の意識も変えているとは思わなかった。
俺は、俺の意思で尊敬する人を決める。
弁当箱を仕舞いながら立ち上がる。明日、先輩に何を奢って貰おうかと思いながら休憩スペースを後にした。
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