抱き締めても良いですか?

樹々

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抱き締めても良いですか?

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「ただいま」
 玄関を開け、鍵を閉めた。いつもなら浩介が出迎えてくれるのに、今日は無かった。少し遅くはなったけれど、まだ二十一時前だ。リビングの電気は点いているし、こんな早い時間から寝ているとは思えない。
「浩介?」
 リビングに入ると、キッチン側に置いているテーブルの椅子に座っていた。テーブルには用意してくれた夕飯が並んでいる。その量の多さに驚いた。今日は何かの記念日だっただろうか?
 俺が好きなハンバーグも煮込み系と塩のみで焼いたシンプル系がある。手の込んだ料理が並んでいるのに、浩介は帰ってきた俺に気付かずぼうっとしている。
 まさか熱が出ているのか。鞄を下ろすと逞しい肩を揺さぶった。
「大丈夫か? 気分が悪いなら無理して作らなくて良いのに」
 額に手を当ててみた。熱はないようだけれどあまりに様子がおかしい。乱れた髪、歪んだネクタイも彼らしくない。
「浩介? 俺の声が聞こえるか?」
 頬を軽く打つと、やっと反応があった。見下ろす俺を力なく見上げている。大きな手が、俺の頬に触れた。
「私は……あなたに相応しくありません」
「え……どういう意味……」
「痛かったのでしょう?」
「そりゃ、殴られたら痛いって。でもこれはお前のせいじゃ……!?」
 腰に飛び込まれていた。そのまま倒れ込んでしまう。まだ痛む脇腹が締め上げられ、苦しい。
「浩介……! ちょっと力緩めろって……!」
「痛い思いをさせたくなかったのに! 私があなたを苦しめていたなんて……!」
「話が見えないって! 怪我はお前のせいじゃないだろう?」
 俺の腹に浩介の顔がめり込んでくる。一体何がどうなっているのだろう。力一杯抱きつかれている。浩介の力は俺より強い。腰が折られそうだ。
「浩介! ちゃんと説明しろって!」
 顔に触れて気が付いた。ほんのり赤い。テーブルをよく見ると、缶ビールが一本、空いていた。
「お前、酒飲んでるのか? 飲めたのか?」
 番になって五年、彼が飲んでいる姿を見たことが無い。缶ビール一本で、ここまで酔ってしまうなんて。
 上半身をなんとか起こし、まだ腹に埋まっている浩介の頭を撫でてやった。なんだか子供みたいでむず痒い。いつも無表情で淡々としていて、冷静な彼からは想像ができないほど甘えん坊だ。
「なあ、浩介。どうした?」
「……桃ノ木様なら、あなたを幸せにできたと思います」
 撫でていた手が止まる。後頭部を見つめた。
「どういう意味?」
「桃ノ木様なら、あなたをきっと大事にできたでしょう。痛い思いもさせなかったでしょう」
「……そう。で、俺は瑛太さんの所へ行けば良いのか?」
 声が震えそうだ。別れ話なのだろうか。

 俺が邪魔か?

 しがみつく体を引き離そうとした。
「嫌です……」
 浩介の顔が起き上がる。いつもの冷静な顔が、どこにもなくて。泣いてぐしゃぐしゃになった浩介が目の前に居る。
「あなたを……幸せにするのは……私でありたい」
「浩介……」
「でも……分からなくて……!」
 これが素の浩介なのだろうか。伸ばした手で涙を拭った。拭っても拭ってもこぼれ落ちてくる。俺より六歳も年上なのに、まるで中身は子供だ。
 可愛くて仕方が無い。
「お前は何を悩んでるんだ? お前に痛い思いをさせられた覚えは無いけど」
「濡れないのは、私が嫌だからでしょうか……?」
 涙を拭っていた俺は、彼の言葉の意味が一瞬、分からなかった。俯いていくその顔を上げさせる。
「お前は俺に触れるのが嫌か?」
「いいえ」
「俺がお前の手を拒んだことがあるか?」
「……いいえ」
「濡れないのは、お前が俺に触れてこないからだ。本当は男が駄目なんじゃないかって、触れたくないんじゃないかって、俺にブレーキがかかってる」
 歪んでいたネクタイを解いてやった。シャツのボタンを外していく。
「なあ、浩介。この際さ、はっきりしよう。俺もずっともやもやしてた。言葉が欲しい」
 自分のシャツのボタンも外した。どこからどう見てもお互い男で。
 男の、Ωなんだ、俺は。
 自分に自信なんて無い。
 はっきりさせるのがずっと怖かった。
「俺はお前が好きだ。お前は? 俺のこと……好きか?」
「分かりません」
 否定の言葉に、胸に太い言葉の矢が突き刺さった。呼吸が止まってしまう。
 浩介の恋愛対象が男で、こんなに独占欲があるなら、きっと俺の事が好きなんだと思った。だから濡れない俺に泣いているんだと。
 はっきりした言葉が欲しくて、勇気を出して告白したのにこんなに盛大に振られるなんて。衝撃で目眩がする。彼に触れていた手を引いた。
 もう、二人では暮らせないかもしれない。早まった告白に後悔した。
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