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第一幕
第一幕~エピローグ~
しおりを挟む空気が重く、意識が保てなくなってくる。
死んで、体を失って。
それでもこの世界から離れられずにいた。
独り彷徨って、誰も見つけてくれなくて。
やっと見える人に出会っても、怖がって避けられた。
誰か……! 助けて下さい……!
死んだら成仏するものだと思っていた。
どうしてここから離れられないのだろう?
また、あれに襲われるかもしれない。早くここから離れたいのに、どこへ行けば良い?
誰か……!
また、来る。
体を失った魂に、まとわりついてくるモノ。
怖くて、走っても、飛んでも、隠れても、あれは来る。
考えることができなくなり、たまらない恐怖で満たされる。
そして。
自分が自分ではなくなってしまう。
あの時のように。
また、誰かを襲うのか。
あの人……! あの人の所へ……!
変化していく中、呼ばれた気がして漂った時、誰かにしがみついて止まった。その人の体を傷つけてしまったけれど、彼は避けたり、突き放したりはしなかった。
この世界にいけないものが混ざっていると、落ち着くまで側に居て良いと言ってくれた。あの人なら、助けてくれるかもしれない。
もう、ここを去りたい。
もう、独りでいたくない。
あの人を探しに行こうと空を向いた時だった。
ざわりと、魂にまとわりついてくる。
いや、違う。
魂の内側から、何かが出てこようとしている。
いや……誰か……!!
魂を打ち破り、広がろうとしている。言いようのない恐怖に襲われた。カタカタ震えながら蹲ってしまう。
道には人が歩いているのに、誰一人、自分を見つけてくれない。
誰もが通り過ぎていく。
頭を抱えて目を瞑った時だった。
腕を、誰かに握られた。
「しっかり! まだ意識はありますか?」
明らかに自分に言っている。震えながら見上げれば、黒髪を少し長めに伸ばしたつなぎを着た青年だった。高い身長をしゃがみこませ、背中をさすってくれる。
見えている。
彼には自分が見えている。
た、助けて! 怖いの!
「ゆっくり、話して下さい。声までは分からないんです」
自分の口を指して見せている。口の動きで分かってくれるだろうか。怖いと、体が苦しいと伝えた。
「おそらく、もう、魂が保たなくなっていると思います。逝く時が来ていても、逝き方が分からずに彷徨ってしまう方がいるんです。あなたもそうだと思います」
青年の手に握られていると、少し落ち着いた。自分を見てくれる人が居ると思うと、震えるほど感じていた恐怖が引いていく。
「落ち着いて。心を空っぽにして下さい。まだ間に合えば、俺でも送ってやれると思います」
それは、ここから去ることができるということなのだろうか。成仏して、独り寂しい想いをせずに済むのだろうか。
周りを見てみれば、青年を指さし、笑っている人がいる。彼らには私が見えていない。道の真ん中で、一人でしゃがみ込んでいるようにしか見えないのだろう。
ここに私の居場所はない。
やっと見つけてくれたこの人に任せよう。
青年の言うとおり、何も考えないようにした。両手を握ってくれる、この感触はいつぶりだろう。
「どうか安らかに」
穏やかな青年の声に包まれて、目を閉じた時だった。
内側から、何かが溢れてくる。
前に感じた、あの時の言い様のない恐怖が溢れてくる。
「……いけない! 落ち着いて下さい!」
青年の声が、届かなくなる。真っ暗な中に取り込まれた。
周りが見えなくて、自分が自分ではなくなっていく。
怖くて、苦しくて、必死で手を伸ばしたけれど、どこが手なのかも分からなくなった。
青年は? 成仏できると思っていたのに。
嫌だ……! 怖い……! 助けて! 助けて!!
もがいても、もがいても、闇は晴れない。誰かにすがりたくて、彷徨っていく。
何かに掴まりたい。もう一度、青年に手を握って欲しい。
膨れあがる恐怖に震えていた体が、不意に止まった。
暗闇が少しずつ晴れていく。重く、苦しかった体が解放された。
震えながら瞼を開けば、先ほどの青年と、ビルの屋上で一度出会ったことのある男性が側に居た。
「どうにか、間に合いましたね。苦しい思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」
両手に貼られた札で、私の体に触れている。札が触れているところから、溢れてこようとする力が抜けていく。
そのおかげなのだろう、怖かった思いも薄れていく。
「もう、逝くときが来ました。私が送って差し上げます」
素直に頷いた。ここに居る理由はもう、無い。
頭の中が空っぽになっていく。最後に、手を握ってくれた青年に手を伸ばした。
握り返された手に、笑いながら逝くことができた。
***
「あなた、仲間になって頂けませんか」
苦しんでいた女性の霊を送ってくれた男性は、彼女が旅立ったのを見届けると唐突に言った。
見上げていた空から視線を戻すと、彼は俺の顔をじっと見つめていた。
「仲間?」
「ええ。あなたの霊力はずば抜けています。ここ数年で一気に跳ね上がりましたね?」
「まあ。そういえば、触れるようになりましたね」
いつからか、霊に触れるようになっていた。特に気にしていなかったけれど。
もともと、亡くなった人の霊の姿が見える体質だった。子供の頃から見えていたので、それが当たり前のことで。
仕事にそれほど支障をきたしはしなかったけれど。あることがきっかけで、霊力が今までの比にならないくらい跳ね上がってしまった。
さすがに続けられなくなってしまい、前の仕事は止めるしかなくなったけれど。その反面、苦しんでいる霊にもっと近づき、手助けができるようになった。
助ける力があるのなら助ける。当たり前のことだと思っている。
「ずっと観察していました。実際にあなたを見て、欲しくなりました」
ブラウンの髪をしている男性は、腕を組むとうっとりと微笑んでいる。
「ゾクゾクします」
「……すみませんが、仕事に行く途中なので失礼します」
俺に、その手の趣味は無い。背を向け、歩こうとした俺の腕を掴んでくる。少し低い位置から見上げられた。
白い肌だ。吸い込まれそうなほど、白い。
色素の薄い瞳がうっとりと微笑んでいる。
「また、困った事があればここへ」
つなぎのポケットに、メモ用紙を入れられた。
「そうそう困ることなんてありませんから」
「あなたでも、送れない方が増えると予想されます。こちらの観測を振り切って変化してしまう方が、ね」
「観測?」
「知りたいなら、ね?」
唇に、人差し指を当てられた。反射的に弾くと、腕を振り解いた。
「失礼します」
「いけずですね。そこがたまりません」
妖しい微笑みを浮かべた男性は、一瞬、真剣な目をして背を向けた。
「どこです? ……分かりました。急ぎましょう」
右耳を押さえ、足早に歩いて行く。その背中を見送った。
「誰なんだ、いったい」
ポケットに入れられたメモ用紙を開いてみた。「特別機関」と書かれ、電話番号が載っている。彼の携帯番号だろうか。
捨ててしまおうとして、とりあえずポケットに戻した。そろそろ仕事に向かわないと遅刻してしまう。
一度、肩を鳴らすと夜空を見上げた。ビルから漏れる光に負けず、輝く小さな星を見上げて笑う。
「どうか、安らかに」
旅立った彼女へ言葉を贈った。
妖艶幽玄奇譚
第一幕
完
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