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第一幕
奇ノ七十一『新しい息吹』
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夜空に瞬く星。
あれは何座だろう?
名前がある星なのかな。
ねぇ?
名前なんて言うんだい?
「おーい! トリップ中悪いんだけど、こっち来てくれー!」
「……んあ?」
「んあ? じゃねぇよ! 勤務中にボケッとすんな。つか、まさか立ったまま寝てないよな? なあ!?」
「寝てはないけど、ぼやっとしてた」
「……尻出せ、尻。蹴っ飛ばしてやる!」
同僚は境界線として張っていたロープを持ったまま、足を振り上げて見せた。その側には寄らず、少し離れて悪霊の様子を見に行く。
機械化が進んだ現代でも、こういった魔力の類いの札は欠かせないらしい。札から感じる強い力に、俺の霊力が反応している。
「くそっ! 届かないだろう! こっち来い!」
「やだよ。痛いもん」
「もんじゃねぇよ! あーくそっ! こら、暴れるな!」
同僚は飛び出して来ようとしている悪霊をロープで押し戻そうとしている。このロープは特別機関から支給された物だ。霊に干渉し、抑える力を持っている。
そして、渡されていた札はその何倍も力がある。押し合いへし合いしている同僚の側に歩み寄ると、ロープから飛び出した悪霊の額らしい所へ札を貼った。
「ごめんね、もう少し待って。俺達じゃ、君たちを成仏させられないんだ」
札を通して、願ってみる。落ち着いて欲しいと。
すると意思が通じたのか、他の悪霊が溜まっている場所までスルスルと戻っていく。その姿を確認し、同僚が握っているロープと、外れてしまっていたもう片方を急いで繋いだ。
昼間見た時には異常は無かった。おそらく、悪霊が見えない誰かが悪戯で外してしまったのだろう。何体か漏れてしまっているかもしれない。
「ちょっと確認してくるよ」
「お前な-悪霊の溜まり場にすんなり入っていくなよな。あ、その前に」
ていっと、尻を蹴られた。前から転んでしまう。
「痛いー」
「うっせー! さっさと行け! 何かあったら呼べよ! つか、寝るなよ!」
「だから、寝てないって言ったじゃん。ちょっとぼやっとしてただけだし」
「ぼやっとすんな!」
怒りっぽい同僚は、ロープの外を警戒している。何体か漏れているのなら、またここへ戻ってくる可能性もあるからだ。
ここには十体、居るはずだ。公園の奥にある木々に境界線を張って、そこに留まってもらっている。数週間前に東京で暴走した、悪鬼と呼ばれる物の影響で悪霊になってしまった人が多く出たからだ。
特別招集されていた俺と同僚は、空を覆う黒い影に息を飲んだ。今までに、数体、見たことがあるだけだった悪霊が、次々と発生したからだ。
大人しかった霊が、苦しそうに変化していた。どうにかしなければと、特別機関の指示を受けながら苦しんでいる悪霊を集めて回った。
その中で、悪鬼の気から解放された霊は元に戻せてやれた。不安そうに震えている霊達に、悪鬼から離れるよう伝えていき、他の霊にも伝えてもらった。
一般人から見れば、俺と同僚は頭のおかしい警察官に見えただろう。何も無い空間に向かって話しているのだから。
変な目で見られるのは慣れている。
この変な力が、ここに居る悪霊達には必要なものだ。
「数かぞえるからね。ちょっと大人しくててね」
大きな木の側に二体、上空に四体、さっきの子が一体、奥に二体。
「うーん、一人居ないな-。どこかに隠れていない?」
飛び出してきた悪霊が俺の背中に乗っている。その体に札を貼ると、ストンと落ちている。ユラユラ揺れる悪霊は、探している子ではない。
隅々まで見て回ったけれど、やはり一体、確認ができない。外で待っている同僚のもとへ急いで戻った。
「一人消えてる」
「くそっ。封鎖してるロープ切ったの誰だよ。つか、お前、一人背中に背負ってるぞ。気付よ」
「え? あ、ダメだよ。ここに居て」
さっき外した子とは違う子が乗っていた。封鎖した一角に戻ってもらう。どおりで体が重かったわけだ。
悪霊を外しながらロープの外へ出ると、特別機関の隊長・白崎剣に連絡を入れた。今回は直通で繋がっている。
[はい、どうしました?]
「C地区で封鎖していた一角から、悪霊が一体、出てしまったようです。近くに反応はありませんか?」
[心路、調べて下さい]
剣が辺りの反応を調べてくれている。その間、同僚が俺の髪をふさふさ撫でている。どうやら先ほど悪霊に乗られた時に、髪が爆発していたらしい。俺のことなのに、何故か同僚が気にして直している。
[特に強い反応はありませんね。もしかしたらですが、霊に戻ったのかもしれません]
「そんなことがあるんですか?」
[ええ。今回の変化は特別ですからね。自然に戻る子も居ます]
「それは良かったです。ねぇ、健ちゃん!」
「ああ。つか、お前、また髪洗ってねぇな? なあ!?」
俺の髪を掴み、臭いを嗅いでいる。キリッと太い眉が眉間に見事な皺を作った。
「洗ったよ、三日前に。頑張って。健ちゃんが夜勤で居ないし、ずっと洗ってくれなかったから」
「……おーし、覚悟しとけ。地肌が剥けるほど洗ってやる!」
「ええー! いいよ、面倒くさい!」
「一緒に居る俺の身にもなれ! 一日一回、髪を洗う! もう、平気になっただろうが!」
むんずと掴まれた手に引っ張られてしまう。俺よりも体格が良い同僚は、ズルズル引きずって行こうとする。
[お楽しみの最中に申し訳ありませんが、ちょうどあなた方に連絡を入れようと思っていたんですよ]
「あ、ほら、隊長が何か話があるって!」
「ああ!? お前また逃げる気だろう! ガキの頃はあんなことがあったからしょうがねぇど、もう大人だろうが! そろそろ自分で洗え!」
「いいじゃん! 健ちゃんが洗ってよ!」
「はぁ!? お前と勤務違うし毎日は無理だろうが! 一緒に居たけりゃ綺麗にしとけ!」
「綺麗にしたら健ちゃんしつこいじゃん! きついんだよ! けっこー!」
「しょうがねぇだろ! 顔は可愛いんだよ、顔は!」
「え、何? 俺って顔だけの男なの? やだー!」
同僚の手を振り解き、走って逃げた。すぐに追いかけてくる。身長は少し負けているけれど、俺だってそこそこ鍛えている。逃げ足の早さは俺の方が上だ。
洗われてたまるか。洗ったらきっと、そのままベッドインになってしまうだろう。組み敷く力は同僚の方が上だ。押し倒されたら抵抗できない。
「今日はそんな気分じゃないのー!」
「やらなくて良いから髪は洗え!」
「やだ!」
「子供か! また頭が痒いって騒ぎ出す……」
俺も、同僚も、急停止する。公園の外、民家の一角から一体、黒い影が滑り出してきた。
[逃げていた子のようです。気をつけて下さい。急激に上がり始めています。できれば封鎖している一角に誘い込んで下さい]
繋げっぱなしになっていた電話から隊長・剣の指示が飛ぶ。
「俺が誘い出す。お前は走れ!」
「うん!」
悪霊は、より霊力の高い方へ惹かれてくる。同僚がまずは近づくと、札を振って見せた。貼り付けようとするのから逃げるように上空へ飛んでいく。
見下ろしてくる悪霊は、少しずつ、少しずつ、その質量を増していく。その虚ろな目の様なものが俺を見つけた。
ふわりと下りてくると、俺を目がけて飛んでくる。それに合わせて俺も走る。俺と悪霊の後を同僚も追いかけた。
公園の奥、封鎖している一角まで駆け戻る。悪霊は俺の霊力に惹かれながらちゃんと憑いてきていた。
「さ、ここへ」
結んでいたロープを外し、一時的に出入り口を作ってやる。導かれるように中へと入った悪霊を確認すると、ロープをしっかり結び直した。
「見つかって良かった。できれば、霊に戻っていてほしかったんだけど」
[一度、戻っていたようですね。その後、やはり変化してしまったようです]
俺の独り言に隊長が応えてくれた。改めて電話に耳を傾ける。追いついた同僚は、俺が逃げないよう、しっかりと腕を掴んできた。
[二人とも、お疲れ様です。痴話喧嘩は終わりましたか?]
「すみません。健ちゃんってば潔癖症で」
「違うだろ。俺は標準なんだよ。お前がおかしいの」
[ふふ。二人が親密な関係だと言うことは知っていますから。それよりも、大空舞さん、松原健一さん、二人にお話があります]
隊長の言葉が同僚にも聞こえたのだろう。俺と顔を見合わせている。
困ったな。
「どうしよう、隊長に見抜かれてるよ、俺達の関係」
「お前が電話で変なこと言うから気付かれるんだろう!」
「だって健ちゃんが!」
「お前だろ!」
同僚であり、幼なじみであり、俺の世話役件、恋人である松原健一。周りにばれないよう気をつけていたはずなのに。まさか隊長にばれているなんて。
[……面白い方々ですね。心路、嫉妬の心配は要りませんからね。このお二方はディープなようですから]
「ううー。恥ずかしいー」
「つか、隊長の恋人も確か男だよな? 大丈夫だろ。ね、隊長!」
[ええ。あなた方の愛の営みについては非常に興味がありますが。今は増員の方を優先しますので]
「増員?」
[正式に、あなた方を隊員に引き抜きたいと思っています]
隊長の声って、ちょっと色気があるなと思いながら聞いていた。あの声に耳元で囁かれたら浮気をしてしまうかもしれない。腰にぐっとくる。
「……って、え? 俺、隊員になれるんですか?」
[了解頂ければ]
「も、もちろんです! やります! 行きます!」
[そう言って頂けると思っていました。こちらに移る準備もあるでしょうから。荷物をまとめておいて下さいね。それと……]
嬉しさのあまりぼうっとしてしまった俺から携帯電話をもぎ取った健一は、隊長が何か続きを言う前に遮っている。
「無理! 絶対こいつに集団行動なんて無理です!」
[そうでしょうか?]
「せめて毎日一人で髪を洗えるようになってからにして下さい!」
[おや、それならあなたが洗って差し上げれば良いですよ]
「……え?」
[言ったでしょう? あなた方を、と。二人とも欲しいと思っています]
にこやかに笑った剣の声が聞こえた。俺と同じようにぼうっとしてしまった健一。
[おっと、詳しい話の続きは後でまた連絡しますね。心路、どこですか?]
悪霊が発生したのだろう、剣は通話を切っている。通話の切られた携帯電話を呆然と見つめた健一は、俺の頬を思い切り抓ってきた。
「いったー! 何すんの!?」
「嘘だろう!? 俺達が隊員になるのか!?」
「ちょっと、ちょっと! 抓るなら自分のほっぺた抓ってよ!」
ムギュッと握られた頬がたまらなく痛い。健一の胸をビシバシ叩いても外れない。だんだん真っ赤になっていく俺の可哀想なほっぺた。
「健ちゃん!」
「……ああ! わりぃ!」
赤く腫れてしまった頬を大きな手が包み込んでくる。ぶすっと頬を膨らませた俺に、まだ信じられないと首を横に振っている。
「お前の霊力なら、生活力さえ身につければ隊員でもおかしくないと思ってたけど。俺まで誘われるなんてなー」
「嬉しいの?」
「そりゃ嬉しいさ! 隊員になれば、もっと堂々と助けてやれるからな」
ニッと笑っている。その眩しい笑顔に、確かに、と頷いた。
今は臨時の隊員という扱いだ。だから日常業務に戻れば、普通の警察官になる。勤務中に何かあったとしても、俺も健一も、警察官としての仕事を優先しなければならない。
正式な隊員になれば、もっと多くの霊達を救えるだろうか。
辛い思いをさせずに、悪霊になる前に、安らかに送ってやれるだろうか。
「健ちゃんが一緒なら大丈夫かな」
「毎日、洗うからな」
「えー。面倒だよ」
二日に一回くらいで良いと思う。冬になれば、三日に一回とか。
「洗わなかったら、縛り上げて寸止めするからな」
「変態」
「何とでも言え。どうせ俺から離れられねぇだろう?」
自信満々に言い放つ健一に、頬を膨らませて俯いた。
ああ、そうだよ。
霊感の高い俺の側に、ずっと居てくれたのは健一だけだった。
道端で霊に挨拶したり、学校行事のお泊まりで金縛りになったりする俺に、他の友達は気味悪がって近づいて来なくなった。
顔は、悪くない、と思う。艶のある黒髪、形の良い鼻と唇。舞という名前に負けていない、黙っていれば綺麗な男だ。
身長もスラリと高い。もう少しで百八十㎝に届きそうなところで止まってしまったけれど、たるんでいない体はモデルのようだと言われている。
一方の健一は、マッチョだ。俺より五㎝も高い。合気道の達人で、よく投げ飛ばされてしまう。
乱暴な性格で、すぐに手足が出る。そのくせ綺麗好きで、風呂に入りたがらない俺を無理矢理入れてしまう。
俺とは正反対に、濃い顔立ちだ。目元の堀が深く、切れ長い目をしている。
惚れた弱味だ、格好良く見えてしまう。
「……次、確認しに行こう」
「舞、ちょっと待て」
歩き出した俺を軽々と捕まえ、腕をぐいっと引っ張られてしまう。よろめいた体を受け止めた健一は、硬い唇を押しつけてきた。
「拗ねんな、バーカ」
「拗ねてないもん」
「あんま可愛い顔すんな。まだ勤務中だからな」
俺を起こして笑っている。先に歩き出した背中を見つめると、名前の知らない星が瞬く夜空を見上げた。
歯だけは、しっかり磨いている。
健一のキスは、安心するから。
強引で乱暴な彼のキスは、俺の救いだから。
「何してんだ、早く行くぞ!」
「うん!」
広い背中を追いかける。俺がこうして、冷静に霊達の相手をできるのは、健一が居てくれるからだ。
本当に彼が側に居てくれるのなら。
俺はもっと、霊達の側に寄ろう。
隊長が示してくれたような、霊達を救える存在になろう。
「健ちゃん!」
「ああ?」
「好きだよー!」
「……叫ぶな、恥ずかしい」
広い背中に飛び乗った。難なく受け止めた健一は、顔中に皺を寄せている。
「仕事が終わったら丸ごと洗いまくるからな!」
「えー」
「くっせーよ、マジで」
「健ちゃん、ちょっと神経質すぎじゃない?」
「お前がてきとーすぎんだよ」
明け方に交代できるはずだから。そうしたら二人のアパートに行って、髪と体を洗ってもらおう。ついでにされるかもしれないけれど、今はその気分になってきた。
「優しく洗ってね」
「徹底的に洗うから覚悟しろ」
臭いと言いつつも、俺を落とさず運ぶ健一は、乱暴だけど優しい男だった。
俺が髪を洗えない理由も。
本当は霊が怖かったことも。
ずっと一緒に居た大好きな幼馴染みは知っている。
だから文句は言っても、最後は折れてくれる。髪を洗うのを怖がる俺を宥めて抱き締めてくれる。
健一が一緒なら。
俺はこの強い力を彼らのために使おう。
「健ちゃん、ちゃんと側に居てよね」
「居て欲しけりゃ洗え」
「えー」
「えーじゃねぇよ」
笑った健一に、頬を膨らませながらもしがみついた。
名前を知らない星達は、そんな俺達を瞬きながら見下ろしていた。
あれは何座だろう?
名前がある星なのかな。
ねぇ?
名前なんて言うんだい?
「おーい! トリップ中悪いんだけど、こっち来てくれー!」
「……んあ?」
「んあ? じゃねぇよ! 勤務中にボケッとすんな。つか、まさか立ったまま寝てないよな? なあ!?」
「寝てはないけど、ぼやっとしてた」
「……尻出せ、尻。蹴っ飛ばしてやる!」
同僚は境界線として張っていたロープを持ったまま、足を振り上げて見せた。その側には寄らず、少し離れて悪霊の様子を見に行く。
機械化が進んだ現代でも、こういった魔力の類いの札は欠かせないらしい。札から感じる強い力に、俺の霊力が反応している。
「くそっ! 届かないだろう! こっち来い!」
「やだよ。痛いもん」
「もんじゃねぇよ! あーくそっ! こら、暴れるな!」
同僚は飛び出して来ようとしている悪霊をロープで押し戻そうとしている。このロープは特別機関から支給された物だ。霊に干渉し、抑える力を持っている。
そして、渡されていた札はその何倍も力がある。押し合いへし合いしている同僚の側に歩み寄ると、ロープから飛び出した悪霊の額らしい所へ札を貼った。
「ごめんね、もう少し待って。俺達じゃ、君たちを成仏させられないんだ」
札を通して、願ってみる。落ち着いて欲しいと。
すると意思が通じたのか、他の悪霊が溜まっている場所までスルスルと戻っていく。その姿を確認し、同僚が握っているロープと、外れてしまっていたもう片方を急いで繋いだ。
昼間見た時には異常は無かった。おそらく、悪霊が見えない誰かが悪戯で外してしまったのだろう。何体か漏れてしまっているかもしれない。
「ちょっと確認してくるよ」
「お前な-悪霊の溜まり場にすんなり入っていくなよな。あ、その前に」
ていっと、尻を蹴られた。前から転んでしまう。
「痛いー」
「うっせー! さっさと行け! 何かあったら呼べよ! つか、寝るなよ!」
「だから、寝てないって言ったじゃん。ちょっとぼやっとしてただけだし」
「ぼやっとすんな!」
怒りっぽい同僚は、ロープの外を警戒している。何体か漏れているのなら、またここへ戻ってくる可能性もあるからだ。
ここには十体、居るはずだ。公園の奥にある木々に境界線を張って、そこに留まってもらっている。数週間前に東京で暴走した、悪鬼と呼ばれる物の影響で悪霊になってしまった人が多く出たからだ。
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大人しかった霊が、苦しそうに変化していた。どうにかしなければと、特別機関の指示を受けながら苦しんでいる悪霊を集めて回った。
その中で、悪鬼の気から解放された霊は元に戻せてやれた。不安そうに震えている霊達に、悪鬼から離れるよう伝えていき、他の霊にも伝えてもらった。
一般人から見れば、俺と同僚は頭のおかしい警察官に見えただろう。何も無い空間に向かって話しているのだから。
変な目で見られるのは慣れている。
この変な力が、ここに居る悪霊達には必要なものだ。
「数かぞえるからね。ちょっと大人しくててね」
大きな木の側に二体、上空に四体、さっきの子が一体、奥に二体。
「うーん、一人居ないな-。どこかに隠れていない?」
飛び出してきた悪霊が俺の背中に乗っている。その体に札を貼ると、ストンと落ちている。ユラユラ揺れる悪霊は、探している子ではない。
隅々まで見て回ったけれど、やはり一体、確認ができない。外で待っている同僚のもとへ急いで戻った。
「一人消えてる」
「くそっ。封鎖してるロープ切ったの誰だよ。つか、お前、一人背中に背負ってるぞ。気付よ」
「え? あ、ダメだよ。ここに居て」
さっき外した子とは違う子が乗っていた。封鎖した一角に戻ってもらう。どおりで体が重かったわけだ。
悪霊を外しながらロープの外へ出ると、特別機関の隊長・白崎剣に連絡を入れた。今回は直通で繋がっている。
[はい、どうしました?]
「C地区で封鎖していた一角から、悪霊が一体、出てしまったようです。近くに反応はありませんか?」
[心路、調べて下さい]
剣が辺りの反応を調べてくれている。その間、同僚が俺の髪をふさふさ撫でている。どうやら先ほど悪霊に乗られた時に、髪が爆発していたらしい。俺のことなのに、何故か同僚が気にして直している。
[特に強い反応はありませんね。もしかしたらですが、霊に戻ったのかもしれません]
「そんなことがあるんですか?」
[ええ。今回の変化は特別ですからね。自然に戻る子も居ます]
「それは良かったです。ねぇ、健ちゃん!」
「ああ。つか、お前、また髪洗ってねぇな? なあ!?」
俺の髪を掴み、臭いを嗅いでいる。キリッと太い眉が眉間に見事な皺を作った。
「洗ったよ、三日前に。頑張って。健ちゃんが夜勤で居ないし、ずっと洗ってくれなかったから」
「……おーし、覚悟しとけ。地肌が剥けるほど洗ってやる!」
「ええー! いいよ、面倒くさい!」
「一緒に居る俺の身にもなれ! 一日一回、髪を洗う! もう、平気になっただろうが!」
むんずと掴まれた手に引っ張られてしまう。俺よりも体格が良い同僚は、ズルズル引きずって行こうとする。
[お楽しみの最中に申し訳ありませんが、ちょうどあなた方に連絡を入れようと思っていたんですよ]
「あ、ほら、隊長が何か話があるって!」
「ああ!? お前また逃げる気だろう! ガキの頃はあんなことがあったからしょうがねぇど、もう大人だろうが! そろそろ自分で洗え!」
「いいじゃん! 健ちゃんが洗ってよ!」
「はぁ!? お前と勤務違うし毎日は無理だろうが! 一緒に居たけりゃ綺麗にしとけ!」
「綺麗にしたら健ちゃんしつこいじゃん! きついんだよ! けっこー!」
「しょうがねぇだろ! 顔は可愛いんだよ、顔は!」
「え、何? 俺って顔だけの男なの? やだー!」
同僚の手を振り解き、走って逃げた。すぐに追いかけてくる。身長は少し負けているけれど、俺だってそこそこ鍛えている。逃げ足の早さは俺の方が上だ。
洗われてたまるか。洗ったらきっと、そのままベッドインになってしまうだろう。組み敷く力は同僚の方が上だ。押し倒されたら抵抗できない。
「今日はそんな気分じゃないのー!」
「やらなくて良いから髪は洗え!」
「やだ!」
「子供か! また頭が痒いって騒ぎ出す……」
俺も、同僚も、急停止する。公園の外、民家の一角から一体、黒い影が滑り出してきた。
[逃げていた子のようです。気をつけて下さい。急激に上がり始めています。できれば封鎖している一角に誘い込んで下さい]
繋げっぱなしになっていた電話から隊長・剣の指示が飛ぶ。
「俺が誘い出す。お前は走れ!」
「うん!」
悪霊は、より霊力の高い方へ惹かれてくる。同僚がまずは近づくと、札を振って見せた。貼り付けようとするのから逃げるように上空へ飛んでいく。
見下ろしてくる悪霊は、少しずつ、少しずつ、その質量を増していく。その虚ろな目の様なものが俺を見つけた。
ふわりと下りてくると、俺を目がけて飛んでくる。それに合わせて俺も走る。俺と悪霊の後を同僚も追いかけた。
公園の奥、封鎖している一角まで駆け戻る。悪霊は俺の霊力に惹かれながらちゃんと憑いてきていた。
「さ、ここへ」
結んでいたロープを外し、一時的に出入り口を作ってやる。導かれるように中へと入った悪霊を確認すると、ロープをしっかり結び直した。
「見つかって良かった。できれば、霊に戻っていてほしかったんだけど」
[一度、戻っていたようですね。その後、やはり変化してしまったようです]
俺の独り言に隊長が応えてくれた。改めて電話に耳を傾ける。追いついた同僚は、俺が逃げないよう、しっかりと腕を掴んできた。
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隊長の言葉が同僚にも聞こえたのだろう。俺と顔を見合わせている。
困ったな。
「どうしよう、隊長に見抜かれてるよ、俺達の関係」
「お前が電話で変なこと言うから気付かれるんだろう!」
「だって健ちゃんが!」
「お前だろ!」
同僚であり、幼なじみであり、俺の世話役件、恋人である松原健一。周りにばれないよう気をつけていたはずなのに。まさか隊長にばれているなんて。
[……面白い方々ですね。心路、嫉妬の心配は要りませんからね。このお二方はディープなようですから]
「ううー。恥ずかしいー」
「つか、隊長の恋人も確か男だよな? 大丈夫だろ。ね、隊長!」
[ええ。あなた方の愛の営みについては非常に興味がありますが。今は増員の方を優先しますので]
「増員?」
[正式に、あなた方を隊員に引き抜きたいと思っています]
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「……って、え? 俺、隊員になれるんですか?」
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「無理! 絶対こいつに集団行動なんて無理です!」
[そうでしょうか?]
「せめて毎日一人で髪を洗えるようになってからにして下さい!」
[おや、それならあなたが洗って差し上げれば良いですよ]
「……え?」
[言ったでしょう? あなた方を、と。二人とも欲しいと思っています]
にこやかに笑った剣の声が聞こえた。俺と同じようにぼうっとしてしまった健一。
[おっと、詳しい話の続きは後でまた連絡しますね。心路、どこですか?]
悪霊が発生したのだろう、剣は通話を切っている。通話の切られた携帯電話を呆然と見つめた健一は、俺の頬を思い切り抓ってきた。
「いったー! 何すんの!?」
「嘘だろう!? 俺達が隊員になるのか!?」
「ちょっと、ちょっと! 抓るなら自分のほっぺた抓ってよ!」
ムギュッと握られた頬がたまらなく痛い。健一の胸をビシバシ叩いても外れない。だんだん真っ赤になっていく俺の可哀想なほっぺた。
「健ちゃん!」
「……ああ! わりぃ!」
赤く腫れてしまった頬を大きな手が包み込んでくる。ぶすっと頬を膨らませた俺に、まだ信じられないと首を横に振っている。
「お前の霊力なら、生活力さえ身につければ隊員でもおかしくないと思ってたけど。俺まで誘われるなんてなー」
「嬉しいの?」
「そりゃ嬉しいさ! 隊員になれば、もっと堂々と助けてやれるからな」
ニッと笑っている。その眩しい笑顔に、確かに、と頷いた。
今は臨時の隊員という扱いだ。だから日常業務に戻れば、普通の警察官になる。勤務中に何かあったとしても、俺も健一も、警察官としての仕事を優先しなければならない。
正式な隊員になれば、もっと多くの霊達を救えるだろうか。
辛い思いをさせずに、悪霊になる前に、安らかに送ってやれるだろうか。
「健ちゃんが一緒なら大丈夫かな」
「毎日、洗うからな」
「えー。面倒だよ」
二日に一回くらいで良いと思う。冬になれば、三日に一回とか。
「洗わなかったら、縛り上げて寸止めするからな」
「変態」
「何とでも言え。どうせ俺から離れられねぇだろう?」
自信満々に言い放つ健一に、頬を膨らませて俯いた。
ああ、そうだよ。
霊感の高い俺の側に、ずっと居てくれたのは健一だけだった。
道端で霊に挨拶したり、学校行事のお泊まりで金縛りになったりする俺に、他の友達は気味悪がって近づいて来なくなった。
顔は、悪くない、と思う。艶のある黒髪、形の良い鼻と唇。舞という名前に負けていない、黙っていれば綺麗な男だ。
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一方の健一は、マッチョだ。俺より五㎝も高い。合気道の達人で、よく投げ飛ばされてしまう。
乱暴な性格で、すぐに手足が出る。そのくせ綺麗好きで、風呂に入りたがらない俺を無理矢理入れてしまう。
俺とは正反対に、濃い顔立ちだ。目元の堀が深く、切れ長い目をしている。
惚れた弱味だ、格好良く見えてしまう。
「……次、確認しに行こう」
「舞、ちょっと待て」
歩き出した俺を軽々と捕まえ、腕をぐいっと引っ張られてしまう。よろめいた体を受け止めた健一は、硬い唇を押しつけてきた。
「拗ねんな、バーカ」
「拗ねてないもん」
「あんま可愛い顔すんな。まだ勤務中だからな」
俺を起こして笑っている。先に歩き出した背中を見つめると、名前の知らない星が瞬く夜空を見上げた。
歯だけは、しっかり磨いている。
健一のキスは、安心するから。
強引で乱暴な彼のキスは、俺の救いだから。
「何してんだ、早く行くぞ!」
「うん!」
広い背中を追いかける。俺がこうして、冷静に霊達の相手をできるのは、健一が居てくれるからだ。
本当に彼が側に居てくれるのなら。
俺はもっと、霊達の側に寄ろう。
隊長が示してくれたような、霊達を救える存在になろう。
「健ちゃん!」
「ああ?」
「好きだよー!」
「……叫ぶな、恥ずかしい」
広い背中に飛び乗った。難なく受け止めた健一は、顔中に皺を寄せている。
「仕事が終わったら丸ごと洗いまくるからな!」
「えー」
「くっせーよ、マジで」
「健ちゃん、ちょっと神経質すぎじゃない?」
「お前がてきとーすぎんだよ」
明け方に交代できるはずだから。そうしたら二人のアパートに行って、髪と体を洗ってもらおう。ついでにされるかもしれないけれど、今はその気分になってきた。
「優しく洗ってね」
「徹底的に洗うから覚悟しろ」
臭いと言いつつも、俺を落とさず運ぶ健一は、乱暴だけど優しい男だった。
俺が髪を洗えない理由も。
本当は霊が怖かったことも。
ずっと一緒に居た大好きな幼馴染みは知っている。
だから文句は言っても、最後は折れてくれる。髪を洗うのを怖がる俺を宥めて抱き締めてくれる。
健一が一緒なら。
俺はこの強い力を彼らのために使おう。
「健ちゃん、ちゃんと側に居てよね」
「居て欲しけりゃ洗え」
「えー」
「えーじゃねぇよ」
笑った健一に、頬を膨らませながらもしがみついた。
名前を知らない星達は、そんな俺達を瞬きながら見下ろしていた。
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上からの命令で、面倒で困難なプロジェクトを押し付けられた先輩・後輩の間柄である大橋と藍田。
大らかで明るく人好きする大橋とは対照的に、ツンドラのように冷たく怜悧な藍田は、互いに才覚は認めてはいるものの、好印象は抱いてはいなかった。しかし、成り行きで関わりを持っていくうちに、次第に距離を縮めていく。
他人との関わりにもどかしいぐらい慎重な三十半ばの男同士、嫌でも互いを意識し始めて――。
表紙イラスト:ぬるめのおゆ。様

[完結]兄弟で飛ばされました
猫谷 一禾
BL
異世界召喚
麗しの騎士×捻くれ平凡次男坊
お祭りの帰り道、兄弟は異世界へと飛ばされた。
容姿端麗で何でも優秀な兄と何でも平均的な弟。
異世界でもその評価は変わらず、自分の役目を受け入れ人の役に立つ兄と反発しまくる弟。
味方がいないと感じる弟が異世界で幸せになる話。
捻くれ者大好きです。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき(藤吉めぐみ)
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
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人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。
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