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第一幕
奇ノ七十『願いは一つ』
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仰向けに寝かされた体。
明かりを点けたままの室内。
ベッドから外された敷きパッドは、床に敷いたままになっている。
隣の部屋でも、紫藤蘭丸と土井清次郎が愛し合っているのだろうか。
「隼人……」
甘く、優しいキスを受け止める。兄貴の手は、着ていた俺のシャツを脱がせていく。天井の明かりは兄貴が折り重なる度に陰った。
正直、毎晩、抱かれるのはきつかった。
明かりを点けたまま抱かれるのも恥ずかしくてたまらない。
けれど。
いつの間にか俺の魂は眠り、憑いている悪鬼と入れ替わっていたという。俺は兄貴を、愛している人を、置いて出て行ったと言う。
知らない間に、傷つけてしまった。
明かりを消さないのは、俺の顔を、表情を、見逃さないためだろう。
「ぅっ……」
兄貴の唇に挟まれた俺のモノ。優しい愛撫に、緩やかに立ち上がっていく。兄貴が望むなら、彼が満足するまで付き合おうと決めている。
「……さすがに、きついよね?」
唇が腹から胸を伝ってくる。俺の体には、幾つものキスマークが残されていた。消えないうちに、新しい跡が残される。兄貴のものだと、刻み込むように。
「……そんな、柔じゃないって。遠慮するなんて兄貴らしくないし」
俺の唇に辿り着いた兄貴の唇は、短いキスを何度も繰り返す。大人しく受け止める俺を見つめた兄貴は、肩に顔を埋めてきた。
「このままで」
「兄貴?」
もう、兄貴の愛撫で俺の体には火が点いている。それなのに立ち上がっている俺のモノに絡みついていた兄貴の手が離れていく。
長い手が伸びたかと思うと、側に置いていた瓶を手に取った。今日はオイルを使うようだ。滑りが良くなるので、受ける側としてはありがたい。
後ろに当てられるであろう兄貴の指を想像し、力を抜いて待っていたけれど。兄貴は手に取ったオイルを自分の尻の割れ目に垂らし始めた。
そのまま、自分の指で自分を解し始めている。俺の肩に顔を埋めたまま。
「兄貴……?」
「ぅん……少し、待っていなさい……」
「で、でも……!」
点けっぱなしの室内だ。尻を上げ、指で解している姿は良く見えた。見えないのは、隠された兄貴の顔だけだ。
時折、苦しげな呻き声を漏らしながら、長い指で自分を解した兄貴がゆっくりと上体を起こしていく。
頬を上気させ、一際色香を増した兄貴は、食い入るように見つめてしまう俺に微笑んで見せた。
「私から目を逸らさないで」
「兄貴……!」
「今夜も、私が愛してあげる……!」
硬く立ち上がった俺のモノに、見せつけるように腰を揺らしながら跨がっていく。飲み込まれていく俺のモノ。熱い、兄貴の中に包まれた。
「兄貴……! 俺が……!」
「ダ~メ。ほら、感じて?」
「ぅあっ! ああ!」
「ふふ、可愛い子だ」
兄貴が腰をくねらせると、俺のモノは熱い中で張り詰めていく。ギリギリまで抜いては、奥へと導かれる。わななく太ももに、兄貴が嬉しそうに笑って見せた。
「可愛い、顔をして……!」
「俺が……! 愛したい……!」
俺の腹に乗せていた兄貴の手を震えながら握った。その手を握り返される。
感度が上がっているからか、たったそれだけで腰を押しつけるようにしてイッていた。
「ぁあ……熱い……」
溜息と共に兄貴の吐息が吐き出される。兄貴のモノはまだ、解放されていなかった。
苦しいだろうと、手で握ろうとしたけれど。その手は兄貴の手に包まれた。
「……熱いよ、隼人」
「兄貴……?」
「私を……好きにしてごらん」
耳に吹き込まれた言葉。ゾクリと体中に痺れが走る。
兄貴の腰を掴むと、抜けないようにしながら体勢を入れ替えた。押し倒した体はしっとりと汗ばんでいる。入れっぱなしの彼の中は熱くてたまらない。
夢中で腰を振っていた。兄貴の奥をえぐるように何度も打った。
鍛えている美しい体が仰け反っていく。その姿さえ、たまらなく美しい。
「はや……とっ! ああっ! もっと……! もっと突いて……!」
「兄貴っ! 兄貴っ……!」
仰け反る体を追いかけた。噛みつくように体にキスマークを残していく。胸にしゃぶりつく俺の髪に兄貴の手が触れた。
「愛しているよ……隼人……!」
「俺も……好きだ、兄貴……!」
「んぁああぁっ!!」
奥に押しつけながらイッていた。兄貴のモノからも白濁が飛び散っている。
俺の全てを受け止めた兄貴は、キスを求めるように見つめてくる。その視線から目を逸らすこと無く、唇を重ねた。
***
兄様……?
怒声のような、蠢く声が響く中。ずっと感じていた兄の存在が消えている。
ずっと、もうずっと長い時の中、どれほどの悪鬼が増えようとも、兄と共に静かに浮かんでいた空間が騒がしくなっている。
兄様?
もう一度、呼んで見たけれど、返事が無い。自分で動くことができない私は、急に何かに引っ張られるように悪鬼達の中を移動している。
兄様! 兄様!? どこです!!
私に、霊感は無かった。神として祭られていた兄のような、強い霊感を持っていない。この悪鬼達の群れの中でも、兄と一緒になっていなければ、私の魂はすぐに消えてしまうほど弱い存在だった。
だからこそ、炎の中、死にゆく私と兄は、魂を一つにした。兄の力で、二度と離れないように、結びつけたはずだった。
兄様!!
精一杯、叫んだ時だった。急に光の中に連れ出された。気付けば、誰かの魂と共有していて。兄ではない、知らない誰かに引っ張られている。
自分の意識では動かない。生きているのか、死んでいるのか、朧気な存在になった男の魂に引き寄せられてしまっている。
兄様! 兄様! どこなのです!? これは……!?
男は誰かの背中にしがみ付いていた。しがみ付いた相手を一緒に連れて行こうとしている。
【独りで死にとうない……! 死にとうない……!】
「……かい……えんか」
【一緒に……兄者も一緒に……!】
「ぐ……ぁあ!」
苦しげな声を上げているもう一人の男。引きずり込もうとしているけれど、腹を貫かれたもう一人の男は、悪鬼の群れから男を引き離し始めた。
それは、私が兄から完全に引き離されることを意味していた。男から離れ、兄のもとへ戻りたいのに力が無い。このままでは男に憑いたまま連れて行かれてしまう。
兄様……! 兄様――――!
男が悪鬼から切り離されてしまった。もう一人の男と共に空を落ちていく。
どうしても男から離れられない。空を漂う悪鬼の群れの中に、兄はまだいるのだろうか? 地上へと下ろされた二人の男は、互いに苦しげな声を出していた。
封印の結界が張られた中では、私が憑いてしまった朧気な男の存在も薄れていこうとしている。このまま、兄と離れたまま、消えてしまうのだろうか。
消えてしまうのならば、兄と一緒に居たかった。
どこだ……!? これは一体……!
兄の、気配を感じた。男の魂を通じて感じる。けれどどこに存在しているのかが分からない。
弟よ……! 愛しい者よ……! どこなのだ!?
兄様……! ここに居ます……!
儂の側を離れるでない……!
兄様……!
兄の呼ぶ気配は分かるのに、どうして側に行けないのだろう?
私が憑いている男の魂が、一度は大きく膨れあがったけれど、その反動でもう、消えかけていた。
死にたくないと、もう一人の男を見上げている男。男の魂と共に、私の欠けた魂も消えかけていた。
その時だった。男を見下ろしていたもう一人の男。その男の魂から、兄の存在を感じたのは。
何故……!? 何故、別れてしまったのだ! 儂も共に……!!
兄様……!
逝くなら共に……!!
あに……さま……。
消えても良い。消えるなら兄の魂と共に逝きたい。男から離れようとしたけれど、私の力ではどうにもならなかった。
消えゆく男の魂と共に、私の魂も消えていく。
待っておれ……! 必ず探す! 儂が必ず……!
男の魂と共に、私の魂もまた、現世から切り離された。
ふわふわと漂う魂。何も考えられず、何も感じない世界。
兄様……。
私はただ。
兄を求めて漂っていた。
***
ふと、意識が覚醒した。点けっぱなしになっていた室内は、明るいままだった。
何か、夢を見ていた気がしたけれど。覚えていなかった。
激しく抱き合った後だからか体が重い。兄貴の体に折り重なるようにして寝ていた俺は、疲れたように眠る双子の兄の顔をなんとなく撫でた。
別荘へ来る前から、俺は悪鬼と入れ替わっていた。その間の記憶が、一切無い。
意識が戻った時にはもう、紫藤と清次郎が居て。俺の中には封印の珠が入っていた。先に預かっていた物とは違う封印の珠だと言う。体の中に入れるので、一番、相性が良い物を選んだそうだ。
その封印の珠に、俺の魂が封印されていたのかもしれないと、紫藤は言った。眠っていた俺の魂を、そのまま封印の珠に封じてしまい、肉体を使って力を解放し始めた。細く繋げたもう一人の悪鬼のもとへ行こうとしていた。兄貴を置いて。
信じられなかった。俺は空を飛んだという。
月影達也に憑いた悪鬼もまた、自分の意思とは関係なく、体が動き、俺の中に憑いている悪鬼を目指して動いたという。
だが、達也には悪鬼に憑かれていた間の記憶があった。記憶というよりは、共に意識を共有していたと言う。悪鬼が見る景色が、達也にも見えていた。そして、悪鬼の記憶が流れ込んできたという。
俺の悪鬼と、達也の悪鬼と、影響の仕方が違う。俺は完全に、悪鬼に飲まれてしまっていた。全く、抵抗できないでいた。それを認識した時、とても恐ろしいと感じた。
もう一人の、知らない自分が居る。
達也には、紫藤も、特別機関もついていた。達也の悪鬼の方が、強いと判断されていたからだった。
その見解は間違っていないと、紫藤は言っていた。今の俺と同じように暫くの間、紫藤は達也と繋がり、噴き出す悪鬼の気を直接封じていたが、その量は多かったと言う。そのため、早々に封印の珠を中に入れ、直接封じることにしたらしい。
封印の珠を使ってもなお、その力は巨大だったと言う。
だが、俺の中の悪鬼は、封印の珠を使っているとはいえ、気の量はそれほど多くはないと言う。生きている人間の体を飛ばせていたのは、大地の霊場の力を吸収し、足りない力を補っていたからだと言っていた。
そして、細く繋がっていた悪鬼同士が、力を分け合っていたからこそ、俺の中の悪鬼は力が出せるのだと言う。
その繋がっていた細い糸も、断ち切られたらしい。俺は会ったことはないけれど、土井七海という少年が、不思議な力を持っていた。その子の力で、二つの悪鬼の縁は、完全に切られたと言う。
あとは俺が、俺の意識が、消えてしまわないよう、封印の珠を使って悪鬼を抑えこめさえすれば良い。そうすればもう、体を操られることはないだろう。
『一度、白崎が会いに来ると言うておったぞ』
『白崎さん、ですか?』
『特別機関の隊長です。直接、隼人様の様子を見たいそうです』
『俺の様子を? その方も不思議な力を持っているんですか?』
『あやつは変態ぞ。気をつけよ!』
『へ、変態?』
『だが、こたびはあやつの機転に助けられた。あやつが見たいと言うのであれば、何かあるのであろうな』
『そう、なんですか?』
『尻を撫でられぬよう、警戒しておけ』
真剣な顔で、尻に警戒しろと言う紫藤に、思わず笑ってしまったけれど。今回の騒動を鎮圧させ、俺と達也を悪鬼から守ったのは、特別機関の隊長・白崎剣だと聞いている。
その人も、少し変わった体質を持っているそうだ。その人の側に居ると、霊力の波長が変わり、白崎と同調してしまうという。霊感の無い人でも、霊が見えるほどに。
その人が俺に会いに来るという。紫藤との修行が終わり、彼が東京へ戻った後に。特別機関という、噂でしか聞いたことの無い機関の人に会えるなんて、そうそうあるものではない。
どんな人なのだろう。俺もその人と同調したら、もう、悪鬼に操られたりしないのだろうか。
兄貴を、置いていったりしないで済むのだろうか?
眠っている兄貴の顔を見つめると、少し開いていた唇にキスをした。
足下にわだかまっていた掛け布団を引っ張り上げると、兄貴を抱き締めながら目を閉じた。明かりを消した方が熟睡できるのだろうけれど、兄貴が消したがらない。
どんな顔をしていたのだろう?
兄貴を、置いていった時の俺の顔は。
こんなにもやつれさせてしまうほど、俺は他人になっていたのだろうか?
「ごめんな、兄貴。二度と離れないから」
目を閉じると、兄貴の鼓動を感じながら眠った。生きている体を強く抱き締めた。
明かりを点けたままの室内。
ベッドから外された敷きパッドは、床に敷いたままになっている。
隣の部屋でも、紫藤蘭丸と土井清次郎が愛し合っているのだろうか。
「隼人……」
甘く、優しいキスを受け止める。兄貴の手は、着ていた俺のシャツを脱がせていく。天井の明かりは兄貴が折り重なる度に陰った。
正直、毎晩、抱かれるのはきつかった。
明かりを点けたまま抱かれるのも恥ずかしくてたまらない。
けれど。
いつの間にか俺の魂は眠り、憑いている悪鬼と入れ替わっていたという。俺は兄貴を、愛している人を、置いて出て行ったと言う。
知らない間に、傷つけてしまった。
明かりを消さないのは、俺の顔を、表情を、見逃さないためだろう。
「ぅっ……」
兄貴の唇に挟まれた俺のモノ。優しい愛撫に、緩やかに立ち上がっていく。兄貴が望むなら、彼が満足するまで付き合おうと決めている。
「……さすがに、きついよね?」
唇が腹から胸を伝ってくる。俺の体には、幾つものキスマークが残されていた。消えないうちに、新しい跡が残される。兄貴のものだと、刻み込むように。
「……そんな、柔じゃないって。遠慮するなんて兄貴らしくないし」
俺の唇に辿り着いた兄貴の唇は、短いキスを何度も繰り返す。大人しく受け止める俺を見つめた兄貴は、肩に顔を埋めてきた。
「このままで」
「兄貴?」
もう、兄貴の愛撫で俺の体には火が点いている。それなのに立ち上がっている俺のモノに絡みついていた兄貴の手が離れていく。
長い手が伸びたかと思うと、側に置いていた瓶を手に取った。今日はオイルを使うようだ。滑りが良くなるので、受ける側としてはありがたい。
後ろに当てられるであろう兄貴の指を想像し、力を抜いて待っていたけれど。兄貴は手に取ったオイルを自分の尻の割れ目に垂らし始めた。
そのまま、自分の指で自分を解し始めている。俺の肩に顔を埋めたまま。
「兄貴……?」
「ぅん……少し、待っていなさい……」
「で、でも……!」
点けっぱなしの室内だ。尻を上げ、指で解している姿は良く見えた。見えないのは、隠された兄貴の顔だけだ。
時折、苦しげな呻き声を漏らしながら、長い指で自分を解した兄貴がゆっくりと上体を起こしていく。
頬を上気させ、一際色香を増した兄貴は、食い入るように見つめてしまう俺に微笑んで見せた。
「私から目を逸らさないで」
「兄貴……!」
「今夜も、私が愛してあげる……!」
硬く立ち上がった俺のモノに、見せつけるように腰を揺らしながら跨がっていく。飲み込まれていく俺のモノ。熱い、兄貴の中に包まれた。
「兄貴……! 俺が……!」
「ダ~メ。ほら、感じて?」
「ぅあっ! ああ!」
「ふふ、可愛い子だ」
兄貴が腰をくねらせると、俺のモノは熱い中で張り詰めていく。ギリギリまで抜いては、奥へと導かれる。わななく太ももに、兄貴が嬉しそうに笑って見せた。
「可愛い、顔をして……!」
「俺が……! 愛したい……!」
俺の腹に乗せていた兄貴の手を震えながら握った。その手を握り返される。
感度が上がっているからか、たったそれだけで腰を押しつけるようにしてイッていた。
「ぁあ……熱い……」
溜息と共に兄貴の吐息が吐き出される。兄貴のモノはまだ、解放されていなかった。
苦しいだろうと、手で握ろうとしたけれど。その手は兄貴の手に包まれた。
「……熱いよ、隼人」
「兄貴……?」
「私を……好きにしてごらん」
耳に吹き込まれた言葉。ゾクリと体中に痺れが走る。
兄貴の腰を掴むと、抜けないようにしながら体勢を入れ替えた。押し倒した体はしっとりと汗ばんでいる。入れっぱなしの彼の中は熱くてたまらない。
夢中で腰を振っていた。兄貴の奥をえぐるように何度も打った。
鍛えている美しい体が仰け反っていく。その姿さえ、たまらなく美しい。
「はや……とっ! ああっ! もっと……! もっと突いて……!」
「兄貴っ! 兄貴っ……!」
仰け反る体を追いかけた。噛みつくように体にキスマークを残していく。胸にしゃぶりつく俺の髪に兄貴の手が触れた。
「愛しているよ……隼人……!」
「俺も……好きだ、兄貴……!」
「んぁああぁっ!!」
奥に押しつけながらイッていた。兄貴のモノからも白濁が飛び散っている。
俺の全てを受け止めた兄貴は、キスを求めるように見つめてくる。その視線から目を逸らすこと無く、唇を重ねた。
***
兄様……?
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兄様?
もう一度、呼んで見たけれど、返事が無い。自分で動くことができない私は、急に何かに引っ張られるように悪鬼達の中を移動している。
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男は誰かの背中にしがみ付いていた。しがみ付いた相手を一緒に連れて行こうとしている。
【独りで死にとうない……! 死にとうない……!】
「……かい……えんか」
【一緒に……兄者も一緒に……!】
「ぐ……ぁあ!」
苦しげな声を上げているもう一人の男。引きずり込もうとしているけれど、腹を貫かれたもう一人の男は、悪鬼の群れから男を引き離し始めた。
それは、私が兄から完全に引き離されることを意味していた。男から離れ、兄のもとへ戻りたいのに力が無い。このままでは男に憑いたまま連れて行かれてしまう。
兄様……! 兄様――――!
男が悪鬼から切り離されてしまった。もう一人の男と共に空を落ちていく。
どうしても男から離れられない。空を漂う悪鬼の群れの中に、兄はまだいるのだろうか? 地上へと下ろされた二人の男は、互いに苦しげな声を出していた。
封印の結界が張られた中では、私が憑いてしまった朧気な男の存在も薄れていこうとしている。このまま、兄と離れたまま、消えてしまうのだろうか。
消えてしまうのならば、兄と一緒に居たかった。
どこだ……!? これは一体……!
兄の、気配を感じた。男の魂を通じて感じる。けれどどこに存在しているのかが分からない。
弟よ……! 愛しい者よ……! どこなのだ!?
兄様……! ここに居ます……!
儂の側を離れるでない……!
兄様……!
兄の呼ぶ気配は分かるのに、どうして側に行けないのだろう?
私が憑いている男の魂が、一度は大きく膨れあがったけれど、その反動でもう、消えかけていた。
死にたくないと、もう一人の男を見上げている男。男の魂と共に、私の欠けた魂も消えかけていた。
その時だった。男を見下ろしていたもう一人の男。その男の魂から、兄の存在を感じたのは。
何故……!? 何故、別れてしまったのだ! 儂も共に……!!
兄様……!
逝くなら共に……!!
あに……さま……。
消えても良い。消えるなら兄の魂と共に逝きたい。男から離れようとしたけれど、私の力ではどうにもならなかった。
消えゆく男の魂と共に、私の魂も消えていく。
待っておれ……! 必ず探す! 儂が必ず……!
男の魂と共に、私の魂もまた、現世から切り離された。
ふわふわと漂う魂。何も考えられず、何も感じない世界。
兄様……。
私はただ。
兄を求めて漂っていた。
***
ふと、意識が覚醒した。点けっぱなしになっていた室内は、明るいままだった。
何か、夢を見ていた気がしたけれど。覚えていなかった。
激しく抱き合った後だからか体が重い。兄貴の体に折り重なるようにして寝ていた俺は、疲れたように眠る双子の兄の顔をなんとなく撫でた。
別荘へ来る前から、俺は悪鬼と入れ替わっていた。その間の記憶が、一切無い。
意識が戻った時にはもう、紫藤と清次郎が居て。俺の中には封印の珠が入っていた。先に預かっていた物とは違う封印の珠だと言う。体の中に入れるので、一番、相性が良い物を選んだそうだ。
その封印の珠に、俺の魂が封印されていたのかもしれないと、紫藤は言った。眠っていた俺の魂を、そのまま封印の珠に封じてしまい、肉体を使って力を解放し始めた。細く繋げたもう一人の悪鬼のもとへ行こうとしていた。兄貴を置いて。
信じられなかった。俺は空を飛んだという。
月影達也に憑いた悪鬼もまた、自分の意思とは関係なく、体が動き、俺の中に憑いている悪鬼を目指して動いたという。
だが、達也には悪鬼に憑かれていた間の記憶があった。記憶というよりは、共に意識を共有していたと言う。悪鬼が見る景色が、達也にも見えていた。そして、悪鬼の記憶が流れ込んできたという。
俺の悪鬼と、達也の悪鬼と、影響の仕方が違う。俺は完全に、悪鬼に飲まれてしまっていた。全く、抵抗できないでいた。それを認識した時、とても恐ろしいと感じた。
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封印の珠を使ってもなお、その力は巨大だったと言う。
だが、俺の中の悪鬼は、封印の珠を使っているとはいえ、気の量はそれほど多くはないと言う。生きている人間の体を飛ばせていたのは、大地の霊場の力を吸収し、足りない力を補っていたからだと言っていた。
そして、細く繋がっていた悪鬼同士が、力を分け合っていたからこそ、俺の中の悪鬼は力が出せるのだと言う。
その繋がっていた細い糸も、断ち切られたらしい。俺は会ったことはないけれど、土井七海という少年が、不思議な力を持っていた。その子の力で、二つの悪鬼の縁は、完全に切られたと言う。
あとは俺が、俺の意識が、消えてしまわないよう、封印の珠を使って悪鬼を抑えこめさえすれば良い。そうすればもう、体を操られることはないだろう。
『一度、白崎が会いに来ると言うておったぞ』
『白崎さん、ですか?』
『特別機関の隊長です。直接、隼人様の様子を見たいそうです』
『俺の様子を? その方も不思議な力を持っているんですか?』
『あやつは変態ぞ。気をつけよ!』
『へ、変態?』
『だが、こたびはあやつの機転に助けられた。あやつが見たいと言うのであれば、何かあるのであろうな』
『そう、なんですか?』
『尻を撫でられぬよう、警戒しておけ』
真剣な顔で、尻に警戒しろと言う紫藤に、思わず笑ってしまったけれど。今回の騒動を鎮圧させ、俺と達也を悪鬼から守ったのは、特別機関の隊長・白崎剣だと聞いている。
その人も、少し変わった体質を持っているそうだ。その人の側に居ると、霊力の波長が変わり、白崎と同調してしまうという。霊感の無い人でも、霊が見えるほどに。
その人が俺に会いに来るという。紫藤との修行が終わり、彼が東京へ戻った後に。特別機関という、噂でしか聞いたことの無い機関の人に会えるなんて、そうそうあるものではない。
どんな人なのだろう。俺もその人と同調したら、もう、悪鬼に操られたりしないのだろうか。
兄貴を、置いていったりしないで済むのだろうか?
眠っている兄貴の顔を見つめると、少し開いていた唇にキスをした。
足下にわだかまっていた掛け布団を引っ張り上げると、兄貴を抱き締めながら目を閉じた。明かりを消した方が熟睡できるのだろうけれど、兄貴が消したがらない。
どんな顔をしていたのだろう?
兄貴を、置いていった時の俺の顔は。
こんなにもやつれさせてしまうほど、俺は他人になっていたのだろうか?
「ごめんな、兄貴。二度と離れないから」
目を閉じると、兄貴の鼓動を感じながら眠った。生きている体を強く抱き締めた。
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「え?何言ってるの姉さん達!僕のお乳に牛乳を垂らして飲ませてみろだなんて!そんなの上手くいくわけ…え、飲んでるよ?え?」
そんなこんなで、お乳を呑まない赤子が飲んだ噂は広がり他のお貴族様達にもうちの子がお乳を飲んでくれないの!と言う相談を受けて、他のほとんどの子は母や姉達のお乳で飲んでくれる子だったけど何故か数人には僕のお乳がお気に召したようでー
昔お乳をあたえた子達が僕のお乳が忘れられないと迫ってきます!!
「僕はお乳を貸しただけで牛乳は母さんと姉さん達のなのに!どうしてこうなった!?」
*
総受けで、固定カプを決めるかはまだまだ不明です。
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