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第一幕
奇ノ五十六『大人達の密談』
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白い腕を組み、胡坐をかいている主・紫藤蘭丸は、不機嫌な気持ちを隠しもせずに舌打ちした。
「……お主が何故、ここにいる!」
「おや、酷い言われようですね。達也君を救って差し上げたのは私ですよ?」
「お主に頼んだ覚えは無い! さっさと帰らぬか!」
不機嫌極まりない紫藤を楽しそうに、また妖しく見つめているのは、特別機関隊長の白崎剣だった。頭に掛けたサングラスが、聞いていた最新の観測機なのだろう。
達也が展望台から空に身を投げ出したと連絡があり、また黒い影が接近していたとの報告も受け、俺と紫藤は悪霊退治を切り上げ、來夢の家まで戻った。
戻ってみれば、達也の側に七海と伊達、そして東京に居るはずの剣が居て。それだけでも紫藤の機嫌が悪くなるというのに、眠っている達也の手を剣の白い手が握っていた。
紫藤の怒りは一気に限界まで上がり、顔を真っ赤にして剣の手を振り払っていた。
達也が起きてはいけないと、紫藤を宥めながら隣の部屋へ移動したのは良いけれど、機嫌は一向に直る気配がない。
「紫藤様、失礼ですぞ」
あからさまに毛嫌いしている紫藤を見かねて注意すれば、俺を振り返りながら剣を指差している。
「あの不埒な手で達也に触れていたのだぞ!? お主は腹立たぬのか、清次郎!」
「不埒であれば叩き落としております故。こ度は達也を助けて頂いたのです。どうかご辛抱を」
「…………ちっ!!」
殊更大きな舌打ちをした紫藤は、ふんっとそっぽを向いてしまった。それがたまらなく楽しいと微笑んでいる剣に、俺も少しだけ鳥肌がたってしまった。
顔には出さず、紫藤に代わって軽く頭を下げた。
「達也のこと、本当にありがとうございました」
「可愛かったですよ。私にもたれて眠っている姿は」
「…………!」
紫藤の形の良い眉がヒクッと揺れている。
「あどけない唇を覆ってしまおうかと思いましたが、心路が聞いていたので止めておきました。……ああ、でもおでこは……ふふ」
「…………!!」
紫藤の眉がつり上がる。
「抱き上げた時に仰け反る胸元はなかなか良い眺めでしたよ。吸って差し上げたくなりました」
「……己……そこへなおれ!! その手をへし折ってくれる!!」
「紫藤様!!」
掌から扇子を取り出した紫藤が勢い良く立ち上がっている。一歩遅れつつも、背中から羽交い絞めにして止めた。暴れる紫藤を押さえ込む。
「離せ、清次郎!! この者を許してはおけぬ!!」
「なりませぬ! 白崎様も! 冗談が過ぎますぞ!!」
「……冗談?」
首を傾げた剣は、妖しい微笑みをたたえた。
「私はいつでも本気です」
「…………!」
では、本当に?
達也に触れていたのか?
紫藤を抑え込みながら、俺の目が鋭くなっていく。静かに剣を見つめれば、真っ直ぐに見つめ返してくる。
「ゾクゾクしますね……ふふ」
「達也が目を覚ましたら聞いておきます。答え次第ではお覚悟を」
「……ふふ」
微笑む剣の心情を読み取ろうと試みたけれど、上手く隠されていて分からない。達也が覚えていれば良いけれど。
紫藤をどうにか座らせた俺は、スッと開いた障子に少しだけホッとした。
「やけに揉めていましたね。隣の部屋まで聞こえていましたよ」
「伊達! お主が付いていながら何故この者に任せたのだ!」
パンッと扇子を掌に打った紫藤に、伊達は剣の隣に座りながら頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。達也君を危険に晒してしまって」
「……お主の力でも、捕らえるのは難しいのかの?」
「近づいてきたことすら、気付きませんでした。達也君の霊力に反応は無く、いつ、現れたのかも……」
「瞬間でしたよ」
剣がサングラスを手に取りながら話を引き継いでいる。紫藤の口がムッとしたように尖ったので、腰を突付いて我慢するよう促した。
「達也君すら、気付いていませんでしたからね。空の一角に、瞬間的に現れました。これに微かな反応があったのでもしやと思い走れば、達也君がポーンッと」
「……どういうことですか?」
最後の説明では、達也がどうなったのか分からない。伊達に話を促せば、まいったというように頭を掻いている。
「展望台の柵を乗り越えたと思ったら、空へ。そのまま……数歩、歩いていたんです」
「空をだと?」
「ええ。七海君が叫ぶと我に返ったのか、或いは繋がりが切れたのか、空に投げ出されてしまって……」
「私が鞭で絡め取って差し上げたんですよ」
「ええ、先に反応していた剣が、どうにか間に合いました。その後、七海君の言霊で引き上げたんです」
姿勢を正した伊達は、もう一度、紫藤に頭を下げた。
「申し訳ありません。何もできず」
「……達也の力に変動が無ければ気付けぬであろう。お主が気に止む事では無い」
「おや、私とはずいぶん違う態度ですね。もっと私も褒めて下さいよ」
ウィンクした剣に、紫藤の目がすぐに鋭くなっている。絶対に褒めるものかと、顔を背けている。
頬を膨らませている紫藤が怒りに任せて出ていかないよう、注意深く観察しながら伊達に頷いて見せた。今回のことは、彼に非がある訳ではない。
紫藤や俺がその場に居たとしても、間に合っていたかどうか分からない。伊達ほどの霊力を持っていても、気付けなかったのだから。
「しかし……困りましたね。瞬間的に現れるのであれば、達也の側を離れる訳には参りますまい」
「ああ、そのことでしたらご心配なく。子供達は私達が預かりますので」
にこやかに笑った剣とは正反対に、紫藤の顔は引きつった。俺も眉根を寄せてしまう。
「……どういうことだ?」
「達也君と七海君は、特別機関で預かる事にしました。これ以上、危険に晒す訳にはいきませんしね」
「……お主の存在の方がよほど危険ぞ!」
立ち上がった紫藤を見上げた剣は、クスクス笑っている。興奮にわななわと両手を震わせている紫藤を今度はうっとりと見つめた。
「ああ……そんなに真っ赤になって……可愛らしいですね~」
「白崎!! お主、ふざけるのもいい加減にせぬか!!」
「ふざけてなどいませんよ。子供達の命を優先したまでです」
にこりと笑いながら、スッと人差し指を立てている。
「一ヶ月間です。紫藤・土井両名は大場隼人の悪鬼を完全に封じて下さい。伊達・三村両名は特別機関への出張を命じます」
紫藤を見上げた剣は、立てていた人差し指を向けている。
「これは隊長命令です」
一瞬、ほんの一瞬だけ、剣の瞳に真面目な光を見た気がしたけれど。
人差し指を自分の顎に当てた彼は、妖しい瞳に戻っていた。
「もし、一ヶ月で終わらなかったら……うふっ」
何を想像しているのだろう、剣の目が楽しそうに笑っている。
反対に、紫藤の目は怒りに燃え上がっている。
「お主の命など聞かぬ! 達也も七海も、私の側に置く!」
「言ったはずですよ、これは隊長命令だ、と」
スッと立ち上がった剣は、紫藤の目の前に立った。何をする気なのか、俺も急いで立ち上がる。紫藤に手を出さないよう、守りの体勢を取った。
「特別機関の隊長は私。あなたはその一員です。命令は絶対、ですよ? 達也君と七海君は、特別機関が預かります」
「……しかし!」
「一ヶ月で大場隼人の方をどうにかして下さい。達也君だけを守るのは、ヒイキというものです」
「……そ、それは……」
「こうも簡単に側に来れるようになっているんです。大場隼人の方はどうなっても良いと?」
小首を傾げ、問い掛ける剣に、紫藤は何も言えなかった。下唇を噛みながら俺の手を握り締めている。
泣き出してしまいそうな紫藤を励ますように、握られている手に力を込めた。俯いた顔に、長い白髪が掛かっている。
「了解、ですね?」
「……一ヶ月だけぞ!」
「それで済むかは蘭丸さん次第ですよ」
剣の人差し指が紫藤のおでこを突付いた。嫌がるように飛びのいた紫藤を抱き止める。
突付いた本人は楽しそうに笑うと、右耳に填めた機械に向けて話している。
「ということです。心路、手続きお願いしますね。ああ、それと一希に、布団を一組揃えてもらって下さい。ええ、そうです。一希の部屋に預けます」
無意識にだろう、右耳を押さえたまま部屋を数歩、歩いた剣は、クスクス笑っている。
「心路は私の部屋に。あなたの部屋は暫く、葵さん達に使ってもらいますからね。片付けておいて下さい」
指示を出す剣を黙って見上げていた伊達は、参った、というように頭を掻いて笑っている。
「俺と葵も行くようなので、ご安心を」
「……あの者が良からぬことをせぬよう、しかと守ってくれ!!」
「ええ、お任せ下さい」
爽やかな笑顔を見せた伊達に、ようやく紫藤がホッとしたように笑った。さりげなく肩を押し、座らせた頃、連絡を終えた剣が戻ってくる。
「大場隼人と幸人を研修という名目で山奥に行かせます。頼みましたよ?」
「……何故そのように、急ぐのですか?」
少しだけ気になった。
剣がこちらに来ていたことも、気になっている。伊達に預けていると知っているはずなのに、隊長である剣が自ら出向いてきている。
何か、隼人の方に起きたのだろうか?
一抹の不安を覚えて問えば、フルフルと首を横へ振っている。
「何もありませんでした」
「何も無いのに、何故急ぐのです?」
できれば俺も、達也と七海を剣に任せたくはなかった。何を吹き込むか分からない。吹き込むだけならまだ許せても、手を出しでもしたら、紫藤の制止を振り切ってでも剣を許さないだろう。
何も無いのなら預けない、命令を少し変えてもらおうと考えていた俺を見透かしたように、剣が見つめながら笑っている。
「達也君を空に導いたのは、まず間違いなく大場隼人の悪鬼でしょう。ですが、彼には何も反応がなく、幸人さんに連絡を入れましたが、特に変わりなく過ごしていたそうです」
「……それが何か問題でも?」
なおも問う俺の隣で、紫藤が眉根を寄せながら腕を組んでいる。その表情は暗く沈んでいく。
「あ奴には封印の珠を預けておる。その珠を操り始めたのかもしれぬ」
「封印の珠をですか? しかし悪鬼は珠を嫌うはずでは」
「嫌っているなら、力が出ないよう操れば良いんですよ。ね?」
「………………うむ」
剣に言い当てられたのが気に食わないのだろう、長い間を置いて頷いた紫藤は、大きな大きな溜め息をつくしかなかった。
どうあっても、大場隼人と幸人のもとへ行かなければならないようだ。封印の珠を封じられないよう、大場隼人の意識が保てるよう、紫藤が導かなければならない。
その場所へ、達也を連れて行く事はできなかった。
「分かって頂けたようで何よりです。こちらが片付いたらすぐに行ってもらいますから」
「仕方がないの……」
「うふ。素直な蘭丸さんも可愛いですね。ああ……食べてしまいたい」
うっとりと見つめる剣に、ぶわっと白髪を浮き上がらせた紫藤は、危険を察知した小動物のように素早く俺の背中に隠れた。
そんな紫藤をうふうふ、うふうふ、笑いながら見つめている剣を観察した俺は、視線だけを伊達に走らせる。
気付いた伊達は、小さく頷きながら右手でサインをよこしてきた。人差し指と親指で輪を作っている。
問題ない
そう、意味を込めて。
彼が言うのなら、大丈夫なのだろう。新しい隊長を決めることになった時、伊達は俺達に隊長候補について話してくれたことがある。
『色々と癖のある奴ですが、根は優しいようで。多少の問題点は目を瞑ってでも、あいつに預けたいと思っています』
俺達から見ればかなり問題点しかないように思えたけれど。伊達は剣を隊長にと決めて譲らなかった。そこまで拘る理由が分からなかったけれど。
「ああ、可愛い……うふっ。蘭丸さん、さ、私の胸に飛び込んできて下さい」
「う……煩い! 寄るでない!」
背中にしがみ付いている紫藤をからかうように、剣の手が伸びてくる。その手をパンッと弾いて遠ざけた。
「あん、いけず」
俺に叩かれた剣は、目標を変えたのかにじり寄ってくる。
「清次郎さんでも構いませんよ?」
「ご遠慮致します」
「たまには違う味も試してみては?」
寄せられた顔を無言で押し戻した。素直に戻った剣は、残念そうに肩を竦めながら右耳を押さえている。おそらく心路が騒いでいるのだろう。宥めるように話し始めた。
達也に危険が迫っているかもしれないと、彼自ら確かめに来たのか。
紫藤が達也の側を離れている間に、動くかもしれないと。
何も無いかもしれないのに。
元隊長である伊達が付いていたのに、ここまで来たのか。
最新型の観測機を持って。
達也を守るために?
「そう、怒らないで下さい。帰ったらずっと、一緒なんですから……ふふ。良い子で待っていて下さいね?」
心路を宥めている剣を観察した俺は、小さな溜め息をついて伊達を見た。彼と視線を合わせると、頷いて了解した。
達也を剣に任せる、と。
にこりと笑った伊達は、大きく頷いた。
「……お主が何故、ここにいる!」
「おや、酷い言われようですね。達也君を救って差し上げたのは私ですよ?」
「お主に頼んだ覚えは無い! さっさと帰らぬか!」
不機嫌極まりない紫藤を楽しそうに、また妖しく見つめているのは、特別機関隊長の白崎剣だった。頭に掛けたサングラスが、聞いていた最新の観測機なのだろう。
達也が展望台から空に身を投げ出したと連絡があり、また黒い影が接近していたとの報告も受け、俺と紫藤は悪霊退治を切り上げ、來夢の家まで戻った。
戻ってみれば、達也の側に七海と伊達、そして東京に居るはずの剣が居て。それだけでも紫藤の機嫌が悪くなるというのに、眠っている達也の手を剣の白い手が握っていた。
紫藤の怒りは一気に限界まで上がり、顔を真っ赤にして剣の手を振り払っていた。
達也が起きてはいけないと、紫藤を宥めながら隣の部屋へ移動したのは良いけれど、機嫌は一向に直る気配がない。
「紫藤様、失礼ですぞ」
あからさまに毛嫌いしている紫藤を見かねて注意すれば、俺を振り返りながら剣を指差している。
「あの不埒な手で達也に触れていたのだぞ!? お主は腹立たぬのか、清次郎!」
「不埒であれば叩き落としております故。こ度は達也を助けて頂いたのです。どうかご辛抱を」
「…………ちっ!!」
殊更大きな舌打ちをした紫藤は、ふんっとそっぽを向いてしまった。それがたまらなく楽しいと微笑んでいる剣に、俺も少しだけ鳥肌がたってしまった。
顔には出さず、紫藤に代わって軽く頭を下げた。
「達也のこと、本当にありがとうございました」
「可愛かったですよ。私にもたれて眠っている姿は」
「…………!」
紫藤の形の良い眉がヒクッと揺れている。
「あどけない唇を覆ってしまおうかと思いましたが、心路が聞いていたので止めておきました。……ああ、でもおでこは……ふふ」
「…………!!」
紫藤の眉がつり上がる。
「抱き上げた時に仰け反る胸元はなかなか良い眺めでしたよ。吸って差し上げたくなりました」
「……己……そこへなおれ!! その手をへし折ってくれる!!」
「紫藤様!!」
掌から扇子を取り出した紫藤が勢い良く立ち上がっている。一歩遅れつつも、背中から羽交い絞めにして止めた。暴れる紫藤を押さえ込む。
「離せ、清次郎!! この者を許してはおけぬ!!」
「なりませぬ! 白崎様も! 冗談が過ぎますぞ!!」
「……冗談?」
首を傾げた剣は、妖しい微笑みをたたえた。
「私はいつでも本気です」
「…………!」
では、本当に?
達也に触れていたのか?
紫藤を抑え込みながら、俺の目が鋭くなっていく。静かに剣を見つめれば、真っ直ぐに見つめ返してくる。
「ゾクゾクしますね……ふふ」
「達也が目を覚ましたら聞いておきます。答え次第ではお覚悟を」
「……ふふ」
微笑む剣の心情を読み取ろうと試みたけれど、上手く隠されていて分からない。達也が覚えていれば良いけれど。
紫藤をどうにか座らせた俺は、スッと開いた障子に少しだけホッとした。
「やけに揉めていましたね。隣の部屋まで聞こえていましたよ」
「伊達! お主が付いていながら何故この者に任せたのだ!」
パンッと扇子を掌に打った紫藤に、伊達は剣の隣に座りながら頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。達也君を危険に晒してしまって」
「……お主の力でも、捕らえるのは難しいのかの?」
「近づいてきたことすら、気付きませんでした。達也君の霊力に反応は無く、いつ、現れたのかも……」
「瞬間でしたよ」
剣がサングラスを手に取りながら話を引き継いでいる。紫藤の口がムッとしたように尖ったので、腰を突付いて我慢するよう促した。
「達也君すら、気付いていませんでしたからね。空の一角に、瞬間的に現れました。これに微かな反応があったのでもしやと思い走れば、達也君がポーンッと」
「……どういうことですか?」
最後の説明では、達也がどうなったのか分からない。伊達に話を促せば、まいったというように頭を掻いている。
「展望台の柵を乗り越えたと思ったら、空へ。そのまま……数歩、歩いていたんです」
「空をだと?」
「ええ。七海君が叫ぶと我に返ったのか、或いは繋がりが切れたのか、空に投げ出されてしまって……」
「私が鞭で絡め取って差し上げたんですよ」
「ええ、先に反応していた剣が、どうにか間に合いました。その後、七海君の言霊で引き上げたんです」
姿勢を正した伊達は、もう一度、紫藤に頭を下げた。
「申し訳ありません。何もできず」
「……達也の力に変動が無ければ気付けぬであろう。お主が気に止む事では無い」
「おや、私とはずいぶん違う態度ですね。もっと私も褒めて下さいよ」
ウィンクした剣に、紫藤の目がすぐに鋭くなっている。絶対に褒めるものかと、顔を背けている。
頬を膨らませている紫藤が怒りに任せて出ていかないよう、注意深く観察しながら伊達に頷いて見せた。今回のことは、彼に非がある訳ではない。
紫藤や俺がその場に居たとしても、間に合っていたかどうか分からない。伊達ほどの霊力を持っていても、気付けなかったのだから。
「しかし……困りましたね。瞬間的に現れるのであれば、達也の側を離れる訳には参りますまい」
「ああ、そのことでしたらご心配なく。子供達は私達が預かりますので」
にこやかに笑った剣とは正反対に、紫藤の顔は引きつった。俺も眉根を寄せてしまう。
「……どういうことだ?」
「達也君と七海君は、特別機関で預かる事にしました。これ以上、危険に晒す訳にはいきませんしね」
「……お主の存在の方がよほど危険ぞ!」
立ち上がった紫藤を見上げた剣は、クスクス笑っている。興奮にわななわと両手を震わせている紫藤を今度はうっとりと見つめた。
「ああ……そんなに真っ赤になって……可愛らしいですね~」
「白崎!! お主、ふざけるのもいい加減にせぬか!!」
「ふざけてなどいませんよ。子供達の命を優先したまでです」
にこりと笑いながら、スッと人差し指を立てている。
「一ヶ月間です。紫藤・土井両名は大場隼人の悪鬼を完全に封じて下さい。伊達・三村両名は特別機関への出張を命じます」
紫藤を見上げた剣は、立てていた人差し指を向けている。
「これは隊長命令です」
一瞬、ほんの一瞬だけ、剣の瞳に真面目な光を見た気がしたけれど。
人差し指を自分の顎に当てた彼は、妖しい瞳に戻っていた。
「もし、一ヶ月で終わらなかったら……うふっ」
何を想像しているのだろう、剣の目が楽しそうに笑っている。
反対に、紫藤の目は怒りに燃え上がっている。
「お主の命など聞かぬ! 達也も七海も、私の側に置く!」
「言ったはずですよ、これは隊長命令だ、と」
スッと立ち上がった剣は、紫藤の目の前に立った。何をする気なのか、俺も急いで立ち上がる。紫藤に手を出さないよう、守りの体勢を取った。
「特別機関の隊長は私。あなたはその一員です。命令は絶対、ですよ? 達也君と七海君は、特別機関が預かります」
「……しかし!」
「一ヶ月で大場隼人の方をどうにかして下さい。達也君だけを守るのは、ヒイキというものです」
「……そ、それは……」
「こうも簡単に側に来れるようになっているんです。大場隼人の方はどうなっても良いと?」
小首を傾げ、問い掛ける剣に、紫藤は何も言えなかった。下唇を噛みながら俺の手を握り締めている。
泣き出してしまいそうな紫藤を励ますように、握られている手に力を込めた。俯いた顔に、長い白髪が掛かっている。
「了解、ですね?」
「……一ヶ月だけぞ!」
「それで済むかは蘭丸さん次第ですよ」
剣の人差し指が紫藤のおでこを突付いた。嫌がるように飛びのいた紫藤を抱き止める。
突付いた本人は楽しそうに笑うと、右耳に填めた機械に向けて話している。
「ということです。心路、手続きお願いしますね。ああ、それと一希に、布団を一組揃えてもらって下さい。ええ、そうです。一希の部屋に預けます」
無意識にだろう、右耳を押さえたまま部屋を数歩、歩いた剣は、クスクス笑っている。
「心路は私の部屋に。あなたの部屋は暫く、葵さん達に使ってもらいますからね。片付けておいて下さい」
指示を出す剣を黙って見上げていた伊達は、参った、というように頭を掻いて笑っている。
「俺と葵も行くようなので、ご安心を」
「……あの者が良からぬことをせぬよう、しかと守ってくれ!!」
「ええ、お任せ下さい」
爽やかな笑顔を見せた伊達に、ようやく紫藤がホッとしたように笑った。さりげなく肩を押し、座らせた頃、連絡を終えた剣が戻ってくる。
「大場隼人と幸人を研修という名目で山奥に行かせます。頼みましたよ?」
「……何故そのように、急ぐのですか?」
少しだけ気になった。
剣がこちらに来ていたことも、気になっている。伊達に預けていると知っているはずなのに、隊長である剣が自ら出向いてきている。
何か、隼人の方に起きたのだろうか?
一抹の不安を覚えて問えば、フルフルと首を横へ振っている。
「何もありませんでした」
「何も無いのに、何故急ぐのです?」
できれば俺も、達也と七海を剣に任せたくはなかった。何を吹き込むか分からない。吹き込むだけならまだ許せても、手を出しでもしたら、紫藤の制止を振り切ってでも剣を許さないだろう。
何も無いのなら預けない、命令を少し変えてもらおうと考えていた俺を見透かしたように、剣が見つめながら笑っている。
「達也君を空に導いたのは、まず間違いなく大場隼人の悪鬼でしょう。ですが、彼には何も反応がなく、幸人さんに連絡を入れましたが、特に変わりなく過ごしていたそうです」
「……それが何か問題でも?」
なおも問う俺の隣で、紫藤が眉根を寄せながら腕を組んでいる。その表情は暗く沈んでいく。
「あ奴には封印の珠を預けておる。その珠を操り始めたのかもしれぬ」
「封印の珠をですか? しかし悪鬼は珠を嫌うはずでは」
「嫌っているなら、力が出ないよう操れば良いんですよ。ね?」
「………………うむ」
剣に言い当てられたのが気に食わないのだろう、長い間を置いて頷いた紫藤は、大きな大きな溜め息をつくしかなかった。
どうあっても、大場隼人と幸人のもとへ行かなければならないようだ。封印の珠を封じられないよう、大場隼人の意識が保てるよう、紫藤が導かなければならない。
その場所へ、達也を連れて行く事はできなかった。
「分かって頂けたようで何よりです。こちらが片付いたらすぐに行ってもらいますから」
「仕方がないの……」
「うふ。素直な蘭丸さんも可愛いですね。ああ……食べてしまいたい」
うっとりと見つめる剣に、ぶわっと白髪を浮き上がらせた紫藤は、危険を察知した小動物のように素早く俺の背中に隠れた。
そんな紫藤をうふうふ、うふうふ、笑いながら見つめている剣を観察した俺は、視線だけを伊達に走らせる。
気付いた伊達は、小さく頷きながら右手でサインをよこしてきた。人差し指と親指で輪を作っている。
問題ない
そう、意味を込めて。
彼が言うのなら、大丈夫なのだろう。新しい隊長を決めることになった時、伊達は俺達に隊長候補について話してくれたことがある。
『色々と癖のある奴ですが、根は優しいようで。多少の問題点は目を瞑ってでも、あいつに預けたいと思っています』
俺達から見ればかなり問題点しかないように思えたけれど。伊達は剣を隊長にと決めて譲らなかった。そこまで拘る理由が分からなかったけれど。
「ああ、可愛い……うふっ。蘭丸さん、さ、私の胸に飛び込んできて下さい」
「う……煩い! 寄るでない!」
背中にしがみ付いている紫藤をからかうように、剣の手が伸びてくる。その手をパンッと弾いて遠ざけた。
「あん、いけず」
俺に叩かれた剣は、目標を変えたのかにじり寄ってくる。
「清次郎さんでも構いませんよ?」
「ご遠慮致します」
「たまには違う味も試してみては?」
寄せられた顔を無言で押し戻した。素直に戻った剣は、残念そうに肩を竦めながら右耳を押さえている。おそらく心路が騒いでいるのだろう。宥めるように話し始めた。
達也に危険が迫っているかもしれないと、彼自ら確かめに来たのか。
紫藤が達也の側を離れている間に、動くかもしれないと。
何も無いかもしれないのに。
元隊長である伊達が付いていたのに、ここまで来たのか。
最新型の観測機を持って。
達也を守るために?
「そう、怒らないで下さい。帰ったらずっと、一緒なんですから……ふふ。良い子で待っていて下さいね?」
心路を宥めている剣を観察した俺は、小さな溜め息をついて伊達を見た。彼と視線を合わせると、頷いて了解した。
達也を剣に任せる、と。
にこりと笑った伊達は、大きく頷いた。
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そして、僕たち家族普段は家畜の牛の牛乳を売っているが母と姉達の牛乳は濃厚で喉越しや舌触りが良いお貴族様に高値で売っていた。
ある日僕たち一家を呼んだお貴族様のご子息様がお乳を呑まないと相談を受けたのが全ての始まりー
母や姉達の牛乳を詰めた哺乳瓶を与えてみても、母や姉達のお乳を直接与えてみても飲んでくれない赤子。
そんな時ふと赤子と目が合うと僕を見て何かを訴えてくるー
「え?僕のお乳が飲みたいの?」
「僕はまだ子供でしかも男だからでないよ。」
「え?何言ってるの姉さん達!僕のお乳に牛乳を垂らして飲ませてみろだなんて!そんなの上手くいくわけ…え、飲んでるよ?え?」
そんなこんなで、お乳を呑まない赤子が飲んだ噂は広がり他のお貴族様達にもうちの子がお乳を飲んでくれないの!と言う相談を受けて、他のほとんどの子は母や姉達のお乳で飲んでくれる子だったけど何故か数人には僕のお乳がお気に召したようでー
昔お乳をあたえた子達が僕のお乳が忘れられないと迫ってきます!!
「僕はお乳を貸しただけで牛乳は母さんと姉さん達のなのに!どうしてこうなった!?」
*
総受けで、固定カプを決めるかはまだまだ不明です。
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