妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ五十四『大人の世界 子供の世界』

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 車で迎えに来ていたダンディおじさん、こと伊達は、鼻歌混じりに運転している。その助手席には武藤高志が大きな体を縮めるようにして座り、俺と七海は後部座席に座っていた。
 車の中はふんふ、ふんふと歌う伊達と、ガタガタ震えている高志の微かな呻き声ばかりで会話はない。
 暫く二人を見ていたけれど、重たい空気に飽きた俺は、用意されていたスナック菓子の袋を開けた。その音と、高志の叫び声が重なった。
「……すっごい怖かったんですけど!」
「あっはっは! 清次郎さんの殺気、久しぶりに感じたが健在だな。良い切れ味だったよ」
「笑いごとじゃないですよ! 次会ったら、俺、絶対殺されちゃいますよ……!」
 わっと両手で顔を覆った高志を、ポテトチップスを頬張りながら見守った。状況がよく飲み込めていない七海にも分けてやる。ポリパリ、ポリパリ、食べながら、やっぱり、と思ってしまう。
「あんた、まだ関口さんが好きなんだろ? 何で蘭兄にあんなこと言ったんだ?」
 ポリッとポテトチップスを食べる俺を、隣の七海が驚いたように振り返る。
「そうなの?」
「そうだよ。だろ?」
 運転している伊達が、バックミラー越しに見てきたので聞いてみた。にこりと、笑っている。
「正解」
「じゃ、何であんな怖い嘘つかせたんだ? 清兄、マジ切れしてたぜ?」
「……そうなの?」
 清次郎の切れっぷりを見ていない七海が、俺のつなぎを引っ張っている。大きく頷いてやった。
「すんげー怖かった! 蘭兄がめっちゃ慌ててたんだぜ」
 もし、止めるのがもう少し遅かったなら……きっと高志の腕は折られていただろう。清次郎のあんなにキレた姿は初めてだった。
「紫藤さんは分かり易い焼き餅を焼くけどね。清次郎さんは普段、溜め込んでいる分、爆発すると凄いぞ」
「知ってて何で嘘つかせたんだよ。俺、本気で骨折るんじゃねぇかとヒヤヒヤしたぜ」
 殺気だった清次郎の、本気の締め上げは凄かった。青い目は鋭く尖り、体中に力を漲らせていた。
 あれが侍なのかと、思った。闘いに挑む時、いつも清次郎の目はあんなに鋭くなっていたのだろうか。
 侍の時代は分からないけれど、紫藤を守ってきた清次郎だ、俺や七海が知らない顔がもっとあるかもしれない。
「あんま清兄怒らせんなよな」
「彼が望んだことだ」
 前を向いたまま運転している、伊達の後頭部を見つめた。バックミラーに移る伊達の目線が一瞬、武藤高志の方を見ている。
「どうしてもあの子の側に戻りたい、ってね」
「それと清兄の焼き餅と、関係あんの?」
 信号が赤に変わり、伊達がブレーキを踏んでいる。ハンドルに右腕を乗せ、体ごと俺と七海を振り返った伊達は、ダンディおじさんらしく優雅に片目を瞑った。
「内緒だぞ? 武藤君がまだ、來夢君を好きだっていうことは」
「嘘つく理由は?」
「來夢君は、自分を好きな男を許さないからだ」
 青信号になったからだろう、伊達はスムーズにアクセルを踏んだ。運転が上手いのか、あまり揺れない。
 運転しながら長い腕を伸ばした伊達は、俯いていた高志の肩をポンッと叩いている。
「どんなに腕が良くても、自分を好きだという男を側には置かない。だから武藤君は、思わず告白した夜に追い出されてしまったんだよ」
「……すんげー苛立ってたもんな」
「……うん。怖かったね」
 思い出した七海が俺のつなぎを握っている。俺達まで暗くなりそうだ。
「側に戻るには、他の人を好きになったと思わせるしかない。手っ取り早く紫藤さんを選んだというわけだ。彼なら美人だしね。清次郎さんの凄まじい焼き餅が決定打にもなるし」
 フッ、とバックミラーに映る笑った顔が、どことなく楽しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「あとは君が、紫藤さんを褒めて、來夢君に気持ちを悟られないようにすれば、側に居る事はできるだろう。君の腕は認めているからね」
「……はい、頑張ります」
「間違っても、可愛いからって抱き締めちゃ駄目だぞ? キスなんてしたら二度と戻れない。側に居るだけだ。良いね?」
「……はい」
 力なく頷いた高志は、そのまま重い空気をまとって黙り込んでしまった。食べている途中だったポテトチップスを一旦止めて、チョコレートを取り出した俺は七海にも一つあげた。
 甘い、甘いチョコレートを頬張った。大人の話に、子供の俺達が混ざってはいけない。なんとなく思って見守った。
 車は駅の方へ向かっている。駅の近くの歩道に車を寄せると停めた。項垂れている高志の肩を軽く叩き、笑っている。
「後は君次第だ」
「はい……色々とありがとうございました」
 頭を下げた高志は、車から降りると肩を落として歩いていく。数秒見守った伊達は、後ろに並んだ車のために発進した。
「さ、展望台へ行こうか。今日は良く晴れているから、遠くまで見えるぞ」
 車の方向を変えた時、最後にまるまった高志の背中が見えて。
「あのおっさん、大丈夫かな」
 後ろを振り返り、遠くなる背中を見守った。七海も一緒に振り返ると小さく頷いた。
「恋をすれば、必ず報われるわけじゃない。失恋する時だってある」
「そりゃそうだけど……」
「好きになってもらえないと分かっていても、側に居たいと彼は言った。今後どう気持ちを切り替えていくかは、彼次第だ。君達がそんなに眉を寄せても仕方がないさ」
 そう突っ込まれ、自分の額に手を当てた。確かに眉を寄せていたのか、皺になっている。
 後部座席に体を沈み込ませた俺は、はふっと大きく息をついた。
「ま、そうだな」
「……うん。でも頑張って欲しいね」
「難しいとは思うけどな」
 俺達子供が心配しても仕方がない。伊達の運転する車は徐々にスピードを上げ、国道を走っていく。
 冷房の効いた車内とは違い、外は熱さで陽炎がたっていた。ユラユラ揺れて見える道路をくぐるように車は走っていく。
 ラヂオのスイッチを入れたら、今流行りの音楽が流れてきた。最近、歌番組で見かけるようになったアイドルグループの歌が軽快に流れている。
 ミニスカートを履いたアイドルの姿を思い出しながら、クーラーボックスに入れてあったコーラを開けた。七海はオレンジジュースを開けている。
 伊達が用意してくれたお菓子やジュースを遠慮なく食べていた俺達を、ふと、バックミラー越しに見つめてきた。
「なあ、君達は……」
「何?」
「はい?」
 シュワッとする炭酸をゴクゴク一気に飲んでいく。炭酸に負けず何口いけるか、いつも俺は試していた。今日は良い調子だ。半分まで一気に行こう。
 頭を傾け、一気飲みをする俺に、伊達はサラリと言った。
「キスしたの?」
 と。
 傾けていた顔のままコーラを噴いてしまう。
「……ぶほっ!! ゴホゴホッ……いてっ……! 鼻入った!!」
「た、達也君、大丈夫!?」
 咳き込む俺に、伊達はああ、と笑っている。
「間違えた。キスしたことあるの?」
 にこりと、笑ってる伊達の頭をわし掴む。
「おっさん、そのからかい方大人げねぇし!」
「こらこら、運転ができないぞ」
 快活に笑う伊達の頭をひとしきり振った俺は、濡れた口もとを拭う振りをしながら顔を隠した。顔が赤くなっているのが自分でも分かる。ゴシゴシこすって誤魔化す俺に、七海がハンカチを差し出してくれた。
「大丈夫? 鼻、痛くない?」
「へ、平気だって」
 俺の顔を確認する七海から逃げるように、ハンカチで顔を隠した。絶対、笑っているだろう伊達を見ないよう、バックミラーからも顔を逸らしてしまう。
 何てことを聞くのだろう。まるで七海とキスしたことがあると、確信しているかのような聞き方だった。
 確かに、ある。
 七海の言霊のせいだけれど。
 小さくて、赤い唇と。

 俺は……。

「…………!!」
 何を思い出そうとしているのだろう。伊達のペースにハマリ掛けている。
 ハンカチの中で何度も深呼吸し、バクバク鳴っていた心臓を落ち着かせる。相手のペースに乗ったら負けだ。伊達は更なるからかいを仕掛けてくるだろう。
 冷静になれ、冷静になれ、と自分に言い聞かせた。このままでは七海に気付かれかねない。
 なんとか心を落ち着かせ、心拍数を戻し、ハンカチから顔を出した俺に、伊達はなおも笑っている。
「可愛いな~。青春だな!」
「……おっさん、古くせぇ!」
「達也君、おっさんって呼んじゃ駄目って、清兄さんが言ってるでしょう?」
「このおっさんはおっさんで良いんだよ! 俺のことからかってばっかだし!」
「もう……駄目だよ?」
 ポンッと膝を叩かれ、顔を覗き込まれた。
 ふんっと顔を背ける。
 七海の顔をまともに見ることができない。
 膝に乗った七海の手に、体が緊張してしまう。

 くそっ……可愛い!

 せっかく引いた赤味が戻ってきてしまう。唇を噛み締め、必死に平静を保っていた俺は、吹き出す伊達の声にハッとなった。
「あっはっはっ! か、可愛い……可愛い!」
「……う……うるせぇよ!!」
「伊達さん?」
 未だ俺の膝に手を乗せたまま、七海が首を傾げている。その手をそっとどかし、運転している伊達の首に腕を回して締め上げた。
「この……! あんたが居ると調子狂うんだよ!」
「まあまあ、落ち着いて」
「余裕ぶってんじゃねぇぞ!?」
 俺が締め上げるせいか、伊達の運手が少しフラついた。蛇行しているけれど構わず力を入れていく。
 からかわれてばかりはいられない。反撃に出た俺の背中を、何かが覆った。
「達也君、危ないよ!」
 俺の背中を覆っているのは七海だった。俺を引き離そうとしがみ付いている。
 腰に、細い両手が回り、引き離すというよりも、抱き付かれているようで。
「…………!」
 伊達の首に腕を回したまま固まってしまう。
「達也君、運転中は危ないよ!」
 グリグリ、グリグリ、七海のおでこが肩に当たる。サラサラしている彼の黒髪が、頬を擽った。
 わなわな、わななわ、俺の腕が震えてしまう。
 伊達の首を締め上げていたはずが、助けを求めるようにしがみ付いてしまう。
「…………ぶふっ!」
 吹き出した伊達は、慌てて方向指示器を点灯させると車を左に寄せて停まった。ハンドルから両手を離し、俺の頭をグリグリ撫でてくる。
「うん、可愛い!」
「……う……うるせぇ」
「ほら、二人とも、席に戻って。もうすぐ着くからね」
 動けなくなった俺の代わりに、七海を先に座らせた。緊張から解放された俺も、大人しく席に戻る。腕を組み、足を組み、そっぽを向いて見せたけれど。
 心臓は激しく鳴っていた。抱き付かれた背中が熱くてたまらない。
 今までだって何度も七海に抱き付かれていたのに。
 好きだと意識してからは、七海に触れられると緊張して仕方がない。
「分かってるよ、葵。ほどほどにしておく」
 右耳を押さえ、小さな機械で話した伊達は、バックミラー越しに俺を見てにこりと笑って見せた。
 俺はふんっとそっぽを向いて応えてやった。
 その頬は、どうしても熱くなって仕方がなかった。


***


 伊達が運転する車は、少し渋滞に捕まったものの、目指す展望台の麓にある駐車場に停めることができた。展望台まではここから歩いていくらしい。
 早速、車を降りようとした俺達に、伊達がスッと野球帽を差し出した。
「夏の日差しは強いからね。被って行きなさい。それと七海君はこれに履き替えて」
「どうしてですか?」
「展望台までは山道になるからね。虫が多いところもあるから。達也君はこっち」
 テキパキと荷物から俺達の着替えを出してくる。七海の半ズボンは長ズボンへ、俺のつなぎは却下され、ジーパンに履き替えた。
 俺も七海も上は半袖ティシャツだったのに、その上から薄手の長袖を着せられる。ジッパーで前が開くとはいえ、暑い。
「上はいらねぇし」
「ダメ。大人の言うことは聞くものだよ」
 ポンッと頭を叩かれ、しぶしぶ上着を羽織った。外は出なくでも分かるくらい暑そうなのに何で上着が要るのだろう。
 着替え終わった俺達に、伊達は車を降りると何かを向けた。
「はい、笑って」
「はっ?」
「ダメダメ、眉間に皺、寄ってるぞ。はい、笑って~」
 伊達はムービーカメラを回していた。車から降りた俺達を撮っているようだ。
「どうしたんだ、それ」
「清次郎さんに頼まれたんだ。君達の様子を撮ってきて欲しいってね」
「へ~。つか、こんなとこで撮っても面白くなくね?」
「練習だよ。いざと言う時の瞬間を撮り逃さないためにね」
「んだよ、いざと言う時の瞬間って」
「まあ、任せて」
 自身も今日はラフな格好で来ていた伊達は、一旦、ムービーを止めている。片手サイズのムービーカメラを小脇に挟み、俺の胸元に何かを取り付けている。
「何?」
「俺がずっと側に居たんじゃ君達の青春が進まないだろう? 少し離れて見守るから」
「……会話盗み聞きするつもりじゃねぇだろうな?」
 不信感にジロリと睨めば笑っている。
「盗み聞きするつもりならコッソリ付けるよ。これは君の霊力をより正確に把握するためのものだから。声は聞こえない」
「霊力?」
「ああ。可愛い恋人の葵と、優秀な後輩心路君が君の霊力を計ってる。数値に変動があればすぐに行くから」
「……本当に声は聞こえないんだろうな?」
「疑い深いな。聞いて欲しいなら側に居るぞ?」
 笑っている伊達の言葉をどうしても素直に信じられなかった。七海に恋していると確信している伊達のことだ。聞こえないと言って、本当は聞くつもりかもしれない。
 ぶすっと頬を膨らませた俺にクスクス笑いながら、親指くらいの小さな機械を取り付けた伊達は、右耳を押さえている。
「良いのか? 分かった」
 耳に仕込んだ機械で恋人の葵と話した伊達は、それを俺の耳に填めてくる。耳に填まった機械から、声が流れてきた。
【達也君?】
「……うおっ! 声が聞こえる!」
【初めまして、三村葵です。隊長がからかってばかりでごめんね?】
「お……おう、どう致しまして……って……」
 葵と言う人は、伊達の可愛い恋人のはずだ。
 何度も何度も、俺と七海に自慢していた。
 俺の可愛い恋人のオススメだと、美味しい物をたくさん食べさせてくれた。
 伊達の可愛い恋人葵。
 葵という名前に、女性だと思っていたけれど。
「……男!?」
【……うん、男】
 耳に聞こえてくる声は、線は細いけれど男性だった。申し訳無さそうに苦笑している声が聞こえてくる。
【隊長のせいで女の人だと思われてるんじゃないかって、出るに出れなくて……。ごめんね】
「……いや、べ、別に気にしてねぇし。蘭兄と清兄見てっから……」
「それにこの子の好きな……」
「おっさんは黙ってろよ!?」
 会話を聞いていたかのようなスムーズなツッコミを寸前で防いだ。伊達の口を両手で押さえる俺の耳に笑い声が流れてくる。
【隊長は君達が可愛いみたいで。ちょっと意地悪するけど、許してあげてね】
「……変なことばっか言うんだぜ」
【うん、聞こえてる。あ、それで、さっき隊長が付けた霊力測定器には、会話を聞く機能は本当に付いてないから。それを言いたくて】
 葵の言葉に、胸に付けられた小さな機械を指で押した。
「マジで?」
【うん。途中で外されちゃうと困るから。僕が保証する。だから外さないでね】
「あんたが言うなら……分かった」
 どこかでコッソリ剥がしてやろうかと思っていた心を読んだかのような葵。耳に填めた機械を伊達に返した俺は、彼のお腹に軽い一発を入れた。
「三村さんの言葉、信じっから。これ、付けとく」
「おや、酷いな。俺の言葉は信じられないと?」
「ったりめーだ! 行くぞ、七海!」
「え……ま、待ってよ達也君!」
 霊力測定器に会話を聞く能力が無いのなら、思う存分、七海と遊べる。伊達は離れて守ると言ったのだから、好きに遊ばせてもらう。
「目の届く範囲にしてくれよ!」
「うるせーよ!」
 伊達が側に居たのでは、七海に何を言うか分からない。走って距離を取った俺達は、展望台へと向かう山道に入った。
 人が歩いた道に草はなく、緩やかな坂道を登っていく。着せられた長袖が暑かったけれど、照りつける太陽の光が思いの外強く、直接肌に当たらないようにするためには長袖は必要だった。
 野球帽の鍔の影で目を守り、軽快に登っていく。俺も七海も、山道を歩くのは初めてだった。
「おい、七海! 見ろよ! ここ、結構高いみたいだぜ!」
「本当だ! 車で来たから気付かなかったね」
 山道の途中、視界が広がっている場所があった。噴き出す汗を拭いながら、眼下に広がる景色を眺めてみる。
 思い切り息を吸い込んだ。隣に立った七海も深呼吸している。
「空気が美味しいって、こういうことを言うんだね!」
「ああ! すんげー気持ち良い!」
 まだ、展望台まで距離があるのに、空気は澄んでいた。上はもっと気持ちが良いはずだ。
 小走りに山道を登っていく。途中見つけた何でもない花や虫に笑いながら俺達は登った。
 登って。
 登って。
 夢中で登って。
「…………やべぇ……まだか、展望台」
「……はぁ……はぁ……」
 山道は何度も蛇行しながら、緩やかに山頂へと伸びている。何で山頂まで真っ直ぐ伸びていないのだろう。
 汗だくの体が重たくなっていた。七海は肩で息をしている。
 ずいぶん汗を噴き出してしまったのか、喉が渇いて仕方が無い。
「おや、少年達。もう、ダウンかな?」
 引き離していたはずの伊達が、優雅に登ってくる。肩に荷物を掛けた彼は、その中からペットボトルを二本、取り出した。
「はい。スポーツドリンク。しっかり補給しなさい」
「……さ……さんきゅー」
「ありがとうございます……」
 クーラーボックスに入れていたのか、スポーツドリンクは冷たくて美味しい。一気に飲み干していく俺達に笑っている。
「山道の基本はゆっくり、確実に登ることだ。あんなにはしゃいで走っちゃもたないぞ」
「始めに言ってくれよ……!」
「俺の言葉は信じられない、だろ?」
 片目を瞑る伊達に、観念した。
「ゴメン……」
「ふふ、素直で可愛い。さ、もう少し先に茶屋があるから。そこのソフトクリームが美味しいらしいぞ」
 伊達に励まされ、今度は三人でゆっくり歩いて登った。
 背の高い伊達が作ってくれるゆっくり速度に導かれながら、俺と七海はきついけれど、ワクワクが止まらない山道を楽しんだ。
 下ってくる他の客達となんとなく会釈するのも楽しい。知らない人達なのに、「こんにちは」と言われたら返してしまう。
 時々見つける開けた視界を目に焼き付けながら、伊達が言っていた茶屋に辿り着いた。休憩場所になっているのか、結構な人が居た。
 茶屋の周りは自然に生えている木が、涼しい木陰を作っている。頬を撫でる風もひんやりとしている。
「何が良い?」
「俺、メロンクリームソーダ!」
「僕は普通のソフトクリームが良いです!」
 茶屋は人気店なのか、人が並んでいる。その最後尾に並んだ俺達は、噴き出してくる汗を拭いながら待った。
 やっと順番が来た時、伊達が俺達の希望通りに買ってくれる。自分にはアイスコーヒーを頼んでいた。
 伊達を挟んで立っていた俺と七海。それぞれに受け取ると空いたベンチへ向かって走って行く。
「転ぶなよ?」
 笑いながら歩いてくる伊達より先に座った俺と七海は、すぐに溶けようとするソフトクリームを頬張った。
 泡が立つメロンソーダに混ぜながら食べる俺と、溶ける場所から舐めている七海と。
 見つめて笑った伊達は、鞄からムービーカメラを取り出すとスイッチを押している。
「さ、笑って~」
「んなこと言っても笑えねぇっつーの」
 笑えと言われて笑えるか、思いながら冷たいメロンソーダを飲み干していく。七海も溶ける前にソフトクリームを食べつくそうと必死だ。
 そんな俺達を撮りながら、アイスコーヒーを飲んだ伊達は、一瞬、目を細めた。
「……本当か?」
 呟き、耳を澄ませている。耳に填めた機械から、葵の言葉を聞いているようだ。
「…………そうか。分かった」
 伊達は小さく返事をすると、気を取り直したかのように笑った。
「キスしちゃっても良いぞ?」
「……ばっかじゃね?」
 急に何を言うのだろう。ふんっ、と鼻を鳴らした俺に笑っている。
「七海君、チュッてしてあげたら?」
「……ぇ?」
「七海を巻き込むな! つかおっさんうるせぇし!」
「つまんないな。良いじゃないか。チュッて」
「……しつけぇ!」
 ムービーカメラに指を突き付け怒鳴る俺に、伊達はサラリと言った。
「ここでキスした恋人達は、永遠に一緒になれるらしいぞ?」
 と。
 突き付けた指が、思わず揺れてしまう。
「ね?」
 さあ、どうぞ、と言いたそうな伊達の爽やかスマイルが本当にムカついた。
 俺と七海はまだ、友達だ。七海は友達だと思ってくれている。
 そんな彼にキスなんてできるわけがない。
「……恋人同士の話だろ?」
「友達だってご利益があるかもしれないだろう?」
「男友達同士でするやついるかよ」
 な、と七海を振り返る。ソフトクリームを見つめていた七海は、小さく頷いた。
「……そう……だよね。僕達、友達だもんね」
「そうだよ! おっさんの言葉に騙されんなよ?」
 七海が気にするといけない。友達アピールをした俺は、残りのメロンクリームソーダを飲み干した。
 シュワシュワと弾ける炭酸が喉を刺激し、スッキリした俺の頭をどうしてか伊達がわし掴む。
「……可愛いが、罪だぞ?」
「は?」
「まあ、こういったことは自分で気付かないとな?」
「……んだよ、それ」
 訳が分からない。グリグリ頭を撫でられた俺は、七海との間に挟み込むようにして座った伊達に首を傾げた。
 伊達の大きな手は、俯いた七海の頭をポンポン、叩いていた。
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