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第一幕
奇ノ四十一『激情』
しおりを挟む白いシーツは清潔感があった。
ベッドは大きく、ゆったり眠れるサイズで。
こんなベッドに飛び込んで眠れたら贅沢だろうに。
普通の状態なら憧れる。
でも。
「は……離せって……!」
「おや、気持ち良くありませんか? たっぷりサービスしているのですがね?」
チャックを下ろされたつなぎは、半分脱げ掛けていた。肩から脱がされたつなぎが腰の方でわだかまっている。袖を脱がされたら終わりだ、両腕を広げて抵抗する。
捲られたティシャツが胸の辺りに丸められ、出てきた俺の胸に、剣の舌が這っている。突起を舐めては、俺の腹が反射的にへこむのが可愛いと笑っている。
トランクスはずり下げられていた。出てきた俺のモノに手を絡め、軽く撫でるように動かしてくる。緩やかな刺激が、少しずつ俺の体を蝕んでくる。
「反応が初ですね。自分でしたことはないのですか?」
「う……うるせー! 関係ねぇ……あっ!」
ギュッと握られ、瞼を堅くつむった。額に生温かい感触がする。吸い付くようなキスをした剣は、首筋にもキスを仕掛けてくる。
「いたっ!」
「ん……可愛い」
「痛いって……! 何してんだよ!?」
首筋の数箇所がピリピリしている。彼がキスをする度にだ。何をしているのだろう?
「キスマークも知らないんですね。教えがいがあります……ふふ」
サラリと流れ落ちてきたブランウンの髪をそのままに、また俺の胸に舌を這わせてくる。さっきから何度も逃げ出そうと彼を押しのけているのに、俺の抵抗なんてまるで効かない。
深いキスで腰が砕けたからか、手に力が入らない。彼が好きなように服を剥かれていく。
髪に隠れて見えない彼の顔が、近付いては離れる。耳に軽く触れた唇が囁いた。
「つなぎも色気があるものなんですね。脱がせがいがありますよ」
「マジで……勘弁してくれって……! あんた恋人が居るって聞いてんぞ! おかしいだろ、こんなの!」
「口の利き方がなっていませんね。悪いお口に甘いお仕置きです……」
まずい、思った時には唇が重なっている。またぬるりと舌が入り込んできた。体重を掛けられているせいか、奥まで入ってくる。
息苦しくて、目尻に涙が滲んだ。何とか鼻で息をするけれど、口内を動き回る舌が、規則正しい息をさせてくれない。
体がベッドに沈んでいく。力を抜かれた俺の体から、つなぎがズルズルと下ろされていく。このままでは裸にされてしまう。
裸にされるだけではないかもしれない。男と付き合っている人だ、一希にセクハラしている人だ。
俺もきっと、セクハラされる。
「んん……んん――! ん……んぐっ……!」
こうなったら噛み付いてやる。舌を噛めば痛みに跳ね起きるだろう。
どうにか彼の舌を噛もうと、舌で押しのけようとするけれど。歯の内側、敏感な肉を舌先でなぞられると力が抜けてしまう。
抵抗できないままに、とうとうつなぎから袖を抜かれていた。捲られたティシャツが脱がされてしまう。暑いからと、下に何も着ていなかったせいで上半身が裸になってしまった。
「……ん……もっと……肉付きを良くした方が良いですよ……? おや……こんなに唾液を溢れさせてはしたない」
「ぁ……はぁ……はぁ……」
「ちゅっ……ん……なかなか良い味です」
口の端から溢れ出た唾液を舐め上げてくる。半分はあんたのだ、と文句を言いたいのに、口が動かない。涙で視界が揺れている。
体が痺れてしまったようだ。つなぎはもう、腰まで脱がされていた。柔らかいシーツがむき出しの背中に当たっている。
動かないと危ない。
俺は男だ。
抱かれるなんてごめんだ……!
思うのに、汗ばんだ体を起こせない。
引き下ろされていくつなぎを止める事もできない。抱き込まれ、なすがままに震えていた時、腰の辺りで振動が起こる。
つなぎのポケットに入れていた携帯電話が鳴っている。特別機関に入る前にマナーモードにしていたから、バイブが振動している。
ジュースを買いに行っただけなのに、帰ってこないから心配した誰かが掛けてくれたのだろう。
振動で一気に正気に戻った。剣に取られる前に、ポケットから携帯を取り出し通話を押した。誰でも良い、叫んでいた。
「た、助けてく……んん――!」
「ん……んふっ」
「うぐぅ……んん――んん――んん――!!」
塞がれた唇は、なかなか言葉を話せない。電話を掛けてくれたのは誰なのか。切れないよう携帯を握り締める。
〔達也? どうした? 今、どこに居る?〕
声から清次郎だと分かる。察しの良い彼なら気付いてくれる可能性は高い。
剣の部屋だと、一言言えばきっと気付いてくれる。角度を変えて重ねられる唇をどうにか避けようと顔を背けた。
早くしないと切られてしまう。焦る俺のモノに、剣の大きな手が直に触れる。暴れていた足を押さえ込むように、体重を掛けてきた。
何を、思った時、激しい勢いで擦られた。目の前がチカチカするほど、急に刺激が強くなる。知らない何かが押し寄せてくる。
「んん……ふあっ……あっ……あっ……何!? やめっ……ああ……!!」
唇は外れ、抑えられない声が出てしまう。握っていた携帯が手から離れた。激しく擦ってくる剣の手を止めたくて、両手で押さえるけれど止められない。
体がおかしくなる。
体が熱くてたまらない。
涙が流れ落ちていく。
「やめっ……止めてくれって……!」
「素直にイッって良いんですよ」
「やだ……嫌だ……!!」
何が何だか分からなくて、剣の肩にしがみ付いた。填めていた赤いピアスごと、耳たぶを含まれる。
優しいキスを耳たぶにするくせに、下は激しく攻め立ててきた。腰が震え、涙が止まらない。覆い被さるように抱き込まれた胸の中で、カタカタ震えてしまう。
絞るように握られた時、我慢できずに達した。溢れた白濁が密着していた剣の黒いスーツに掛かる。
「あぁっ……ぁ……ぁ……っ……!」
体に回された両腕はきつく、全体重を掛けられる。べっとりと白濁が彼の体に付いても、離れなかった。知らず握り締めていた彼のスーツは、皺が寄っていた。
達した余韻で、体は情けないほど震えてしまう。初めて会った、それも男の前で、なんて恥ずかしいのか。
嫌なのに、感じさせられた体は、なかなか動いてくれない。抱き込まれたまま、流れる涙を止められない。しがみ付いていたせいか、彼のスーツは俺の涙で濡れている。
息を整えよう、まずは冷静になろう。
剣が動き出す前に、震えている手に力を入れなければ。もっと酷いことをされるだろう。
これ以上、好き勝手にされたくない。
薄暗い天井を見上げ、剣がどう動くかと緊張していたけれど、彼は動かなかった。
俺を抱きこんだままじっとしている。さっきまであんなに好き勝手に動いていた人が、壊れた玩具のようにじっとしている。裸の肩にも、キスをしかけてはこない。
線香の香りが、また俺の鼻を擽った。
「……た……隊長?」
声を掛けても、剣は動かない。顔を隠すように、じっとしている。セクハラな手は、俺の腰に回されたまま、動くことはなくなった。
震えていた体が、少しずつ落ち着いてくる。上がっていた心拍数が戻り始めると、剣の髪から香る線香の匂いがますます感じられるようになった。
息苦しい剣の胸の中、涙も止まる。
感じる、彼の鼓動。
早鐘のように響いてくる。
心配する義理はないし、そんな必要もないし。
むしろ喚きたいくらい怒りがあるのに。
言葉が出てこなくなる。
何でだろう。
「……泣いてんの?」
彼が泣いているような気がして。震える手で、背中を撫でてみた。
いきなり変な事をされたのに、今すぐ蹴り飛ばしたいのに、不思議と俺の気持ちは落ち着いた。柔らかそうな髪を撫でてみる。俺の体に響く鼓動を、どうにかしてやりたくなる。
この人が、子供に思えた。
泣いていたのは俺だけど。
剣はもっと泣いているように見える。
こんな事をしたのには、何か理由があるのかもしれない。思って顔を上げさせようとした時、部屋のドアが開いた。
カードキーも無いのにどうやって開けたのか、数人の足音が荒々しく入ってくる。
「達也!!」
先頭切って入ってきたのは紫藤だった。ベッドの上で折り重なる俺達を見つけると、目がつり上がっていく。背中を見せていた剣のスーツを引っ掴むと、力任せに引っ張った。
無抵抗に引っ張られた剣が、ベッドから引きずり下ろされる。彼が居なくなると、俺の姿が晒された。頬に涙を残したまま、ほとんど裸に近い姿を見られてしまう。
「……な……何と言うことを……!!」
「達也!」
フルフル震える紫藤の脇から、素早く清次郎が駆け寄ってくれる。脱がされていたつなぎを引き上げ、肌を隠してくれた。
その間近にある青い瞳が、赤く染まっていくかのようだった。いつも温和な清次郎の瞳が、鋭く尖っていく。俺を守るように手を広げながら、動かない剣を睨み据えている。
「達也君……!」
半泣きの七海が、体を起こせない俺を手伝ってくれた。ようやく起き上がれた俺が見たのは、手を振り上げている一希の姿だった。
大きな手が振り上げられ、振り下ろされる。
パンッと、空を切る音がすると、剣が横倒しになっていた。白い頬が真っ赤に染まっていく。一緒に入って来ていた心路が、剣の前に飛び出した。
「何をするんだ!」
「どきなさい、心路」
「あんたの指図は……」
「どきなさい!」
一喝した一希の鋭い目は、心路の言葉を封じた。克二と初音が心路の手を取り、剣から離れさせている。
倒れた剣を見下ろした一希は、俺の方を向いた。鋭い目は、もっと鋭く尖っている。
「すまない、達也君。どうお詫びしても取り返しが付かないことをした」
「……俺……」
「私の部屋のカードキーだ。シャワーを使ってくれ。着替えもある」
清次郎が出した手に、カードキーを乗せている。清次郎と視線を合わせた一希は、静かに頭を下げている。
俺に背中を見せている清次郎は、大きく息を吸い込み、吐き出した。背中から感じていた怒りが、少し収まったように肩が僅かに下がる。
けれど。
「許さぬ……詫びて済む問題ではないぞ!! ようも達也を……!!」
引き下がろうとした清次郎の代わりに、紫藤が詰め寄って行く。長い白髪がぶわっと広がり、怒りを滲ませている。空気がピリピリと震え、肌を刺すほどの殺気に満ちている。
歩みより、剣の襟を掴もうとした手は、一希の大きな手に阻止された。
「私に任せてもらえませんか?」
「ならぬ!! 仕置きせねば気が済まぬ!!」
「承知しています。ですが少しだけお時間を下さい。後で必ず、本人から謝罪させますので」
身を捩り、手を振り、一希の手を振り解こうとしたけれど、力では完全に一希が上だった。紫藤を抑え込み、清次郎の手に渡している。
暴れる紫藤を抱きこんだ清次郎は、俺を振り返る。
「歩けるか?」
「……な、何とか……」
「とにかくシャワーを浴びよう、な?」
「……うん」
七海の手を借りて、ベッドから降りてみた。足がカクカクしているけれど、どうにか歩けそうだ。肩を貸してくれた七海が鼻をすすりながら支えてくれる。
「これ、清次郎! 離せ! 達也が可愛いくはないのか!?」
「一先ず北条様にお任せしましょう」
「離せ……離せ清次郎!!」
紫藤の怒気が空気を震わせた。見えない力に押された一希が一歩、よろめいたけれど、剣の前から引かなかった。
剣の部屋に飾られていた置物がカタカタ揺れている。肌を刺すほどの怒気に、臆することもなく清次郎が担ぎ上げた。
「一旦、お預けします。されど、紫藤様のお怒りは相当なものです。お覚悟を」
「はい」
「……俺も、それほど甘い人間ではありませんので」
喚く紫藤を担ぎ上げたまま、清次郎が静かに剣を見つめた。その青い瞳は、鋭利な刃物よりも怖かった。今まで清次郎に怒られたことが何度もあったけれど、これほど怖い清次郎は初めて見た。
俺のことで、二人がとてつもなく怒っている事はひしひしと分かる。俺だって、冗談じゃないし、喚いて怒鳴って殴りたいと、さっきまでは思っていたけれど。
一希にひっぱたかれて倒れたまま、剣はピクリとも動かなかった。顔に掛かっているブランウンの髪から、目が開いているのが見えているのに、言い訳さえしなかった。
まるでこうなることを望んでいたかのように、無抵抗で。
先に紫藤を連れて出て行った清次郎の後を追いながら、背中を守るようについてくる一希に囁いた。
「……あんま、怒んないでやってくれよな」
「達也君……」
「なんつーか……わかんねぇけど……ほどほどに」
フラリと傾いた体を抱き止めてくれた一希は、大きな手で一度、頭を撫でてきた。視線が絡まったけれど、彼は何も言わず、そっと俺の背中を押して部屋から出るよう促した。
七海に支えられながら部屋を出れば、廊下で清次郎の肩の上に担ぎ上げられている紫藤がジタバタと暴れている。どうにか戻ろうとしているようだ。白髪がかなり広がってしまっている。
「降ろせと言うに!」
「お静かに、紫藤様。達也、とにかくシャワーを借りよう」
清次郎に呼ばれ、一希の部屋に通される。四人で中に入ると、ようやく紫藤を肩から下ろした清次郎は、駆け出そうとした手を捕まえた。どんなに振り回しても放さない。
「お主は悔しゅうはないのか!? 達也に手を出すなど……!」
「俺とて腸が煮えております! されど、北条様の顔を立てて下され! 北条様には達也達を助けて頂いた恩があります!」
「だが……だが……!!」
顔を真っ赤にした紫藤は、握り締めた手を震わせた。唇を噛み締めている。掴まれていた清次郎の手を外すと、いきなり俺を抱き締めてきた。
まさか紫藤に抱き締められるとは思わなくて、体が強張ってしまう。
「ちょ……! ら、蘭兄!?」
「怖かったであろう……! 後で八つ裂きにしてくれる……!!」
ひしっと抱き締められ、硬直した。頭まで撫でられてしまう。
俺の緊張に気付かない紫藤の手が、何度も俺の頭を撫でた。労わるように背中をポンポンと叩かれてしまう。
顔に掛かる紫藤の白髪に、恥ずかしくてたまらなかった。顔に血が昇る。
「……紫藤様、達也が困っておりますぞ。はよう体を洗わせてやりましょう」
「おお、そうであったな」
ようやく離してくれた紫藤は、俺の顔を覗きこんでは頭を撫でる。普段、絶対にない行動に、どう反応して良いのか分からない。
剣にキスされたことも、体を触られたことも、忘れてしまいそうなほど恥ずかしい。
「だ、大丈夫だって……」
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「紫藤様、その辺で。達也、一人で入れるか?」
もう一度俺を抱き締めようとした紫藤を止め、清次郎がそっと割り込んでくる。何度も頷いて見せた。
「平気だって! ちゃっちゃと入ってくる!」
「ああ。ここで待っているから。ゆっくりで良い」
「私が洗ってやろう!」
鼻息荒く言い放った紫藤に、俺だけでなく清次郎の目も丸まった。付いて来ようとする紫藤に、どう止めたら良いかと戸惑っている。
紫藤と風呂なんて、絶対に駄目だ。
何となく駄目だ。
顔が引きつった時、視界の端に七海が映る。
「な、七海と入るから! 蘭兄はここで見張っててくれ! な! な!!」
手を伸ばし、泣きながら鼻をすすっていた七海の手を握る。そのまま風呂場に直行した。
「何ぞあれば呼ぶのだぞ!」
「分かってる!」
紫藤の声を聞きながら、脱衣所に滑り込んだ。どっと疲れが出てしまう。大きな溜め息をついた俺の背中を七海が撫でてくれた。
「蘭兄さん、とっても心配したんだよ」
「分かってる」
「僕も……!」
じわりと涙を滲ませた七海に抱き付かれた。今日は良く、抱き付かれる日だ。
「とにかくシャワーが先だ。早く洗いてぇし」
「うん、背中洗ってあげる」
「おう、頼む」
落ち着いてくると、体中にキスされたのが気になった。一刻も早く洗い流したい。
つなぎを脱ぎ捨て、トランクスを放り投げると、先に浴室に入った。シャワーを捻ると、生温い水が噴き出す。口を開けて水を受け止め、口内を漱いだ。
剣にキスされ、舌を入れられたことを思い出すと、体がざわついてしまう。念入りに洗い流し、全身にもシャワーを浴びた。火照っていた体には、ちょうど良い温度だった。
七海も遅れて入ってくると、スポンジを手にしている。置かれていたボディソープを泡立て、擦ってくれようとした手が止まる。
「達也君……」
「何だよ?」
「この赤い跡……何?」
七海に言われ、自分の体を見てみるけれど。首の所なので良く見えない。壁に備え付けられている鏡で確認すると、虫刺されのような跡がいっぱい付いていた。
剣がキスした所だ。キスマークも知らないのかと、言っていたから。
「…………ちっ」
「達也君?」
「何でもねぇ」
丸椅子に座って背中を見せた。戸惑いながらも擦ってくれる。
七海に見えないよう、唇を噛み締めた。首筋の、見える所に幾つもキスマークが残されている。だから紫藤が興奮して怒っていたのだろう。
剣とのキスを思い出せば出すほど、体が火照る気がして。自分の太ももを抓って記憶を消そうとしたけれど、返って刻み付けられた舌の動きを思い出してしまう。
そして何より。
剣に見られてしまった。
俺だってまだ、数えるほどしか経験が無かったのに。あんなに激しく擦られたら、恥ずかしいとか思う余裕もなくイッてしまう。
他人に触られるだけでも屈辱的だったのに、イク瞬間まで見られるなんて。
「……やっぱ腹立つ!」
「達也君?」
「なあ、七海。後であいつにお座りって命じてくれよな! 股間踏んでやる!」
七海の言霊で動けなくし、仕返ししてやる。
何があったかは知らないけれど、怒る権利はあるだろう。
「……今回は僕も協力する!」
「おう!」
仕返しすることを思い浮かべ、どうにかこもりそうになる熱を遠ざけた。キスされた場所は念入りに擦り、洗い流してしまう。
あまり時間を掛けると紫藤が覗きに来そうだと、七海が言うとおかしくて笑えた。今日の紫藤は、完全に俺の味方になっているから。
綺麗に洗って浴室を出ると、清次郎だろう、着替えを置いてくれている。真新しいトランクスと、大きなシャツ、細身のジーンズが置いてある。
トランクスとジーンズは、どう見ても一希のサイズではなかった。誰のだろうと思いながら身に付け、部屋に戻れば紫藤と清次郎が待っていてくれた。
ぶかぶかのシャツだからか、首に付けられたキスマークがどうしても隠せない。紫藤の目が苛立ったように尖っている。
「清次郎、次は止めるでないぞ!」
「はい」
返事をした清次郎の青い目も、スッと細くなる。今度紫藤が暴走しても止める気は無さそうだ。むしろ、一緒に闘う、そういう目をしている。
「……なあ、七海。やっぱお座りはいいや」
「……うん」
俺が股間を踏み潰さなくても、二人がしてくれそうだ。
一希の部屋を出て、一旦、執務室へ向かった。トランクスとジーンズを貸してくれたのは克二らしい。どおりでサイズがほぼ、合っているはずだ。
明るい執務室に入ると、克二も、初音も、心路も、パソコンを覗きこんでいるところだった。
「……あ、達也君! 大丈夫?」
俺達に気付いた初音が駆け寄ってきた。付けられたキスマークを思わず隠してしまう。女に見られるのは恥ずかしい。
襟を立てた俺は、ふわりと抱き込まれていた。
「……なっ!」
「ごめんね! 隊長は変態だけど、こんな無茶する人じゃないの! 何かあったみたいなんだけど……まだ話さなくて……」
「だ……だいじょうぶ……だし」
「ごめんね。本当にごめんね」
初音より少し低いせいで、彼女の肩に顔が埋まる。大人の女の人に抱き締められたことはなく、まして頭を撫でられるなんて。
顔が赤くなってしまった。何だか良い香りもする。
本当に、これで何度目だというくらい、今日は抱き締められてばかりだ。
紫藤や清次郎と違い、初音は柔らかかった。意識するとますます顔が赤くなってしまう。自分から離して良いのか、離してくれるまで待った方が良いのか、分からなくて緊張した。
「……少し動いたよ!」
克二が叫ぶ。心路は画面に顔を付けるように寄せているし、何を見ているのか。
初音に手を引かれ、パソコン画面が見える場所まで移動する。心路の頭越しに見てみれば、さっきまで俺が連れ込まれていた剣の部屋だった。
「……うげっ。あんた……隊長の部屋覗いてんの?」
「デカブツが手を出してないか監視するためだ」
堂々と覗きを認めた心路は、食い入るように画面を見ている。
ベッド近くの映像が映し出され、その側にひっぱたかれたまま倒れている剣と、側にしゃがみこんでいる一希が映っている。
俺がシャワーを浴びている間、ずっとこうしていたのだろうか。二人は話すこともなく、じってしている。
〔隊長……〕
一希の声が少しダブって聞こえる。はっきりした映像と音声ではないけれど、会話は聞き取れる。動いた、というのは一希の方なのか、少し足を広げ、正座のようにして座っている。
〔最初で最後の機会です。今日、どこへ何をしに行ったのか、話して下さい。話してくれたら、一度だけ、慰めてあげます〕
「……なっ!! あいつやっぱり隊長のこと……!!」
心路が勢い良く立ち上がる。その肩を克二が押さえ、椅子に座らせた。
「待って! 兄さんはそんな人じゃない! それに……」
克二は画面を指差している。画面の中の二人は、あまり動かないままだ。相変わらず、剣は寝転んだままで。
「隊長が飛びつかない。それだけ……何かあったってことじゃないのかな」
「そうね。一希さんの精一杯の誘惑に、傾かないなんて」
「……え、あれって誘惑になんの?」
大人のことは分からないけれど、一希が誘惑している? 誘惑とは、服を脱いだり、キスを仕掛けたりするものだと、少ないエロ知識から情報を得ていた俺にとって、どの辺が誘惑になるのか分からなかった。
〔……隊長。何が……〕
〔ねぇ、一希〕
初めて、剣が動いた。ゆっくりと体を起こしている。一希にぶたれた左頬は、赤く腫れていた。本気で一発、入れたのだろう。
心路がチッ、と舌打ちしている。克二の手が押さえていなければ、すぐにでも走り出しているだろう。
画面の中の剣は、緩慢な動きで胡坐をかくと、顔に髪を張り付かせたまま笑った。
〔死んだんだって〕
剣は微笑んでいる。黒いスーツには、俺が付けた白濁が乾燥して張り付いていて、思わず顔を背けたけれど。
〔私を産んだ人〕
彼の言葉に、画面に視線を戻した。剣はまだ、笑っている。笑いながら、話し始めた。
その目が、笑っているのに、泣いているように見えた。
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