妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ三十八『空の下へ』

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 眩しくて、強い光が満ち溢れている。

 鬱陶しかった雨は上がり、代わりに鬱陶しいほど熱い日差しが照りつけている。

 鬱陶しいのに。

 毎年鬱陶しくて、暑くて、たまらなかった夏が。

 こんなに待ち遠しくなるなんて思わなかった。

「どうだ? できそうか?」

「ああ、問題ねぇ! すげー良い気分!」

「ふむ……」

 顎に手を当てる紫藤に応えながら、思わず笑ってしまう。嬉しくて、嬉しくて、笑いが止まらない。

 熱い光が照りつける庭に、俺は立っていた。

 両手を広げて光を浴びる。家の中に閉じこもっていたせいで、急に浴びた太陽の光に肌がピリピリしているけれど、構わず浴びた。

 太陽の光がこんなに気持ちが良いなんて。

 汗ばむ体もなんのその。

 待ち望んだ外の世界に、俺は今、立っている。

「……大事無いようだの。皆は見えるか?」

 隣に立つ紫藤に頷いた。紫藤の家の庭に集まる、霊達を見つめながら。幼い子供から、年寄りまで幅広い年代が集まっている。皆、俺をじっと見ている。

 紫藤達に出会う前は怖かった霊達だけれど、今はもう、怖くはない。ニッと笑って見せる。

「見えてる」

「そうか。皆はどうだ? 苦しくはないかの?」

 紫藤は庭に集まる霊に問いかけている。皆、何か言っているようだ。姿が見えても、声までは聞こえない俺は、光を浴びながら見守った。

「ふむ。お主の中に居る悪鬼の力は、漏れ出てはおらぬようだの」

 形の良い顎を摘んだまま、紫藤が俺の顔を覗きこんでくる。首を傾げたら、ポンッと頭に手を乗せられた。

「ようやった。悪鬼とお主の力と、区別がついておるようだ。清次郎!」

 少し後ろから見守っていた清次郎を振り返っている。その隣に立っていた七海も一緒に手招きした紫藤は、家の向こう、道を指差した。

「皆で出かけるとしよう」

 そう言った紫藤に、思わず掴みかかってしまう。

「マジで!? 外に出て良いのか!?」

「こ、これ! 苦しいではないか! 離さぬか!」

 紫藤の首を締め上げた俺にもがいている。興奮してしまった俺の手を清次郎が引き離した。

「落ち着け、達也」

「だって……! 外ってことは、この家から出るってことだろう!? 良いの!?」

「もちろん、私の側を離れることは許さぬぞ?」

 念押しする紫藤の声を、聞いてはいても耳から流した。

「……外に……外に出られる!」

 グッと握り拳を作り、両手を突き上げた。

「ぃやった――!!」

 飛び跳ねた俺に、清次郎が吹き出した。紫藤の襟元をなおし、笑っている。

「俺、出られるってさ!」

 七海の肩をバンバン叩いた。細い肩ごと抱きしめる。

「出られる……出られるんだ!」

「良かったね、達也君!」

「ああ!」

 紫藤の家に連れてこられてから、ずっと家の中で過ごしてきた。俺が外に出ると、まだ悪霊になる前の霊までもが影響を受けてしまうから。

 梅雨の間、我慢し続けた。

 梅雨が上がっても外には出られなくて。

 眩しい庭をいつも見つめるだけだったけれど。

 ようやく、ようやく以前のように外へ出ることができる。

「俺、ちょっと走ってくる!」

「馬鹿者! 調子に乗るでない!」

「良いじゃん!」

「ならぬと言うに! これ、清次郎、引き止めよ!」

 走りかけた俺は、清次郎の逞しい手に掴まれていた。簡単に引き戻されてしまう。

「達也、嬉しいのは分かるが、紫藤様の側を離れてはならぬ。お前を守るためにだ」

「分かってっけど……!」

「そう、慌てずとも良い。皆で買い物に行こう。な?」

 走り出したい俺を引き止め、宥めてくる。今すぐに、走りたかったけれど、心配されているのが分かったので大人しくした。

 ここで紫藤の機嫌を損ねては、せっかく外に出してもらえる機会を失ってしまうかもしれない。少し冷静になって頷いた。

「分かったよ。でも! すぐ行こうぜ!」

「ああ。さ、紫藤様、七海、出かける準備をしましょう」

「うむ」

 長い白髪を手で弾いた紫藤は、俺の顔をじっと見ると、ビシッと指を突きつけてきた。

「封印の珠の存在は常に意識せよ! 良いな?」

「おう!」

「うむ。では行くぞ」

 長い白髪を靡かせながら、家の中に戻っていく。俺は眩しい太陽を見上げ、両手を広げるともう一度光を全身に浴びた。

 生きている実感がわく。

 熱くて気持ちが良い。

「行こう、達也君」

「……ああ!」

 待ってくれていた七海と一緒に、一度家の中に戻った。

 でも、一秒でも早く外へ戻りたい俺は、携帯だけを引っ掴んで玄関に行く。

「早く行こうぜ!!」

「……せわしない奴だの」

 ぶつくさ文句を言いながらも、紫藤は来てくれた。待ちきれなくて玄関を開け放った俺に、慌てて駆け寄ってくる。

「これ、逸るでない!」

 白い手に握られながら、光が広がる世界を見上げた。

 紫藤に手を握られているけれど、そんなことはどうでも良いと思えるくらい、外の世界はあまりに眩しかった。



***



 清次郎が運転する車で向かったのは、大型デパートだった。時々ここで買い物をしているらしい。

 平日の昼だというのに、結構な人が溢れている。

 以前は人ごみがあまり好きではなかったけれど。人とすれ違えることが楽しく思えてならない。そわそわしてしまう俺の肩がポンッと叩かれる。

「達也、ちょっと良いか?」

 前を歩く紫藤と七海をチラリと見た清次郎は、歩きながら俺の耳に囁いた。

「お前、方向は確かな方か?」

「方向音痴じゃねぇってこと?」

「ああ」

「だいたいは大丈夫だぜ? 案内図もあるし」

「そうか。ならば紫藤様と七海を頼む」

 くしゃっと頭を撫でられた。見上げた俺に笑っている。

「俺は先に買い物を済ませてくる。二人を見ていてくれまいか?」

「良いけど」

「一通り遊んだら、最上階にあるフードコーナーで待っていてくれ。お金は紫藤様に渡しているからな」

 もう一度俺の頭を撫でた清次郎は、金髪を摘んでくる。根元が黒くなっていた俺の髪を。

 金髪だった髪は、今はプリンみたいになっている。引き取られてからずっと、染めることができなかったから。

 紫藤と清次郎に、ブリーチ剤を買ってくれとは言えず、伸びっぱなしになっている。地毛の黒が目立っていた。

「……まだ染めるか?」

 摘まれたまま聞かれた。

「……できれば」

「そうか。お前がそうしたいのなら、買ってこよう」

 くしゃくしゃ、頭を撫でた清次郎は、スッと離れていった。買い物籠を取りに行っている。

 てっきり反対されると思っていた。もう、黒髪に戻せ、と。

 広い背中を見送った俺は、言葉無く、俺という存在を認めてくれる清次郎に感謝した。俺が染めたいと思う間は、染めても良いと思ってくれている。

 正直、プリン状態を脱したかったから。こっそり買いに行くつもりだったけれど。気付いてくれた清次郎に任せて良いようだ。

 ブリーチ剤は大丈夫だから、どこを見に行こう。思い、前を行く紫藤と七海を追いかけようとした俺は、姿が見えなくなった二人に焦った。

「ちょ……! 何処行った!?」

 デパートに入るまで、散々、自分から離れるなと言っていたくせに、あっさり離れてしまった。清次郎の背中を見送っている間に消えてしまう。

 人ごみの隙間から長い白髪を探した。あんなに目立つ容姿だ、すぐに見つかるはずなのに。視線を走らせ、探すけれど見当たらない。

 歩き回り、探していた俺は、急に引かれた手に驚いた。

「これ、達也! 迷子になるでない!」

 紫藤の白い手が、俺の手を握っていた。

「あれほど離れてはならぬと申したのに、もう迷子とは!」

「……つかあんたがサクサク歩いて行くからだろうが!」

「意味の分からぬことを言うでない! ほれ、行くぞ」

 握ったまま引き寄せられた。歩く紫藤に、自然とついて行ってしまう。

「ちょ、手は離せよ! 恥ずかしいだろうが!」

「七海もしかと付いてくるのだぞ」

 見れば、紫藤の右手はしっかりと七海の手を握っている。左手は俺の手を握ったままで。

 俺達の手を握った紫藤は、気合を入れて歩いていく。

「清次郎からお主らを任されておるのだ。迷子になどなるでないぞ」

 ぐいぐい引っ張られ、付いていくしかない。

 すれ違う女や子供が、手を繋ぐ俺達を見て何か言っている。笑っている奴も居た。

 七海のように幼い顔ならまだしも、金髪に染めている俺が、大人に手を引かれているなんて恥ずかしいにも程がある。

「蘭兄! 目立つから離してくれって!」

「いつものこと故、気にするな」

「……んだよ、それ」

 ぐいぐい引っ張られながら、そっと周りを確認した。

 視線は無数に絡まってくる。こちらを見ては囁いているのは、若い女が多かった。

 繋がれている俺の手ではなく、視線の先は紫藤の顔に集中している。紫藤がふっ、と振り返ると、女達が一斉に歓声を上げている。

 目立っているのは紫藤一人だった。

「……あんた、いつもこうなのか?」

「美しい故、仕方あるまい」

「自分で言うな!」

 俺のツッコミに七海が笑う。紫藤に手を引かれたまま、七海をじろりと睨んでおいた。

「よし、着いたぞ! お主らも好きな物を選ぶが良い」

 そう言って、俺達の手を離し、しゃがみこんだ紫藤は熱心に何かを見ている。後ろから覗き込めば。

「……おいおい、マジでか?」

「蘭兄さん、玩具好きなの?」

 紫藤が見ているのは、子供が好きな玩具付きのお菓子だった。両手に一つずつ持ち、吟味している。

「何が良いかの。しばらく来ぬうちにずいぶん増えておるぞ!」

「いい歳してそんなもん買うのかよ!」

「分かっておらぬな! 組み立てるのが楽しいのだぞ!」

 手にした玩具付きお菓子を熱心に選ぶ紫藤に、心底呆れた溜め息が出てしまう。俺は普通のお菓子を買ってもらおう。

 紫藤にはここで待ってもらって、七海と一緒にお菓子売り場へ行こうとしたけれど。

「僕、これが良い」

「それも格好良いの」

「アニメのヒーローだよ!」

 子供が二人になってしまった。紫藤の隣にしゃがみこみ、ヒーロー物の玩具付きお菓子に目を輝かせている七海。

 これが良い、あれが良いと夢中になっている。

 大きな溜め息をついた俺は、ここから離れて俺は俺のお菓子を買いに行こうと方向を変える。

 でも、歩きだすことはできなかった。紫藤と七海を、清次郎から任されている。

 お菓子に夢中にいなっている二人を放っておくと、また勝手に歩き出しかねない。そうなると探すのが面倒だ。俺も久しぶりに外に出たばかりだし、悪鬼のこともある。

 仕方が無く、二人が終わるのを待った。これも良い、あれも良いと、両手に持っては返している二人を見守っていれば、紫藤がにこりと笑いながら振り返った。

「達也はどれが良いのだ?」

「俺は良いって。アニメに興味ねぇし。玩具で遊ぶ歳でもねぇからな」

「意地を張らずとも良い。これなどはどうだ?」

 紫藤はミニバイクの玩具が付いているお菓子を手に取っている。無理やり俺の手に握らせた。

 要らないと、押し返そうとしたけれど。箱に描かれていた絵が、結構興味をそそられた。

 精巧に作られたフィギュアとは違い簡単な作りだけれど、形はなかなか気に入った。いつか大型バイクに乗ってみたい憧れも手伝い、渡された玩具付きお菓子をまじまじと見てしまう。

「今時のガキの玩具はすげーな」

「うむ。達也はそれが良いようだな。七海も決めたかの?」

「うん!」

 立ち上がった紫藤に合わせ、七海も立っている。紫藤の手には組み立て式の玩具が、七海の手にはアニメのヒーローの玩具が握られている。

「買いに行くぞ!」

 そう言って、歩き出す紫藤にハッとなる。

「俺は別に……!」

「さ、二人とも離れずに付いてくるのだぞ」

 意気揚々と歩く紫藤に、バイクの玩具が付いているお菓子を戻すことができなかった。

 棚に戻してしまえば良い。買ったところで遊ぶような歳ではない。

 でも。

 手に収まる玩具付きお菓子を見つめ、握ったまま歩いた。一歩前を行く紫藤の長い白髪を見ながら付いて行く。

 レジまで運ぶと、紫藤が財布を取り出し払ってくれた。お金の使い方に慣れていないのか、子供用の玩具三つを買うのに一万円札を出している。

「足りるかの?」

 レジの店員に聞いた紫藤に苦笑してしまう。渡されたおつりを財布の隙間に無造作に突っ込んでいた。

 いつもは清次郎が払っているのだろう。袋に詰めてもらった玩具を満足そうに見ている紫藤にどうしても自然に笑ってしまう。

「さ、屋上に行こうかの。清次郎は見て回りたい物があると言うておった故、時間が掛かるであろう。何か食うて待っていてくれと言うておったでな」

「俺、焼きそば食いてぇ!」

「僕も食べたい!」

「うむ。確かあったはずだぞ」

 紫藤が先を歩き、俺と七海が付いて行くけれど。エレベーターがある方角とは違う方へ向かっている。

「蘭兄、そっちはちがくね?」

「縦に上がるのはこちらであろう?」

「あっちだって。ほら、見えてるじゃん」

 俺が指差せば、首を傾げている。紫藤が記憶した場所とは違っているようだ。

 清次郎が俺の方向感覚を聞いた訳が分かった。紫藤一人で歩いていたらきっと、迷子になるのだろう。

「行こうぜ」

 俺が先頭に立ち、歩いていく。少し見えていたエレベーターまで二人を連れていく。

 待っていた人の後ろに並ぶと、一人、また一人と振り返る。紫藤を見ては囁き合い、顔を赤く染めている。芸能人かもしれないと、俺の斜め前の女が隣の女に興奮気味に話している。

 やがて降りてきたエレベーターに乗り込むと、一斉に人が溢れた。先に乗った俺と七海がどんどん奥に押されていく。

「いって!」

 つんのめってしまい、エレベーターの壁に激突した。打ったおでこが痛む。七海は七海で、身長が低い分、大人に押し潰されている。息苦しそうに顔を歪めた。

「これ! 押すでない!」

 俺と七海を庇うように、紫藤が腕を突っぱねた。エレベーターは定員オーバーでブザーが鳴っている。ドア近くの数人が何とか乗ろうとし、中の人は押し戻そうとしている。

 紫藤狙いの女達が溢れていた。潰されそうな俺達を抱き込んだ紫藤は、押し合い、へし合いしている中を突き進み、エレベーターの外に出た。

 紫藤が外に出ると、つられたように女達も出てくる。ブザーが止まったエレベーターのドアは閉まり、上へと上がって行った。

「大事無いかの?」

 しゃがんだ紫藤が俺の額に触れた。結構な勢いで打ったせいで、少し赤くなっている。じんじんしている額に手を当てたまま、じろりと女達を睨んでいる。

「これくらい平気だって」

「こぶになってはおらぬな。七海も大事無いか?」

「うん。大丈夫」

 俺達の顔を交互に見た紫藤は、乱れてしまった白髪を手で掻き揚げ、立ち上がった。俺達の手をそれぞれ握っている。

「動く階段で行くぞ。息苦しゅうてかなわぬ!」

「蘭兄がもてすぎんだよ」

「仕方あるまい。美しい顔は変えられぬ」

「……性格はどうかと思うけどな」

 七海と顔を見合わせ、肩を竦めると笑った。紫藤に引っ張られ、やっぱり混雑してしまうエスカレーターで地道に上の階へと上がって行く。

 まるでプライベートで遊びに出て、見つかってしまった芸能人のように人が付いてくる。

 人並みを連れて屋上まで上がった俺達は、早速焼きそばをしている店の前まで歩いていく。屋上には、テーブルと椅子が並べられ、出店のように店が並んでいる。

 焼きそば屋では、若い女の人がテキパキと鉄板で焼きそばを作っている。長い髪を後ろで一本に編みこんでいる女は、まだ二十歳前後に見えた。

 腕は確かだろうか、香ばしい匂いに駆け寄った。

「いらっしゃい!」

「俺、大盛りな!」

「僕は普通で」

「うむ、私も普通だの」

 ジュースは何が良いか、七海と相談していると、ガシャンと派手な音が鳴る。見れば鉄板の上で器用に動かしていたヘラを落としている。

 焼きそば屋の女は、呆然と紫藤の顔を見つめている。

「蘭兄の知り合い?」

「知らぬ」

「姉ちゃん、焼きそば焦げっぞ?」

 そこそこの焦げなら香ばしくて好きだが、あんまり焦げると嫌だ。焼きそばが心配で声を掛ければ、慌てたように動き出す。

 素手で、鉄板に温められたヘラを握った。

「あつっ!」

「あったりめーだ! 早く冷やせって!」

 俺まで焦ってしまう。蛇口を捻り、手を冷やしながらも、焼きそば屋の女の視線は紫藤を追った。

 俺は焼きそばを見つめてしまう。ああ、どんどん焦げていく。

 見ていられなくて、手を突き出すと脇に置かれていたもう一つのヘラを取り、鉄板の上で動かした。何とか焦げ目を調節する。

「ああ! ごめんね! 貸して!」

 正気に戻った焼きそば屋の女は、冷やした手を庇いながらヘラを操っている。焼きなれているのか、なかなか手つきが良い。

 ソースを絡め、ジュワッと立ち上るなんとも言えない香ばしい匂いに腹が鳴る。

「青海苔は入れて良いですか? それとも鰹節だけにしますか?」

 出来上がった焼きそばをパックに詰めながら聞いてくる。

「俺は両方!」

「僕も」

「青海苔は好かぬ。鰹節だけにしてくれ」

 紫藤一人が青海苔を抜き、俺と七海はたっぷり入れてもらった。

 できたばかりの熱々の焼きそばを手にした俺達は、空いているテーブルを探した。できればフェンスに近い場所が良い。真ん中に座ると集まる視線に落ち着かなくなる。

 空いていたテーブルを見つけ、二人に先に行ってもらった。席を確保してもらっている間に、俺がジュースを運ぶ。焼きそば屋の女の人に、オレンジジュース二つにコーラ一つを追加して頼んだ。

「氷少なめ、中身多めにしてくれよ?」

「しっかりしてるわね」

 笑った女の人は、俺が頼んだようにしてくれた。こういった売店の場合、氷ばかりで中身が少ないことが多い。

 たっぷりジュースを入れてもらい、三つをまとめて持って行こうとしたけれど。グッと手を握られた。

「ねえ、あの人、芸能人?」

「ちげーよ。無駄に目立つ一般人」

「そう。ということは、まだスカウトされてないのよね?」

「しても無駄だぜ? 清兄がぜってぇ守るからさ」

「やってみないと分からないわ!」

 焼きそば屋の女の人は、時計を気にするように見上げている。そして行こうとした俺を呼び止め、袋に入れたたこ焼きを腕に掛けてきた。

「サービス! 一時間くらいゆっくりして行って! お願い!」

「は?」

「ね? ね!」

「……訳わかんねぇな。まあ、清兄が戻ってくるまでは居るけどさ」

 ようやく開放された俺は、待っていた二人の所までジュースを零さないように運んだ。四人がけのテーブルの周りは、全て女の人で埋まっている。

 集まる視線にも慣れてきた。席に着き、両手を合わせた紫藤を習って手を合わせる。

「頂きます」

「「頂きます」」

 清次郎にみっちり教え込まれている俺と七海は、紫藤に続いて頂きますを言う。割り箸も、手で割るようになった。

 ホカホカの焼きそばを口に頬張れば、焼き加減も、ソース具合も、絶妙で。

「あの姉ちゃんやるな! うめー!」

「清次郎が作る焼きそばも美味いぞ!」

「知ってるって」

「本当に美味しいね」

 箸が進む。口いっぱいに焼きそばを頬張った。

 サービスで貰ったたこ焼きも開け、一つ頬張ってみる。はふはふ、熱い息を吐き出しながら噛めば、こちらもふっくらしていて美味しい。

 眩しい光を感じ、美味しい焼きそばとたこ焼きを食べて。

 人が居る世界に居ることができて。

「うめー!」

「達也、青海苔が凄いぞ!」

 青海苔を付けて笑った俺に、紫藤が吹き出している。笑った七海の歯にも青海苔が付いていた。

 くだらない事が、楽しくて仕方がなかった。

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