妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ十七『変化は突然に』

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 引きずり込んだ悪霊は、紫藤の札によって力を封じ込まれている。このまま力を削いで、霊にまで戻そうとした紫藤は、ハッとしたように俺を見る。

「危ない、清次郎!」

 紫藤の声が耳に届く前に、咄嗟に一歩引いていた。悪霊の一部が、俺を襲おうと触手のような物を伸ばしてくる。

 特別機関に行くからと、仏字を刻んだ木刀は置いてきていた。そのため見ることはできても、払うことも力を削ぐこともできない。

 次々に伸びてくる触手を紙一重でかわし、身を守っていた俺は、フッと飛び込んできた影に虚を突かれた。悪霊とは違う何かが飛び込んでくる。

「危な~い」

 のんびりした声と、抱き付かれ、押し倒されるのとはほぼ同時だった。どさりと仰向けに倒れた俺に、剣がしがみ付いている。

「何をしておる! この助兵衛が!!」

 紫藤の意識がこちらに逸れたからか、悪霊が身震いし、札を数枚弾き飛ばしてしまった。体の一部が大きく変形し、紫藤を襲おうとしている。

 助けに行かなければと思うのに、しがみ付く剣の両腕は絡みついて離れない。

「心路! 隊長を引っ張り起こしてくれ!」

「言われなくてもやる!!」

 俺の体に埋もれるように抱き付いている剣は、全身を使って貼り付いている。首筋に唇が押し当てられ、申し訳ないけれど鳥肌がたってしまった。

「し、白崎様……!」

「ああ……この逞しい胸板……引き締まった腰……!! どうか私を虐めて下さい……!」

「ご、ご冗談を……!」

 わしっとお尻を掴まれていた。

 顔が強張ってしまう。

「清次郎に触るでない!!」

 紫藤の意識が完全に俺に向いてしまった。力が拡散し、悪霊が暴れている。紫藤が吹き飛ばしてしまった札の代わりに一希が新しい札を貼っているけれど、力を抑え込めずにいる。

 悪霊が咆吼を上げるかのように口の様な物を開いて暴れている。その度に札が剥がれ、自由を手にしている。

「紫藤様、どうかこちらに専念を!」

「己……!!」

 気を抜けば悪霊が自由になる。

 札が剥がれ、変形した一部に一希が応戦するように札を飛ばした。広がろうとしたそこが留まる。

 だが、違う場所から数本、触手が伸びてくると一希に絡まった。

「ぐっ……!」

 太股や首に巻き付いた触手。手にしていた札がハラハラと舞った。

 早く助けに行かなければと思うのに、こちらはこちらで、剣に巻き付かれている。

「隊長!! 何やってんだよ!!」

 心路がなんとか剣を引き離そうとしてくれたけれど。体格は剣の方が良い。身長はそこそこでも、鍛えている体だ。細い心路では引き離せない。

「心路……こんなチャンス滅多にないんだよ! 今は見逃して……!」

 頬を寄せられ、ぶわっと変な汗が噴き出した。ますます剣の頬が赤く紅潮していく。首筋を舐められ、とうとう我慢できずに腹部を蹴り上げてしまった。引き離した体が転がっていく。

「も、申し訳ありません。されど俺は、紫藤様に仕える身。どうかご勘弁を!」

 転がり、俯せになった剣は、打ちひしがれたように項垂れている。心路が慰めるように背中を撫でてやった。

 ようやく体が解放された。見えないように、剣に舐められた場所を擦った俺は、殺気を感じて二人を抱き抱えながら転がった。

 何本もの触手が暴れている。物に触れられなかったはずの悪霊が、力を増してきたのか壁を叩き付けている。人体に影響を及ぼすことはあっても、無機物にまで影響が出ることは稀なはずなのに。

 並んでいたコンピューターが数台、破壊されている。監視カメラの映像に雑音が混ざり、数台がショートした。

 これはどうしたことだろう?

 紫藤はどうなったのか?

 悪霊の巨体を回り込み、紫藤の姿を確認した。彼は何かを引き離そうと力を使っているところだった。

「どうなされたのです!」

「北条が摂り込まれておる! 迂闊に力を使えば奴に当たってしまう!」

 紫藤の側まで駆け寄れば、ようやく見えた。巨大に広がる悪霊の中に、一希の姿が浮かんでいる。

 きっちりと着込んでいたスーツは乱れ、破れていた。体には幾つもの傷が走っている。意識を失っているのか、だらりと長い腕が漂っている。

「白崎の馬鹿者のせいで油断した! こ奴、力が上がってきておる!」

「何故です!」

「北条を摂り込んだせいであろう! ここへ入れたのは失策であった」

 建物内が悪霊と対峙するには狭すぎる。

 いっそ外へ弾き出し、一気に片を付ける方が早いのだが。そうすれば悪霊を消した時、一希が高い場所から落下してしまう。彼を引き離さなければ、手が討てない。

 刀があれば飛び込み、悪霊を削って助け出せるのに。苦しげに歪む一希の顔に、焦りを感じていた俺と紫藤は、ユラリと現れた剣に、思わず一歩後退した。

「……何ですか、これは……」

 剣は悪霊の方へよろよろと歩いていく。その両手がわなわなと震えている。

 隊長として、副隊長が危険な目に遭っていることが許せないのだろう。そう思った俺達は、どうにか助け出してやらなければと顔を見合わせたのだけれど。

「一希にSMプレイをして良いのは私だけですよ!!」

 叫んだ彼の言葉に、ビクッとなった紫藤。そのせいで、動きを封じるために貼り付けていた札がまた、数枚離れてしまった。

 自由になった悪霊の触手が剣目がけて伸びていく。

「心路!!」

 短く命じた剣に合わせ、天井の一部から札が大量に噴き出された。次々と悪霊に貼り付き、動きを鈍らせている。

 剣は腰に手を当てた。ベルトに装着されていたホルスターから、銃ではなく、鞭を取り出している。鞭の先端にまで刻まれた仏字が、小さく見えた。

「……おいたはいけませんよ、坊や」

 パシンッと床を一発打って見せた剣に、紫藤が俺にしがみ付きながら怒鳴った。

「北条がおることを忘れるで……」

「一希は私のご主人様になるんです! Sなんです!!」

 ブンッと振り抜いた鞭が悪霊の一部を削り取った。なおも鞭を振り、一希を覆うように捕らえている悪霊の厚みを削っていく。修復される前に次々と削り落としている。

 悪霊の力そのものを削ることはできなくても、動きを鈍らせている。正確に鞭を扱うその腕前は見事だった。

「……決して……」

 剣が唇を噛み締めている。キッと鋭く睨みあげている。

「決してMではない!!」

 下から振り上げた鞭が、一希を覆っていた悪霊の膜を破った。体の一部が抜け出てくる。

 今度は上から振り下ろし、一希に傷を付けることなく悪霊の膜を打ち破った。

 大きな一希の体が崩れ落ちるように抜け出してくる。その時にはもう、剣は走っていた。倒れる一希の下に滑り込み、抱き留めている。

「蘭丸さん!」

「動くでないぞ!」

 紫藤の両手から一気に札が噴き出した。心路が放った札と力を合わせ、悪霊の動きを完全に封じ込めている。

 次いで扇子を取り出した紫藤は、鋭い風を巻き起こし、悪霊にまとわり付かせると力を削っていく。悶え、苦しむ悪霊が、その質量を減らした。

 やがて見えてきた霊の姿。痩せたサラリーマンが頭を抱え、呻いている。

「……さあ、逝くが良い」

 怯えたように震える霊の額に右手を当てた紫藤は、なるべく優しく、白い光を放って送ってやった。霊は大人しく、あの世へと旅立って行った。

「……やれやれだ」

「お疲れ様です、紫藤様」

 暑いだろうと、上着を脱がせてやれば、睨みながら振り返っている。

「清次郎! あの様なものに簡単に触れさせるでない!」

「申し訳ありませぬ。不意を突かれましたもので」

 何も無かったのかと、俺の体を確認している紫藤。俺は俺で、彼に怪我無いかと探した。気が散っていたせいか、少し苦戦していたから。

「俺は大事ありませぬ。紫藤様こそ」

「怪我はない。しかし気が散って危うく悪霊を……」

 紫藤が言葉を飲み込んだ。形の良い唇が大きく開いていく。

 何をそんなに驚いているのか。俺も紫藤の視線を追って振り返れば。

 固まってしまった。

 数秒で我に返ると足早に歩く。

 今まさに、脱がされそうになっていた一希の下着を手で引っ張り上げた。逆らうようになおも引っ張っている剣の手。

 上着はそのままに、下だけを剥がすなんて。

「何をなさっているのです!」

「怪我が無いかの確認ですよ……うふふ」

「下着まで脱がさなくても良いのでは?」

「大事なところが潰れていたら大変でしょう? 私を虐めてもらえなくなりますからね」

 俺の手を外し、なおも脱がせようとしている剣。いつもなら心路が止めにくるはずなのに。素早く辺りを見渡せば、鞭で縛り上げられていた。口はハンカチで封じられている。必死になって止めてくれ、と目で訴えている。

 心得ている。剣の手を弾き、後ろ手に回すと背中から動きを封じた。少々、強めに捻り上げる。

「……ああ、清次郎さんに縛られるなんて……! 目の前には一希の生足……! ぁ……はぁ……か・ん・じ・る……!」

「…………!!」

 ぶるっと震えた剣に、思わず力が抜けてしまった。拘束していた手が離れると、剣の手が迷わず一希の下着に向かっている。

「もう、たまりません……! 拝ませてもらいます……!」

 鼻息荒く叫んだ彼は、一希の下着を下ろそうとした。

 その手が、掴み上げられている。意識を戻した一希が、呆れたように溜息をついている。

「人が……気絶している時に……何を……?」

「ちょっとだけ見せてもらえたら、舐めるだけにしますから!」

「…………隊長」

 大きな溜息をついた一希は、スルリと剣の頬を撫でている。甘えるように顔を寄せた剣に、一希は頬から襟の方へ手を滑らせた。

「……え?」

 グッと引き寄せ、逞しい足を剣の腹に押し当てた一希は、そのまま投げ飛ばしてしまった。背中からしたたかに落ちた剣が呻いている。

 その顔はどこか嬉しそうで。

 そっと視線を外した。

「まったく……うかうか気絶もできないとは……!」

 溜息をついた一希は一度大の字になり、息を整えると自力で起き上がっている。側により、背中を支えてやった。

「ぐっ……!」

 苦しげに咳き込んでいる。背を撫で、顔色を見れば、ずいぶん青い。

「少し休まれた方が宜しいですね」

「いえ……大丈夫です。迂闊に休むと、もっと危険になりますから」

「……そのようで」

 苦しげに悶えている剣の声を聞きながら、ここは守り手を増やした方が良いだろうと縛られていた心路のもとへ寄った。鞭を外してやれば、跳ねるように起き上がった。未だ悶えている剣に駆け寄り抱き付いている。

「酷い……!」

「ごめんね、心路。一希の裸なんて滅多に見られないから、つい」

「僕じゃ……駄目なのかよ……」

「そんなことはない。可愛いよ、心路も」

 ポンッと心路の頭を叩いた剣は起き上がった。うふふ、と微笑みながら一希を熱く見つめている。

「私の夢はね、心路を貫きながら、一希に貫いてもらうことなんだ……!」

「僕、じじぃと一緒なんて嫌だ!」

「心路を抱くのは私だよ。でも、私を抱くのは一希だ」

 懲りずににじり寄ってくると、乱れていた一希の胸元に手を当てている。ボタンが弾け飛んでいたワイシャツから手を差し込んだ。

「……お前に抱かれたい」

 囁いた剣に、一希は無言を保った。剣の手を引き離し、脱がされていたズボンを履いた彼は、緩んで外れそうだったネクタイを締め直している。

「片付けましょう」

「……もう……! いけず……!!」

「隊長の……バカ……!」

 それぞれに言葉を発した彼らに、やれやれと苦笑してしまう。遠くから見守っていた紫藤に呼ばれ、戻れば抱き付かれた。

「……帰るぞ。達也が心配だ」

「何ぞ感じたのですか?」

「……いや。だが……」

 何かあってからでは遅い。

 そういうことか。

「白崎様。大変申し訳ないのですが、我らはお暇させて頂いても宜しいでしょうか」

「……片付けていかないのかよ……けっ」

 ブツブツ、心路の呟きが聞こえてくる。申し訳ないと、謝る俺に右手を振って見せたのは剣だった。

「構いませんよ。今日は清次郎さんに触らせて頂きましたからね。それに」

 心路を背中から抱き締めた剣は、片目を瞑って見せた。

「悪霊でこれなんですから。悪鬼なんてとんでもない。達也君はしっかり管理して下さいね」

「分かっておる」

 ふんぞり返って応えた紫藤は、フラフラしながらも、散らばった札を片付けている一希のもとへ近付いた。気付いた彼が顔を上げると、額に手を当てている。

「動くでないぞ。悪霊の気を吸ってやろう」

「……大丈夫ですよ、このくらい」

「遠慮するでない」

 紫藤の手から、白い光が輝いた。その光が緑色へと変化し、一希の体に溜まってしまった悪霊の気を吸い込んで封じている。

 青白かった一希の顔色が、見る見る間に良くなっていった。

「うむ、これで良かろう」

「……ありがとうございました」

 深く頭を下げた一希に笑って見せている紫藤。彼が仄かに頬を赤く染めたことなど、気づきもせずに俺のもとへ戻ってきた。

「さ、帰るぞ、清次郎」

「……はい」

 俺も、教えたくはなかったから。何も言わないままでいた。

「松尾さんを呼んでおきましょう」

 すぐに顔を引き締めた一希が、無事だった電話回線を使って運転手の松尾勤に連絡を入れている。下で待つよう、伝えてくれた。

「一希、ついでに清掃スタッフ呼んで」

「分かりました」

 こういう時は、きちんと上司と部下になっている二人。清掃スタッフが来るなら、任せても大丈夫だろう。

「では我らはお先に」

「今度くる時は、ラフな姿でお願いしますね!」

「……もう、この堅苦しい服を着らずとも良いのかの?」

「ええ。もっと鎖骨が見える服でお願いします……うふふ」

「…………!!」

 紫藤が鳥肌をたてながら俺にしがみ付いた。そのまま皆に一礼した俺は、彼の腰を支えながら特別機関の執務室を後にした。

 不気味な剣の含み笑いが耳に残っているのか、いつまでも聞こえる気がしてならない。振り払うように廊下を歩いていく。紫藤のしがみつく力も強い。

 エレベーターに乗るまでしがみ付いていた紫藤は、剣の姿が完全に見えなくなり、含み笑いも聞こえなくなって初めて、しがみ付いていた力を緩めた。

「……あの男は好かぬ」

「そう、おっしゃらずに」

「好かぬものは好かぬ!」

 駄々っ子のように言い放った紫藤は、ふんっとそっぽを向いてしまう。

 やれやれだ。

 主を宥めるように白い頬に口付け、胸に抱き締めた。

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