81 / 84
第3章
第16話 娘の本名を聞いた
しおりを挟む
まだ冬期には早いが、夜風がやけに寒く感じるのはシーヌの発言を聞いたからだろうか。
「前世の記憶を思い出した!?」
「うん。年齢も、名前も、家族構成も、どうやって事故に遭ったのかも全部」
彼女の中で何が起こっているんだ。
シーヌの転生は、俺やアーミィと同じで現実世界で肉体が死亡していることが確定しているもののはずだ。
それなのに、神谷と似たようなタイプに切り替わった。
考えられる可能性は一つしかない。
「向こうの世界でまだ生きているんだ。いや、息を吹き返した、というのが正しいのか」
「そういうことなんだ。じゃあ、お別れが近いってこと?」
寂しげに揺れる瞳が向けられた直後、その目には動揺の色が濃くなった。
「なにそれ!? どういうこと!? シーヌ、ちゃんと説明して!」
ドレスの胸元を握りしめ、自分の中にいるもう一人の自分を叱責する。
そんな不思議な光景が目の前に広がっていた。
「リム、今日は二人の晴れ舞台だ。この話は後日ゆっくりとしよう。フロアに戻るから顔を作り直しなさい」
「……今夜、絶対に聞くからね」
恨み言のように呟いたリムは、いつもの無表情に僅かな微笑みを浮かべ、俺のエスコートでバルコニーを出た。
◇◆◇◆◇◆
婚約式から数日後。
俺とリューテシアは妃教育中であるリムラシーヌの元を訪れ、話を聞くことにした。
「わざわざ王都まで来てくれてありがとう。じゃあ、話すね」
覚悟を決めたように表情の硬いリューテシアの手に自分の手を重ねる。リューテシアは手のひらを返して握ってくれた。
「私は『アオバラ』、『アオバラII』、『アオバラIII』を最後までプレイした、ただの一般人。事故に遭ったのは下校途中に立ち寄ったお花屋さんを出た直後だった」
リューテシアには俺が、リムにはシーヌが、今生きている場所がゲームの世界だと説明してあるとはいえ、なかなかに信じられない話だ。
「たまにね。夜寝ていると向こう側から聞こえるんだ。私の本当の名前を呼ぶ声が……」
声が震え、堪えていた涙があふれて頬を伝う。
「誰があなたを呼ぶの?」
優しく問いかけるリューテシア。
まるで、自分が聞くべきだと使命感すらも感じさせる凛とした声だった。
「……本当の、お母さん」
「そう」
その一言は儚くも、嬉しそうで、リューテシアがどれだけ優しい女性なのか改めて噛みしめた。
「母の日だったの。私が事故に遭った日。私、お母さんにカーネーションを贈りたくて。それで……」
しゃくり上げながらも必死に訴えかけるリムラシーヌは見ていられなくなる。
今すぐにでも「もういい」と抱き締めたくなる衝動を抑えた。
それはリューテシアも同じだったようで、繋いだ手に力が入っている。
きっとリムも同じなんだ。
リムラシーヌの手が小刻みに震えていた。
「うちお父さんいないからさ。お母さん、一人ぼっちなんだよ」
ついにリューテシアは立ち上がり、取り出したハンカチでリムラシーヌの涙を拭った。
「戻りたくない。みんなと離れたくない。でも! 戻らないと。お母さん、一人にしておけないよ」
これほどまでの苦渋の決断があっただろうか。
それも十代の少女に突きつけるなんて。
「嫌! シーヌとお別れなんて嫌! ずっと一緒にいてよ! 二人でリムラシーヌなんだから!」
表に出てきたリム。
彼女が啜り泣きながら感情を爆発させている姿なんて初めて見た。
昔からわがままを言わない子だった。
その分、シーヌがよく甘えていたっけ。
昔を懐かしむように、コロコロ人格を入れ替える我が子を見つめる。
俺も覚悟を決めて、重い口を開いた。
「話してくれてありがとう。それなら、戻らないとな」
「お父様!? お父様はシーヌが遠くへ行っても構わないと言うのですか! シーヌが可愛くないのですか!?」
「馬鹿を言うな。二人とも俺の可愛い娘だよ」
少しでも気を抜けば涙がこぼれそうで、刺々しい言い方になってしまった。
「俺が必ずあっちの世界に帰してやる。安全は保証できないが、そこは勘弁してくれ」
「やっぱりパパは何でもできるんだね」
あははっと屈託のない笑顔を向けられ、いよいよ涙腺が……。
「まさか。何でも出来るならわざわざ二人を危険な目に遭わせないよ」
シーヌの笑顔が陰り、窺うように対面に座る俺たちを見つめる。
「まだパパ、ママって呼んでもいいの?」
「当たり前だろ」
「当然よ」
「ありがと。二人とも大好きだよ。もちろん、リムも、にぃにぃズも」
そう言ってまた涙を流した。
「本当の名前を聞かせてくれないか?」
「りむら……李村 椎縫。私の本当の名前は椎縫だよ」
「椎縫か。じゃあ、今日からそっちの名前で呼ばないとな」
その日の夜。
俺が寝室でぼーっとしていると、隣に腰掛けたリューテシアが肩に頭を預けてきた。
「昼間のお話、ウィル様は納得できるのですか?」
「難しい質問だな。こういう日が来るとは思っていなかったけれど、椎縫《しいぬ》が望むなら本来いるべき場所に帰るべきだと思う。リュシーは?」
「私は納得できません。あの子は私たちの子なのに」
リューテシアが控えめに怒っている。
ただ、その怒りの矛先をどこに向けるべきなのか分からない。
母だからこそ、渦巻く矛盾した感情に振り回されている。そんな感じだ。
「どこにいたって変わらないよ。たとえ、椎縫が俺たちのことを忘れてしまったとしても俺たちは絶対に忘れない。そうだろ?」
「もちろんです。……リムは平気でしょうか」
「平気ではないだろうね。でも、折り合いをつけるよ。彼女もまたリュシーに似て強い子だからね」
リューテシアを抱き寄せ、そのままベッドに倒れ込む。
目の前にあるリューテシアの顔を眺め、そっとキスをした。
「今日はウィル様の腕の中で眠りたいです」
「こんな場所でよければ」
「ここが世界で一番安心できて安全ですから。大好きです」
腕を枕にして体を丸めるリューテシアを抱き締めたけれど、二人ともしばらくの間は眠れなかった。
「前世の記憶を思い出した!?」
「うん。年齢も、名前も、家族構成も、どうやって事故に遭ったのかも全部」
彼女の中で何が起こっているんだ。
シーヌの転生は、俺やアーミィと同じで現実世界で肉体が死亡していることが確定しているもののはずだ。
それなのに、神谷と似たようなタイプに切り替わった。
考えられる可能性は一つしかない。
「向こうの世界でまだ生きているんだ。いや、息を吹き返した、というのが正しいのか」
「そういうことなんだ。じゃあ、お別れが近いってこと?」
寂しげに揺れる瞳が向けられた直後、その目には動揺の色が濃くなった。
「なにそれ!? どういうこと!? シーヌ、ちゃんと説明して!」
ドレスの胸元を握りしめ、自分の中にいるもう一人の自分を叱責する。
そんな不思議な光景が目の前に広がっていた。
「リム、今日は二人の晴れ舞台だ。この話は後日ゆっくりとしよう。フロアに戻るから顔を作り直しなさい」
「……今夜、絶対に聞くからね」
恨み言のように呟いたリムは、いつもの無表情に僅かな微笑みを浮かべ、俺のエスコートでバルコニーを出た。
◇◆◇◆◇◆
婚約式から数日後。
俺とリューテシアは妃教育中であるリムラシーヌの元を訪れ、話を聞くことにした。
「わざわざ王都まで来てくれてありがとう。じゃあ、話すね」
覚悟を決めたように表情の硬いリューテシアの手に自分の手を重ねる。リューテシアは手のひらを返して握ってくれた。
「私は『アオバラ』、『アオバラII』、『アオバラIII』を最後までプレイした、ただの一般人。事故に遭ったのは下校途中に立ち寄ったお花屋さんを出た直後だった」
リューテシアには俺が、リムにはシーヌが、今生きている場所がゲームの世界だと説明してあるとはいえ、なかなかに信じられない話だ。
「たまにね。夜寝ていると向こう側から聞こえるんだ。私の本当の名前を呼ぶ声が……」
声が震え、堪えていた涙があふれて頬を伝う。
「誰があなたを呼ぶの?」
優しく問いかけるリューテシア。
まるで、自分が聞くべきだと使命感すらも感じさせる凛とした声だった。
「……本当の、お母さん」
「そう」
その一言は儚くも、嬉しそうで、リューテシアがどれだけ優しい女性なのか改めて噛みしめた。
「母の日だったの。私が事故に遭った日。私、お母さんにカーネーションを贈りたくて。それで……」
しゃくり上げながらも必死に訴えかけるリムラシーヌは見ていられなくなる。
今すぐにでも「もういい」と抱き締めたくなる衝動を抑えた。
それはリューテシアも同じだったようで、繋いだ手に力が入っている。
きっとリムも同じなんだ。
リムラシーヌの手が小刻みに震えていた。
「うちお父さんいないからさ。お母さん、一人ぼっちなんだよ」
ついにリューテシアは立ち上がり、取り出したハンカチでリムラシーヌの涙を拭った。
「戻りたくない。みんなと離れたくない。でも! 戻らないと。お母さん、一人にしておけないよ」
これほどまでの苦渋の決断があっただろうか。
それも十代の少女に突きつけるなんて。
「嫌! シーヌとお別れなんて嫌! ずっと一緒にいてよ! 二人でリムラシーヌなんだから!」
表に出てきたリム。
彼女が啜り泣きながら感情を爆発させている姿なんて初めて見た。
昔からわがままを言わない子だった。
その分、シーヌがよく甘えていたっけ。
昔を懐かしむように、コロコロ人格を入れ替える我が子を見つめる。
俺も覚悟を決めて、重い口を開いた。
「話してくれてありがとう。それなら、戻らないとな」
「お父様!? お父様はシーヌが遠くへ行っても構わないと言うのですか! シーヌが可愛くないのですか!?」
「馬鹿を言うな。二人とも俺の可愛い娘だよ」
少しでも気を抜けば涙がこぼれそうで、刺々しい言い方になってしまった。
「俺が必ずあっちの世界に帰してやる。安全は保証できないが、そこは勘弁してくれ」
「やっぱりパパは何でもできるんだね」
あははっと屈託のない笑顔を向けられ、いよいよ涙腺が……。
「まさか。何でも出来るならわざわざ二人を危険な目に遭わせないよ」
シーヌの笑顔が陰り、窺うように対面に座る俺たちを見つめる。
「まだパパ、ママって呼んでもいいの?」
「当たり前だろ」
「当然よ」
「ありがと。二人とも大好きだよ。もちろん、リムも、にぃにぃズも」
そう言ってまた涙を流した。
「本当の名前を聞かせてくれないか?」
「りむら……李村 椎縫。私の本当の名前は椎縫だよ」
「椎縫か。じゃあ、今日からそっちの名前で呼ばないとな」
その日の夜。
俺が寝室でぼーっとしていると、隣に腰掛けたリューテシアが肩に頭を預けてきた。
「昼間のお話、ウィル様は納得できるのですか?」
「難しい質問だな。こういう日が来るとは思っていなかったけれど、椎縫《しいぬ》が望むなら本来いるべき場所に帰るべきだと思う。リュシーは?」
「私は納得できません。あの子は私たちの子なのに」
リューテシアが控えめに怒っている。
ただ、その怒りの矛先をどこに向けるべきなのか分からない。
母だからこそ、渦巻く矛盾した感情に振り回されている。そんな感じだ。
「どこにいたって変わらないよ。たとえ、椎縫が俺たちのことを忘れてしまったとしても俺たちは絶対に忘れない。そうだろ?」
「もちろんです。……リムは平気でしょうか」
「平気ではないだろうね。でも、折り合いをつけるよ。彼女もまたリュシーに似て強い子だからね」
リューテシアを抱き寄せ、そのままベッドに倒れ込む。
目の前にあるリューテシアの顔を眺め、そっとキスをした。
「今日はウィル様の腕の中で眠りたいです」
「こんな場所でよければ」
「ここが世界で一番安心できて安全ですから。大好きです」
腕を枕にして体を丸めるリューテシアを抱き締めたけれど、二人ともしばらくの間は眠れなかった。
25
お気に入りに追加
156
あなたにおすすめの小説

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~
こひな
恋愛
市川みのり 31歳。
成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。
彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。
貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。
※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

異世界転生ファミリー
くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?!
辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。
アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。
アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。
長男のナイトはクールで賢い美少年。
ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。
何の不思議もない家族と思われたが……
彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。

ざまぁにはざまぁでお返し致します ~ラスボス転生王子はヒロインたちと悪役令嬢にざまぁしたいと思います~
陸奥 霧風
ファンタジー
仕事に疲れたサラリーマンがバスの事故で大人気乙女ゲーム『プリンセス ストーリー』の世界へ転生してしまった。しかも攻略不可能と噂されるラスボス的存在『アレク・ガルラ・フラスター王子』だった。
アレク王子はヒロインたちの前に立ちはだかることが出来るのか?
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです
新条 カイ
恋愛
ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。
それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?
将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!?
婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。
■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…)
■■
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる