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第2章

第5話 公爵令嬢と出会った

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 俺にとって地獄のような日々が始まった。
 朝からリューテシア成分を存分に補給したはずなのに、馬車に乗り込む頃には枯渇していた。

「行きたくねぇ」

 そんなことをぼそりとつぶやく。

 これでは学園側に出した条件なんて関係ない。

 用意してもらった教員用の寮を蹴ったばかりなのに、やっぱり貸してくださいと願い出ないといけないし。申し訳ない。

 学園長に事情を話すと快く寮の一室を貸してくれた。しかも個室だ。

 今日の午前中は薬術クラスのお手伝い。
 早速、担当教員であるサーナ先生の研究室に向かうと、廊下で大量の資料を持った先生と出くわした。

「おはようございます。待ちましょうか」

「ウィルフリッド坊ちゃん!? あれ、今日ってうちでした!? あ、待って! まだ研究室に入らないで!」

「あっ」

 サーナ先生は意外とだらしなかった。

 幼い頃は何でもできる完璧超人だと思っていたし、学生の頃は何でも知っているクールビューティーだと思っていた。

 そして、今は整理整頓のできない人という印象を上書きされた。

「違うの! これは、ほら! 授業の資料が必要だったので! 決して、お屋敷のお部屋は汚くしていなかったのよ!」

 住み込みの専属家庭教師として働いていたサーナ先生は、ブルブラック家の西側の部屋を与えられていた。
 彼女の私室に入ったことはないが、先生曰く綺麗だったそうだ。

 でも、研究室はごちゃごちゃしていて足の踏み場がない。発言の信憑性が薄れていくのは仕方のないことだろう。

「午後、掃除しますよ」

「そんな! 坊ちゃんに掃除をさせるなんて! それに、午後はご帰宅されるのではなかったのですか?」

「それが……泊まりになりました。リューテシアが俺の体を心配してくれて。おかげでやる気スイッチが入りません」

「ふむ」

 一変して顎に手を当てて考える姿は昔から見慣れたサーナ先生だ。
 なんだか安心する。

「では、こちらを」

 そう言って、手早く煎じてくれたお茶を差し出してくれた。
 一口飲むと体の中が温かくなり、ほっと一息つけたような気がした。

 あくまでも気がしただけだ。
 いくら薬師のサーナ先生でも、リューテシア成分は作り出せない。

「こうして見ると俺の知っている先生ですね」

「ちょ、ちょっとトゲがあるかなーって思いますけど。私だって傷つきますからね。お願いですからリファお嬢様や、他の生徒にはこの惨状を言わないでください」

 この人、どこで生徒指導をしてるんだろ。

◇◆◇◆◇◆

 サーナ先生と連れ立って薬術クラスの教室に入った俺は改めて自己紹介をして、久々に先生の授業を聞いた。

 俺は学園でサーナ先生の授業を受けたことがない。
 一番後ろから眺める先生はしゃきしゃきしていて、時折、冗談や豆知識を披露してくれるから途中で退屈することはなかった。

「俺も受けたかったなぁ」

「お兄様? もう終わりましたよ」

「あぁ。分からない所はなかったか?」

「はいっ。サーナ先生は教え上手ですし、最後まで教室に残って質問を受け付けてくれるんですよ」

 それは研究室に来て欲しくないからだよ、リファ。

 生徒たちの前ではカッコいい先生ってことだ。

 さて、午前の仕事を終えて女生徒に囲まれながら昼食を食べ終えた俺は、サーナ先生の研究室の掃除に取り掛かった。

 あらかじめ必要な物を書き出してもらったから後は捨てるだけだ。

 大量の不用品を廃棄場所へ運ぶ途中、しゃがみ込む一人の女生徒に出会った。

「具合が悪いのか? それともサボりか?」

「ひっ!?」

 ギギギギ、とぎこちなく首を回す少女。
 まるで金木犀きんもくせいのような黄色の髪が揺れて、目尻の下がった大きな瞳が見えた。

「俺は教師じゃないからとがめたりはしない。名前は?」

「……えっと、アーミィ、です」

「アーミィ?」

 どこかで聞いたことのある名前だな。
 追加で家名も聞けば、彼女の正体はすぐに分かった。

 アーミィ・イエストロイ。
 イエストロイ公爵が年齢を重ねてから出来た子で、大層溺愛されていると聞く。
 以前、公爵にお会いした際には自慢されたことを思い出した。

「四大公爵家のご令嬢がサボりとは感心しないな。ここで何を?」

「私、謹慎中なので。別にサボっているわけではありません」

「謹慎? ならば、なおのことだろ。誰かに見られたらまずいぞ」

「あなたこそ、教師でないなら雑務のおじさんですか?」

 この娘、さすが甘やかされて育てられただけのことはある。
 怯えていた垂れ目が一瞬にして吊り上がり、不満を爆発させた。

「俺は臨時講師だ。今日の午前中は薬術クラスに顔を出していた。今はただの掃除係だけどな」

 持っていた不用品ボックスを見せると、アーミィは納得したのか、またしても目尻を下げた。

 俺への興味を無くしたようにしゃがみ込み、足元の草を摘み始める彼女を通り過ぎて、不用品を廃棄所にぶち込む。

「マネリネに興味があるのか?」

 俺が草木を指差すと、彼女はこちらを見ずに頷いた。

「研究課題にしようかと思いまして」

「きみは何年生だ?」

「一年生です」

「新入生で謹慎処分とは問題児じゃないか」

 褒められたと思ったのか、えへへ、と笑うアーミィ。
 その笑顔はサンシャインの異名に恥じないものだった。

「自宅謹慎中なら大人しく公爵家に帰れ。見逃してやるから」

「あ、いえ。私、女子寮で謹慎中なんです。家は色々うるさくて」

 知らねぇよ。
 どこで謹慎しても、謹慎には変わりないんだよ。

「先生、カメレオンポタージュの作り方を教えてくださいっ」

 俺はその単語に目を見開いた。

 カメレオンポタージュとは、その名の通りで飲んだ者の姿を変幻自在に変えることができる薬膳スープだ。
 高度な技術が必要なため、数十人がかりで作成に取り掛かる。

 別に禁止されているわけではないが、変化していられる時間に制限があり、効率が悪いから作ろうとする者はいない。
 それなら魔術を使った方が早いからだ。

「作り方は薬膳大全に載っているだろ。それに俺一人では無理だ」

「なーんだ。講師のくせに大したことないんですねっ」

「大体そんなものを何に使うつもりだよ。学園長にでも化けようってのか?」

「それは妙案ですね。でも、ハズレです。必要なものは採取できたので謹慎に戻ります。ではっ」

 ビシッと手を上げたアーミィが颯爽と女子寮の方へと戻っていく。

「なんだ、あいつ。公爵令嬢らしくないな」

 その後、念のためにサーナ先生に報告すると、

「次に見つけた時はとっ捕まえてくださいね!」
 と、叱責され、血相を変えて研究室を飛び出して行った。
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