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第1章
第19話 腕を治してもらった
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新学期を目前に控えた俺は久しぶりに婚約者殿と二人きりで町へと出かけた。
案の定、リューテシアは観劇を希望し、劇場へと向かっている。
その途中で俺は不審な子供を見かけた。
「どうなさいました?」
「あの子、迷子かな」
年齢は俺たちよりも下だろう。
遠くから見てもサラサラの髪を振り乱し、キョロキョロしている。
「ちょっといい? 時間、大丈夫かな」
「楽しみで早く家を出発しましたから、まだ余裕はありますよ」
婚約者殿の許可を得たところで、手に持っている紙と道路を交互に見ている子供に近づく。
なるべく怖がらせないように声をかけた。
「何か困っているのか? 俺でよければ力になるが」
「……うむ」
間違いなく警戒されている。
中性的な顔つきな上に声も高い。最初は女の子かと思ったが、どうやら少年のようだ。
じっと俺を見上げる目は値踏みしているようで、だんだんと怖くなってくる。
そんな目と周囲の空気に耐えかねた俺は、リューテシアの方を見て情けなくも退散することに決めた。
「失礼した。困っていないのなら、俺はこれで」
背中を向けようとしたとき、少年が小さな声を漏らした。
「実はここに行きたくてな。分かるか?」
彼の持っている紙を見下ろせば、目的地は俺たちと一緒なことが判明した。
「俺たちもそこに行くんだ。一緒に行こうか」
「なんと! では、頼む」
同意を得られたことで、少年と共にリューテシアの元に向かう。
チラチラと俺の左腕を見る少年の視線には気づいていたが、敢えて何を言わなかった。
「申し遅れた、ウィルフリッド・ブルブラックだ。こちらは婚約者のリューテシア・ファンドミーユ子爵令嬢」
「よ……じゃなかった。ルミである。よろしく頼むぞ」
容姿だけでなく、名前まで女の子のようだ。
ぎこちない自己紹介をする少年ことルミを気にかけながら、目的地が同じであることをリューテシアに告げると彼女は瞳を輝かせた。
「まぁ! それに同じ演目をご覧になられるのですね!」
観劇仲間が増えたことが嬉しいらしい。
学園でもリューテシアの友人は文化人が多い。共通の話題が尽きることはなく楽しいと常々語っている。
確かにカーミヤ嬢たちはこういった恋愛物の小説や演劇は好まないだろうな。勝手な偏見だけど。
そうこうしていると劇場に着き、チケットと学生証を見せて入場する。
いつもは二人並んでの観劇だが、今日は俺が間に挟まれる形となった。
右からはわくわくしているリューテシアに話しかけられて、左からはルミの緊張感がひしひしと伝わってくる。
「大丈夫か? トイレ、行っておくか?」
「……問題ない。こういう場所が初めてなだけだ」
そうだよな。俺も一人では絶対に来れないし。
この少年、なかなかの猛者だな。
いよいよ幕が上がり、ドロドロ恋愛の舞台が始まった。
なんというか、胸が苦しくなってくる。
前世でもこういう昼ドラ的な展開の物語に触れてこなかった俺には刺激が強すぎる。
右隣には真剣な顔で舞台を食い入るリューテシア。
左隣では顔を赤らめたり、驚いたり、泣きそうになったりと表情をコロコロ変えるルミ。
この二人に比べると俺はつまらなさそうに見えるんだろうな。
◇◆◇◆◇◆
「今回も楽しませていただきました」
リューテシアはお気に入りの劇団には差し入れをする。
今風に言うなら推し活をしているのだ。
特定の演者ではなく、劇団そのものへの投資なのだから、豪快というか、太っ腹というか。
「こ、これが俗世……」
座長と楽しげに話しているリューテシアを遠目に見ている俺の背後で、ルミがよく分からないことを呟いていた。
「楽しめたか?」
「う、うむ。理解に苦しむ場面もあったが、これが流行りなのだな」
「違うよ」
「ふぇ!?」
「流行りなのはもっと王道のラブストーリーだ。今回のはだいぶ上級者向けだと思う。よく一人で来たな」
「な、なんだと。……あやつめ、余に嘘を教えたな」
「ん?」
「い、いや、なんでもない! 今日は世話になったな。感謝するぞ」
そう言うなら、素直にありがとうって言えよ。
まぁ、貴族の子ならそういう育て方をされていても不思議ではないか。
男二人で駄弁っていると、リューテシアが小走りで戻ってきた。
あぁ、そんなに急がなくてもいいのに。
転けないように足元を気遣いながらも、せかせかしている姿が可愛い。
「ルミさん、この後もお時間はありますか? 是非、交流しましょう」
興奮気味のリューテシアに気圧されるルミは柱時計を見て首を振った。
「すまぬ。これから予定があってな。ここまでなのだ」
「そうですか。残念です」
見るからにしょんぼりする婚約者殿も可愛い。
俺で良ければ、スイーツでも食べながら話し相手になりますよ。
「そうだ、ウィルフリッド。礼に左腕を治してやろう」
「っ!?」
なんで俺が左腕を負傷していることを知っているんだ!?
もうギプス固定は終わっているし、歩行中も観劇中も不自然さはなかったはずなのに。
言われるままに上着を脱いで腕まくりすると、「どれどれ」と呟きながら手のひらで優しく撫でられた。
次の瞬間、ルミの手のひらが暖かい光を放ち、左腕から指先までの違和感が消失した。
「これでよし。ではな。楽しかったぞ」
手を振りながら、走り去るルミの背中を茫然と見ていた俺たちは顔を見合わせた。
「今のって、治癒ま――」
「滅多なことは言うな!」
咄嗟に左手でリューテシアの口を押さえ、辺りを見渡す。
幸いなことに俺たち以外の人は劇場内のポスターや物販に夢中だった。
「俺たちは何も見なかった。俺の左腕はサーナ先生の薬で完治した。そういうことにしよう。いいね、リュシー」
うんうんうん、と何度も頷くリューテシアから手を離して、さっさと劇場をあとにした。
先日の父の話を思い出す。
――根治することができるのは血統を持つ王族のみ。
その日、俺は帰宅してから枕に顔を埋めて、唸り声を上げた。
やっちまった!!
めっちゃタメ口だったし、家名まで名乗っちゃったし、不敬なことまで言っちゃった!
後悔してもどうしようもないが、もしものことを考えるとなかなか寝付けなかった。
そして、迎えた新学期。
俺は在校生席に座って入学式に参加している。
二年生という微妙な立場だから、欠伸しながら適当に足元を眺めていた。
隣からちょんちょんと腕を叩かれても、今日も可愛い婚約者殿だなぁ、と脳天気なことを考えていた。
新入生代表が壇上で誓いの言葉を述べ始め、どこかで聞いた声だと思って顔を上げて驚愕した。
なんとそこにはルミがいたのだ。
「~~~~っ!?!?」
「しーっ。ウィル様、お静かに」
「だ、だって……」
壇上で饒舌に語る少年ことルミは大人びていて、あの劇場での様子とは全然違って見えた。
「さて、この学園にはブルブラック伯爵の御子息が在学していると聞いたのだが、どこだろうか」
会場内がざわめき出す。新入生はともかく、在校生たちは一斉に俺を探し始めた。
必死に身を屈めたが逃れられるわけもなく、クラスメイトたちに促されて恐る恐る立ち上がる。
「ウィルフリッド! 久しいな。腕の調子はどうだ?」
「お、おかげさまで」
「うむ? この前のようにもっと砕けた話し方で構わんぞ。この前は偽名だったからな。今日から余のことはルミナリオと呼んでくれ」
生徒のみならず、教師たちも慌て始め、いよいよ学園長が重い腰を上げた。
それもそのはず、この場には新入生の両親が参列している。
ルミナリオが王族ならば、ここには国王陛下と妃殿下、あるいはその代理人がいることになるのだ。
「今日から学友だな。よろしく頼むぞ、ウィルフリッド」
「は、はい。恐縮です」
こうして、多方面から大注目されて新学期が始まったわけだが、一ヶ月後の親睦パーティーでとんでもない事件が起った。
案の定、リューテシアは観劇を希望し、劇場へと向かっている。
その途中で俺は不審な子供を見かけた。
「どうなさいました?」
「あの子、迷子かな」
年齢は俺たちよりも下だろう。
遠くから見てもサラサラの髪を振り乱し、キョロキョロしている。
「ちょっといい? 時間、大丈夫かな」
「楽しみで早く家を出発しましたから、まだ余裕はありますよ」
婚約者殿の許可を得たところで、手に持っている紙と道路を交互に見ている子供に近づく。
なるべく怖がらせないように声をかけた。
「何か困っているのか? 俺でよければ力になるが」
「……うむ」
間違いなく警戒されている。
中性的な顔つきな上に声も高い。最初は女の子かと思ったが、どうやら少年のようだ。
じっと俺を見上げる目は値踏みしているようで、だんだんと怖くなってくる。
そんな目と周囲の空気に耐えかねた俺は、リューテシアの方を見て情けなくも退散することに決めた。
「失礼した。困っていないのなら、俺はこれで」
背中を向けようとしたとき、少年が小さな声を漏らした。
「実はここに行きたくてな。分かるか?」
彼の持っている紙を見下ろせば、目的地は俺たちと一緒なことが判明した。
「俺たちもそこに行くんだ。一緒に行こうか」
「なんと! では、頼む」
同意を得られたことで、少年と共にリューテシアの元に向かう。
チラチラと俺の左腕を見る少年の視線には気づいていたが、敢えて何を言わなかった。
「申し遅れた、ウィルフリッド・ブルブラックだ。こちらは婚約者のリューテシア・ファンドミーユ子爵令嬢」
「よ……じゃなかった。ルミである。よろしく頼むぞ」
容姿だけでなく、名前まで女の子のようだ。
ぎこちない自己紹介をする少年ことルミを気にかけながら、目的地が同じであることをリューテシアに告げると彼女は瞳を輝かせた。
「まぁ! それに同じ演目をご覧になられるのですね!」
観劇仲間が増えたことが嬉しいらしい。
学園でもリューテシアの友人は文化人が多い。共通の話題が尽きることはなく楽しいと常々語っている。
確かにカーミヤ嬢たちはこういった恋愛物の小説や演劇は好まないだろうな。勝手な偏見だけど。
そうこうしていると劇場に着き、チケットと学生証を見せて入場する。
いつもは二人並んでの観劇だが、今日は俺が間に挟まれる形となった。
右からはわくわくしているリューテシアに話しかけられて、左からはルミの緊張感がひしひしと伝わってくる。
「大丈夫か? トイレ、行っておくか?」
「……問題ない。こういう場所が初めてなだけだ」
そうだよな。俺も一人では絶対に来れないし。
この少年、なかなかの猛者だな。
いよいよ幕が上がり、ドロドロ恋愛の舞台が始まった。
なんというか、胸が苦しくなってくる。
前世でもこういう昼ドラ的な展開の物語に触れてこなかった俺には刺激が強すぎる。
右隣には真剣な顔で舞台を食い入るリューテシア。
左隣では顔を赤らめたり、驚いたり、泣きそうになったりと表情をコロコロ変えるルミ。
この二人に比べると俺はつまらなさそうに見えるんだろうな。
◇◆◇◆◇◆
「今回も楽しませていただきました」
リューテシアはお気に入りの劇団には差し入れをする。
今風に言うなら推し活をしているのだ。
特定の演者ではなく、劇団そのものへの投資なのだから、豪快というか、太っ腹というか。
「こ、これが俗世……」
座長と楽しげに話しているリューテシアを遠目に見ている俺の背後で、ルミがよく分からないことを呟いていた。
「楽しめたか?」
「う、うむ。理解に苦しむ場面もあったが、これが流行りなのだな」
「違うよ」
「ふぇ!?」
「流行りなのはもっと王道のラブストーリーだ。今回のはだいぶ上級者向けだと思う。よく一人で来たな」
「な、なんだと。……あやつめ、余に嘘を教えたな」
「ん?」
「い、いや、なんでもない! 今日は世話になったな。感謝するぞ」
そう言うなら、素直にありがとうって言えよ。
まぁ、貴族の子ならそういう育て方をされていても不思議ではないか。
男二人で駄弁っていると、リューテシアが小走りで戻ってきた。
あぁ、そんなに急がなくてもいいのに。
転けないように足元を気遣いながらも、せかせかしている姿が可愛い。
「ルミさん、この後もお時間はありますか? 是非、交流しましょう」
興奮気味のリューテシアに気圧されるルミは柱時計を見て首を振った。
「すまぬ。これから予定があってな。ここまでなのだ」
「そうですか。残念です」
見るからにしょんぼりする婚約者殿も可愛い。
俺で良ければ、スイーツでも食べながら話し相手になりますよ。
「そうだ、ウィルフリッド。礼に左腕を治してやろう」
「っ!?」
なんで俺が左腕を負傷していることを知っているんだ!?
もうギプス固定は終わっているし、歩行中も観劇中も不自然さはなかったはずなのに。
言われるままに上着を脱いで腕まくりすると、「どれどれ」と呟きながら手のひらで優しく撫でられた。
次の瞬間、ルミの手のひらが暖かい光を放ち、左腕から指先までの違和感が消失した。
「これでよし。ではな。楽しかったぞ」
手を振りながら、走り去るルミの背中を茫然と見ていた俺たちは顔を見合わせた。
「今のって、治癒ま――」
「滅多なことは言うな!」
咄嗟に左手でリューテシアの口を押さえ、辺りを見渡す。
幸いなことに俺たち以外の人は劇場内のポスターや物販に夢中だった。
「俺たちは何も見なかった。俺の左腕はサーナ先生の薬で完治した。そういうことにしよう。いいね、リュシー」
うんうんうん、と何度も頷くリューテシアから手を離して、さっさと劇場をあとにした。
先日の父の話を思い出す。
――根治することができるのは血統を持つ王族のみ。
その日、俺は帰宅してから枕に顔を埋めて、唸り声を上げた。
やっちまった!!
めっちゃタメ口だったし、家名まで名乗っちゃったし、不敬なことまで言っちゃった!
後悔してもどうしようもないが、もしものことを考えるとなかなか寝付けなかった。
そして、迎えた新学期。
俺は在校生席に座って入学式に参加している。
二年生という微妙な立場だから、欠伸しながら適当に足元を眺めていた。
隣からちょんちょんと腕を叩かれても、今日も可愛い婚約者殿だなぁ、と脳天気なことを考えていた。
新入生代表が壇上で誓いの言葉を述べ始め、どこかで聞いた声だと思って顔を上げて驚愕した。
なんとそこにはルミがいたのだ。
「~~~~っ!?!?」
「しーっ。ウィル様、お静かに」
「だ、だって……」
壇上で饒舌に語る少年ことルミは大人びていて、あの劇場での様子とは全然違って見えた。
「さて、この学園にはブルブラック伯爵の御子息が在学していると聞いたのだが、どこだろうか」
会場内がざわめき出す。新入生はともかく、在校生たちは一斉に俺を探し始めた。
必死に身を屈めたが逃れられるわけもなく、クラスメイトたちに促されて恐る恐る立ち上がる。
「ウィルフリッド! 久しいな。腕の調子はどうだ?」
「お、おかげさまで」
「うむ? この前のようにもっと砕けた話し方で構わんぞ。この前は偽名だったからな。今日から余のことはルミナリオと呼んでくれ」
生徒のみならず、教師たちも慌て始め、いよいよ学園長が重い腰を上げた。
それもそのはず、この場には新入生の両親が参列している。
ルミナリオが王族ならば、ここには国王陛下と妃殿下、あるいはその代理人がいることになるのだ。
「今日から学友だな。よろしく頼むぞ、ウィルフリッド」
「は、はい。恐縮です」
こうして、多方面から大注目されて新学期が始まったわけだが、一ヶ月後の親睦パーティーでとんでもない事件が起った。
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