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第1章
第3話 念を押された
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俺はリューテシアという女の子を見誤っていたようだ。
この子、とてつもなくおしゃべり好きだ。
最初こそ父親の背中に隠れて、庭園でもビクビクしていたが、お互いに謝罪してから吹っ切れたのかマシンガントークが止まらなくなった。
屋敷の中を見てみたいとお願いされて一緒に探険したり、庭園に咲く花の名前を教えてもらったりと有意義すぎる時間を過ごすことになった。
とはいえ、俺の口から「そろそろ帰れば」とは言い出せない。
そんな風に困惑しながらも相づちを打っていると、廊下の向こう側からリューテシアの父親が彼女を迎えに来てくれた。
「そろそろ、お暇しようか」
助かった!
これでリューテシアの質問攻めから解放される。
最初は婚約解消を提案しようとしていたけれど、それどころの話ではなかった。
「玄関まで見送ります」
そう言って立ち上がってみれば、二人は目を丸くしていた。
「なにか?」
「お、お見送り……ですか?」
何もおかしなことは言っていないと思うけど。
家に遊びに来ていた友人が帰宅するとなれば玄関先まで送るだろう。少なくとも前世の俺はそうしていた。
「あっ!」
俺は礼儀作法の家庭教師が口を酸っぱくして言っていたことを思い出した。
前に出て右手を差し出せば、リューテシアは戸惑いながらも手を重ねてくれた。
彼女の指先に軽くキスをしてから手を取って先導するように歩き出す。
我ながら完璧だ。
これこそがエスコートの基本。習った通りに実践できたぞ。
時折、スピード調整のためにリューテシアの方を見る。
なんだろう。気のせいだろうか。
リューテシアの顔が赤くなっているように見える。
光の加減かな。
俺が先導して一番最後にリューテシアの父、ファンドミーユ子爵が続く。廊下に控えている屋敷の使用人たちはじっとこちらの様子を窺っているようだった。
以前のウィルフリッド君なら「何を見ている!」と怒鳴っていただろうが、今の俺はそんな事はしない。
少し前から使用人への態度も改めた。最初こそ驚かれていたが、少しでも俺に対する印象が変わっていることを祈るばかりだ。
「では、リュシー。気をつけて。今日は来てくれてありがとう」
「は、はい。お見送り、ありがとうございます」
離した手を名残惜しそうに見つめるリューテシアが先に馬車に乗り込んだ。
「本当に以前お会いした時とは雰囲気が随分と変わられました。礼儀正しくもあり、何より紳士的だ。だからこそ何か裏があるのでは、と勘ぐってしまう」
ファンドミーユ子爵の目がギラリと光ったように感じた。
確かにここまで見事な手のひら返しをされれば、娘がたぶらかせているのではないかと不安になる気持ちも分かる。
「まさか。僕はただリュシーと仲直りできて嬉しいだけです。他意はありません」
「その言葉、信じても?」
「もちろんです。二度とリュシーに酷いことをしないとお約束いたします」
「……では信じよう。あなたが立派なブルブラック家の跡取りになることを祈っていますよ」
「はい。ありがとうございます」
遅れて馬車に乗り込んだ子爵。
御者が馬を走らせ、彼らを乗せた馬車が見えなくなるまで俺は小さく手を振り続けた。
「ふぅ。リューテシア・ファンドミーユ。俺の婚約者か」
もう疲れた。
今日分の勉強は明日に回すとして、さっさと夕食を食べて眠ってしまおう。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、応接室から出てきた父と鉢合わせして、そのまま書斎へと連れて行かれてしまった。
「リューテシアと仲良くなったようだな。楽しげな話し声が聞こえていた」
「はい。三年間の仲違いを解消できて安堵しています」
「結構。ウィルフリッド、お前は人が変わったのかと思うほどに聡い子になった。私の理想とする嫡男だ。少し前までは次男のトーマに跡を継がせようとしていたが、考えを改めようと思う」
俺には弟が一人と、妹が一人いる。
ウィルフリッド君は意図的に避けていたようだけど、俺が記憶を取り戻してからは少しずつ話すようになった。
それでも、まだ心の距離が開いていることに変わりはない。
「この調子で励み、私の母校でもある名門王立学園に入学させる予定だ。その頃には立派に成長していることだろう。他の女子に目移りする時期が来るかもしれない」
やけに歯切れが悪い。
もっとはっきりと言えばいいのに、何かをためらっているような不自然さがあった。
「リューテシアとの結婚は絶対だ。盟友であるファンドミーユ家との繋がりをより強固にするためにも頼むぞ」
「……はい」
この世界では幼い頃に結婚相手が決まる。いわゆる政略結婚が一般的だ。
恋愛結婚のカップルは極少数で、ほとんどが親同士が決めた相手と結ばれる。
「お前に一つだけ言っておくことがある」
さっきまでとは違い、重々しい雰囲気にごくりと喉を鳴らす。
「貴族たるもの純潔であれ」
「は、はい」
素振りは見せなかったが、内心動揺していた。
そんな話を九歳の俺にするのか!?
純潔の意味なんて理解していないだろうに。
今の教えは家庭教師が伝えてくれなかったことだ。年齢を考慮しての配慮か。それとも言い渡すのが父親の役目なのか。
「リューテシアと絆を深めるのは大いに結構。しかし! 絶対に一線は超えるな。もちろん、リューテシア以外の女ともだぞ」
「はい」
「絶対にだぞ!」
お父様、カリギュラ効果というものをご存じでしょうか。
こんなガキにそこまで念を押すと本当にやってしまいかねませんよ。
「蜜月すらも待てない卑しい男のレッテルを貼られ、社交界での居場所を失うぞ。そして家名にも傷がつく。そうなれば、我がブルブラック家は破滅だ。よいな」
これだ!
俺にとってのターニングポイント。
これこそが破滅への入り口なんだ。
相手がリューテシアだったなら「あともう少し我慢できなかったかー」とからかわれるくらいで済むかと思ったが、そうでもないらしい。
最も恐ろしいのは、リューテシア以外が相手だった場合だ。
きっと、ファンドミーユ子爵はブチ切れると思う。当事者であるリューテシアは泣くだろうか、それとも呆れるだろうか。
母や弟、妹は口をきいてくれなくなるだろう。父親から勘当され、その辺で野垂れ死ぬかもしれない。
もしや、一家心中なんかも検討されるかも!?
全身が身震いした。
これが俺を待ち受ける破滅の正体なのか――
「分かりました。お約束します」
まだ九歳の俺には、これがフラグにならないことを祈ることが精一杯だった。
この子、とてつもなくおしゃべり好きだ。
最初こそ父親の背中に隠れて、庭園でもビクビクしていたが、お互いに謝罪してから吹っ切れたのかマシンガントークが止まらなくなった。
屋敷の中を見てみたいとお願いされて一緒に探険したり、庭園に咲く花の名前を教えてもらったりと有意義すぎる時間を過ごすことになった。
とはいえ、俺の口から「そろそろ帰れば」とは言い出せない。
そんな風に困惑しながらも相づちを打っていると、廊下の向こう側からリューテシアの父親が彼女を迎えに来てくれた。
「そろそろ、お暇しようか」
助かった!
これでリューテシアの質問攻めから解放される。
最初は婚約解消を提案しようとしていたけれど、それどころの話ではなかった。
「玄関まで見送ります」
そう言って立ち上がってみれば、二人は目を丸くしていた。
「なにか?」
「お、お見送り……ですか?」
何もおかしなことは言っていないと思うけど。
家に遊びに来ていた友人が帰宅するとなれば玄関先まで送るだろう。少なくとも前世の俺はそうしていた。
「あっ!」
俺は礼儀作法の家庭教師が口を酸っぱくして言っていたことを思い出した。
前に出て右手を差し出せば、リューテシアは戸惑いながらも手を重ねてくれた。
彼女の指先に軽くキスをしてから手を取って先導するように歩き出す。
我ながら完璧だ。
これこそがエスコートの基本。習った通りに実践できたぞ。
時折、スピード調整のためにリューテシアの方を見る。
なんだろう。気のせいだろうか。
リューテシアの顔が赤くなっているように見える。
光の加減かな。
俺が先導して一番最後にリューテシアの父、ファンドミーユ子爵が続く。廊下に控えている屋敷の使用人たちはじっとこちらの様子を窺っているようだった。
以前のウィルフリッド君なら「何を見ている!」と怒鳴っていただろうが、今の俺はそんな事はしない。
少し前から使用人への態度も改めた。最初こそ驚かれていたが、少しでも俺に対する印象が変わっていることを祈るばかりだ。
「では、リュシー。気をつけて。今日は来てくれてありがとう」
「は、はい。お見送り、ありがとうございます」
離した手を名残惜しそうに見つめるリューテシアが先に馬車に乗り込んだ。
「本当に以前お会いした時とは雰囲気が随分と変わられました。礼儀正しくもあり、何より紳士的だ。だからこそ何か裏があるのでは、と勘ぐってしまう」
ファンドミーユ子爵の目がギラリと光ったように感じた。
確かにここまで見事な手のひら返しをされれば、娘がたぶらかせているのではないかと不安になる気持ちも分かる。
「まさか。僕はただリュシーと仲直りできて嬉しいだけです。他意はありません」
「その言葉、信じても?」
「もちろんです。二度とリュシーに酷いことをしないとお約束いたします」
「……では信じよう。あなたが立派なブルブラック家の跡取りになることを祈っていますよ」
「はい。ありがとうございます」
遅れて馬車に乗り込んだ子爵。
御者が馬を走らせ、彼らを乗せた馬車が見えなくなるまで俺は小さく手を振り続けた。
「ふぅ。リューテシア・ファンドミーユ。俺の婚約者か」
もう疲れた。
今日分の勉強は明日に回すとして、さっさと夕食を食べて眠ってしまおう。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、応接室から出てきた父と鉢合わせして、そのまま書斎へと連れて行かれてしまった。
「リューテシアと仲良くなったようだな。楽しげな話し声が聞こえていた」
「はい。三年間の仲違いを解消できて安堵しています」
「結構。ウィルフリッド、お前は人が変わったのかと思うほどに聡い子になった。私の理想とする嫡男だ。少し前までは次男のトーマに跡を継がせようとしていたが、考えを改めようと思う」
俺には弟が一人と、妹が一人いる。
ウィルフリッド君は意図的に避けていたようだけど、俺が記憶を取り戻してからは少しずつ話すようになった。
それでも、まだ心の距離が開いていることに変わりはない。
「この調子で励み、私の母校でもある名門王立学園に入学させる予定だ。その頃には立派に成長していることだろう。他の女子に目移りする時期が来るかもしれない」
やけに歯切れが悪い。
もっとはっきりと言えばいいのに、何かをためらっているような不自然さがあった。
「リューテシアとの結婚は絶対だ。盟友であるファンドミーユ家との繋がりをより強固にするためにも頼むぞ」
「……はい」
この世界では幼い頃に結婚相手が決まる。いわゆる政略結婚が一般的だ。
恋愛結婚のカップルは極少数で、ほとんどが親同士が決めた相手と結ばれる。
「お前に一つだけ言っておくことがある」
さっきまでとは違い、重々しい雰囲気にごくりと喉を鳴らす。
「貴族たるもの純潔であれ」
「は、はい」
素振りは見せなかったが、内心動揺していた。
そんな話を九歳の俺にするのか!?
純潔の意味なんて理解していないだろうに。
今の教えは家庭教師が伝えてくれなかったことだ。年齢を考慮しての配慮か。それとも言い渡すのが父親の役目なのか。
「リューテシアと絆を深めるのは大いに結構。しかし! 絶対に一線は超えるな。もちろん、リューテシア以外の女ともだぞ」
「はい」
「絶対にだぞ!」
お父様、カリギュラ効果というものをご存じでしょうか。
こんなガキにそこまで念を押すと本当にやってしまいかねませんよ。
「蜜月すらも待てない卑しい男のレッテルを貼られ、社交界での居場所を失うぞ。そして家名にも傷がつく。そうなれば、我がブルブラック家は破滅だ。よいな」
これだ!
俺にとってのターニングポイント。
これこそが破滅への入り口なんだ。
相手がリューテシアだったなら「あともう少し我慢できなかったかー」とからかわれるくらいで済むかと思ったが、そうでもないらしい。
最も恐ろしいのは、リューテシア以外が相手だった場合だ。
きっと、ファンドミーユ子爵はブチ切れると思う。当事者であるリューテシアは泣くだろうか、それとも呆れるだろうか。
母や弟、妹は口をきいてくれなくなるだろう。父親から勘当され、その辺で野垂れ死ぬかもしれない。
もしや、一家心中なんかも検討されるかも!?
全身が身震いした。
これが俺を待ち受ける破滅の正体なのか――
「分かりました。お約束します」
まだ九歳の俺には、これがフラグにならないことを祈ることが精一杯だった。
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