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最終章 未来への選択編

第三十二話 白鳥鴇

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商談に戻らせてくれと言いながら、このはげ親父はちょいちょい美鈴との結婚を挟んできて、正直苛立ちが増していた。やっぱりさっきの流れで帰れば良かったな。いっそ提携を打ち切って今帰っても良いくらいだ。…とにかく面倒だ。
トイレから戻って来た美鈴が、ちょっと俺の近くに寄って座っている。……疲れたんだろうな。俺としても早く終わらせてやりたい。こうなったらさっさと…。

―――ガタンッ!!

唐突に隣から音が聞こえた。
条件反射的に音がした方を見ると美鈴が口元を抑えて俯いている。
「おい、美鈴っ。どうしたっ?」
何か不味いものでも食べたかっ?
美鈴にアレルギーはなかったはずだが…。…ん?美鈴、何を持ってる?コップ?
念の為に美鈴が倒れないように腰を支えつつ、そっとコップを受け取って、匂いを嗅いでみるとオレンジジュースに隠されているが微かに酒の香りがした。
成程。さっき美鈴がいない隙に都貴のハゲ親父が息子に何かを頼んでいたな。それがこれか。しかも、だ。あたかも俺が頼んだように見せかけて美鈴が飲みやすい位置に置いた、と。
「…美鈴?大丈夫か?」
「ふみ…?」
顔を上げた美鈴は、…ほんのりと頬を赤らめて、猟奇的な色気を醸し出していた。目の前のハゲ親父とそのジュニアが目を逸らせなくなる程に。
「ふみみ~…。鴇お兄ちゃあん…」
「どうした?美鈴」
あんまり色気を振り撒くな。後が面倒になる。と今の美鈴に言った所で通じないだろう。確実に酔っぱらってる…。
美鈴は酒の所為でテンションが高くなってるのか、俺の首に抱き付いて首筋にすりすりとおでこを擦りつけてきた。
「美鈴。水飲むか?」
「や~…えへへ♪鴇お兄ちゃん、大好きぃ~…」
「……完全な酔っ払いだな」
このままだと倒れる。座る態勢を胡坐に変えて美鈴をその上に座らせると、それはもう満足そうに擦り付いてくる。……これは、ヤバいな。真珠を呼んで連れ帰って貰うか。
俺は廊下側に顔を向けて、
「葵っ、棗っ。ちょっと来いっ」
弟を二人呼ぶ。何秒も待たずに襖が開いて、中に入って二人が停止する。そりゃそうだ。美鈴が酔っぱらって、そんな美鈴を見て鼻の下伸ばしてるおっさんと男がいるんだから。
「鴇兄さん。これは一体?」
「美鈴が間違って酒を飲んだんだ。まぁ、不可抗力だけどな。明らかに美鈴が頼んだものではないのに、美鈴の場所に置いてあり、しかもスクリュードライバーなんて強いものがコップに並々入ってあった訳だが」
「…へぇ?」
「それはそれは…」
葵と棗の纏う空気が一気に冷え渡る。
「葵。真珠に車を回すように伝えろ」
「分かった」
「真珠の準備が整ったら俺達も一緒に帰るぞ。棗、美鈴を頼む」
「了解」
葵が直ぐに部屋を出て行き、棗は俺の側に来る。
「鈴。帰ろう?こっちにおいで」
……棗のこんな優しい声はレアだよな。こんな声を棗に出させるなんて美鈴、お前改めて凄いな。
うん?……首に回された腕に力が込められた。
「やーんっ。鴇お兄ちゃん、と、一緒に、いるのぉー…いるんだ、も~ん…」
……くそっ。可愛いな、コイツ。久しぶりに滅茶苦茶可愛い姿を見た気がする。最近はどちらかと言えば守らなきゃいけない大事な妹って目で見てたが、こんな姿を見るとぐらついてしまう。
「美鈴。俺も直ぐに行くから先に車に行け」
「やーっ!……一緒にいるのぉー…」
「ったく。仕方ねぇな」
こうなったら多少力技で。美鈴の膝裏に腕を回して、ぐっと抱き上げて棗へと渡そうと試みる。だが、美鈴は俺の首に抱き付いて離れない。
「おい、美鈴…」
「鈴。ダメだよ。僕と一緒に先に行こう?」
棗が説得を試みるが、いやいやと顔を振るのみ。
「とき、おにい、ちゃん…」
「何だ?」
本格的に酔いが回ってきやがった。美鈴の目がとろんとし始めた。本当に大丈夫か?
腕の中にいる美鈴の顔を覗き込むと、美鈴は幸せそうに微笑み、そして―――。

「―――ッ!?」

美鈴の顔が近づいたかと思ったら、口が触れた。…まさか、キスされるとは思わなかった。
ちゅっと音を立てて離れたかと思うと、また角度を変えてくっつけてくる。
……さて。これは一体どうしたらいいんだ?
別に妹とは言え血が繋がっている訳じゃない。素直に美鈴は可愛いと思っているし、キスする事になんら抵抗がある訳じゃない。だが、後で美鈴が絶対気にする。それこそ羞恥心で悶え、のたうち回るだろう。それを考えるとこのままさせっ放しも可哀想だ。…とは言えど。
美鈴を膝の上に置きなおして、首にまわされている腕を解こうとしてみたが。どこからこの力が出てきてるのかびくともしない。力技で離させる事も出来るが、これ以上力を込めると、美鈴の腕に痣が出来る可能性がある。
「とき、おにいちゃん…ちゅー…」
ちゅっちゅと何度も何度も、それはもう嬉しそうに楽しそうにキスをしてくる。これが頬とかならまだ可愛いで済むんだが…。
…仕方ない、か。
美鈴の髪を梳くように撫でて、ゆっくりと後頭部へと手を回すと、ぐっと支えて持ちあげる。
触れるだけのキス。それを俺の方から深いキスへと切り替えた。美鈴の口を舌で開ける様に促して、美鈴の舌と自分の舌を絡めた。主導権をこちらに奪い、美鈴の呼吸が辛くなるまで深い深いキスを繰り返す。
「…んっ、ふっ……んんッ…」
……そろそろ限界か?俺の肩をぽすぽすと叩いてくるし。なら…。
唇を解放して、美鈴が息を吸った所でもう一度、態とちゅっと音を立ててキスを続ける。美鈴の呼吸を奪い、ふるふると体が震えてるのを確認して俺は美鈴を解放した。
「…美鈴。満足したな?」
美鈴が真っ赤な顔で、瞳を潤ませながら、こくりと頷く。
「よし。良い子だ。ほら、棗と一緒に先に車に行け」
親指で美鈴の唇を拭って、呆けてる棗の額にデコピンをかまして我に返させてから美鈴を連れて行かせる。
これで良い。後は…。
さっきから俺を殺さんばりに睨みつけてくるこの都貴の息子をどうにかしなければ。
「お恥ずかしい所を見せました」
そう微笑んで言うと、呆けていた都貴社長がハッと我にかえり大きく頭を振った。おい、ヅラがとれるぞ。…もう半分以上脱げてるか。
「だが。どうしてここに俺やアンタ達が飲まないような酒があったのか。詳しく聞かせて貰おうか」
「そ、れは…」
「それから、そこの息子。仮にも父親が接待してる相手に何殺気飛ばしてやがる。…喧嘩なら買うが?」
ゆっくりと立ち上がり、俺は二人を見下す。
「…こんな卑怯な手を使うような人間が管理する会社だ。先は見えてるな。…提携は考えさせて貰う。最終的に判断を下すのは美鈴だが、覚悟をしておくんだな。…言っておくが、白鳥(うち)の総帥は部下を大切に出来ない上司を死ぬほど嫌う。それだけは覚えておけ」
口答えは許さん。
二人を睨みつけ俺はその場を去った。
料亭を出て、回された車に乗りこむ。後部座席に葵と棗が美鈴を守る様に両サイドに座っていた。助手席からバックミラーを見て確認すると、棗の膝枕で美鈴は穏やかに眠っている。
俺がシートベルトを閉めたと同時に車は走りだす。
「……鴇兄さん。…ずるい」
「は?いきなり何だ?葵」
「鈴は、意識がぼんやりしてるとキスする癖があるのかな…?」
双子の口調が若干拗ねてるように聞こえるのは気の所為か?
「鈴ちゃんと僕達もキスした事あるけど」
「寝惚けてたしね。鈴のファーストキスは僕だし…」
ファーストキス?
「美鈴のファーストキスは樹のボンボンじゃなかったのか?」
「違うよ。ほら佳織母さん達が再婚した当初に行った旅行覚えてる?」
あぁ、あいつらも込みで行った里帰りか?また随分懐かしい事を…。
「あの時、鈴ちゃんが寝惚けて僕達にキスしてくれたんだ」
「びっくりしたよね」
「うん」
……おい。あれって美鈴まだ小学校にも上がる前の話だろ?そんな昔の話持ってくるのか?…お前ら、案外必死だな。
「まぁ、今回のは事故みたいなもんだ。忘れとけ」
「忘れたい。けど…あの時鴇兄さんに甘えてる鈴ちゃんがすっごく可愛くて」
「うん。忘れたいけど…忘れたくないような…ジレンマだよ」
……ここで、こいつらに、美鈴のファーストキスは俺だぞって伝えたら崩れるんだろうな…。
昔。それこそ会って間もない頃だ。親父と二人、佳織母さんと美鈴の所を訪ねに行った時。親父は佳織母さんとイチャつくのに忙しく、俺達は二人で話をしていたんだが。気付けば美鈴が俺の足の上でうつらうつらし始めた。起こすのも可哀想で、そのままにしてたんだが、急に動き出して頬や額に、最後には普通に口にキスをしてきたのだ。
あんな小さい時のキスなんてノーカンだろう?そう思って誰にも言わないでいたんだが…。そうか。双子は幼い時の事と言えどしっかりカウントしてる訳か。…思わぬ所で弟達の可愛さを発見してしまった。
「……何にしても、美鈴は酔うとキス魔になるって知らないだろうから。後で教えてやれ。でないと美鈴を狙う男共に利用される可能性がある」
「そうだね」
「うん。後で教えてあげよう」
まさか美鈴にキスをされると言うハプニングに会うとは思わなかったが…。
やっと帰宅する事が出来て俺は素直に安堵した。

風呂に入って汗を流し、さっぱりした所で部屋へと帰ると何故か俺のベッドに、ほわほわの金色が見えた。
何だ?今日は一体どう言う日なんだ…?キスされて煽るだけ煽られて、風呂に入って全部洗い流してきたと思えば、据え膳が待っている。
美鈴。お前、もう少し自分が女だって事を自覚すべきだ。
……はぁっ。
溜息をついて、ベッドの側に近寄って眠る美鈴を覗き込む。
?、目尻が…濡れてる?
泣いてるのか?美鈴。
起こさないように、ベッドに腰を下ろし、美鈴の目尻を拭ってやる。
「…………ぱい」
「美鈴?」
「………かむ……せんぱ…」
先輩?誰先輩って言ってるんだ?美鈴の先輩と言うと、樹のボンボンか猪塚の跡継ぎ…くらいだよな?俺が知ってて美鈴が先輩と呼ぶ人間は…。
一体どんな夢を見てるんだ?美鈴。
頭をそっと撫でてやると、美鈴はゆっくりと口元に笑みを浮かべる。……はぁー…、ヤバいな。俺の脳内だいぶキてるだろう。知らず視線が美鈴の唇に行きそうになり、度に頭を振って冷静さを保つ努力をする。
さっきは人前だったから理性で抑え込んだが、俺の部屋だと俺以外いないわけで。美鈴…ちょっとは警戒しろ、と言った所で兄である俺に何で警戒が必要?と首を傾げそうだな。
きょとんとしてる美鈴の姿が目に浮かび、微笑ましくなって撫でていた手でほっぺを突く。

ぎゅっ。

突いてた指を美鈴に捕まれた。一瞬起きたのかと思ったけれど、美鈴はすよすよと俺の指を握ったまま眠っている。
「っとに、お前は…。可愛いのも程々にしとけよ。俺にだって人並の欲はあるんだからな?」
しかし…微笑ましいのは良いとして。これは今日の二の舞だろうか?指を離す気配が一向に感じられないんだが…。
……仕方ない。寝れるかどうかは、解らないが久しぶりに一緒に寝るしかない、な。
起こさないように美鈴を片手で奥へと寄せて、空いた隙間に体を滑りこませて少し距離を置いて横になる。
これで大丈夫だろう……って、おい。美鈴。お前なぁ…。近寄ってきたら、離れて寝た意味がないだろ。明日目を覚ました美鈴に俺は何て説明したらいいんだ。今日のキスの事はこの様子だと覚えてないだろうが、この状況は真っ先に目に入るんだぞ?
あれな兄貴だと思われないようにするにはどうしたらいい?
…棗の部屋に運ぶか?いや、いっそ棗と葵を呼ぶか?……あいつらにとったらそれも拷問か。
覚悟、決めるか。
美鈴の体を抱き寄せて、幼い頃のように腕枕をして、俺はそっと目を閉じた…。

※※※

「…ぱい…せんぱいっ…鷹村先輩っ!」
女の声がする。
ふと意識が覚醒するのを感じた。だが、ふわふわとした浮遊感。これは、一体…?
真っ暗な空間で声だけが聞こえ、同時に視界がぶれてる事できっと揺さぶられてるんだなって事が理解出来た。
すると、徐々に視界が明るくなっていく。あぁ、目を覚ますんだな、って事と、この自分で体が自由にならない事でこれは夢なんだと直感的に理解した。
どうやら俺は、俺でない誰かに入って、そいつの行動を体験しているらしい。
光に目が慣れると、そこには黒髪の美人が屈みながらこちらを見ていた。…この顔、もしかして…美鈴の前世かっ!?
「こんな所で眠ってると風邪引きますよ?」
ふふっと笑うその姿は、今の美鈴そのもので。何よりその女性のネームプレートが『西園寺』と記している事が予想を確信へと変えた。
「そう、だな。起こしてくれてありがとな」
俺と一体になっている男の声が聞こえ、少し違和感を覚える。
立ち上がり西園寺の頭を撫でる。すると、はにかみながらも嬉しそうにその手を受け入れる姿は今の美鈴の姿と素直に重なった。
「…その、鷹村先輩。明日のデート、楽しみましょうね?」
腕に抱えた書類を抱きしめて、顔を真っ赤にしながら。それでも気持ちを伝えてくれようとしているそんな姿がとても愛おしい。そんな真っ直ぐな気持ちが俺の中にも流れ込んでくる。
「あぁ。俺も楽しみにしてる。…さて。その楽しみを潰されないように、午後もがっつりと働くか」
「はいっ」
オフィスの休憩スペースのソファで寝ていたらしい。西園寺と別れ真っ直ぐ自分の部署へと戻り仕事をこなす。…そんなに難しい内容でもないな。これならあっという間に終わるだろう。
そう思えたのは俺だけだったようだ。俺の入っているこいつは何とかその日午後一杯使い、仕事をやり終えた。
ごきごきと凝り固まった肩を鳴らし、会社を出る。すっかり日は落ちて、空には星が浮かんでいた。
(…今ならまだ間に合うな。明日が誕生日だったはずだからタイミングもいい。注文していた指輪を貰いに行くか)
指輪?西園寺に贈るのか?
男は迷う事なく足を進めた。俺が知っているはずの日本の光景と若干違う所もある街並みを真っ直ぐ歩く。
ブルルルルルッ。
携帯が着信を知らせ、画面を確認する事なく電話に出る。
『あ、やっと出たわね』
「やっと?そんなに電話したのか?母さん」
『ううん。今が初めて』
「おい」
『だーって、言ってみたかったんだもんっ。仕方ないっ』
「その仕方ないってセリフは俺のセリフだろ」
『もうっ。深い事気にする男は、華ちゃんにモテないわよっ!』
「ピンポイントで言うな。それに明日デートする約束を既にとりつけてる。残念だったな」
…漫才か?だが、何だ、この既視感。俺と血の繋がった母親との会話にそっくりなんだが…。
『デート…。そうっ、そうなのねっ?あぁ…嬉しいわ。やっと覚悟を決めたのね、浩時(こうじ)。貴方、あの子を責任もって育てるとか言っておきながら、名前を出さずにコソコソと仕送りだけするんだもの。一目惚れしてた癖にっ』
「なっ!?何で母さんがその事知ってんだっ!?」
『あら?最初私が華ちゃんの後見人になるつもりだったんだから知ってて当然でしょう?バレないようにコソコソと華ちゃんを襲う男共に制裁下してたのも全部ぜーんぶ知ってるわよ~。…病院で薫が亡くなった時に貴方はあの場に居合わせたのよね』
「…あぁ。もう少し、…もう少し早くあの医者の異常ぶりに気付けていたら、助ける事が出来たのにな」
『……そうね。私も未だに悔やんでるわ。せめて…華ちゃんの側にいてあげられたら、って』
医者?助ける?
二人の会話の意図が読み取れない。一体何の話だ?
疑問に思っていると、目の前に突然その映像が現れた。

病院の一室。
『許さないわっ!!私は絶対に貴方を許さないっ!!私の体で実験し、私をだしに娘を強姦した事も絶対に許さないっ!!』
『な、なにを言ってるんですかっ!?私がそんな事を』
『してないとでもっ!?現に貴方はマスクを取ったら死んでしまう私より自分の保身を考えて抗議しているじゃないっ!!騙されないし、許さないっ!!例え、この命がここで失われるとしても貴方だけは絶対に許さないわっ!!』
病室の廊下から女性が医者に向かって凄い剣幕で怒鳴りつけている姿を見ている。その女性の側に今より幾分若い西園寺華がいた。
『お母さんっ!?』
お母さんと叫んで西園寺が手を握った。と言う事は…あれが前世の佳織母さんかっ?
涙を流し、息も絶え絶えになりながら、愛おしい娘に最後の愛を告げていた。
『華…。幸せに。どうか、どうか幸せに…』
『お母さん…やだ…。いかないでっ…。おいて、いかないでっ…』
『華…。可愛い可愛い華…。幸せに、なりなさ、い…』
『お母さんっ!?お母さんっ!?いやっ、いやだよっ!!お母さんっ!!』
そして、西園寺…美鈴の絶叫とも言える泣き声が病院中に響き渡った。

なんと言葉にしていいか、解らなくなった…。
佳織母さんが、常に美鈴の為を想って行動を起こしてるのは知っていたし理解しているつもりだった。だが…こんな最期を見せられると、理解していると言う言葉がどれほど烏滸がましい言葉なのか、思い知らされる。

『離してっ!もうっ、お母さんはいないっ!貴方の言う通りになる必要はないんだからっ!』

叫び声が聞こえて、また映像に視線を戻す。
そこに映し出されていたのは、前世の佳織母さんの葬式の場面だった。
遺影を抱きしめて、スーツを着ている医者の手を振り払って逃げる西園寺華の姿。だが医者はそれを追い掛ける。
肩を掴み引き寄せて、西園寺華を押し倒す。
『嫌っ!嫌ぁっ!!』
『これからは私が貴女を養ってあげますよ。ずっと、ずっと、ね』
『嫌っ!誰かっ!誰か助けてっ!お母さんっ!!』
『おかしな事を言いますねぇ。貴女の母親は死んだじゃありませんか』
『いやあああああっ!!』
おいっ。こんなに嫌がってる女が、助けを呼んでいる惚れた女がいるのに何で動かないっ!?
西園寺華の着ていた黒のワンピースが持っていたナイフで切り裂かれる。…このナイフ…。そうか、こいつもあのストーカーの生まれ変わりの一人かっ。
映像が動いた。
西園寺華の姿が遠ざかる。まさかっ、逃げたんじゃないだろうなっ!?ふざけるなよっ!?
だが、違った。…どうやらこいつは力に自信がない奴だったんだろう。人を呼びに行ったんだ。警備やその他体格の良い男達を引き連れて西園寺の救出へと向かった。
本当にぎりぎりで、最後まではいかなかったものの助ける事が出来たみたいだが…西園寺華の姿はボロボロだった。
…一人じゃ立ち向かえないからって、それでもやれる事があっただろうっ!
自分が入っている男にただただ怒りを覚える。自分が殴られてでも止めるべきだったんだ。惚れてるなら尚更っ!!
この男の情けなさに目の前が真っ赤になる。

映像が消えて、視界が元の街中へと戻った。
「………くそっ」
『なに?また薫の葬式の時の事、思い出してたの?…浩時は良くやったわよ。暴走者にはねられた後だったのに、全力で走って。おかげで骨折した足の治療が長引いて、お金は飛んでいったけどね』
「…そんなの、言い訳にならない。いまだに考える。怪我なんて気にせず助けに行くべきだったんじゃないかって」
『…いいえ。浩時。貴方の行動は間違っていない。あの場でもし貴方が華ちゃんを庇って、もしももっと酷い怪我や最悪死に至っていたら、その後誰が華ちゃんを助けるの?下手をしたら華ちゃんはもっと最悪な事態に陥っていたのよ?』
電話を通した会話が続く。
怪我…?そうか。怪我を…。
人を呼びに行った理由は分かった。だが、何故だ?俺の中の怒りが消えない。むしろ不甲斐無いと言う感情がプラスされたようで、イライラが増す。
「それで?母さん。本題はなんだ?」
『え?』
「用があるから電話したんだろう?」
『あー…そうなんだけどね』
中途半端に言い淀まれると気になる。相手側も言うか言うまいか悩んでいる感じだった。
『…………ざわつくのよ』
「ざわつく?」
『そう…。薫を失った時と同じ様な…ずっと胸がざわざわして落ち着かないの。薫が亡くなった時も同じ感じがして落ち着かなくて。互いに結婚して合わないようになっていってたんだけど、その日ばっかりはざわざわと心が落ち着かなくて、浩時に病室を確認して貰って、急いで会いに行ったら薫はもう…。それと同じ感覚がずっとずっと消えないのよ。だから…』
「………そうか。分かった。これから西園寺の所に寄ってみる」
『そう、してくれる?……襲っちゃダメよ?』
「……あのな」
頼んできたのはそっちだろう。呆れ果てた突っ込みをいれるそいつの気持ちが痛いほど理解出来る。母さんもそうだった…。湧いていた怒りが大分鎮火した。
通話が終了して、そいつは注文していた店に入ってさっさと会計を済ませて、少し急ぎ足で西園寺の家へと向かった。
マンションの一室が西園寺の部屋らしい。部屋の明かりは付いてる。
なら無事に帰宅したって事か?じゃあ、大丈夫だろう。そう思うのに、

『……ざわつくのよ』

母親の声が脳内に木霊した。そいつは真っ直ぐ西園寺の部屋へと向かった。ドアの前に立ち、チャイムを鳴らす。しかし、明かりがついているのにも関わらず反応がない。

「まさかっ!?」
まさかっ!?

俺の思いとそいつの声が重なった。
「西園寺っ!!いるのかっ!?西園寺っ!!」
ガンガンとドアを叩く。
反応がない。
こんなに大声で叫び、ドアを叩いているのに反応がないなんておかしいっ!
「ちょっと、煩いんだけど…」
「今の時間分かってる?」
隣室の奴らが出てくるが、関係ないっ!事情を話す余裕はないっ!

「こうなったら、ドアを破壊するっ!」
それしかないっ!

感情を全て力に変えたような勢いでドアを蹴り破り、壊れたドアを踏みつけて中へ駆け込む。
そして、視界に飛び込んできたのは…。

「さい、おんじ…?」

血にまみれた西園寺華の姿と、そんな西園寺を犯してい悦に入っている男の姿。

「きゃああああっ!」
「い、医者っ!?いや、警察だっ!!急げっ!!」

隣人達の叫びや言葉など一切耳に入らない。
俺の目に映るのは、もう、輝きを失った西園寺華の瞳と生気が消えたその美しい裸体だけ。

「う、そ、だろ…さいおんじ…、はな、…華ッ!!」

―――なんで、こうなったっ!?

―――どうして、華が血まみれで死んでいるっ!?

――――――なんでだっ!?

無意識に駆け出していた。
いまだ華を穢し続ける男を殴り飛ばし、華の体を奪い取る。
……冷た、い…。
着ていたコートを脱ぎ、ジャケットも脱いで華の体を包む。これで暖かさが戻る訳がないのに…。こんなにも体を刺されて、生きている、訳が、ないのに…。
「華…ッ、くっ…」
冷え切った、もう温もりを持つ事のない体をきつくきつく抱きしめる。
そっと、血にまみれた顔を手で拭って、その唇へと触れるだけのキスを交わす。

『……鷹村先輩っ』

…声が、聞こえた…?

『…ホークスっ』

………優しい、誰よりも愛おしい声だ…。

『鴇お兄ちゃん、大好きっ!!』

―――パァンッ!

脳内が記憶で溢れかえる。様々な『俺』と『彼女』の記憶が流水の如く溢れ流れて行く。
そして―――理解した。
『俺』が記憶を取り戻す、条件。それは、『彼女の死』だと。
それから…その望んでもいない条件を発生させる、きっかけは全て…。

「…また…、またっ、美鈴を殺したのかっ!!都貴静流っ!!」

こいつの所為だとっ!!

「…あぁ、思い出しちゃったんだ?俺の名前。って事は今回も美鈴は死んじゃった訳だ」
「ふざけるなっ!!」

華の亡骸をそっと寝かせて、都貴静流の生まれ変わりを殴り飛ばす。
「ふざけてるのはお前だっ!白鳥鴇っ!!」
懐からナイフを取り出しこちらへ突きつけてくる。
「お前はいらないっ!!お前の所為で、どれだけ生まれ変わっても俺は美鈴を手に入れる事が出来ないっ!!お前はいつもいつもそうだっ!!俺の目の前で美鈴の心ごと全て奪い去っていくっ!!美鈴は俺のものだっ!!いい加減死ねよっ!!」
ナイフが勢いよく突き出されるのを何とか避け続ける。
「お前はっ、お前はっ、どれだけ俺の邪魔をする気だっ!消えろよっ!!消えろおおおおっ!!」
「ぐっ!…くそっ!!」
体が鈍い。もっとうまく避けれるはずなのに。
「はははっ!車で引いてやったのが今効いて来てるなっ!!あははははははっ!!」
狂ったように振りかざされるナイフ。
……美鈴が、いない世界で…俺が生きている意味はない。
振りかざされたナイフ。
俺は抵抗を止め、胸に受け入れた。
「ハハハハハハッ!死ネ、死ネェッ!!」

ドスッ!
鈍い衝撃が俺の胸に突き刺さる。これで、あいつは俺の攻撃範囲内だ。
「……あぁ、死んで、やるさ。お前の望みどおり、にな。だが、美鈴は、渡さない」
「ハァ?」
「てめぇも、死ぬんだよっ!!」
ナイフを握っていた手を全力で握り、手首の骨を粉砕する。
「うぎゃあああああっ!!」
「……次の世で、今度こそ、お前を消すっ!!絶対に、絶対にだっ!!」
己の胸に刺さったナイフを引き抜く。痛みなんてもう感じて苦しむ必要はないっ!
ナイフを奴の首へと突き刺す。更に止めの一撃っ!そいつを担ぎ上げて窓へと全力で投げつけた。
バリィンッ!!
盛大にガラスが割れる。奴はそのままベランダの柵を越え、下へと落ちていった…。
これで、今のあいつは死んだはず…。
グラッ。
視界が歪む。
胸からこれだけ血を流してたら当り前か…。
だが…。最期の力を振り絞り、美鈴の…いや、今は華だったな。
華の側へと歩み、きつく抱きしめて、力の入らなくなった体に促されるまま横たわる。
「…怖かったな、華。……ごめん、…ごめんな…ッ。また、守れなかった…。あれだけ、何度も、何度も守るって、誓ってたのに…。結局、守れなくて、ごめんな…。なぁ、華…、………愛してる。…ずっと、ずっとお前の幸せを願ってるんだ…」
もう誰も映す事のないその瞳をそっと伏せる。
ふと、頭上に華の鞄があることに気付く。その中には綺麗にラッピングされた箱がある。
あれは時計屋の…?
動かなくなりつつある体を必死に動かして、手を伸ばし箱を取る。

『鷹村先輩へ。愛を込めて…』

華の文字で、そうメッセージカードに書いていた。
知らず、涙が溢れた。
「俺の、か?華…?俺の、為に、買って、くれたのか?……ありがと、な。華。俺も、お前に、渡したい、物が、あったんだ…。渡し、たかったんだよ、華…ッ!」
こんな、こんなことってあるかっ!!
こんなにも俺は華を愛してるのに、華は俺を愛してくれているのにっ!気持ちを伝える事ももう出来ないっ!
母さん。…母さんっ。
もし、もしも俺達を発見してくれたのなら、頼むよ。
俺にこの腕時計を、華に俺の渡すはずだった指輪を付けて、一緒に燃やしてくれ。頼むから…。
そして、また生まれ変われるのなら…。
「…今度こそ、…もっと早く、お前を、見つける事が、出来た、なら…」
…その時は、必ずっ…。
視界を闇が覆い、俺の意識も闇と交じって行った。

闇の中に俺の存在だけが浮かんでいるような不思議な感覚に陥る。
そんな俺の前に光の玉が現れた。

―――『これが、君の前世だ。…思い出したかい?』

……誰だ?

―――『途中から、君は完全に前世の君と一体化していた。それは、これが君の前世だったから。それも、理解しているね?』

………あんたは誰だ?

―――『本当ならば君は美鈴から手を引くべきだ。今までの前世を思い出したのなら解るだろう?君はどの世でも美鈴を幸せにする事は出来ない。……だが、美鈴は、君を選ぶ。今の世も美鈴は君を選んだ』

………俺を…?

―――『君を選ばないのであれば、美鈴は幸せになれる可能性が上がる。美鈴が他の男を選ぶのであれば、私は君を遠ざけた。だが美鈴はどうしても、君が良いらしい。…これが最初で最後のチャンスだ。美鈴を今度こそ幸せにしてやってくれ』

光が点滅し、少しずつ大きく大きくなっていき、視界が黒から白へと代わり染められていく。
眩しさに思わず目をきつく閉じて、次に見たのは…。

※※※

「鴇お兄ちゃん。朝だよー」
美鈴の顔のドアップ。そして、俺の上に乗っかってる所為か全体重が俺を圧している。
俺の上で肘をついて、ニコニコと微笑む。
「珍しいねー。鴇お兄ちゃんが夢見て泣いてるなんて」
そう言って俺の目尻に優しく触れるその手は暖かくて、…涙が頬を伝った。
「美鈴…」
「ふみっ!?鴇お兄ちゃんっ!?」
ぐっとその体を抱きしめる。
いつも、感じている冷たさはない。美鈴はまだ、暖かい。
生きてる…、生きてるんだっ!
「鴇お兄ちゃん…?」
不思議そうに首を傾げる美鈴に、俺は知らず笑みを浮かべて額にキスをしていた。
なぁ、美鈴?
今度こそ、幸せになるぞ。
俺と、お前で、幸せになるんだ。
そして、今度こそ互いに気持ちを伝えあおう?
デートに行こう?
誕生日を二人きりで祝おう?
「鴇お兄ちゃん?ホントにどうしたの?」
心配そうに美鈴が俺の顔を覗き込んでくる。それに苦笑して、俺は美鈴の頭を撫でた。
「………なんでもない。だが、美鈴?」
「うん?なぁに?鴇お兄ちゃん」
「今年の俺の誕生日に貰うプレゼント、強請ってもいいか?」
「良いけど、結構遠くない?今春だよ?」
「分かってる」
「ふみみ?何が欲しいの?」
「……時計を」
あの時、お前がくれる筈だった時計をくれるか?
その言葉を飲みこみ、俺は体を起こした。上に乗っかっていた美鈴は横にふみふみ言いながら転がった。
そんな美鈴に両腕を伸ばし、胸に抱き寄せて、俺はその耳元で囁いた。

「美鈴。……好きだぞ」

と。これが、美鈴と幸せになる為の第一歩だから…。

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