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第五章 全面対決編(高校生)
※※※(大地視点)
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鍵なんていちいち開けていられるかっ!!
ドアを破壊するように開けて、目の前にいる小学生を殴り飛ばし、そのまま意識を失って倒れかかった姫ちゃんを抱きとめた。
恐怖が強過ぎたのか…姫ちゃんは涙すら流していなかった。
全て、コイツの所為で…。
ぎりっと握った拳に力が入る。
「あなたは…。ちっ、面倒な奴に起きられましたねぇ」
オレが殴った時に歯の一、二本逝ったんだろう。
血を拭いながら立ち上がる。立ち上がらせる訳ねぇだろっ!
姫ちゃんを抱き上げて、手加減もなく渾身の力で蹴り飛ばす。
「がはっ!!」
骨が折れようが、血反吐吐こうがどうでもいい。
―――消す。
倒れたそいつの胸を思い切り踏みつける。
「……消えろ。消えて詫びろ。今度こそ、確実に消す」
「ハハッ」
何で笑う…?
「死、なんて、全く、怖くないんですよぉ。残念、でした、ねぇ」
あぁ、成程。そう言う事か。
「ははっ」
思わず出た笑いに今度は足の下にいるこいつが訝し気に眉をよせる。
「残念だったな。オレは死ねとは言ってない。『消えろ』って言ったんだよ。今度こそ、『華』の前から消えて貰う」
「私を?消す?ハハッ、なんの、冗談、ですか?」
「冗談かどうかは後で確認したらいい」
足に力を入れると、ボキッと鈍い音がする。
子供の体なんて壊そうと思えばいくらでも破壊できる。
こいつの存在の消し方なんて知らねぇし、さっきの言葉はただのはったりだ。
だが、そうでも言って脅しておかなければこいつはまたやってくる。それだけは避けなくてはいけない。
「ぐっ…く、そっ!」
怪し気な気配を感じて、急ぎ退いて距離を取る。
「ま、ったく、いまいま、しい、ですねぇ。この、私、が二度も、人を、呼ばなくては、いけない、など」
ゆらりと骨が折れていると言うのに立ち上がり、そいつは指笛を鳴らした。
すると、一気に気配が膨れ上がる。
周囲を囲まれた?
一体何人いるんだ?いや、それより…。腕の中の姫ちゃんが苦しそうな表情を見せる。
……良くなった筈の男性恐怖症が戻ってしまった。
多分、こいつとのやりとりで、オレですらダメになってしまったんだろう。
姫ちゃんをまず佳織さんの場所か、せめて女がいる場所に連れて行かないと。
戦闘態勢に入った、その時。
ピンポンパンポーン。
と、その場の緊張感とかけ離れた気の抜けるチャイムが響いた。そして、
『全校生徒に告ぐっ!全校生徒に告ぐっ!『お休みの時間は終わりましたっ!』繰り返しますっ!『お休みの時間は終わりましたっ!』今すぐ正気に戻りなさいっ!!』
新田の声が校舎内に響き渡る。
それと同時に。
「うぁ?俺は一体何を?」
「確か、星ノ茶の生徒が行き成り押し寄せてきて」
「我らが白鳥さんを寄越せとか抜かして来て」
「そうだっ!白鳥さんはっ!?」
「無事なのかっ!?」
操られていた生徒達が我に戻り始めた。
一方倒れてた生徒も目を覚まし、状況把握をし始める。
『再び全校生徒に告ぐっ!私達の王子が危機的状況にありっ!!すぐさま応援に向かうべしっ!!場所は、『第一保健室』ッ!!』
声が華菜嬢に切り替わり、学校中から生徒の唸り声が響く。やけに懐かしさを感じるのは気の所為ではないだろう。
地鳴りと共に唸り声が近づいてくる。
「……ちっ。一度、退くっ!」
動き出そうとした、そいつが振り返った先には…。
「行かせるとでも?」
「この前はどうも。しっかりとやり返させて貰うぜ、クソガキ」
奏輔と透馬。そして…。
「そうか。お前か。俺の妹を怯えさせてくれやがったのは。―――覚悟は出来てるんだろうな」
怒れる姫ちゃんの兄貴が待ち構えていた。
「こ、の、気配、は…っ!?くそっ、くそぉっ!!『また』お前かっ!!」
「行き成り意味の分からない事でブチ切れてんじゃねぇよ。…美鈴を怯えさせた落とし前きっちりつけさせて貰う」
鴇が動くのであれば。
オレは姫ちゃんを抱き上げたまま、後ろへと身を引いた。
同時に鴇が駆け出す。
だが、不利だと分かったそいつは何かを地面に投げつけた。
煙がモクモクと現れる。
「この程度で逃げられると思うなっ!未っ!」
「了解」
バリンッ。
ガラスが割れる音がした途端、煙がはれていく。
「な―――ッ!?」
「逃がさんっ!!」
驚いた言葉を最後まで言わさずに、鴇がそいつの顔面に拳を叩き込む。
そして、もう一発。
振り上げた拳を力の限り殴りつけた―――が。
バシッと音を立てて、その拳を止められた。
誰だ、あいつ。…ストーカー野郎と同じ顔をしてやがる…。女みたいな可愛い顔に似合わず力が鴇と均衡している。あの制服は星ノ茶の生徒だな。
「てめぇは…星ノ茶の生徒会長だったな」
ぎりぎりと受け止める手と鴇の拳が音をあげる。
「弟が、失礼を。……連れて帰りますので、勘弁して貰えませんか?」
この状況でそれを言うか?
姫ちゃんが意識を失って。学校中が引っ掻きまわされているこの状況で?馬鹿か。
「…はい、そうですかと頷くとでも思ってるのか?」
「頷いて頂きますよ。こちらには人質がいますから」
人質?
ちらりと鴇がオレに視線を寄越す。安心しろ。絶対に離さねぇから。
深く頷くと、鴇の視線は戻される。
「残念ながら、彼女の事ではないですよ。ねぇ、虎太郎?」
何かを感じたのか、鴇が相手の手を弾いて後ろへと跳ねて距離をとる。
そして頭上から先程鴇が立っていた場所へ、手裏剣が突き刺さった。
「退きますよ。蠍三(かつただ)」
その言葉を発した直後に近江虎太郎を含めた星ノ茶の生徒は姿を消した。しっかりと爪跡を残して…。
昼休みの間に起きたほんのわずかな時間の出来事。
それの後処理をしなければいけないのは解っている。だが、オレ達は姫ちゃんを放置していなくなるなんて出来なかった。
逢坂や優兎、それに四聖の彼氏と言われる連中が動いてくれるという言葉に甘えて、オレは姫ちゃんをベッドに寝せて、目覚めるのを保健室で待つ。
勿論、鴇を始め、透馬、奏輔、華菜嬢、そして四聖のメンバーもいる。
「皆、怪我はー?」
念の為に聞くと誰一人怪我はないようで、まずは一安心だ。
一瞬の沈黙。
それを破ったのは鴇の携帯の音。
メール?…違うか。電話だ。
鴇がすぐに出る所を見ると、家族か?
「葵か?どうした?……それで?お前達は無事なのか?…あぁ。そうか。お前達が無事なら樹と猪塚の怪我は気にしなくていい。…そうか。こっちも同じだ。学校に乗りこんできた。ちょうど俺や透馬達が外に出ている時を狙われた。呼び出しは罠だった。そいつらを伸して学校に戻って来たんだが、一歩遅くてな…。いや、念の為に大地を置いていったから、美鈴は連れて行かれていない。ここにいる。だが、余程怖かったんだろう。意識を失ってまだ目を覚まさない。…あぁ。怪我はない。…そうか、解った。気を付けて来いよ」
相手は葵だったようだ。
携帯をしまい、ポケットへしまうと鴇はふぅと小さく息を吐いた。
「……葵達の大学にも星ノ茶の生徒が襲って来たらしい。問題なく撃退したらしいが、樹と猪塚が軽く怪我を負ったそうだ」
「そっちはどうでもいいですけど、葵さんと棗さんも狙われたって事ですか?」
「葵と棗、樹、猪塚の四人を狙ってきたようだった。並の奴だったらやられてる所だっただろうが、あいつらは並ではないからな」
「確かに。…美鈴ちゃんだけを狙ってたのかと思ってましたけど、さっきの話だと鴇さん達も襲われたんですよね?」
「あぁ」
「学校も襲われた。…共通点でもあるんでしょうか?」
華菜嬢の言葉にまた沈黙が訪れる。
オレ達もそれはずっと考えていた事だ。
だが、どう考えても共通点はない。姫ちゃん…『白鳥美鈴』という人物以外は。
「普通に考えればそうなんだろうけどな」
「透馬?」
「一つ、アイツが気になる言葉を言ってた。俺が襲われた時に俺に向かって『攻略対象キャラ』と、そう言っていた」
攻略対象キャラ?何だ、それ。
オレ達が首を傾げている中、その言葉に逸早く反応したのが新田だった。
「攻略対象キャラ?何それ。乙女ゲームの話?」
「乙女ゲーム?それは美鈴が新田とよくやってるゲームの事か?」
「……なんでこっそりやってるのに白鳥先生にばれてるのかは、全部片付いてから聞くとして。そうです。もしかしたらギャルゲーの方かもしれないけど。とにかく『攻略対象キャラ』ってのは、読んで文字の如くです。ゲームに出てくる攻略する事が可能なキャラクターって事です」
「もし、それが言葉通りだとして。俺達に一体何の関係がある?」
「さぁ。…確かに王子の周りにいる人間は攻略対象になっててもおかしくない程の美形揃いですけど…」
ゲームはゲームだ。なんでそれを奴は言いだした?ゲームが現実になるなんてあり得る訳がない。
誰もがそう思い沈黙する。
―――ドタッ。
唐突にベッドの方から鈍い音がして振り返ると、姫ちゃんがベッドから落ちていた。
いつの間に目を覚ましていたのか。
解らないが、とにかく姫ちゃんに駆け寄ると、ベッドから落ちた姫ちゃんはぴくりとも動かない。
どこか打ったのかっ?
慌てて側に行き、抱き起そうと手を伸ばした。でも。
「……ぁっ、うっ…ぁぁっ!」
声にもならない声と一緒に手を払い退けられてしまった。
「姫、ちゃん…?」
もう一度、手を伸ばす。すると、今度こそ本格的に、バシンッと手を払い退けられてしまった。
オレじゃ、駄目か?
立ち上がり振り返ると既にそこには鴇が立っていて、視線だけで交代を伝え場所をチェンジする。
「美鈴…?ベッドに戻すぞ?」
鴇がオレと同じように姫ちゃんに手を伸ばす。だが。
―――バシンッ。
鴇の手を払ったっ…!?
姫ちゃんがっ!?
これにはここにいた全員が驚いた。まさか、鴇の手を払うなんて姫ちゃんがするとは思えなかったから。
「白鳥先生。どいて。アタシがベッドに乗せるよ」
向井の言葉に大人しく従い場所を開けたが、姫ちゃんはあろうことか…。
「あ、ぅ、…っ!!」
その瞳から涙を溢れさせ、向井の手ですら避けたのだ。
「王子…?」
「円っ。どいてっ。美鈴ちゃんっ」
華菜嬢が向井と姫ちゃんの間に割り込み、その両頬を両手で包んで額同士をくっつけた。
がりがりとその手を外そうと姫ちゃんが華菜嬢の手に爪を立て抵抗する。だが、華菜嬢は一切それを気にせずにただ姫ちゃんの目を覗き込む。
「……まさ、か…」
「…花崎?」
「………美鈴ちゃん。目が、見えてないの…?」
『―――ッ!?』
皆息を飲む。
もし、もしそうなのだとしたらっ。
ここまでオレ達が声を発しているのに、音に気付いていないのもおかしいっ。
姫ちゃんの横でパチンと指を鳴らす。
だが気付いた様子はない。
他は?他にも…そうだ。嗅覚。
匂いだって解っていたとしたら、人の判別は付くはずだ。
それも解ってないのか…?
―――ドンッ。
「きゃっ!?」
「華菜ちゃんっ!」
華菜嬢が姫ちゃんに突き飛ばされて、咄嗟に一之瀬が抱きとめる。
「美鈴っ!落ち着けっ!」
鴇が姫ちゃんの両腕を掴む。
けれどそれは逆効果だった。全力で姫ちゃんは暴れる。
当然だ。姫ちゃんは今暗闇の中訳の分からない何かに腕を掴まれているのだから。落ち着けば感触で男か女かの判断は付くはず。パニックを起こしている今はそんな判断なんて出来る訳がない。
力ずくで動きを止める事は出来る。
しかし、姫ちゃんはきっとあのストーカーへの恐怖で五感の内の四つを失った。だとするならば、男が抑え付けると更に恐怖を増加させ残った五感の一つも失わせる可能性がある。
かと言って、女子の力じゃ…。
姫ちゃんは見た目より力が強い。全員で抑え付けてやっとだろうが、それでも落ち着いてくれるとは限らない。
「ちっ…」
鴇もきっと同じ判断をしたんだろう。立ち上がり携帯を取りだした。どこへ電話をかけようとしているのか。
それを問う前に、
―――ズバァンッ。
横開きのドアが前に倒されて…、
「美鈴っ!!」
答えの方からやってきた。
「鴇っ!美鈴は何処っ!?」
「佳織母さんっ。今電話しようと」
「いいから、美鈴はっ!?そこねっ!?」
元々オレが破壊していたドアを更に破壊して佳織さんは真っ直ぐ姫ちゃんへと駆け寄って抱きしめた。
抵抗する手すら抑え付けて、きつくきつく抱きしめる。
「……良かったっ。…生きててくれて…っ。本当にっ、良かったっ…」
誰も言葉を発する事が出来なかった。
佳織さんが、泣いていたから…。
「駄目かと思ったわ。間に合わないかとも…。ばか…。このばか娘…っ」
姫ちゃんの抵抗する手が次第に鳴りを潜め、小さくその唇が動いた。
「……ぉ、ぁぁ、……」
……『お母さん』。
そう、確かに動いていた。
「そうよ。お母さんはここにいるわ。大丈夫。ちゃんとここにいるわ」
ポンポン、ポン。
ポンポン、ポン。
分かりやすく一定のリズムが刻んで佳織さんは姫ちゃんの背中を優しく叩く。
さっきから何度も何度もそのリズムで。…意味が、あるのか?
「美鈴。立つわよ?」
ポンポン、ポンポン。
ポンポン、ポンポン。
今度は違うリズムで姫ちゃんの背を叩く。
すると姫ちゃんは佳織さんの手を借りて、ゆっくりと立ち上がった。そして、そのまま大人しくベッドに腰をかけた。その隣に佳織さんが自然と腰をかける。
「…佳織母さん。美鈴は」
「……目と、耳。それから鼻、ね。三つも感覚をやられてたら、味覚もアウト。…触感は理解出来てる。…そうでしょう?」
全員が頷く。
「美鈴が小さい頃、私と良くやっていた遊びサインが役に立ったわね」
「サイン?」
「そうよ。二回叩いて、一拍置いてもう一回。これは『私は美鈴のお母さんですよ』って意味。二回叩いて、一拍おいてもう二回。これは『立って移動しましょうね』って意味。他にも三回叩いて一拍置いてもう一回で『制裁しましょう』だったりね」
「……最後のは敢えて聞かないでおく。とにかく助かった。佳織母さん。だが呼び出してもいないのに、何でここに?」
「それは―――」
佳織さんが一瞬黙った直後。
「鈴ちゃんっ!」
「鈴っ!」
双子が血相を変えて飛び込んできた。
全力疾走して来たのか息も絶え絶え。大学からここまで結構な距離があるから当然と言えば当然。
「葵と棗が念の為にと呼びに来てくれたのよ」
「……それをあっさり追い越して、置いて来た訳か」
「そうよ。全く、こんなおばさんに追い付けないなんて、鍛え方が足りないわよ、二人共」
「……佳織母さんと一緒にしたらこいつらが可哀想だ」
うんうん。
奏輔と透馬も同じく大きく頷いている。
そして、そんな事もおかまいなしに双子は姫ちゃんに駆け寄り、佳織さんにストップをかけられていた。
「鈴ちゃん…。髪が…」
「鈴。…鈴?」
二人共姫ちゃんの現状を見て、一瞬辛そうにしたかと思うと振り返った瞬間には目を吊り上げていた。
「鴇兄さん。これ、どう言う事?」
「誰がやったの?どうしてこうなったの?」
「順番に話すから落ち着け」
鴇は今までの流れをざっと説明する。
「大地や花崎達のおかげで美鈴が誘拐される事は避けられたが。…恐怖が極限まで達してしまった。その結果が今の美鈴だ」
「そんな…。鈴ちゃん…」
「鈴…。触れる事も出来ないなんて…」
切なそうに瞳を細める棗に何て言ったらいいか解らない。
棗は小さい時からずっと姫ちゃんを抱きしめて癒してきたのだ。それが出来ないもどかしさは…オレ達には想像も出来ないかもしれない。
皆の視線が姫ちゃんに集まる。
ピコンピコン。
携帯のアラームが一斉になった。
けどオレのじゃない。鴇達でもない。となると…?
「…犬太からグループトークで連絡。後片付けの手が回らない。助っ人求む、だって」
「ならば私達が参りましょう」
「愛奈ちゃん。大丈夫だよ。先生達が近江くんも一緒に何とかしてくれるから…」
「いや。そっちはどうでもいいんだけど…王子が…」
教室を出て行く四人の背を見送る。…どうでもいいって言ってなかった?今。
「……華菜嬢は行かないのか?」
「…行きません。私は親友が大事なんです。今側にいないでいつ側にいるって言うんですか?」
透馬にガンと言い返す。一切視線を逸らさない。…良く考えてみれば彼女の手はさっきの姫ちゃんの抵抗でひっかき傷があるんだった。
「華菜嬢。こっちにおいでー。手当てするから」
「え?あ…すみません…」
手招きして椅子に座る様に促して、必要な薬品を取り出し手当てする。
「…金山さんの薬があれば一瞬で治りそうな傷なんだが。……俺の腕の切り傷ですらもう治りかけてるし…」
「…それはそれで怖いような…」
華菜嬢の呟きが静まった部屋に響く。そして誰も否定できない事実。
「そう言えば、聞きたかったんですけど。大地さんは学校にいたんですよね?丸薬は効かなかったんですか?」
「…効いてたよー。……あの時、急に意識がぼんやりしてきてー。丸薬の存在は知ってたからきっとそれだと思って、外に出ようとしたらドアに鍵がかかってねー。かけた覚えはなかったけど、とにかく開けて外に出ようとしたら、眠気がどんどん増して来てー。やばい、眠りそうと思った時、姫ちゃんの声が聞こえた気がして、椅子をぶっ叩いて痛みで意識を保ってたんだー。そしたら姫ちゃんの叫び声が聞こえて、鍵なんて開けてられるかって外に出たら姫ちゃんがストーカーに追われてるのに出くわしたんだー」
「……成程。…だから、お前座らずに花崎の手当てをしてるんだな…」
「って事は、あそこで粉々になっとる鉄片が椅子やったものって事か?」
「大地。痛みを感じるほど殴ったんだろ?手、大丈夫なのかよ」
そう言えば気にしてなかったな。華菜嬢の手当てを終えて自分の手の甲を見ると…皮がすり向けていた。血は出てない。骨に異常も…なさそうだ。
「擦り傷だけかなー?」
「……お前化けもんだな」
「あの兄貴達と同じ血流れとんねんで?今更いう事か?」
「全くだな」
なんか…ディスられてる?
気にした所で答えは帰って来なさそうなんで、無視する事にする。
「まぁ、大地の事はさておき、花崎は後で美鈴が気にするだろうから、透馬に薬分けて貰って塗っておけ」
「はい」
また訪れる沈黙。それを破るのはやはり、
「そう。分かったわ」
佳織さんだった。
一体何が分かったんだろ?
「今美鈴から事情を聞いてたんだけど」
「どうやってっ!?」
「どうって…手文字で?」
手文字?
あ、佳織さんの手の平に姫ちゃんが人差し指でなぞってる。文字を書いてたのか。成程。
「……相手の意図がだいたい掴めたわ。……よくも私の可愛い可愛い娘を」
ぞわっ!
やべぇ。佳織さんが本気で怒ってる。当然だけど。
全身の毛と言う毛が逆立つくらいの怒気を放っている。
「きっちり、きっかり、落とし前つけさせて貰いましょう」
ペシペシッ。
握られた手が痛かったのか、姫ちゃんが佳織さんの手を叩いて抗議している。
「あら?美鈴が猫パンチしてるわ」
全くこたえてない。…佳織さんだからねー。
「まさか私の予想を遥かに越えて、ガチで真っ向勝負を挑んでくるとは思わなかったわ。………うん。潰しましょうっ」
これでもかってくらいにキラキラと美しい笑顔で、潰しましょう宣言。
「本来とは全く違うストーリーを持って来てくれちゃって。ふふ。こんなに分かりやすく私に喧嘩を売ってくるとは思わなかったわ」
ふふふふふ、って…怖ぇ…。
低音でただ綺麗な笑顔を浮かべて笑っている。こう言う所は姫ちゃんにそっくりだな。
「……こちらがやられるだけなんて思わせてたまるものですか。…美鈴。ママ、ちょっと行ってくるわね」
手を二回擦って、多分これも何かのサイン何だろう。姫ちゃんは静かに体を退いた。
かと思うと佳織さんは部屋を飛び出して行ってしまった。光の速さだ。
「…はぁ。相変わらずだな。佳織母さんは。作戦も何もねぇんだから。葵、棗」
「分かってるっ」
「行こうっ。鴇兄さんっ」
鴇も双子を連れて直ぐに追い掛けていってしまった。
残されたのはオレと透馬、奏輔に華菜嬢の四人と姫ちゃん。オレ達が姫ちゃんに触れる訳にはいかない。
視線で華菜嬢に頼むと、華菜嬢は直ぐに姫ちゃんの横へと移動して、姫ちゃんの手を取った。
目が見えない所為で視線を交わす事は出来ずとも、姫ちゃんは華菜ちゃんに向かって微笑んだ。
「美鈴ちゃん…。良いんだよ。そんなに謝らなくても」
「謝る…?」
思わずついて出てしまった。
姫ちゃんが謝ってる?何故?
すると華菜嬢がそっとこっちを見て言った。
「自分の所為で皆が怪我をしたって。皆が危ない目にあったって。そんな事ないのに」
…くそっ!!
そんな風に思わなくてもいいのにっ。
あの時オレがちゃんと守れていたら…。過去の事を今更後悔しても遅い。それは解ってる。けどむしゃくしゃした感情はどうする事も出来ない。。
だってそうだろ?鴇に姫ちゃんを託されたのに、何も出来なかった。いや、何も出来なかったどころか、側にかけつけてやる事すら出来なかった。あんなにズタボロになるまで、保健室で手をこまねいていた…。こんなに悔しい事があるかっ!?
か弱い女の子守れないとか、ましてオレを兄の様に慕って。しかも助けを求めてきたってのに。あんなに助けてって叫んでたのに。直ぐに動けないなんて…。
ぎりっと拳をきつく握りしめる。
『大地お兄ちゃんっ!!助けてっ!!』
姫ちゃんの助けを求める悲痛な叫びが耳に木霊する。
……姫ちゃんの苦しみは倍にしてやりかえす。絶対に。
着ていた白衣を机の上に放り投げ、オレは保健室の外へと向かう。
「おい、大地。何処に行く気だ?」
「………加勢してくる」
「加勢って…鴇達を追う気か?」
「あぁ。佳織さんは星ノ茶に乗り込みに行ったんだろ。だったらオレもそれに加勢する。姫ちゃんを傷つけて…大事に大事に育ててきた女の子がズタボロにされて黙ってられる程オレの心は広くねぇんだよっ」
―――ガンッ。
壁を叩いて、自分に発破をかけて全力で駆けだす。
―――今度こそ、アイツを消すっ!!
ドアを破壊するように開けて、目の前にいる小学生を殴り飛ばし、そのまま意識を失って倒れかかった姫ちゃんを抱きとめた。
恐怖が強過ぎたのか…姫ちゃんは涙すら流していなかった。
全て、コイツの所為で…。
ぎりっと握った拳に力が入る。
「あなたは…。ちっ、面倒な奴に起きられましたねぇ」
オレが殴った時に歯の一、二本逝ったんだろう。
血を拭いながら立ち上がる。立ち上がらせる訳ねぇだろっ!
姫ちゃんを抱き上げて、手加減もなく渾身の力で蹴り飛ばす。
「がはっ!!」
骨が折れようが、血反吐吐こうがどうでもいい。
―――消す。
倒れたそいつの胸を思い切り踏みつける。
「……消えろ。消えて詫びろ。今度こそ、確実に消す」
「ハハッ」
何で笑う…?
「死、なんて、全く、怖くないんですよぉ。残念、でした、ねぇ」
あぁ、成程。そう言う事か。
「ははっ」
思わず出た笑いに今度は足の下にいるこいつが訝し気に眉をよせる。
「残念だったな。オレは死ねとは言ってない。『消えろ』って言ったんだよ。今度こそ、『華』の前から消えて貰う」
「私を?消す?ハハッ、なんの、冗談、ですか?」
「冗談かどうかは後で確認したらいい」
足に力を入れると、ボキッと鈍い音がする。
子供の体なんて壊そうと思えばいくらでも破壊できる。
こいつの存在の消し方なんて知らねぇし、さっきの言葉はただのはったりだ。
だが、そうでも言って脅しておかなければこいつはまたやってくる。それだけは避けなくてはいけない。
「ぐっ…く、そっ!」
怪し気な気配を感じて、急ぎ退いて距離を取る。
「ま、ったく、いまいま、しい、ですねぇ。この、私、が二度も、人を、呼ばなくては、いけない、など」
ゆらりと骨が折れていると言うのに立ち上がり、そいつは指笛を鳴らした。
すると、一気に気配が膨れ上がる。
周囲を囲まれた?
一体何人いるんだ?いや、それより…。腕の中の姫ちゃんが苦しそうな表情を見せる。
……良くなった筈の男性恐怖症が戻ってしまった。
多分、こいつとのやりとりで、オレですらダメになってしまったんだろう。
姫ちゃんをまず佳織さんの場所か、せめて女がいる場所に連れて行かないと。
戦闘態勢に入った、その時。
ピンポンパンポーン。
と、その場の緊張感とかけ離れた気の抜けるチャイムが響いた。そして、
『全校生徒に告ぐっ!全校生徒に告ぐっ!『お休みの時間は終わりましたっ!』繰り返しますっ!『お休みの時間は終わりましたっ!』今すぐ正気に戻りなさいっ!!』
新田の声が校舎内に響き渡る。
それと同時に。
「うぁ?俺は一体何を?」
「確か、星ノ茶の生徒が行き成り押し寄せてきて」
「我らが白鳥さんを寄越せとか抜かして来て」
「そうだっ!白鳥さんはっ!?」
「無事なのかっ!?」
操られていた生徒達が我に戻り始めた。
一方倒れてた生徒も目を覚まし、状況把握をし始める。
『再び全校生徒に告ぐっ!私達の王子が危機的状況にありっ!!すぐさま応援に向かうべしっ!!場所は、『第一保健室』ッ!!』
声が華菜嬢に切り替わり、学校中から生徒の唸り声が響く。やけに懐かしさを感じるのは気の所為ではないだろう。
地鳴りと共に唸り声が近づいてくる。
「……ちっ。一度、退くっ!」
動き出そうとした、そいつが振り返った先には…。
「行かせるとでも?」
「この前はどうも。しっかりとやり返させて貰うぜ、クソガキ」
奏輔と透馬。そして…。
「そうか。お前か。俺の妹を怯えさせてくれやがったのは。―――覚悟は出来てるんだろうな」
怒れる姫ちゃんの兄貴が待ち構えていた。
「こ、の、気配、は…っ!?くそっ、くそぉっ!!『また』お前かっ!!」
「行き成り意味の分からない事でブチ切れてんじゃねぇよ。…美鈴を怯えさせた落とし前きっちりつけさせて貰う」
鴇が動くのであれば。
オレは姫ちゃんを抱き上げたまま、後ろへと身を引いた。
同時に鴇が駆け出す。
だが、不利だと分かったそいつは何かを地面に投げつけた。
煙がモクモクと現れる。
「この程度で逃げられると思うなっ!未っ!」
「了解」
バリンッ。
ガラスが割れる音がした途端、煙がはれていく。
「な―――ッ!?」
「逃がさんっ!!」
驚いた言葉を最後まで言わさずに、鴇がそいつの顔面に拳を叩き込む。
そして、もう一発。
振り上げた拳を力の限り殴りつけた―――が。
バシッと音を立てて、その拳を止められた。
誰だ、あいつ。…ストーカー野郎と同じ顔をしてやがる…。女みたいな可愛い顔に似合わず力が鴇と均衡している。あの制服は星ノ茶の生徒だな。
「てめぇは…星ノ茶の生徒会長だったな」
ぎりぎりと受け止める手と鴇の拳が音をあげる。
「弟が、失礼を。……連れて帰りますので、勘弁して貰えませんか?」
この状況でそれを言うか?
姫ちゃんが意識を失って。学校中が引っ掻きまわされているこの状況で?馬鹿か。
「…はい、そうですかと頷くとでも思ってるのか?」
「頷いて頂きますよ。こちらには人質がいますから」
人質?
ちらりと鴇がオレに視線を寄越す。安心しろ。絶対に離さねぇから。
深く頷くと、鴇の視線は戻される。
「残念ながら、彼女の事ではないですよ。ねぇ、虎太郎?」
何かを感じたのか、鴇が相手の手を弾いて後ろへと跳ねて距離をとる。
そして頭上から先程鴇が立っていた場所へ、手裏剣が突き刺さった。
「退きますよ。蠍三(かつただ)」
その言葉を発した直後に近江虎太郎を含めた星ノ茶の生徒は姿を消した。しっかりと爪跡を残して…。
昼休みの間に起きたほんのわずかな時間の出来事。
それの後処理をしなければいけないのは解っている。だが、オレ達は姫ちゃんを放置していなくなるなんて出来なかった。
逢坂や優兎、それに四聖の彼氏と言われる連中が動いてくれるという言葉に甘えて、オレは姫ちゃんをベッドに寝せて、目覚めるのを保健室で待つ。
勿論、鴇を始め、透馬、奏輔、華菜嬢、そして四聖のメンバーもいる。
「皆、怪我はー?」
念の為に聞くと誰一人怪我はないようで、まずは一安心だ。
一瞬の沈黙。
それを破ったのは鴇の携帯の音。
メール?…違うか。電話だ。
鴇がすぐに出る所を見ると、家族か?
「葵か?どうした?……それで?お前達は無事なのか?…あぁ。そうか。お前達が無事なら樹と猪塚の怪我は気にしなくていい。…そうか。こっちも同じだ。学校に乗りこんできた。ちょうど俺や透馬達が外に出ている時を狙われた。呼び出しは罠だった。そいつらを伸して学校に戻って来たんだが、一歩遅くてな…。いや、念の為に大地を置いていったから、美鈴は連れて行かれていない。ここにいる。だが、余程怖かったんだろう。意識を失ってまだ目を覚まさない。…あぁ。怪我はない。…そうか、解った。気を付けて来いよ」
相手は葵だったようだ。
携帯をしまい、ポケットへしまうと鴇はふぅと小さく息を吐いた。
「……葵達の大学にも星ノ茶の生徒が襲って来たらしい。問題なく撃退したらしいが、樹と猪塚が軽く怪我を負ったそうだ」
「そっちはどうでもいいですけど、葵さんと棗さんも狙われたって事ですか?」
「葵と棗、樹、猪塚の四人を狙ってきたようだった。並の奴だったらやられてる所だっただろうが、あいつらは並ではないからな」
「確かに。…美鈴ちゃんだけを狙ってたのかと思ってましたけど、さっきの話だと鴇さん達も襲われたんですよね?」
「あぁ」
「学校も襲われた。…共通点でもあるんでしょうか?」
華菜嬢の言葉にまた沈黙が訪れる。
オレ達もそれはずっと考えていた事だ。
だが、どう考えても共通点はない。姫ちゃん…『白鳥美鈴』という人物以外は。
「普通に考えればそうなんだろうけどな」
「透馬?」
「一つ、アイツが気になる言葉を言ってた。俺が襲われた時に俺に向かって『攻略対象キャラ』と、そう言っていた」
攻略対象キャラ?何だ、それ。
オレ達が首を傾げている中、その言葉に逸早く反応したのが新田だった。
「攻略対象キャラ?何それ。乙女ゲームの話?」
「乙女ゲーム?それは美鈴が新田とよくやってるゲームの事か?」
「……なんでこっそりやってるのに白鳥先生にばれてるのかは、全部片付いてから聞くとして。そうです。もしかしたらギャルゲーの方かもしれないけど。とにかく『攻略対象キャラ』ってのは、読んで文字の如くです。ゲームに出てくる攻略する事が可能なキャラクターって事です」
「もし、それが言葉通りだとして。俺達に一体何の関係がある?」
「さぁ。…確かに王子の周りにいる人間は攻略対象になっててもおかしくない程の美形揃いですけど…」
ゲームはゲームだ。なんでそれを奴は言いだした?ゲームが現実になるなんてあり得る訳がない。
誰もがそう思い沈黙する。
―――ドタッ。
唐突にベッドの方から鈍い音がして振り返ると、姫ちゃんがベッドから落ちていた。
いつの間に目を覚ましていたのか。
解らないが、とにかく姫ちゃんに駆け寄ると、ベッドから落ちた姫ちゃんはぴくりとも動かない。
どこか打ったのかっ?
慌てて側に行き、抱き起そうと手を伸ばした。でも。
「……ぁっ、うっ…ぁぁっ!」
声にもならない声と一緒に手を払い退けられてしまった。
「姫、ちゃん…?」
もう一度、手を伸ばす。すると、今度こそ本格的に、バシンッと手を払い退けられてしまった。
オレじゃ、駄目か?
立ち上がり振り返ると既にそこには鴇が立っていて、視線だけで交代を伝え場所をチェンジする。
「美鈴…?ベッドに戻すぞ?」
鴇がオレと同じように姫ちゃんに手を伸ばす。だが。
―――バシンッ。
鴇の手を払ったっ…!?
姫ちゃんがっ!?
これにはここにいた全員が驚いた。まさか、鴇の手を払うなんて姫ちゃんがするとは思えなかったから。
「白鳥先生。どいて。アタシがベッドに乗せるよ」
向井の言葉に大人しく従い場所を開けたが、姫ちゃんはあろうことか…。
「あ、ぅ、…っ!!」
その瞳から涙を溢れさせ、向井の手ですら避けたのだ。
「王子…?」
「円っ。どいてっ。美鈴ちゃんっ」
華菜嬢が向井と姫ちゃんの間に割り込み、その両頬を両手で包んで額同士をくっつけた。
がりがりとその手を外そうと姫ちゃんが華菜嬢の手に爪を立て抵抗する。だが、華菜嬢は一切それを気にせずにただ姫ちゃんの目を覗き込む。
「……まさ、か…」
「…花崎?」
「………美鈴ちゃん。目が、見えてないの…?」
『―――ッ!?』
皆息を飲む。
もし、もしそうなのだとしたらっ。
ここまでオレ達が声を発しているのに、音に気付いていないのもおかしいっ。
姫ちゃんの横でパチンと指を鳴らす。
だが気付いた様子はない。
他は?他にも…そうだ。嗅覚。
匂いだって解っていたとしたら、人の判別は付くはずだ。
それも解ってないのか…?
―――ドンッ。
「きゃっ!?」
「華菜ちゃんっ!」
華菜嬢が姫ちゃんに突き飛ばされて、咄嗟に一之瀬が抱きとめる。
「美鈴っ!落ち着けっ!」
鴇が姫ちゃんの両腕を掴む。
けれどそれは逆効果だった。全力で姫ちゃんは暴れる。
当然だ。姫ちゃんは今暗闇の中訳の分からない何かに腕を掴まれているのだから。落ち着けば感触で男か女かの判断は付くはず。パニックを起こしている今はそんな判断なんて出来る訳がない。
力ずくで動きを止める事は出来る。
しかし、姫ちゃんはきっとあのストーカーへの恐怖で五感の内の四つを失った。だとするならば、男が抑え付けると更に恐怖を増加させ残った五感の一つも失わせる可能性がある。
かと言って、女子の力じゃ…。
姫ちゃんは見た目より力が強い。全員で抑え付けてやっとだろうが、それでも落ち着いてくれるとは限らない。
「ちっ…」
鴇もきっと同じ判断をしたんだろう。立ち上がり携帯を取りだした。どこへ電話をかけようとしているのか。
それを問う前に、
―――ズバァンッ。
横開きのドアが前に倒されて…、
「美鈴っ!!」
答えの方からやってきた。
「鴇っ!美鈴は何処っ!?」
「佳織母さんっ。今電話しようと」
「いいから、美鈴はっ!?そこねっ!?」
元々オレが破壊していたドアを更に破壊して佳織さんは真っ直ぐ姫ちゃんへと駆け寄って抱きしめた。
抵抗する手すら抑え付けて、きつくきつく抱きしめる。
「……良かったっ。…生きててくれて…っ。本当にっ、良かったっ…」
誰も言葉を発する事が出来なかった。
佳織さんが、泣いていたから…。
「駄目かと思ったわ。間に合わないかとも…。ばか…。このばか娘…っ」
姫ちゃんの抵抗する手が次第に鳴りを潜め、小さくその唇が動いた。
「……ぉ、ぁぁ、……」
……『お母さん』。
そう、確かに動いていた。
「そうよ。お母さんはここにいるわ。大丈夫。ちゃんとここにいるわ」
ポンポン、ポン。
ポンポン、ポン。
分かりやすく一定のリズムが刻んで佳織さんは姫ちゃんの背中を優しく叩く。
さっきから何度も何度もそのリズムで。…意味が、あるのか?
「美鈴。立つわよ?」
ポンポン、ポンポン。
ポンポン、ポンポン。
今度は違うリズムで姫ちゃんの背を叩く。
すると姫ちゃんは佳織さんの手を借りて、ゆっくりと立ち上がった。そして、そのまま大人しくベッドに腰をかけた。その隣に佳織さんが自然と腰をかける。
「…佳織母さん。美鈴は」
「……目と、耳。それから鼻、ね。三つも感覚をやられてたら、味覚もアウト。…触感は理解出来てる。…そうでしょう?」
全員が頷く。
「美鈴が小さい頃、私と良くやっていた遊びサインが役に立ったわね」
「サイン?」
「そうよ。二回叩いて、一拍置いてもう一回。これは『私は美鈴のお母さんですよ』って意味。二回叩いて、一拍おいてもう二回。これは『立って移動しましょうね』って意味。他にも三回叩いて一拍置いてもう一回で『制裁しましょう』だったりね」
「……最後のは敢えて聞かないでおく。とにかく助かった。佳織母さん。だが呼び出してもいないのに、何でここに?」
「それは―――」
佳織さんが一瞬黙った直後。
「鈴ちゃんっ!」
「鈴っ!」
双子が血相を変えて飛び込んできた。
全力疾走して来たのか息も絶え絶え。大学からここまで結構な距離があるから当然と言えば当然。
「葵と棗が念の為にと呼びに来てくれたのよ」
「……それをあっさり追い越して、置いて来た訳か」
「そうよ。全く、こんなおばさんに追い付けないなんて、鍛え方が足りないわよ、二人共」
「……佳織母さんと一緒にしたらこいつらが可哀想だ」
うんうん。
奏輔と透馬も同じく大きく頷いている。
そして、そんな事もおかまいなしに双子は姫ちゃんに駆け寄り、佳織さんにストップをかけられていた。
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「鈴。…鈴?」
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「鴇兄さん。これ、どう言う事?」
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「順番に話すから落ち着け」
鴇は今までの流れをざっと説明する。
「大地や花崎達のおかげで美鈴が誘拐される事は避けられたが。…恐怖が極限まで達してしまった。その結果が今の美鈴だ」
「そんな…。鈴ちゃん…」
「鈴…。触れる事も出来ないなんて…」
切なそうに瞳を細める棗に何て言ったらいいか解らない。
棗は小さい時からずっと姫ちゃんを抱きしめて癒してきたのだ。それが出来ないもどかしさは…オレ達には想像も出来ないかもしれない。
皆の視線が姫ちゃんに集まる。
ピコンピコン。
携帯のアラームが一斉になった。
けどオレのじゃない。鴇達でもない。となると…?
「…犬太からグループトークで連絡。後片付けの手が回らない。助っ人求む、だって」
「ならば私達が参りましょう」
「愛奈ちゃん。大丈夫だよ。先生達が近江くんも一緒に何とかしてくれるから…」
「いや。そっちはどうでもいいんだけど…王子が…」
教室を出て行く四人の背を見送る。…どうでもいいって言ってなかった?今。
「……華菜嬢は行かないのか?」
「…行きません。私は親友が大事なんです。今側にいないでいつ側にいるって言うんですか?」
透馬にガンと言い返す。一切視線を逸らさない。…良く考えてみれば彼女の手はさっきの姫ちゃんの抵抗でひっかき傷があるんだった。
「華菜嬢。こっちにおいでー。手当てするから」
「え?あ…すみません…」
手招きして椅子に座る様に促して、必要な薬品を取り出し手当てする。
「…金山さんの薬があれば一瞬で治りそうな傷なんだが。……俺の腕の切り傷ですらもう治りかけてるし…」
「…それはそれで怖いような…」
華菜嬢の呟きが静まった部屋に響く。そして誰も否定できない事実。
「そう言えば、聞きたかったんですけど。大地さんは学校にいたんですよね?丸薬は効かなかったんですか?」
「…効いてたよー。……あの時、急に意識がぼんやりしてきてー。丸薬の存在は知ってたからきっとそれだと思って、外に出ようとしたらドアに鍵がかかってねー。かけた覚えはなかったけど、とにかく開けて外に出ようとしたら、眠気がどんどん増して来てー。やばい、眠りそうと思った時、姫ちゃんの声が聞こえた気がして、椅子をぶっ叩いて痛みで意識を保ってたんだー。そしたら姫ちゃんの叫び声が聞こえて、鍵なんて開けてられるかって外に出たら姫ちゃんがストーカーに追われてるのに出くわしたんだー」
「……成程。…だから、お前座らずに花崎の手当てをしてるんだな…」
「って事は、あそこで粉々になっとる鉄片が椅子やったものって事か?」
「大地。痛みを感じるほど殴ったんだろ?手、大丈夫なのかよ」
そう言えば気にしてなかったな。華菜嬢の手当てを終えて自分の手の甲を見ると…皮がすり向けていた。血は出てない。骨に異常も…なさそうだ。
「擦り傷だけかなー?」
「……お前化けもんだな」
「あの兄貴達と同じ血流れとんねんで?今更いう事か?」
「全くだな」
なんか…ディスられてる?
気にした所で答えは帰って来なさそうなんで、無視する事にする。
「まぁ、大地の事はさておき、花崎は後で美鈴が気にするだろうから、透馬に薬分けて貰って塗っておけ」
「はい」
また訪れる沈黙。それを破るのはやはり、
「そう。分かったわ」
佳織さんだった。
一体何が分かったんだろ?
「今美鈴から事情を聞いてたんだけど」
「どうやってっ!?」
「どうって…手文字で?」
手文字?
あ、佳織さんの手の平に姫ちゃんが人差し指でなぞってる。文字を書いてたのか。成程。
「……相手の意図がだいたい掴めたわ。……よくも私の可愛い可愛い娘を」
ぞわっ!
やべぇ。佳織さんが本気で怒ってる。当然だけど。
全身の毛と言う毛が逆立つくらいの怒気を放っている。
「きっちり、きっかり、落とし前つけさせて貰いましょう」
ペシペシッ。
握られた手が痛かったのか、姫ちゃんが佳織さんの手を叩いて抗議している。
「あら?美鈴が猫パンチしてるわ」
全くこたえてない。…佳織さんだからねー。
「まさか私の予想を遥かに越えて、ガチで真っ向勝負を挑んでくるとは思わなかったわ。………うん。潰しましょうっ」
これでもかってくらいにキラキラと美しい笑顔で、潰しましょう宣言。
「本来とは全く違うストーリーを持って来てくれちゃって。ふふ。こんなに分かりやすく私に喧嘩を売ってくるとは思わなかったわ」
ふふふふふ、って…怖ぇ…。
低音でただ綺麗な笑顔を浮かべて笑っている。こう言う所は姫ちゃんにそっくりだな。
「……こちらがやられるだけなんて思わせてたまるものですか。…美鈴。ママ、ちょっと行ってくるわね」
手を二回擦って、多分これも何かのサイン何だろう。姫ちゃんは静かに体を退いた。
かと思うと佳織さんは部屋を飛び出して行ってしまった。光の速さだ。
「…はぁ。相変わらずだな。佳織母さんは。作戦も何もねぇんだから。葵、棗」
「分かってるっ」
「行こうっ。鴇兄さんっ」
鴇も双子を連れて直ぐに追い掛けていってしまった。
残されたのはオレと透馬、奏輔に華菜嬢の四人と姫ちゃん。オレ達が姫ちゃんに触れる訳にはいかない。
視線で華菜嬢に頼むと、華菜嬢は直ぐに姫ちゃんの横へと移動して、姫ちゃんの手を取った。
目が見えない所為で視線を交わす事は出来ずとも、姫ちゃんは華菜ちゃんに向かって微笑んだ。
「美鈴ちゃん…。良いんだよ。そんなに謝らなくても」
「謝る…?」
思わずついて出てしまった。
姫ちゃんが謝ってる?何故?
すると華菜嬢がそっとこっちを見て言った。
「自分の所為で皆が怪我をしたって。皆が危ない目にあったって。そんな事ないのに」
…くそっ!!
そんな風に思わなくてもいいのにっ。
あの時オレがちゃんと守れていたら…。過去の事を今更後悔しても遅い。それは解ってる。けどむしゃくしゃした感情はどうする事も出来ない。。
だってそうだろ?鴇に姫ちゃんを託されたのに、何も出来なかった。いや、何も出来なかったどころか、側にかけつけてやる事すら出来なかった。あんなにズタボロになるまで、保健室で手をこまねいていた…。こんなに悔しい事があるかっ!?
か弱い女の子守れないとか、ましてオレを兄の様に慕って。しかも助けを求めてきたってのに。あんなに助けてって叫んでたのに。直ぐに動けないなんて…。
ぎりっと拳をきつく握りしめる。
『大地お兄ちゃんっ!!助けてっ!!』
姫ちゃんの助けを求める悲痛な叫びが耳に木霊する。
……姫ちゃんの苦しみは倍にしてやりかえす。絶対に。
着ていた白衣を机の上に放り投げ、オレは保健室の外へと向かう。
「おい、大地。何処に行く気だ?」
「………加勢してくる」
「加勢って…鴇達を追う気か?」
「あぁ。佳織さんは星ノ茶に乗り込みに行ったんだろ。だったらオレもそれに加勢する。姫ちゃんを傷つけて…大事に大事に育ててきた女の子がズタボロにされて黙ってられる程オレの心は広くねぇんだよっ」
―――ガンッ。
壁を叩いて、自分に発破をかけて全力で駆けだす。
―――今度こそ、アイツを消すっ!!
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