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第三章 中学生編

※※※

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夢を見た。
何時もの襲われそうになった時とか殺されそうになった時とかの夢じゃない。
前世で学生時代にお母さんのお見舞いに行った時の夢だった。こんな夢も珍しい。
『華、華っ、見て、これっ』
そう言ってお母さんは私の前に一冊の本を袋から取り出して、目の前に突き出した。そこにはエイト学園の年下組特集と書いたA4サイズの雑誌。
『お母さん?これ、どうしたの?』
『買ったのよっ、通販でっ』
どやっ!
胸を張って病院のベッドの上で仁王立ちして言う事だろうか?
…まぁ、お母さんが楽しそうならいいけど。
私は持っていた花瓶をベッドの脇にある棚の上に置いて、ベッドへ座るとお母さんもストンとベッドに座ってその雑誌を開いた。
『結構マイナーなゲームなのに特集組まれるって凄いよね』
『そうよね~。パラメータ系のゲームってキャラクターの裏事情ってあんまり作られてないじゃない?でも、このゲームって裏設定までしっかりと作りこまれてるのよ』
『そうなの?』
『そうなのっ!お母さん、どうしてもこの年下組の情報が知りたくて買っちゃったっ』
『なんで年下組?』
『それがねー。この申護持陸実、申護持海里、申護持空良って同じ施設で育ったって言う設定じゃない?』
『うん。そうだったね』
『でもゲームだとそこしか出て来ないよね。一緒に部活頑張って、三人の内一人を落とすとなると二人の友好度もMAXにしなきゃならないけど、でもそれだけで。スチルだって一緒に部活してるシーンとか後はデートと学校イベントしかないじゃない?』
『うん』
『それだけだとどうしても何か物足りなく感じちゃって。だから、どんな風に育ったのかなーって調べてみようと思ったのよ』
『あー、なるほどー』
お母さんと二人雑誌のページを開き、その特集ページを読みこむ。
まずはありきたりの情報。誕生日…あれ?誕生日皆一緒なんだ。血液型も一緒?
えーっと、『バラバラの施設で育てられていた三人ですが、一度同じ施設に引き取られ、そこが経営者の行方不明事件により潰れてしまい、また各々別の場所に引き取られます』か~。成程。それから?それでも三人は同じ施設で育った仲間。名前を捨てられず引き取られてからも申護持を名乗っています。
『へぇ。そうなんだぁ。でもなんで?』
『ねぇ、華?ここ。ここ読んで。この三人実は三つ子みたいよ?』
『三つ子っ!?えっ!?だって、顔とか全然、髪の色とかも違うよっ!?』
『そこはゲームだからって事なのかしらね。でも、ほら、そう書いてる。三卵生の三つ子なんだって』
『ふぇ~…凄い設定だね~…』
お母さんが指で示した所を見ると確かに書いてある。それから、一度皆を引き取った施設の先生が母親であるって書いてる。
『にしても、成程ね~。だから、三人の友好度はMAXが必須なのね。確かに、この兄弟は互いが互いに依存してるから、そこから一人引き抜くには主人公との友好度が高くないと敵認定されちゃうわよね』
『因みに誰が長男なの?』
『海里くんね。次に空良くんで最後に陸実くん』
はぁー…成程ー…。
いきなりこんな夢を見たけど、情報としては有難い。おかげで三人の事が理解出来た。
夢の中で意識がはっきりしてそこが夢だって理解すると、急に目覚め易くなるよね。
ぐにゃりと世界が歪んで、途端に寒気が襲ってきた。
体が揺れてる感覚に、ゾワリと鳥肌が立つ。
すると体が僅かに震え始め、急にふわりと浮遊感があり、体が柔らかい何かに沈んだ。
慌てて目を開くと、そこには見慣れぬ天井。一瞬にして様々な前世の恐怖が浮かび、体を起こそうとした。その肩を抑え込まれ目の前には樹先輩の顔。

―――怖いっ!

脳内を恐怖が一気に染め上げる。逃げなきゃと思うのに体に力が入らない。そのまま私の必死の抵抗はあっさりと塞がれ私は布団の中へと引き摺りこまれた。
覆いかぶさる様に私を見下ろす樹先輩が、私に触れないようにそっと耳元で『何もしない』『触れないから』と囁いた。確かに先輩は布団に引き摺りこんだ時以外、私の体何処にも触れてなし、触れても来ない。
少し落ち着いた私に『触れられないから自分で涙を拭け』と樹先輩が言う。慌ててゴシゴシと目を擦る。ちょっと痛いけど我慢。
そして、先輩はそれを確認してから、現状を説明する為に協力を要請して来た。
どうやら樹先輩とセックスしたように見せかけなければならないみたいで。でも、みせかけるだけでいいならと私は素直に協力する。
それから、ベッドを抜け出た樹先輩は部屋にあった監視カメラやら盗聴器を破壊し、私と二人現状の確認をした。
結構予想外の事もあったけど筋は通ってたし、色々納得出来る事もあった。

眠りについた樹先輩を見守りつつ、私は布団の中でこれからの行動を考えていた。
とりあえずは、脱出より、攫われてくるであろう明子さんの救出が先だ。そうじゃないと施設の皆が心配する。
特に三人の内誰かが暴走してしまう。それは避けなければ。
私に関しては、多分樹先輩が守ってくれるだろう。樹先輩は何気に正義感溢れるお人だから。…若干暴走してしまう事もあるけど、それはきっと若気の至りって奴なんだよ、うん。

寝る事も出来ずにずっと次にとる行動を考えていたら、あっという間朝になった。
…これは、足音…?しかもこの鳥肌が立つ感じは男だっ。
焦りつつ眠る樹先輩を揺さぶり起こす。起きてくれた先輩に誰か来る事を伝えると直ぐに脳を覚醒させ、ベッドを降りて行った。私はと言うと布団に潜り込む。
入口の所で会話が聞こえた。でも怖くて内容が頭に入って来てくれない。暫くして話し声が聞こえなくなり、足音が近づいてきた。
もう、大丈夫だろうか…?恐る恐る顔を出すと、樹先輩も一先ずは大丈夫だと言ってくれる。私はベッドから降りて先輩と会話した。
…で。その後、油断してたらベロチューされました。合掌。
………。
……………。
………………うわああああんっ!
やっぱり樹先輩相手に気を許すんじゃなかったぁっ!
後で葵お兄ちゃんに言って、制裁して貰おうっ!絶対絶対そうしようっ!
私が頭を抱えて苦しんでいると、コンコンと窓が叩かれた。釣られてみると、そこには空良くんがいて。慌てて窓を開いた。
迷ったような、苦しんでるような空良くんの様子を見て、私は今の現状を取りあえず置いといて、彼の話を聞く事にする。
明子さんが誘拐された事で、皆動揺している。それは空良くんも同じで。
動揺してしまったゆえに、陸実くんと海里くんと兄弟喧嘩をしてしまったようだ。明子さんが、母親が突然姿をくらませた恐怖や焦り、怒りやらがごちゃまぜになってしまったのだろう。どうしようと泣きだす始末。
私は空良くんに言い含める様に、ゆっくりと結論を出させた。すると、空良くんは見事に回復してくれて、私の指先にキスをして、今度は皆で助けに来ると宣言して出て行った。
その姿はまるで猿…。いや、そんな事はどうでもいい。
それより何で皆私にキスをしたがるの?それから基本的に高校生活の最後で告白されるんだよね?なのになんであの三人は今告白してくるの?
空良くんは告白してないって?いや、流石に私でもあんなに好き好きって目で言われたら気付く。
顔が赤くなってるだろうし、熱い。顔をパタパタと手で煽ぎ、どうしようもないこの羞恥心を隠す為私は部屋の中を物色する事にした。
武器になるようなものはないかな……?
戸棚を漁ってみても特になにもない。あ、でももしかして。私はパーカーの裏ポケットを探った。本当なら裏ポケットなんてあるような服ではないんだけど、真珠さんが作ってくれたんだ。護身用に。そこに手を突っ込むとコンパクトナイフが出て来た。小学校の時の愛用の品。
おおー。これさえあれば何とか。よしっ。武器もゲットしたし、明子さんを探しに行こう。そこにいけば樹先輩と会える可能性も高いし。明子さんと二人で逃げれる可能性もある。
そっと部屋を脱け出して走りだす。良く考えたら靴も履いてない裸足状態だけど、仕方ない。だって寝てる間に誘拐されたんだもん。赤い絨毯が敷かれてるし痛くはないし大丈夫。
しっかし、寝てる間に誘拐される可能性があるなら、金山さんと真珠さんをユメと桃の護衛に回すんじゃなかったなー。…いや、二人に何かあった方が嫌だし、これで良かったんだよ、うんっ。
監視カメラがあるって言ってたから、それを意識しながらカメラの死角になるであろうポイントを選びつつ歩く。前世の知識のおかげで逃げ出すのは得意だ。とくにこういう誘拐関係はもうプロ級と言ってもいい。
二階を全部回っていなかったから今度は三階へ。気配はない。なら一階だ。一階にもそれらしき気配はない。
となると本館かな。多分、これって別館だよね。樹財閥程の家がこんな狭い訳ないもの。白鳥財閥の家はちょっと大きめな一軒家だけどねっ!多少田舎の坪単位になってるけど…。まぁ、そこは気にしないっ。誠パパのSP時代の給料でお祖母ちゃんから買い取った訳だしね。って違う違う。白鳥家のお家事情はどうでもいいよ、今は。
玄関を抜けれるだろうか?…って見張りも誰もいないじゃない。如何にも脱出してくださいって言わんばりに。でも、もしかして罠?……罠でもいいか。どうせ今逃げる訳じゃない。それに男性の気配はしないからきっと行ける。
立派なドアを開けて別館を脱け出し、本館へ向かう。
…………。
真正面から行くのはただの馬鹿だよね。窓。侵入出来そうな窓を探そう。
館の周囲を慎重に歩く。草原を歩いてるから足の裏が痛いけど、今はそれ所じゃないから我慢する。すると、窓が一つ開いていた。そっと中を覗くとベッドに明子さんが寝かされていた。当たりだっ!
窓をよじ登る。
―――クラッ。
ん?んん?何か軽く眩暈が…?
でも今はそれ所じゃないっ。
窓を登り切り、明子さんに駆け寄った。
体はっ?何もされてないっ?
明子さんには悪いけど体をチェックして、どこもなんともなっていない事にホッと胸を撫で下ろす。
「明子さん、明子さんっ、起きてっ」
体を揺さぶると、うん…と軽い声が聞こえてゆっくりとその目を開けた。
「美鈴、さん…?」
「はい。そうです」
「こ、こは…」
何処だろうと確認しようと視線を動かし、明子さんは一気に体を起こした。
「まさか、ここは樹の家っ!?」
「はい」
「な、なんで私がここにいるのっ!?」
焦る明子さんを落ち着かせてから、私は何故明子さんがここにいるのか、攫われたのかを説明した。
「……はぁ。やっぱりあの人の所為なのね。ごめんなさい、美鈴さん。まさか貴女まで巻き込んでしまうなんて…」
なんと返して良いか思い浮かばず、苦笑する。確かに発端は明子さんではあるけれど…。
「一番悪いのは樹先輩のお父さんな訳だし。あんまり気にしないで下さい。それに私自身は樹先輩が守ってくれました、から」
自分で言っておいてなんだけど、守ってくれた事になるのだろうか?
ベロチューされたんだから立派に手を付けられた気がする。あー、でも、強姦された訳じゃないからましなのか。
「とりあえず、明子さん。一緒に逃げませんか?ここにいたら、危険だと思うんです」
ぐっと明子さんの手を握る。すると明子さんもしっかりと頷き手を握り返してくれた。決まったなら即行動。
明子さんはベッドを降りて、私と一緒に窓へ駆け寄る。
窓枠に私が足をかけた瞬間。

――バンッ。

勢いよくドアが開かれ、

「やだなぁ、二人共。この私が逃がす訳ないだろう?」

身の毛がよだち、優しく柔らかい声の筈なのに、気持ち悪くて仕方ない。
「ほら。明子。こっちにおいでよ」
一歩、二歩と笑顔で近づいてくる。この人が、樹財閥の総帥で樹先輩のお父さん。先輩と同じ銀の髪で年の割に若い容貌。誠パパと幼馴染と言う事はもう五十はとうに過ぎているという事だ。なのに、こんなに若さを保ってるなんて。
じりじりと迫られ私と明子さんは追い詰められていく。
「昨日、君が私の家に来た時、久しぶりに君の唇に触れて、胸が震えたよ。こんなに私は君を欲していたんだって。君を愛しているんだ。あぁ、嬉しいよ。やっと会えた」
気持ち悪い。気持ち悪いっ!!
前世で良くいたストーカーと似たり寄ったりのセリフを樹先輩のお父さんは口にしていた。
「…貴方の目的は私でしょう?なら、美鈴さんは解放してください。彼女は関係ないはずです」
明子さんが私を背に庇う。樹総帥の目から隠すように。
けれど、樹総帥はその微笑んだ瞳を細め、パチンと指を鳴らした。
ゾワリと肌が泡立つ。
背後に誰か男がいるっ!?
振りかえったそこにいたのは、銀川さんだった。
「失礼します。お嬢様」
抵抗する暇もなく背後から羽交い絞めにされた。
一気に男性に対する恐怖が押し寄せてくる。
「いやぁっ!!離してっ!離してぇっ!!」
必死に暴れる。なのに、銀川さんは微動だにしない。
「美鈴さんっ!」
「おっと。駄目だよ。明子。その子は、もう龍也のものなんだから」
「龍也のもの…?どう言う事なのっ!?勅久っ!!説明しなさいっ!!」
明子さんが叫ぶ。それを嬉しそうに目を細め、受け止めた樹総帥は、明子さんに一気に近づき彼女を抱きしめた。
逃げないように腰を抱えて、ニヤリと笑みを浮かべて…。
片手で着ていたパジャマを引き千切った。

「―――ッ!?」

ボタンが弾き飛び、下着ごと破られる。明子さんの素肌が露わになり、明子さんが喉を引き攣らせ声にならない悲鳴を上げた。
「あぁ…相変わらず、綺麗な肌だね…。君はいくつになっても綺麗だ…」
首筋に舌をあて、つーっと痕を引くように鎖骨の間へ、胸の上へと降りて行く。

『あぁ…相変わらず綺麗だね。西園寺さん…』

前世の記憶がフラッシュバックする。
次から次へと前世の記憶が思い浮かび、脳内で明子さんがこれから遭うであろう姿が前世の自分と重なり浮かび上がる。

「…めて…」

声が掠れ震える。
暴れて逃げようとする明子さんが樹総帥の手によってベッドへと連れていかれ押し倒される。

「はなしてっ!!」

明子さんの叫びが胸を刺す。
怖いんだよ。男の人に無理矢理押し倒されるのは。
痛くて、苦しくて。圧倒的な力の差を見せつけられて。なんで敵わないんだって悔しくて。

―――自分の全てに嫌悪してしまう。

明子さんをそんな目に遭わせたくない。
でも、自分は銀川さん一人、どうする事も出来ない。
なんでこんなに無力なの。なんで私は女なの。男に産まれてさえいれば、私は…私はっ。
悔しくて辛くて、涙を流す事しか出来ない自分が嫌で嫌で仕方ない。

「やめて…」

誰か、明子さんを助けて。
お願い、誰か…誰か。

「いやあっ!!」

泣き叫ぶ明子さんの声が耳に、脳に刺さる。

「やめてええええええっ!!」

私の声が、心の底からの絶叫が部屋に響き渡った。
涙が溢れ、崩れ落ちそうになった―――その時。

「金山、真珠」

パチンと指を鳴らす音と同時に、絶対零度の低い怒りの込められた声が耳に届く。
それと同時に私を抑え付けていた腕はから私は解放され膝から崩れ落ちた。
呆けている暇なんてない。私が顔を上げると、

―――ガツッ!

蘇芳色をなびかせ、樹総帥を力の限り殴りつける誠パパの姿があった。

「パ、パ…?」

思わず呼んだ声に誠パパは振り返り、もう大丈夫だと優しい瞳で微笑む。
助かった…?
安堵に私の体から力が抜けた…。
「母さん先生っ!!」
「母さん先生、無事っ!?」
「………母さんっ!!」
駆け込む様に現れた申護持の三人。三人の姿を確認しつつスーツの上着を脱ぎ明子さんにかけ、そのまま三人に彼女を預けた。
誠パパに殴り飛ばされベッドから落ちた樹総帥はゆったりと立ち上がり、同じく立ち上がった誠パパと対峙する。
「堕ちたな、勅久。まさか、ここまでお前が腐り切っていたなんて思わなかったよ」
聞いた事のない誠パパの抑圧された怒声に私の体は震える。
「黙れっ!私と明子を引き離しておきながらよくも言えたものだなっ!」
「引き離すに決まってるだろう。貴様のような犯罪者の側に大事な幼馴染をおいておけるか」
「うるさいっ!」
拳を握り殴りかかる樹総帥を誠パパはいとも簡単に躱し、その腕をとり捻り上げ、背後に回りそのまま樹総帥を地面に叩きつけた。
「うぐっ!?」
くぐもった唸りが聞こえたが、誠パパはそれを気にも止めず、抑え付けたその背を膝で圧する。
「皐月さんと結婚して、息子が生まれて、少しは変化があったのかと思ったが…。変わる所か犯罪に手を染め、俺の娘まで誘拐するとは…」
俺?誠パパはいつも自分の事を私と言っていた筈。もしかしなくても、誠パパ、本気の本気で怒ってる?理性が飛んでる?
「俺は貴様に伝えたはずだな?勅久。明子の事は忘れろと。貴様の子供と妻を愛せと」
「黙れ、だまれだまれだまれぇっ!!」
誠パパの瞳がスッと細められた。腕を捻り上げている逆の手で樹総帥の髪を掴み引っ張り上げ、その顔の横に不敵な笑みを浮かべる。
「あぁ、可哀想になぁ。勅久。俺に喧嘩なんて売るから、貴様の人生はここで終わるんだ」
「なにをっ!?」
「分からないか?なら一つずつ、教えてやるよ。貴様は強欲な馬鹿だからなぁ。まずは一つ目だ。貴様の権力を削がせて貰う」
私にも誠パパが言ってる事を理解出来ずにいたら、そっと私の肩に手が置かれた。
思わず反射的にその手の主を見たら、真珠さんで。小さく頷くと、視線をドアの方へ向けた。
釣られてそちらを見ると、そこにはスーツ姿の樹先輩が立っていて、その横には葵お兄ちゃんがいる。
「ぁ、あおい、おにいちゃんっ」
弾かれた様に立ち上がり、葵お兄ちゃんに駆け寄る。両手を広げて葵お兄ちゃんに抱き着くと、葵お兄ちゃんも私を腕の中へと受け入れ抱きしめてくれた。
「鈴ちゃん。無事で良かったっ」
感動の再開をしている私達を無視して、樹先輩は樹総帥の側へ颯爽とした足取りで近づき、その顔の側へ書類の束を投げた。
「父上。私は犯罪者の身内を側に置く気はありません。ましてや、犯罪者を財閥のトップに置くつもりもないんですよ。今、この時を以って貴方には引退して頂く」
「…馬鹿な。何を言っている…?」
「そこにあるのは貴方の権利が全て私に譲渡された書類です。あぁ、その書類を消そうとしても無駄ですよ。それは写しで、本物は然るべき場所へ保管をしていますから」
蔑むように、でも何処か自分の父親に対する憐れみが入り混じった瞳で先輩は樹総帥を見下ろしている。
「銀川。手を引け。お前まで犯罪に手を染める必要はない」
「かしこまりました。龍也様」
金山さんと一触即発な空気を作っていた銀川さんがその手を降ろした。
「これで権力と金が無くなった。今度は二つ目だ。次は、貴様の手駒かな?」
誠パパが楽しそうに言って現れたのは、樹先輩の顔とよく似た女性。彼女が、皐月さん?樹先輩のお母さん?
「あぁ、やっと、やっと明子お姉様に会えましたわ」
「皐月…?」
ベッドの上で三人に守られるように囲まれてるそこを乗り越えて皐月さんは明子さんに抱き着いた。
「ここで待っていればいつか、いつか会えると信じておりました。とてもお会いしとうございましたっ」
涙ながらに抱き着く皐月さんに明子さんは戸惑う。
「何故…?」
意味が理解出来ない。明子さんが震えながら零す問いに皐月さんは優しく微笑み首を振った。
「私を…。孤児だった私を拾い綾小路へ養子にしてくださったのは貴女です」
養子っ!?えっ!?待ってっ!?皐月さん養子だったのっ!?
驚きに目が点になる。
「貴女だけが私を優しく慈しんでくれた。幼いながらも私をいつもその手で救ってくれた。私には貴女への恩義しかないのです」
「そ、そんな…。私なんかの所為で皐月は勅久の所へ嫁いだというの…?」
「お姉様。私はお姉様の助けになりたかった。お姉様に幸せになって欲しかったの。これは私の為。私の自己満足ですわ。でも悲しいかな、私には力がなかった。私は考えました。そこの犯罪者から目を逸らす手段と財力が必要なのであれば、その犯罪者から奪い取ればいいじゃないって」
……強い。女の最大の武器を利用したと言う事なのか。子供を産めるってのは女にとって最大で最強の兵器なのだ。
「それに私、犯罪者と言えど、同じ人を愛した者同士。勅久様の事嫌いではなかったのよ。勿論、息子である龍也は目に入れても痛くない程可愛いわ。実際目に入れようとしたら痛かったけれど」
…入れようとしたのか。そっと樹先輩の様子を見ると、顔を手で覆い隠していた。隙間から見える頬や耳は真っ赤で物凄い恥ずかしがっているのが分かる。
「でもね。お姉様の幸せを害そうとするなら別だわ。桃が頑張ってくれている事だし。綾小路は今から龍也の下へ付きます。勅久様。もう私は貴方に従う事は致しません。龍也もお姉様も決して貴方には渡さないわ」
断言した。明子さんを決して渡さないと。
「さぁ、これで手駒もなくなったな、勅久。息子を失い妻も失った。手駒となる綾小路は息子の味方になり、綾小路が手駒にしていた高瀬と神薙は綾小路の娘が統治した。これで貴様は何も出来ない」
「ぐっ…」
「何を脱力してるんだ?これで全部終わったと思ったのか?」
誠パパが本当に愉快そうに言い放ち、それに樹総帥は驚き、恐怖に慄く。
「言っただろう?人生が終わると。佳織の実家はな?そこに閉じ込められると一生出て来れない監獄があるんだよ。大丈夫。命を落とす訳じゃない。ただ閉じ込めておくだけの場所だ。精神の保証はしないがな」
「な、なに、を…」
怯える樹総帥の頭をガンッと床にたたきつけた。
痛みに唸る樹総帥に誠パパはハッキリと、言った。
「これで貴様から明子も奪い取れる。良かったなぁ、勅久。これから一生苦しんでいられるぞ」
「ひっ」
樹総帥は咄嗟に樹先輩を見た。口元は声が出てないまでも、助けてくれと訴えている。
しかし、樹先輩は静かに瞳を閉じて頭を左右に振った。
樹総帥から手を離し、ゆっくりと立ち上がった誠パパはそのまま静かに口を開いた。
「…金山。連れて行け」
「はっ」
全てを失い放心状態になった樹総帥は金山さんに拘束され部屋から連れ出されていった。
これで、終わった…?全て?
誠パパはまるで何もなかったかのように、スーツの埃を払って、私に申し訳なさそうな顔をしてから、明子さんへ向き直ると側へ歩み寄った。
「すまないな、明子。来るのが遅くなった」
ベッドの脇に膝をつき、頭を下げる。
「なっ!?何を言ってるのっ!!貴方が私に謝る必要なんてないわっ!!むしろ私の方が白鳥家に迷惑ばかりかけて…」
「いや。あいつが動き出したのは私の責任だ。皐月さんと二人、息子を愛していると思っていたんだ。私は明子を守ると宣言しておきながら、本当に…すまなかった」
絞り出すように発せられる謝罪の言葉。
明子さんはそれを体中で否定した。頭を振って、誠パパに立ってと促して。
「ごめんなさいっ。私が…私が悪いのっ。私の所為で、皐月にも誠にも望まぬ結婚をさせてしまった。本当に、ごめんなさいっ」
ぼろぼろと零れる涙を明子さんは両手で覆い隠した。
それに苦笑した誠パパはゆっくりと立ち上がり、いまだベッドに座る明子さんの隣に座り彼女を抱きしめた。
「望まぬ結婚なんて、思わなくていい」
「誠…」
「私は彼女と結婚出来た事を嬉しく思ってるよ。例え父さんが連れてきた政略結婚の相手だったとしても。それが、君の駆け落ちを手助けする為の交換条件だったとしても。私は、彼女と…澪(みお)と結婚出来て良かった」
「私も、ですわ。お姉様。確かに勅久様とはこんな結果になってしまいました。けれど、それでも私は勅久様と結婚出来た事。龍也を産んだ事。一切後悔しておりませんわ」
両サイドから明子さんを抱きしめる二人。私達子供はそんな三人を見守るしかなかった。
「君だって。猿城寺と駆け落ちした事、息子を産んだ事を後悔していないだろう?」
必死に頷く明子さんを二人は優しく微笑む。
「わたし、は……私は、幸せだわ。あの人を失っても尚こうして助けてくれる友がいる。そして大事な子供達が沢山いる」
「そうだね。それは君が頑張ったからだ」
「お姉様は私の恩人で、誇りですわ」
「二人共…ありがとう…」
やっと微笑んでくれた明子さんにホッとして、誠パパは彼女を皐月さんに託し、立ち上がるとベッドの側に立っていた三人を見た。
「しかし、皆猿城寺の面影があるなぁ」
そりゃそうだ。三つ子だし。
けれど、三人は『へ?』と目を真ん丸くして、口をぽっかり開けて茫然としていた。
「ちょ、誠っ!?さらっと私が今まで黙ってた事をばらさないで頂戴っ!」
今さっきまで泣いていた明子さんが慌てて誠パパに食って掛かるが、誠パパは一切気にした様子無く、鴇お兄ちゃんとそっくりなニヒルな笑みを浮かべた。
「こう言うのは黙ってた方が悪い方へ転がる時もあるんだよ。彼らももう大きくなって自分で判断できる年齢だろう?教えてしまったらいいんだ。彼らは君が産んだ三卵生の三つ子だって」
あ、今度こそ思考が停止した。三人の瞳が限界まで見開かれて、言葉も出ない。
あーあと明子さんが頭を抱える。誠パパも性格が悪い。せめて自分から言わせてあげればいいのに。
そんな状況からいち早く我に帰ったのは、陸実くんだった。
「ちょ、ちょっと待てよっ!母さん先生っ!血が繋がってたのは空だけじゃないのかよっ!?」
「そ、そうだよっ!ボク達こんなに外見も中身も違うのにっ!」
「……………おれだけだと、思ってた…」
三人が明子さんに詰め寄る。
「三人共十分似てるわ。陸実くんは神薙のおじさまと同じ赤の入った意志の強い茶色の瞳。海里くんは猿城寺お兄様と同じ柔らかで穏やかな青い瞳に。空良くんはお姉様と同じ慈しむ緑の瞳。皆ちゃんとお姉様と猿城寺お兄様の血を引いていますわ」
皐月さんが穏やかに言う。って事は…明子さんは白髪が混じっているものの黒髪。三人共一部染めてたんだね。
「勅久様がいなくなった今。私がお姉様を支えます。龍也と一緒に」
そっと皐月さんが自分達を見守ってる息子を見た。樹先輩は穏やかに微笑みしっかりと頷く。
「なんか一気に弟妹が増えた気分だな」
冗談めかして樹先輩が言うと、申護持の三人が微妙な顔をした。特に空良くんの瞳はじっとりと樹先輩を睨んでいる。
「……………樹さん。今日、とり先輩と何か言い合いしてた」
「うん?」
「……………今日の朝、とり先輩の口、少し濡れてた。…何した?」
えっ!?そんなに濡れてたっ!?
かぁーっと頬が赤くなり思わず葵お兄ちゃんの胸に顔を埋める。
「鈴ちゃん?…何されたの?」
ぐいっと両手で顔を挟まれ葵お兄ちゃんと顔を強制的に合わされる。こえぇっ!?ブリザート葵お兄ちゃんっ!!
「そ、の…」
「鈴ちゃん。僕は鈴ちゃんに怒ってる訳じゃないんだよ?された分はきっちり報復しないといけないでしょう?その為には何をされたか聞かないとそれに見合った報復が出来ないからちゃんとお兄ちゃんに教えて?」
だって、だって恥ずかしいんだもんっ!!
でも、黙ってるのも不可能そうだ。葵お兄ちゃんが許してくれる訳ないだろうし。
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「ベロチューされた」

ピシッ。

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ほらぁ、だから言いたくなかったのにぃっ!
皆、日中にこんな話聞きたくないでしょーっ!
むむーっと拗ねて、葵お兄ちゃんの手を外してもう一度その胸に顔を埋めると、何故かひょいっと葵お兄ちゃんに抱き上げられた。
「鈴ちゃん。帰るよ」
「え?うん?」
「そうだね。美鈴。帰ろう。真珠。車を回してくれ」
「はい。かしこまりました」
「え?え?」
すたすたと歩きだす葵お兄ちゃんにそれに付いてくる誠パパと一瞬で姿を消した真珠さん。
私達が部屋を出た途端に…。

「龍也ーっ!!貴方という子はっ!!」
「は、母上っ、落ち着いてっ」
「これが落ち着いていられますかっ!!そこに直りなさいっ!!」
「美鈴ーっ!!お前言い逃げするなーっ!!」
「お黙りなさいっ!!」

怒声が聞こえてきたが、葵お兄ちゃんが耳に入れなくていいと言うので気にしない事にした。
誘拐されてどれだけの時間が経過したか良く解らないけど。
でも私は漸く家へ帰る事が出来たのだった…。
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