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第三章 中学生編
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彼女の異変に気付いたのは、移動教室で優兎くんと二人歩いていた時だった。
いつも誰かと歩いていた彼女が一人で歩いていたから、不思議に思って授業が終わった帰りに態と彼女の教室の前を通ってみた。
すると、彼女、『一之瀬夢子』は一人窓の外を見ていた。
まるで何かから逃げ出すように。全ての世界を遮断するように。
一之瀬夢子。
以前に一度会った事があり、その時は気付かなかったけれどライバルキャラの一人。
彼女は精神が幼く弱いキャラクターとして描かれていた。事実、以前会った時は私もそうだと思っていた。
膝に怪我をして泣いてる姿。
それが彼女の印象だった。
円の同室である事は知っていたけれど、夢子ちゃんが話かけて来る気配はなかったから、きっと私と関わりたくないんだろうと思っていた。
でも、違った。
彼女は私を守ってくれようとしていた。
親衛隊を作ったり、王子と呼ぶように制度をつけたり。
少し調べたらすぐに彼女がやってくれた事だと気付いた。
そんな彼女が一人でいる。
心配するなって方が無理。
その異変に気付いた日。
私は円に頼んで、急遽作ったサンドイッチを夢子ちゃんに渡してくれるように頼んだ。
夢子ちゃんを苦手としていた円は渋々だけれど納得し、持って行ってくれて、暫くしたら何故か辛そうな顔で戻って来た。
「……なんで、あんなになったんだ…何したんだろ、アイツ」
「……夢子ちゃんの話?」
生徒会室でお昼を食べながら、呟いた言葉に私は聞き返した。
円は静かに頷く。
「王子は何か知ってるんだろ?だから昼飯を持ってけって頼んだんだろ?」
「…ごめん、円。私も解らないんだ。夢子ちゃんがクラスメートから無視されてる状況に気付いたのはついさっきだから…」
「そうか」
「うん。ごめんね。でも、円。夢子ちゃんと同じクラスだよね?目を離さないでいてあげて」
あの手の虐めはエスカレートするから。
前世で同じような経験をした私には分かる。
そして味方が一人いるといないとではどれだけ違うかも知っている。
私が真剣に言うと円が頷いた。
「私達もちょっと情報集めてみる」
「うん。私も。従者並みの情報収集力はないけど、手伝う」
優兎くんと愛奈も協力を申し出てくれた。
そこからまた数日が過ぎたけど、夢子ちゃんが上手に隠してるのか、これと言った確かな情報は入ってこず、その間に夢子ちゃんの虐めはエスカレートして行った。
そして、ある日。
円が寮の私達の部屋へと飛び込んできた。
泣きそうな顔で。
慌てて招き入れて、優兎くんが持って来た毛布で彼女を包んで、私は急いで飲み物を差し出す。
円はただそれを受け取り、飲むこともせずじっとそのカップを見詰めていた。
「円…。どうしたの…?」
彼女の横に座り、背を撫でてやると、彼女はカップをテーブルに置き顔を両手で隠した。
小さく嗚咽が聞こえ、泣いているという事が分かる。
「円…。どうしたの…?」
もう一度。優しく問いかけると彼女は嗚咽交じりに話し始めた。
「アタシ、…馬鹿だ…っ、アイツが、あんなにっ、…あんなにっ、アンタを想って動いてたなんて、思わなかったっ…」
「…私を…?」
「一之瀬は、王子の、為にっ、…なのにっ…」
「夢子ちゃん?…円。どう言う事?」
私は円の必死に紡ぐ言葉を聞きとり、事実を知って愕然とした。
あの子があんな目にあってるのは私の所為?
夢子ちゃんは、私を守るために、神薙杏子の相手を一人で受け入れ立ち向かってくれていた?
私を守ってくれてたのは知っていた。
知っていたけど…、神薙杏子に一人で戦わせていたなんて…。
そんなの…そんなのっ、あり得ないっ!
私の所為で、夢子ちゃんは…。
助けなきゃっ!絶対に絶対に助けなきゃっ!!
「優兎くん。円の事、ちょっと頼める?私は調べる事があるの」
「…分かったよ。美鈴ちゃん」
私は部屋へと駆け込む。仕事の書類の中から一枚、悩んでいた書類を取り出す。
円の話に出て来た『綾小路桃』。
彼女もまた、ライバルキャラだ。だけど、彼女の姿は私の知っているゲームに出てくる姿とは違った。
確かにまだゲーム本編である高校生になってはいないし、これから成長するかもしれないけれど。
ゲームでの彼女は、黒髪黒目の清楚系なお嬢様キャラだったはずだ。
なのに、私のクラスにいる綾小路桃は、同じ黒髪でも黒目ではない。あの瞳は焦げ茶色。少し茶が入っている。
だから、同じ名前の別人だと思っていた。その所為で記憶が戻らなかった。
でも…その考え自体が間違っていたんだ。私のクラスにいる彼女はきっと別人。ゲームに出てくる綾小路桃はきっと別に存在するんだ。
確証を持つために私はまずママに電話をした。
するとママの記憶の中の綾小路桃も黒髪黒目で間違いなかった。ついでに鴇お兄ちゃんにママを経由して――(この学校は男に電話をかけるのは禁止されている。尚携帯は持ち込みは可だが、電波が殆どない為使い物にならない)――綾小路家へ連絡をとるように頼んだ。
数日後、鴇お兄ちゃんから綾小路家の現状が書かれた書類が届いた。
綾小路家は、今多額の負債を抱えている。そこで姉である綾小路菊(あやのこうじきく)を嫁に出し、妹である綾小路桃を跡取りにする事を考えた。綾小路家の跡取りは二人。そしてその二人共女であり外見がとても良く似ているのだと言う。
どちらも似たようなものなら嫁に行くのは長女である自分(菊)ではなく妹である桃だろう。何せ自分は第一子なのだから。そう高を括っていたのに、出された結果は姉である自分が嫁に行くという事実。姉よりも妹の方が優秀だと家が判断したからだ。だが無理矢理嫁に行かされるのはごめんだと綾小路菊は脱走する。そして、綾小路桃に全ての責任がのしかかった。
その多大な重圧により彼女は病がちになり、今も尚病床についている。一方姉である菊の行方は知れていない。
間違いなく、この学校にいるのは姉である菊の方だ。
ならば、とれる手段はただ一つ。
妹である桃をこの学校へ通わせ、菊を実家へ戻す。
菊に責任をとらせるのだ。
私はその旨を書いた手紙を綾小路桃へと送った。
しかし、返事は来ない。
何通も何通も書いたが返事は一切届かなかった。
この学校は男性に関する手紙は一切届かない。だからもしかしたら綾小路桃の代わりに男性が代筆してる事により届かないのかと思い、鴇お兄ちゃんの方に手紙を出すように書いてみたがやはり届かなかった。
こんなやりとりをしている間に、夢子ちゃんへの虐めはエスカレートして行く。
もういっそ、真っ向勝負に出てしまおうか。
そう思う度に、円が私を止めた。
夢子ちゃんの為にもそれはしないでくれって。夢子ちゃんが壊れてしまうからって。
そう言われてしまえば、私は何も出来ない。
自分の力のなさに、不甲斐無さに歯噛みしていたある日。
鴇お兄ちゃんの書類の中に一枚の手紙が混ざっていた。
それは鴇お兄ちゃんが珍しく直筆で、私に宛てた手紙だった。書類に隠された暗号のような物ではなく、きちんとした手紙。
急いで私はそれを開くと、そこには綾小路家と接触する事が出来たという事。会談する用意があると言う事が書かれていた。ただ、全てがきな臭いと付け加えられて。
それでもいい。
それでも、綾小路の人間と接触出来ればどうにかなる。してみせるっ!
会談は二週間後。
二週間後には助けられる。
あと二週間耐えて貰えばどうにか出来る。
私はそれを伝えるべく、わざと曲がり角で待ち伏せして、彼女とぶつかるふりをした。
体を抱きとめると、制服で普段隠れていて見えない場所に一杯青痣が見えた。
一瞬で沸き上がる怒りを抑え、彼女のスカートに手紙を挟んで渡す。
そして何事もなかったように離れた。
すると、その日の夜。
円が再び駆け込んできた。
夢子ちゃんが泣いていたと。今まで散々虐められていたのに泣かなかった彼女が泣いていたと。
私を巻き込んだと言って泣いていた、と。
違うのに。違うの、夢子ちゃん。
『貴女が私を』巻き込んだんじゃないの。『私が貴女を』巻き込んだの。
次の日学校へ向かうと、夢子ちゃんは清々しい表情をして、いつのものように外を眺めていた。
あれは…何かを決意した顔だった。
嫌な予感がした。
彼女の決意は決していいものではない。そんな気がした。
駄目だ。二週間何て待っていられない。会談で討論している暇なんてない。
どうにかして、…どうにかして、綾小路桃本人に会わなくてはっ!
でも、どうやってっ?
この学校は、三年になるまで外に出ることは許されない。
どうしたら…。
その時、私が持っていた書類から一通の手紙が落ちる。
『果たし状』
正確な漢字で書かれたそれを見て、私はハッとした。
その果たし状を急いで拾い、教室へと駆け込む。
入口のドアを開けて、
「優兎っ!!私は行ってくるから、後を頼むっ!!」
優兎くんに向かって叫んだ。
教室の視線が私に集まるが知った事じゃない。
優兎くんは私に向かい、大きく頷いた。
「任せてっ。行ってらっしゃいっ」
そうして背を押してくれた。
私は頷き、駆け出す。目指すは果たし状で呼び出された校舎裏。
校舎裏には案の定、セーラー服を着た男子がいた。
以前に会った二人共違う。
けれど、今はそんな事を構ってられない。
一気にそいつに駆け寄り、胸倉をつかんで引き寄せた。
「…ッ!?」
無言で驚く。確かにそれは当然の反応だ。
「貴方達、一体何処から入って来てるのっ!?私にそれを教えてっ!!今すぐにっ!!」
「………何故?」
「友達を助けるのに必要だからよっ!!いいからさっさと教えてっ!!」
「…………だが」
煮え切らない態度に私の焦りと苛立ちが募る。
「教えてくれたら、貴方達の言う『話』を聞いてあげるわっ!!約束するっ!!だから、お願いっ!!」
鬼気迫る勢いに押されたのか、彼は頷いた。
「………こっちだ」
声のテンポの割に、彼の動きは速かった。
でも今はそれが有難い。
校舎裏の塀の一か所。土が掘られたような跡があり、そこは人一人通れるか位の小さな穴が開いていた。
「………ここは、唯一レーザーの死角」
「成程っ」
体を地面に付けてほふく前進する。セーラーが汚れたって構うものか。
彼に続いて学校を脱け出し、山を全力で下る。
結構な距離がある筈なのに、彼はショートカット出来る道を通っているのか、あっさりと下山出来てしまった。
車通りのない、けれどしっかりとしたアスファルトで出来た車道がある道。
ここまで来てしまえば、問題ない。
「金山さんっ!!」
私が叫ぶと、
「はっ、御呼びでしょうか、お嬢様っ」
直ぐに来てくれる超人を呼び出す。
それに案内してくれた彼は驚いているけれど気にしない。
「この件が片付いたら、絶対に貴方達の話を聞く。約束する。果たし状に貴方達三人の名前を書いて私にもう一度送ってくれる?」
私は彼と向かい合い宣言し、この約束は絶対に反故にはしないと、その為の果たし状の再送を願う。
ぐっと大きく頷くと、もう一度金山さんと向かい合い、
「金山さん、車と服を用意して。今すぐに綾小路家へ行くわっ!」
「はっ、かしこまりましたっ」
彼に背を向けて私は金山さんが用意した車に乗り込み、真っ直ぐ綾小路家へ向かった。
直談判の結果。
綾小路桃さんの説得は成功した。
これからの行動も踏まえた作戦会議をし、私は学校へと戻って来た。
勿論、同じ方法で。
お蔭で制服が物凄い事になったけど、まぁ、仕方ない。
友達を助ける為なら、私のお小遣い位いくらでも使うわよ。
それから夢子ちゃんを助ける為の準備に駈けずり回る日々が続いた。
夢子ちゃんは変わらず、清々しい顔で、日々を過ごしている。
そして、私が夢子ちゃんへ手紙を送った日からちょうど一週間が経った、その日の朝。
生徒会室にいた私の下へ円が駆け込んできた。
「王子っ!一之瀬がっ!!」
とうとうその時が来てしまった。
二週間。優しい彼女が待つはずがなかったんだ。
でも、大丈夫。今なら、私は彼女を守れる。
「円。夢子ちゃんは何処へ向かったの?」
「多分、屋上だ。どうしよう、王子。一之瀬はっ」
「大丈夫。夢子ちゃんは必ず助けるからっ」
私は力強く頷く。
そのまま、行動に移る。
「円、寮の私の部屋にいる人を呼んで来てっ」
「分かったっ」
「愛奈は保健室の確保っ」
「了解よっ」
「優ちゃんは私と一緒に、お願いっ」
「分かったわっ」
指示を出して私達は一斉に動き出す。
私は真っ直ぐに屋上へと向かった。
屋上へと近づくにつれて、夢子ちゃんの叫ぶ声が大きくなっていく。
「…貴女達はやってはならないことをしたっ。私の恩人を巻き込んだっ!!」
恩人?…何の事だろう?…解らない。けど、夢子ちゃんが今苦しんでいる事は解る。
「許さないっ!!絶対に許さないっ!!」
階段を登り切り、開いたままのドアを抜けて、目に飛び込んできた光景は、夢子ちゃんがライターを神薙杏子に投げつけようとしている瞬間で。
私は彼女に駆け寄り、その小さな背を抱きしめた。
そっと、その瞳を片手で塞ぐ。
落ち着いて。大丈夫。もう…大丈夫だから。
「もう、いいよ。もう、いいの…」
助けに来たよ。もう苦しまなくていいの。我慢しなくていいよ。
「ありがとう…夢子ちゃん」
私を助けてくれて。私の為にこんなに傷ついてくれて。
ありがとう。本当にありがとう…。
「もう、大丈夫だから。夢子ちゃん…後は私に任せてくれる?」
彼女の目を塞いだ手が濡れて。その体から力が抜けて行く。
「しら、とり、さん…」
そっと瞳を塞いでいた手を外し、涙で濡れる彼女の顔を覗き込んで微笑む。
「優兎。夢子ちゃんをお願い」
「うん。…美鈴ちゃん。ほどほどにね」
「………善処するよ」
夢子ちゃんを優兎くんに預け、私は神薙杏子と綾小路菊、二人の前に立つ。
そして、綾小路菊の顔を全力で殴りつけた。
ガツンッと鈍い音が響く。
歯の一本も折れたかもしれない。だけど、そんなの関係ない。
唇の端から流れる血に関係なく私はもう一発殴る。殴られた反動で体が吹き飛び転がる彼女に一歩二歩と静かに近寄った。
頬を抑えて呻く、彼女のスカーフを掴み引き寄せ、見下す。
「私に喧嘩を売るならまだしも、私の友達に手を出すなんて。良い度胸ね。綾小路さん」
「ぐっ…」
「苦しいの?」
こくこくと頷く。それはそうだろう。無理矢理スカーフで体を持ち上げられてるんだから。
でも、それによって首が絞められようと私には関係ない。
「そう、苦しいの。…こんな苦しさも耐え切れないの?これからもっと苦しい思いをするのに?」
私が冷めた笑みを浮かべると、彼女の顔が凍り付いた。
思い切り引っ張り上げて、その腹に膝蹴りを入れる。
「うあっ!?」
倒れ込んだその腹を踏みつけて圧を与える。
「ほらほら。もっと苦しみなさいよ。…分かるかしら?これが夢子ちゃんが受けた苦しさなの。しかもその一部よ。なぁに?泣くの?夢子ちゃんは一切泣かなかったのに、貴女はこの程度で泣くの?」
散々夢子ちゃんを殴ったり蹴ったりした癖に。自分はこの程度で泣くの?
しかも、自分の手は一切汚さず全て人にやらせた癖に。
「私はね。貴女みたいな狡からい女が一番嫌いなのよ」
もういっそ踏みつぶしてやろうか。
腹に与えた圧を更に増そうとしたら、私の足に何かがぶつかって来た。
「ごめんなさいっ!」
それは神薙杏子だった。
綾小路菊を助けようと私の足を掴み、泣きながら謝っている。
「……何に対して『ごめんなさい』なの?」
「ぜ、全部私が悪いのっ!桃姉様は悪くないっ!だからっ」
「彼女を助けて欲しいって?」
聞くと彼女は必死に頷く。
「ですってよ?綾小路『菊』さん?」
「―――ッ!?」
「え…?」
私の足の下にいる彼女の顔が青白く変わっていく。
そして、神薙杏子の顔が驚愕に染められた。
「あら?神薙さんは知らなかったのかしら?彼女は綾小路菊さん。綾小路桃さんのお姉さんよ」
「…え…だって、桃姉様は…」
「で、でた、らめ、よっ、杏子、信じちゃ、だめっ」
でたらめ、ねぇ。良くこの状況でそんな事を言えたものだ。
自分を助ける手をどうにかして繋ぎとめておきたい。そんな所か。
…そんなもの、綺麗に断ち切ってあげるけどね。何より私は神薙杏子も助ける気は毛頭ない。
共に落ちて消えればいい。
「神薙さんは、何故、綾小路桃さんを姉と呼ぶほど慕っているのかしら?」
「そんなの、神薙家で落ち零れた私に話しかけてくれるただ一人の人だからよっ!」
「へぇ。そうなの」
「そうよっ!神薙家と綾小路家は昔から付き合いのある家で。そこの次女である私はいつも失敗ばかりで。馬鹿な子扱いされて。でも、桃姉様だけはいつも笑って話を聞いてくれたわっ!」
「ふぅん。そんな大事な人なのに、本物かどうかの見わけもつかず、その名を語って陥れようとしている人間の悪事に加担して。馬鹿な子扱いされても仕方ないわね」
「陥れようなんてっ」
「してるでしょう?だって、この女と一緒に綾小路桃の名を悪名としてばら撒いたんだから。今だって手駒として使われている事に気づいてない。立派な馬鹿よ。貴女」
「そんな…そんなはず…」
足に縋りついていた腕から力が抜ける。
いいのかなー?力抜いちゃって。私このままこの人踏みつぶしちゃうよ?
なんて、思ってた所で、出来ないけどね。
何故って?それは、もうすぐ彼女が現れるから。
「…その位で容赦して頂けませんか?白鳥様」
ゆったりとした足音が聞こえる。
「……桃、姉様…?」
優雅に近寄る姿に私は微笑む。
彼女は私達と同じ制服を身に纏い、ふわりとその長い黒髪を靡かせて神薙杏子の側に膝をついた。
「だから、いつも言っているでしょう?杏子。きちんと考えて行動なさいって」
「わ、わたくし、は…」
「貴女は後でお説教ですよ」
そう言って苦笑した本当の綾小路桃は神薙杏子をぎゅっと抱きしめ、私を見上げた。
「白鳥様。この子への罰は私に任せて貰えませんか?」
「生温い罰では駄目ですよ?」
「分かっております」
小さく頷き、そのまま彼女は神薙杏子と一緒に立ち上がり、私の足の下にいる己の姉を見下ろした。
「いい様ですわね、菊お姉様」
「…も、も…」
「いかがです?私を生贄に自由を謳歌して、罰が下った気分は」
普段こんな風に人を馬鹿にするはずのない妹の言葉に姉は驚愕する。
「私の大事な妹分にまで手を出して。こんな女と血が繋がってるのかと思うと反吐が出ますわ」
「桃姉様…」
「まして、白鳥様のご友人にまで。いっそのこと、静かに過ごしていれば、白鳥様の怒りを買う事もなく、実家の事は全て私に押し付ける事が出来たというのに」
確かに、それはそうだ。思わず心の中で大きく頷いてしまう。
これだけ戦意喪失していたら平気だろう。
私は足を退けて、綾小路さんに場所を譲る。
「わ、私を、姉の私を侮辱して、許されると思ってるのっ!?」
「思っていますわ。貴女が今私に勝っている点は年齢だけ。それ以外は全て私の方が上。十分侮辱出来る理由になっているではありませんか」
「生意気なっ!」
「えぇ。生意気で結構ですわ。私はもう貴女に容赦をしないと決めたのです。貴女を甘やかしたから、私は自分の妹分を苦しめ、白鳥様の大事なご友人を苦しめてしまいました。私はその責任をとらねばなりません。そして、姉様。貴女もです」
綾小路さんはそれはもう美しく笑った。その笑顔は大いに怒りを含んだもので見るものを凍らせた。
「銅本(どうもと)っ!」
「はっ!お嬢様。御呼びでしょうか」
!?!?
えっ!?ちょっと何処から来たっ!?
セクシー秘書系のお姉様っ!?
ここ屋上っ!!でも空から降って来たよっ!?
あぁ、シリアスな場面だから突っ込みもいれられないっ!!
「連れて行って」
「はっ!」
銅本さんが綾小路菊の腕を掴んだ。けれど、それを勢いよく払い、彼女は立ち上がりフェンスまで逃げる。
「菊お姉様。無駄ですわ。貴女はもう逃げられません。あぁ、そうそう。この学校へは私が通いますわ。だって、ここに入学したのは綾小路『桃』であり『菊』ではありませんものね」
綾小路さんが言うと同時に彼女は銅本さんに腕を後ろ手に捕まれる。
「お嬢様。どちらへ連れて行きますか?」
「勿論、実家へ。お父様達が探していましたもの。ねぇ、お姉様」
「畏まりました」
綾小路菊が銅本さんに連れられて、屋上の入口から姿を消した。
それを確認してすぐに私は夢子ちゃんの下へ駆け寄る。
夢子ちゃんはただ、私の姿をじっと見ている。
…やばい。怖がらせちゃったか。
そっと手を伸ばして、その頬へ触れようとすると、ビクリと大きく体を跳ねさせた。
うぅ…やっぱり怖がらせたのね。ママ直伝の喧嘩はやっぱり周りの人間に恐怖を与えるのよ、きっと。
伸ばした手を引き、
「ごめんね。…怖いよね」
私は彼女と距離を開けようと立ち上がった。
だけど、その動きは夢子ちゃんの手で止められた。
「違うっ、違うのっ。私は…」
その大きな瞳から涙を溢れさせる姿は、昔の彼女を思い出させて。
懐かしい姿に笑みが浮かびそうになるのを堪え、彼女をそっと抱きしめた。
「やっと、話しかけてくれたね。ずっと待ってたのに」
「え……?」
「本当は私から話しかけたら良かったんだけど。夢子ちゃんが私に自分から来てくれたら嬉しいなって思ってつい、ね」
「白鳥さん、知って…」
「勿論、知ってるよ。小学生の時違う学区にも関わらず、会いに来てくれていたでしょう?今もこうして私を助けようと傷付いてくれてる。全部、全部知ってる。ありがとう、夢子ちゃん。私の為にありがとう」
「ぅ…っ…」
夢子ちゃんは涙を流しながらぽつりぽつりと話し始めた。
ずっとあの時、初めてあった時の怪我のお礼を言いたかった事。
その時思い切り泣いたから、全てを聞いてくれたから心が軽くなった事。
自分を救ってくれた私に恩返しをしたかった事。
なのに、恩返しどころか巻き込んでしまった事。
彼女は謝罪を繰り返した。
「……夢子ちゃんは、もう…ほんっとうにおバカなんだから」
溢れる涙を指でそっと払い、その瞳を覗き込み微笑む。
「夢子ちゃんが私を巻き込んだんじゃないの。私が、夢子ちゃんを巻き込んだのよ。ねぇ、優兎くん」
「うん。そうだね。綾小路菊の本当の目的は、美鈴ちゃんから権力を奪い取る事だったんだし。一之瀬さんはそれに巻き込まれてスケープゴートにされたんだよ」
「申し訳ありませんわ。私の愚かな姉の所為で…」
「一之瀬。アンタはちゃんと王子を守り切ったよ。それでいいんじゃないか?」
円が夢子ちゃんの頭をガシガシと力一杯撫でる。
「向井さん…。う…うああああああっ…」
等々声を上げて泣きだした彼女を私は力一杯抱きしめた。
その後泣き疲れ眠ってしまった彼女を抱き上げて、愛奈が確保してくれていた保健室へ連れて行き、しっかりと手当てを受けさせて、私達は寮へと帰った。
いつも誰かと歩いていた彼女が一人で歩いていたから、不思議に思って授業が終わった帰りに態と彼女の教室の前を通ってみた。
すると、彼女、『一之瀬夢子』は一人窓の外を見ていた。
まるで何かから逃げ出すように。全ての世界を遮断するように。
一之瀬夢子。
以前に一度会った事があり、その時は気付かなかったけれどライバルキャラの一人。
彼女は精神が幼く弱いキャラクターとして描かれていた。事実、以前会った時は私もそうだと思っていた。
膝に怪我をして泣いてる姿。
それが彼女の印象だった。
円の同室である事は知っていたけれど、夢子ちゃんが話かけて来る気配はなかったから、きっと私と関わりたくないんだろうと思っていた。
でも、違った。
彼女は私を守ってくれようとしていた。
親衛隊を作ったり、王子と呼ぶように制度をつけたり。
少し調べたらすぐに彼女がやってくれた事だと気付いた。
そんな彼女が一人でいる。
心配するなって方が無理。
その異変に気付いた日。
私は円に頼んで、急遽作ったサンドイッチを夢子ちゃんに渡してくれるように頼んだ。
夢子ちゃんを苦手としていた円は渋々だけれど納得し、持って行ってくれて、暫くしたら何故か辛そうな顔で戻って来た。
「……なんで、あんなになったんだ…何したんだろ、アイツ」
「……夢子ちゃんの話?」
生徒会室でお昼を食べながら、呟いた言葉に私は聞き返した。
円は静かに頷く。
「王子は何か知ってるんだろ?だから昼飯を持ってけって頼んだんだろ?」
「…ごめん、円。私も解らないんだ。夢子ちゃんがクラスメートから無視されてる状況に気付いたのはついさっきだから…」
「そうか」
「うん。ごめんね。でも、円。夢子ちゃんと同じクラスだよね?目を離さないでいてあげて」
あの手の虐めはエスカレートするから。
前世で同じような経験をした私には分かる。
そして味方が一人いるといないとではどれだけ違うかも知っている。
私が真剣に言うと円が頷いた。
「私達もちょっと情報集めてみる」
「うん。私も。従者並みの情報収集力はないけど、手伝う」
優兎くんと愛奈も協力を申し出てくれた。
そこからまた数日が過ぎたけど、夢子ちゃんが上手に隠してるのか、これと言った確かな情報は入ってこず、その間に夢子ちゃんの虐めはエスカレートして行った。
そして、ある日。
円が寮の私達の部屋へと飛び込んできた。
泣きそうな顔で。
慌てて招き入れて、優兎くんが持って来た毛布で彼女を包んで、私は急いで飲み物を差し出す。
円はただそれを受け取り、飲むこともせずじっとそのカップを見詰めていた。
「円…。どうしたの…?」
彼女の横に座り、背を撫でてやると、彼女はカップをテーブルに置き顔を両手で隠した。
小さく嗚咽が聞こえ、泣いているという事が分かる。
「円…。どうしたの…?」
もう一度。優しく問いかけると彼女は嗚咽交じりに話し始めた。
「アタシ、…馬鹿だ…っ、アイツが、あんなにっ、…あんなにっ、アンタを想って動いてたなんて、思わなかったっ…」
「…私を…?」
「一之瀬は、王子の、為にっ、…なのにっ…」
「夢子ちゃん?…円。どう言う事?」
私は円の必死に紡ぐ言葉を聞きとり、事実を知って愕然とした。
あの子があんな目にあってるのは私の所為?
夢子ちゃんは、私を守るために、神薙杏子の相手を一人で受け入れ立ち向かってくれていた?
私を守ってくれてたのは知っていた。
知っていたけど…、神薙杏子に一人で戦わせていたなんて…。
そんなの…そんなのっ、あり得ないっ!
私の所為で、夢子ちゃんは…。
助けなきゃっ!絶対に絶対に助けなきゃっ!!
「優兎くん。円の事、ちょっと頼める?私は調べる事があるの」
「…分かったよ。美鈴ちゃん」
私は部屋へと駆け込む。仕事の書類の中から一枚、悩んでいた書類を取り出す。
円の話に出て来た『綾小路桃』。
彼女もまた、ライバルキャラだ。だけど、彼女の姿は私の知っているゲームに出てくる姿とは違った。
確かにまだゲーム本編である高校生になってはいないし、これから成長するかもしれないけれど。
ゲームでの彼女は、黒髪黒目の清楚系なお嬢様キャラだったはずだ。
なのに、私のクラスにいる綾小路桃は、同じ黒髪でも黒目ではない。あの瞳は焦げ茶色。少し茶が入っている。
だから、同じ名前の別人だと思っていた。その所為で記憶が戻らなかった。
でも…その考え自体が間違っていたんだ。私のクラスにいる彼女はきっと別人。ゲームに出てくる綾小路桃はきっと別に存在するんだ。
確証を持つために私はまずママに電話をした。
するとママの記憶の中の綾小路桃も黒髪黒目で間違いなかった。ついでに鴇お兄ちゃんにママを経由して――(この学校は男に電話をかけるのは禁止されている。尚携帯は持ち込みは可だが、電波が殆どない為使い物にならない)――綾小路家へ連絡をとるように頼んだ。
数日後、鴇お兄ちゃんから綾小路家の現状が書かれた書類が届いた。
綾小路家は、今多額の負債を抱えている。そこで姉である綾小路菊(あやのこうじきく)を嫁に出し、妹である綾小路桃を跡取りにする事を考えた。綾小路家の跡取りは二人。そしてその二人共女であり外見がとても良く似ているのだと言う。
どちらも似たようなものなら嫁に行くのは長女である自分(菊)ではなく妹である桃だろう。何せ自分は第一子なのだから。そう高を括っていたのに、出された結果は姉である自分が嫁に行くという事実。姉よりも妹の方が優秀だと家が判断したからだ。だが無理矢理嫁に行かされるのはごめんだと綾小路菊は脱走する。そして、綾小路桃に全ての責任がのしかかった。
その多大な重圧により彼女は病がちになり、今も尚病床についている。一方姉である菊の行方は知れていない。
間違いなく、この学校にいるのは姉である菊の方だ。
ならば、とれる手段はただ一つ。
妹である桃をこの学校へ通わせ、菊を実家へ戻す。
菊に責任をとらせるのだ。
私はその旨を書いた手紙を綾小路桃へと送った。
しかし、返事は来ない。
何通も何通も書いたが返事は一切届かなかった。
この学校は男性に関する手紙は一切届かない。だからもしかしたら綾小路桃の代わりに男性が代筆してる事により届かないのかと思い、鴇お兄ちゃんの方に手紙を出すように書いてみたがやはり届かなかった。
こんなやりとりをしている間に、夢子ちゃんへの虐めはエスカレートして行く。
もういっそ、真っ向勝負に出てしまおうか。
そう思う度に、円が私を止めた。
夢子ちゃんの為にもそれはしないでくれって。夢子ちゃんが壊れてしまうからって。
そう言われてしまえば、私は何も出来ない。
自分の力のなさに、不甲斐無さに歯噛みしていたある日。
鴇お兄ちゃんの書類の中に一枚の手紙が混ざっていた。
それは鴇お兄ちゃんが珍しく直筆で、私に宛てた手紙だった。書類に隠された暗号のような物ではなく、きちんとした手紙。
急いで私はそれを開くと、そこには綾小路家と接触する事が出来たという事。会談する用意があると言う事が書かれていた。ただ、全てがきな臭いと付け加えられて。
それでもいい。
それでも、綾小路の人間と接触出来ればどうにかなる。してみせるっ!
会談は二週間後。
二週間後には助けられる。
あと二週間耐えて貰えばどうにか出来る。
私はそれを伝えるべく、わざと曲がり角で待ち伏せして、彼女とぶつかるふりをした。
体を抱きとめると、制服で普段隠れていて見えない場所に一杯青痣が見えた。
一瞬で沸き上がる怒りを抑え、彼女のスカートに手紙を挟んで渡す。
そして何事もなかったように離れた。
すると、その日の夜。
円が再び駆け込んできた。
夢子ちゃんが泣いていたと。今まで散々虐められていたのに泣かなかった彼女が泣いていたと。
私を巻き込んだと言って泣いていた、と。
違うのに。違うの、夢子ちゃん。
『貴女が私を』巻き込んだんじゃないの。『私が貴女を』巻き込んだの。
次の日学校へ向かうと、夢子ちゃんは清々しい表情をして、いつのものように外を眺めていた。
あれは…何かを決意した顔だった。
嫌な予感がした。
彼女の決意は決していいものではない。そんな気がした。
駄目だ。二週間何て待っていられない。会談で討論している暇なんてない。
どうにかして、…どうにかして、綾小路桃本人に会わなくてはっ!
でも、どうやってっ?
この学校は、三年になるまで外に出ることは許されない。
どうしたら…。
その時、私が持っていた書類から一通の手紙が落ちる。
『果たし状』
正確な漢字で書かれたそれを見て、私はハッとした。
その果たし状を急いで拾い、教室へと駆け込む。
入口のドアを開けて、
「優兎っ!!私は行ってくるから、後を頼むっ!!」
優兎くんに向かって叫んだ。
教室の視線が私に集まるが知った事じゃない。
優兎くんは私に向かい、大きく頷いた。
「任せてっ。行ってらっしゃいっ」
そうして背を押してくれた。
私は頷き、駆け出す。目指すは果たし状で呼び出された校舎裏。
校舎裏には案の定、セーラー服を着た男子がいた。
以前に会った二人共違う。
けれど、今はそんな事を構ってられない。
一気にそいつに駆け寄り、胸倉をつかんで引き寄せた。
「…ッ!?」
無言で驚く。確かにそれは当然の反応だ。
「貴方達、一体何処から入って来てるのっ!?私にそれを教えてっ!!今すぐにっ!!」
「………何故?」
「友達を助けるのに必要だからよっ!!いいからさっさと教えてっ!!」
「…………だが」
煮え切らない態度に私の焦りと苛立ちが募る。
「教えてくれたら、貴方達の言う『話』を聞いてあげるわっ!!約束するっ!!だから、お願いっ!!」
鬼気迫る勢いに押されたのか、彼は頷いた。
「………こっちだ」
声のテンポの割に、彼の動きは速かった。
でも今はそれが有難い。
校舎裏の塀の一か所。土が掘られたような跡があり、そこは人一人通れるか位の小さな穴が開いていた。
「………ここは、唯一レーザーの死角」
「成程っ」
体を地面に付けてほふく前進する。セーラーが汚れたって構うものか。
彼に続いて学校を脱け出し、山を全力で下る。
結構な距離がある筈なのに、彼はショートカット出来る道を通っているのか、あっさりと下山出来てしまった。
車通りのない、けれどしっかりとしたアスファルトで出来た車道がある道。
ここまで来てしまえば、問題ない。
「金山さんっ!!」
私が叫ぶと、
「はっ、御呼びでしょうか、お嬢様っ」
直ぐに来てくれる超人を呼び出す。
それに案内してくれた彼は驚いているけれど気にしない。
「この件が片付いたら、絶対に貴方達の話を聞く。約束する。果たし状に貴方達三人の名前を書いて私にもう一度送ってくれる?」
私は彼と向かい合い宣言し、この約束は絶対に反故にはしないと、その為の果たし状の再送を願う。
ぐっと大きく頷くと、もう一度金山さんと向かい合い、
「金山さん、車と服を用意して。今すぐに綾小路家へ行くわっ!」
「はっ、かしこまりましたっ」
彼に背を向けて私は金山さんが用意した車に乗り込み、真っ直ぐ綾小路家へ向かった。
直談判の結果。
綾小路桃さんの説得は成功した。
これからの行動も踏まえた作戦会議をし、私は学校へと戻って来た。
勿論、同じ方法で。
お蔭で制服が物凄い事になったけど、まぁ、仕方ない。
友達を助ける為なら、私のお小遣い位いくらでも使うわよ。
それから夢子ちゃんを助ける為の準備に駈けずり回る日々が続いた。
夢子ちゃんは変わらず、清々しい顔で、日々を過ごしている。
そして、私が夢子ちゃんへ手紙を送った日からちょうど一週間が経った、その日の朝。
生徒会室にいた私の下へ円が駆け込んできた。
「王子っ!一之瀬がっ!!」
とうとうその時が来てしまった。
二週間。優しい彼女が待つはずがなかったんだ。
でも、大丈夫。今なら、私は彼女を守れる。
「円。夢子ちゃんは何処へ向かったの?」
「多分、屋上だ。どうしよう、王子。一之瀬はっ」
「大丈夫。夢子ちゃんは必ず助けるからっ」
私は力強く頷く。
そのまま、行動に移る。
「円、寮の私の部屋にいる人を呼んで来てっ」
「分かったっ」
「愛奈は保健室の確保っ」
「了解よっ」
「優ちゃんは私と一緒に、お願いっ」
「分かったわっ」
指示を出して私達は一斉に動き出す。
私は真っ直ぐに屋上へと向かった。
屋上へと近づくにつれて、夢子ちゃんの叫ぶ声が大きくなっていく。
「…貴女達はやってはならないことをしたっ。私の恩人を巻き込んだっ!!」
恩人?…何の事だろう?…解らない。けど、夢子ちゃんが今苦しんでいる事は解る。
「許さないっ!!絶対に許さないっ!!」
階段を登り切り、開いたままのドアを抜けて、目に飛び込んできた光景は、夢子ちゃんがライターを神薙杏子に投げつけようとしている瞬間で。
私は彼女に駆け寄り、その小さな背を抱きしめた。
そっと、その瞳を片手で塞ぐ。
落ち着いて。大丈夫。もう…大丈夫だから。
「もう、いいよ。もう、いいの…」
助けに来たよ。もう苦しまなくていいの。我慢しなくていいよ。
「ありがとう…夢子ちゃん」
私を助けてくれて。私の為にこんなに傷ついてくれて。
ありがとう。本当にありがとう…。
「もう、大丈夫だから。夢子ちゃん…後は私に任せてくれる?」
彼女の目を塞いだ手が濡れて。その体から力が抜けて行く。
「しら、とり、さん…」
そっと瞳を塞いでいた手を外し、涙で濡れる彼女の顔を覗き込んで微笑む。
「優兎。夢子ちゃんをお願い」
「うん。…美鈴ちゃん。ほどほどにね」
「………善処するよ」
夢子ちゃんを優兎くんに預け、私は神薙杏子と綾小路菊、二人の前に立つ。
そして、綾小路菊の顔を全力で殴りつけた。
ガツンッと鈍い音が響く。
歯の一本も折れたかもしれない。だけど、そんなの関係ない。
唇の端から流れる血に関係なく私はもう一発殴る。殴られた反動で体が吹き飛び転がる彼女に一歩二歩と静かに近寄った。
頬を抑えて呻く、彼女のスカーフを掴み引き寄せ、見下す。
「私に喧嘩を売るならまだしも、私の友達に手を出すなんて。良い度胸ね。綾小路さん」
「ぐっ…」
「苦しいの?」
こくこくと頷く。それはそうだろう。無理矢理スカーフで体を持ち上げられてるんだから。
でも、それによって首が絞められようと私には関係ない。
「そう、苦しいの。…こんな苦しさも耐え切れないの?これからもっと苦しい思いをするのに?」
私が冷めた笑みを浮かべると、彼女の顔が凍り付いた。
思い切り引っ張り上げて、その腹に膝蹴りを入れる。
「うあっ!?」
倒れ込んだその腹を踏みつけて圧を与える。
「ほらほら。もっと苦しみなさいよ。…分かるかしら?これが夢子ちゃんが受けた苦しさなの。しかもその一部よ。なぁに?泣くの?夢子ちゃんは一切泣かなかったのに、貴女はこの程度で泣くの?」
散々夢子ちゃんを殴ったり蹴ったりした癖に。自分はこの程度で泣くの?
しかも、自分の手は一切汚さず全て人にやらせた癖に。
「私はね。貴女みたいな狡からい女が一番嫌いなのよ」
もういっそ踏みつぶしてやろうか。
腹に与えた圧を更に増そうとしたら、私の足に何かがぶつかって来た。
「ごめんなさいっ!」
それは神薙杏子だった。
綾小路菊を助けようと私の足を掴み、泣きながら謝っている。
「……何に対して『ごめんなさい』なの?」
「ぜ、全部私が悪いのっ!桃姉様は悪くないっ!だからっ」
「彼女を助けて欲しいって?」
聞くと彼女は必死に頷く。
「ですってよ?綾小路『菊』さん?」
「―――ッ!?」
「え…?」
私の足の下にいる彼女の顔が青白く変わっていく。
そして、神薙杏子の顔が驚愕に染められた。
「あら?神薙さんは知らなかったのかしら?彼女は綾小路菊さん。綾小路桃さんのお姉さんよ」
「…え…だって、桃姉様は…」
「で、でた、らめ、よっ、杏子、信じちゃ、だめっ」
でたらめ、ねぇ。良くこの状況でそんな事を言えたものだ。
自分を助ける手をどうにかして繋ぎとめておきたい。そんな所か。
…そんなもの、綺麗に断ち切ってあげるけどね。何より私は神薙杏子も助ける気は毛頭ない。
共に落ちて消えればいい。
「神薙さんは、何故、綾小路桃さんを姉と呼ぶほど慕っているのかしら?」
「そんなの、神薙家で落ち零れた私に話しかけてくれるただ一人の人だからよっ!」
「へぇ。そうなの」
「そうよっ!神薙家と綾小路家は昔から付き合いのある家で。そこの次女である私はいつも失敗ばかりで。馬鹿な子扱いされて。でも、桃姉様だけはいつも笑って話を聞いてくれたわっ!」
「ふぅん。そんな大事な人なのに、本物かどうかの見わけもつかず、その名を語って陥れようとしている人間の悪事に加担して。馬鹿な子扱いされても仕方ないわね」
「陥れようなんてっ」
「してるでしょう?だって、この女と一緒に綾小路桃の名を悪名としてばら撒いたんだから。今だって手駒として使われている事に気づいてない。立派な馬鹿よ。貴女」
「そんな…そんなはず…」
足に縋りついていた腕から力が抜ける。
いいのかなー?力抜いちゃって。私このままこの人踏みつぶしちゃうよ?
なんて、思ってた所で、出来ないけどね。
何故って?それは、もうすぐ彼女が現れるから。
「…その位で容赦して頂けませんか?白鳥様」
ゆったりとした足音が聞こえる。
「……桃、姉様…?」
優雅に近寄る姿に私は微笑む。
彼女は私達と同じ制服を身に纏い、ふわりとその長い黒髪を靡かせて神薙杏子の側に膝をついた。
「だから、いつも言っているでしょう?杏子。きちんと考えて行動なさいって」
「わ、わたくし、は…」
「貴女は後でお説教ですよ」
そう言って苦笑した本当の綾小路桃は神薙杏子をぎゅっと抱きしめ、私を見上げた。
「白鳥様。この子への罰は私に任せて貰えませんか?」
「生温い罰では駄目ですよ?」
「分かっております」
小さく頷き、そのまま彼女は神薙杏子と一緒に立ち上がり、私の足の下にいる己の姉を見下ろした。
「いい様ですわね、菊お姉様」
「…も、も…」
「いかがです?私を生贄に自由を謳歌して、罰が下った気分は」
普段こんな風に人を馬鹿にするはずのない妹の言葉に姉は驚愕する。
「私の大事な妹分にまで手を出して。こんな女と血が繋がってるのかと思うと反吐が出ますわ」
「桃姉様…」
「まして、白鳥様のご友人にまで。いっそのこと、静かに過ごしていれば、白鳥様の怒りを買う事もなく、実家の事は全て私に押し付ける事が出来たというのに」
確かに、それはそうだ。思わず心の中で大きく頷いてしまう。
これだけ戦意喪失していたら平気だろう。
私は足を退けて、綾小路さんに場所を譲る。
「わ、私を、姉の私を侮辱して、許されると思ってるのっ!?」
「思っていますわ。貴女が今私に勝っている点は年齢だけ。それ以外は全て私の方が上。十分侮辱出来る理由になっているではありませんか」
「生意気なっ!」
「えぇ。生意気で結構ですわ。私はもう貴女に容赦をしないと決めたのです。貴女を甘やかしたから、私は自分の妹分を苦しめ、白鳥様の大事なご友人を苦しめてしまいました。私はその責任をとらねばなりません。そして、姉様。貴女もです」
綾小路さんはそれはもう美しく笑った。その笑顔は大いに怒りを含んだもので見るものを凍らせた。
「銅本(どうもと)っ!」
「はっ!お嬢様。御呼びでしょうか」
!?!?
えっ!?ちょっと何処から来たっ!?
セクシー秘書系のお姉様っ!?
ここ屋上っ!!でも空から降って来たよっ!?
あぁ、シリアスな場面だから突っ込みもいれられないっ!!
「連れて行って」
「はっ!」
銅本さんが綾小路菊の腕を掴んだ。けれど、それを勢いよく払い、彼女は立ち上がりフェンスまで逃げる。
「菊お姉様。無駄ですわ。貴女はもう逃げられません。あぁ、そうそう。この学校へは私が通いますわ。だって、ここに入学したのは綾小路『桃』であり『菊』ではありませんものね」
綾小路さんが言うと同時に彼女は銅本さんに腕を後ろ手に捕まれる。
「お嬢様。どちらへ連れて行きますか?」
「勿論、実家へ。お父様達が探していましたもの。ねぇ、お姉様」
「畏まりました」
綾小路菊が銅本さんに連れられて、屋上の入口から姿を消した。
それを確認してすぐに私は夢子ちゃんの下へ駆け寄る。
夢子ちゃんはただ、私の姿をじっと見ている。
…やばい。怖がらせちゃったか。
そっと手を伸ばして、その頬へ触れようとすると、ビクリと大きく体を跳ねさせた。
うぅ…やっぱり怖がらせたのね。ママ直伝の喧嘩はやっぱり周りの人間に恐怖を与えるのよ、きっと。
伸ばした手を引き、
「ごめんね。…怖いよね」
私は彼女と距離を開けようと立ち上がった。
だけど、その動きは夢子ちゃんの手で止められた。
「違うっ、違うのっ。私は…」
その大きな瞳から涙を溢れさせる姿は、昔の彼女を思い出させて。
懐かしい姿に笑みが浮かびそうになるのを堪え、彼女をそっと抱きしめた。
「やっと、話しかけてくれたね。ずっと待ってたのに」
「え……?」
「本当は私から話しかけたら良かったんだけど。夢子ちゃんが私に自分から来てくれたら嬉しいなって思ってつい、ね」
「白鳥さん、知って…」
「勿論、知ってるよ。小学生の時違う学区にも関わらず、会いに来てくれていたでしょう?今もこうして私を助けようと傷付いてくれてる。全部、全部知ってる。ありがとう、夢子ちゃん。私の為にありがとう」
「ぅ…っ…」
夢子ちゃんは涙を流しながらぽつりぽつりと話し始めた。
ずっとあの時、初めてあった時の怪我のお礼を言いたかった事。
その時思い切り泣いたから、全てを聞いてくれたから心が軽くなった事。
自分を救ってくれた私に恩返しをしたかった事。
なのに、恩返しどころか巻き込んでしまった事。
彼女は謝罪を繰り返した。
「……夢子ちゃんは、もう…ほんっとうにおバカなんだから」
溢れる涙を指でそっと払い、その瞳を覗き込み微笑む。
「夢子ちゃんが私を巻き込んだんじゃないの。私が、夢子ちゃんを巻き込んだのよ。ねぇ、優兎くん」
「うん。そうだね。綾小路菊の本当の目的は、美鈴ちゃんから権力を奪い取る事だったんだし。一之瀬さんはそれに巻き込まれてスケープゴートにされたんだよ」
「申し訳ありませんわ。私の愚かな姉の所為で…」
「一之瀬。アンタはちゃんと王子を守り切ったよ。それでいいんじゃないか?」
円が夢子ちゃんの頭をガシガシと力一杯撫でる。
「向井さん…。う…うああああああっ…」
等々声を上げて泣きだした彼女を私は力一杯抱きしめた。
その後泣き疲れ眠ってしまった彼女を抱き上げて、愛奈が確保してくれていた保健室へ連れて行き、しっかりと手当てを受けさせて、私達は寮へと帰った。
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